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YUKI

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狭山事件の謎…まず、事件の概要

2011-06-23 00:17:21 | Weblog
宮崎駿「となりのトトロ」モチーフのひとつに「狭山事件」があるという都市伝説…
溜池Nowでやってましたねぇ。

その狭山事件は、冤罪であるということなんだが、
ちょっと調べたくらいでは、ど~も、事件の概要さえよく分からなかったんだねぇ。

被差別民による女子高校生誘拐、強姦殺人

「ラウンジピュア」というボディビルディング愛好家?によるサイト
現代事件簿に極めて分かりやすい解説がありました!

なんと、冤罪というだけではなく、事件関係者6人も亡くなっているのです。

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ラウンジピュア
No.057 事件関係者が6人自殺・変死した狭山事件

女子高生が誘拐され、殺害されるという事件が起こった。
犯人として石川一雄が逮捕されたが、証拠も不自然なもので冤罪(えんざい)の可能性が高い。
石川が逮捕された後、当事者たちの身近にいた人たちが6人も自殺や変死を遂げた。

▼事件発生
昭和38年5月1日、埼玉県狭山(さやま)市内の、川越高校 入間川分校の1年生である
中田善枝さん(16)は、15時30分ごろ自転車に乗って学校を出た。
この日は善枝さんの16歳の誕生日で、家族は赤飯を炊いて善枝さんの帰りを待っていた。

しかし18時を過ぎても善枝さんは帰ってこない。
後の調査で、善枝さんがガード下で誰かと待ち合わせをしているようなところが目撃されているが、
それを最後に行方不明となってしまった。

心配になった長男(25)が学校へ出向き、善枝さんのことを尋ねたが、
生徒は全員下校しているとのことだった。

「行き違いで、もう帰っているかも知れない。」そう思った長男は、とりあえず家に帰ってみた。
だが、善枝さんはまだ帰っていなかった。
時間は19時30分になっていた。

心配ながらも家族で夕飯を食べながら善枝さんのことを相談しあっていたが、
19時40分ごろ、長男が玄関のガラス戸に白い封筒がはさんであるのを見つけた。

19時30分に長男が帰宅した時にはこの封筒はなかったから、
このわずか10分の間に差し込まれていたものと思われる。

手にとってみると、封筒には宛名のところに
少時様 中田江さく
「少時様」が取り消し線で「中田江さく」と書いてあった。
「江さく」とは、善枝さんの父親である中田栄作のことであろう。

中を開けてみると、そこには善枝さんの生徒手帳と脅迫状が入っていた。
(脅迫状には次のように書かれていたが、字の能力がないのかわざとか、
漢字の使い方もメチャクチャで原文は極めて読みにくい。)

少時様 このかみにツツんでこい
子供の命がほ知かたら4月29日の夜12時に、
               五月2日
金二十万円女の人がもツて前の門のところにいろ。
                さのヤ
友だちが車出いくからその人にわたせ。
時が一分出もをくれたら子供の命がないとおもい。
刑札には名知たら小供は死。
もし車出でいツた友だちが時かんどおりぶじにか江て気名かツたら
子供わ西武園の池の中に死出いるからそこ江いツてみろ。
もし車出いツた友だちが時かんどおりぶじにかえツて気たら
子供わ1時かんごに車出ぶじにとどける、
くりか江す 刑札にはなすな。気んじょの人にもはなすな
子供死出死まう。
もし金をとりにいツて、ちがう人がいたら
そのままかえてきて、こどもわころしてヤる。

警察には話すなと書かれてあったが、
長男はすぐに隣の親戚に知らせ、そのまま警察にも届け出た。
脅迫状を見つけてから、わずか15分後には警察に知らせるという素早い行動だった。

この時、庭の物置の前のいつもの場所に善枝さんの自転車が返されているのを
父親が発見している。
犯人が脅迫状と一緒に自転車も持って来たものと思われる。

▼犯人との取り引き
脅迫状によれば、5月2日の夜12時に佐野屋酒店の前に友達が金を受け取りに行くから、
その男に金を渡せ、女が金を持って来い、となっている。
金を持っていく役目は善枝さんの姉である登美恵(23)が引き受けた。

善枝さんの家は母親はすでに死亡しており、
父親の他は、男が3人兄弟、女が5人姉妹で、善枝さんは四女である。
ただし姉妹のうち一人は死亡しており、一人は東京に住んでいたため、
事件当時、実家に住んでいた善枝さんの兄弟は、男が3人、女は善枝さんを含めて3人である。
登美恵は次女にあたる。

そして指定された5月2日。
登美恵は長男に車で送ってもらって23時50分ごろ、指定された佐野屋酒店の前に立った。
手には警察から用意してもらった偽造紙幣の20万円を持っていた。

まだ街灯もあまりないような時代であり、辺りは真っ暗である。
佐野屋を中心に周りには40人もの警官が息をひそめて犯人の出現を待っていた。

「おい、来てんのか!」
と、犯人か、その友人かは分からないが、一人の男が暗闇の中から登美恵に声をかけた。
男のいる位置は佐野屋の横の畑の中で、登美恵からは30メートルくらい離れている。

警官たちにも緊張が走る。
「はい、来てます。」と登美恵が答える。
「警察に話したんべ! そこに2人いるじゃねえか!」
「1人で来てますからこっちに来て下さいよ!」

登美恵と男との会話が数回繰り返された。
だが、次の瞬間、男は周りの警官たちに気づいのか、猛ダッシュして全力で逃げ出した。

「逃がすな!」と警官たちが一斉に追う。
しかし相手の脚の方が速かった。
追跡もむなしく、警察はこのまま男をとり逃がしてしまった。

たまたま犯人の近くに配備されていた警官が年配の人が多くて
誰も追いつけなかったというのも理由の一つであるが、
実際に間近に現れた相手を、40人もの配備を敷いておきながら
逃がしてしまったというのは大失態であり、警察は後に世間から痛烈な批判を浴びることとなった。

翌日5月3日、警察は畑に残っていた犯人の足跡を、警察犬を使って追跡した。
しかし途中にある小さな川の辺りで、犬は臭いを見失ってしまい、
この方面からの捜査はこれ以上は無理となってしまった。

この、臭いを見失った場所の近くには、「石田養豚場」という養豚場があった。
警察では、この石田養豚場に出入りしている者が犯人ではないかと考え始めた。

▼遺体発見
その翌日5月4日10時30分ごろ、善枝さんの遺体が発見された。

雑木林に通じる農道に埋められていた。
穴の深さは1メートル弱で、善枝さんはうつぶせで、両手を手ぬぐいで後ろ手に縛られ、
目には手ぬぐいで目隠しがされてあった。

スカートがまくられ、下着はヒザまで降ろされており、生前に強姦されていた。
身体についていた精液から、犯人の血液型はB型であることが判明した。

後の解剖で、善枝さんは処女ではなかったことが判明しており、
その時は合意のもとで行ったと判断されている。

また、抵抗した時に出来る身体の傷はなく、ほとんど無抵抗であったと思われる。
死因は首を絞められたことによる窒息死だった。
首に指の跡がなかったことから、手で直接絞めたのではなく、
何か帯状のもので絞めたものだと推測された。

5月11日には、遺体発見現場から124メートルほど離れたところに
スコップが落ちているのを農作業している人が見つけ、事件との関わりを考えて一応警察に知らせた。

調べてみると、これは石田養豚場から盗まれていたスコップであり、
付着していた土を遺体発見現場の土と照合してみるとぴたりと合い、
遺体を埋める際に使われたスコップだということが判明した。

石田養豚場の経営者やその家族は被差別の出身であり、
警察は、この養豚場に出入りする出身者を最も疑わしいと考えて捜査を進めた。

この事件は、出身者を集中的に疑うという捜査が行われ、
後に差別問題として世間から非難を浴びることとなった事件でもある。
そういった考えは捜査の最初の段階からあったと言える。

▼犯人逮捕
事件から約3週間後の5月23日、ケンカと窃盗の罪で一人の男が逮捕された。
男の名は石川一雄(24)で、被差別に住んでいる青年だった。
血液型もB型で、事件の3ヶ月前まで石田養豚場に勤めていた。

石川とその家族が住んでいる被差別は遺体発見現場のすぐ近くであった。
逮捕の理由こそケンカと窃盗であったが、
警察は石川を善枝さん誘拐殺人の犯人として完全に疑っており、追求されるのはその件ばかりだった。

そして逮捕されたこの同じ日、石川の家には12人の刑事が訪れ、大々的な家宅捜査を行った。
部屋の中はもちろん、天井裏や屋根の上まで調べ上げ、庭の土も掘り返すという徹底したものだった。

しかし石川の家からは事件の手がかりとなるようなものは何も発見されず、
また、石川本人も善枝さん誘拐については頑として否定していた。

6月17日、ケンカと窃盗に対する拘留期間が終了したため、石川は釈放されたが、
釈放と同時に今度は殺人容疑で逮捕され、石川は再び拘留されることとなった。

翌日6月18日には石川宅の2回目の家宅捜査が行われた。
刑事14人が2時間かけて家を調べたが、この日も何も有力な証拠は見つからなかった。

一方、再び逮捕された石川は、これまでかたくなに誘拐殺人を否定し続けてきたが、
連日の厳しい取り調べに疲れ果てており、「自供すれば10年で出してやる。」と、
刑事から取り引きのようなことを言われ、石川はついに自供を始めた。

石川は、善枝さんのカバンを捨てた場所の地図を描いた。
そしてその地図に描かれた場所からカバンが発見された。

また、善枝さんの万年筆を盗み、自宅の勝手口の鴨居(かもい)の上に隠したという自供に基づいて
6月26日、3回目の家宅捜査を行ったところ、鴨居の上から万年筆が発見された。
更に善枝さんの腕時計を捨てたと自供した場所を捜索してみると腕時計が発見された。

犯人が描いた地図と自供により、被害者の遺留品が発見された。
これは犯人しか知り得ない情報であり、石川が犯人であることはほぼ確定的とされた。
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狭山事件
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