さすがにNTTといいますか
本橋麻里のHPは結構、充実してまして
チーム青森全員のブログがきっちりとリンクされてます♪
http://www.motohashi-mari.com/blog/index.html
カーリングに取り組む選手は
アスリートとして実に生真面目な人が多いような気がする。
山浦麻葉さんは、結構微妙な深いところも
ブログで書いてくれるので、いいですネェ。
☆ ☆ ☆
チェスというボードゲームも「スポーツ」と言えるんだが
「氷上のチェス」であるカーリングは
高度に訓練されたアスリートでなければ出来ないスポーツです。
某TV番組で、一般の人にカーリングをさせてみたら…
氷上を、投げられたストーンよりも早く走って
コースをブラッシングするという作業は
誰一人として出来ませんでしたねぇ。
見た目よりも、身体も頭も使うスポーツなのです。
そんなカーリングの世界で頂点を目指すために
長野から青森へ「移住」した山浦麻葉さん…
誘われて、来てみたものの「小野寺・林」伝説に悩み、
プレー・スタイルの違いに悩み、最近、
カナダ遠征からは、リザーブなってしまいますた。
それだけ、チーム内でも
熾烈な競争があるのだということなんですね…
まぁ、こうでなきゃ世界では戦えないのも道理。
栄光の陰に涙アリ。
「チーム青森」の一員であることは光栄なこと
というのは、ちょっと違うと意義をとなえた山浦さんは
「小野寺・林」チームと新生チームは
全く違うという、至極当たり前なことを云っていた。
しかし、一般のファンからは見えないところで
熱い戦いがあるにしても…
日本のトップであることの争い、その中心に、
常に「チーム青森」があることを考えれば
「チーム青森」の一員であることは光栄なこと、
と言っていいような気がします。
世界を目指すチームの一員にふさわしい!
ということなんですから。
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山浦麻葉さんブログから
ついに明日 2009年11月 7日
…
これまで半月以上ブログが書けなかったのは、
レギュラーから外れたから。
日本に帰るまでに心の整理を終えよう、と思ったけれど
なかなか整理がつかぬまま帰国し、数日が経ってしまった。
大会前日の記者会見で新たなポジションを公表し、
気持ちに変化があった。
私は僅差でレギュラー争いに負けたが、
今でも自分に自信を持っているし、自分を信じている。
そして、それと同じくらい仲間のことを信じている。
…
☆ ☆ ☆
晴れ舞台、父に見せたい 近江谷杏菜(カーリング)
2009年11月11日 朝日新聞
北海道常呂町(現北見市)。
かつてチーム青森のスキップ(主将)を務めた
小野寺歩ら数多くの名選手を生み出した
「カーリングの町」で生まれ育った近江谷にとって、
小4から通い始められる町のカーリング教室に足を運んだのは、
「生活の一部のように当たり前のこと」だった。
その1年ほど前、父親の好幸さんは
98年長野五輪に出場していた。
「テレビにお父さんが映っている、という事実がすごかった」
小4から高3まで、所属した地元のチームではすべてスキップ。
ずっと父親が指導してくれた。
「高卒後も競技を続けたい」と思っていた時、チーム青森から誘われた。
青森市役所の就職試験を突破し、08年から拠点を青森に移した。
最初はフィフス(補欠)だったが、試合に出たくて努力を重ねた。
この秋のカナダ遠征からサードのポジションをつかんだ。
チームの阿部コーチは「負けず嫌いだし、戦術に対する理解力が高い。
日々伸びているのが目に見えてわかる」。
父のチームは五輪で5位だった。それは上回りたい。
「大舞台でも堂々とプレーしたい」。
その姿を一番見てほしいのは? もちろん、お父さんだ。
(平井隆介)=「氷上編」終わり
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おおみや・あんな 89年10月12日生まれの20歳。
10歳でカーリングを始める。
網走南ケ丘高を卒業後にチーム青森へ。
相手の石をはじき飛ばす、速くて重いショットが得意。
青森市役所勤務。165センチ、63キロ。
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