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大小迫 つむぎの家

よみがえれ!大小迫の里山。 人と人、人と自然をつなぎ、つむぐ「つむぎの家」

「森の積み木」贈呈第2弾

2011年08月04日 | 震災と復興

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神奈川の<緑のダム>が、大船渡市内の全保育所に「森の積み木」を届けにやってきました。

前回(6/24)は、旧三陸町内の4か所に届けましたが、今回は、旧大船渡市内の11か所を訪問するので総勢9人が、3台の車に分乗し、つむぎの家に立ち寄ってくれました。

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この写真は、前回(6/24)つむぎの家の前で撮ったスナップですが、このメンバーに新しく5人が加わり、8/3~4の2日間で、市内11か所を訪問し、「森の積み木」と義援金を贈呈し、5日に帰る予定です。

森の積み木は、間伐材で作った台形・さいころ型・長四角の三種類の手のひらに乗る小さな積み木ですが、木肌の感触が何とも言えない「ぬくもり」や「あたたかさ」があり、また、木の香りが子どもたちの心を癒してくれます。

<緑のダム>の災害支援ですが、小さな子どもたちにとっては、積み木遊びを通して創造力や集中力を高めたり、友達と協力して遊びながら協調性や共感性を育んでくれることでしょう。今後の支援は、このような心をを癒し・育んでいけるものが必要となってくるようです。


愛犬ヤマト

2011年07月25日 | 震災と復興

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津波で家を流された姉夫婦の飼い犬ヤマトは、アパートに移った姉夫婦の家では飼うことができず、つむぎの家の住人になりました。

子どもたちにも大人気のヤマトですが、実は里山で大切なお仕事をしてくれています。

午前・午後と、毎日2~3時間山に入り、鹿を追い、泥まみれになって戻ってきます。

里から林道に入ると、耳を立てて動物の気配をうかがっています。

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猟犬として働く前には必ず排泄をします。茂みの中で大便中です。

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北斜面、南斜面、林道直進と、動物の気配等によって変わりますが、この日は、林道をまっすぐに走っていきました。早い時には約1時間で帰ってきますが、2時間たっぷりと遊んでくるときもあります。

山から下りてくると、息を切らしてハアハアしながら、私を探し、今帰ったとばかり近寄ってきます。

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ヤマトが森から戻ってきたとき、私は山の中にいました。

「ヤマト!」と呼ぶと、勢いよく斜面を駆け上ってきました。「よく帰ってきたね。いい子だね。」と頭を撫でてあげると得意顔になります。

でも決まってヤマトの体は泥だらけで悪臭がします。鹿のぬたばで体をこすりつけてくるのでしょう。

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山から戻ってきたヤマトをシャンプー洗いしています。

津波の時の水の怖さからか、すきあらば逃げようとしてヤマトは必死です。

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主人に体を拭いてもらって一安心。

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鹿追いのお仕事の後は、大好きな牛乳を飲んで大満足。

山に入る前には、必ずダニ除けスプレーをするのですが、首回りや顎に数匹のダニがついていることが多いです。ダニ捕りも日課です。

昨年の今頃は、鹿が里に下りてきて、野菜や稲を食べられ、困りましたが、ヤマトのお蔭で、今年はいまだ鹿による食害はありません。

夫婦げんかも以前より少なくなりました。

つむぎの家の大切な家族、愛犬・名犬ヤマトのお蔭です。


津波で流された姉の家-その2、「一字一石」が大量に出土

2011年07月22日 | 震災と復興

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前回(6/2)隣町の越喜来に住んでいる姉の家について報告しました。

その後、50日余り経った7月20日の地元新聞に、津波で倒れた供養碑の中から「一字一石」が大量に出土という記事が載りました。

そこで、姉の家跡を訪ねてみました。威厳のあった石垣や石階段にも夏草が生い茂っていました。

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かつて、裏庭のあった所の高台に行ってみると、津波で5mほど下に流された供養碑らしきもの(右側)が横たわっていました。

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石垣や庭石が散乱している中で、裏庭の高台の中央あたりに近づいてみると、供養碑がありました。

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碑には、「奉書寫大乗妙典一字一石」と刻まれており、天文五庚申、十一月十三日(1740年)の日付も記されていました。津波で壊され、そして流され軌跡でしょうか、土中に埋まっていた下の部分が白くなっていました。

碑の大きさは、高さが110cm、幅が75cm程度でした。

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碑が建てられていた場所に行ってみると、大量の「一字一石」が埋められていました。

碑の確認のため、少し掘られていましたが、どれだけの石が埋められているのか、幾重にも石が重なり合っていました。右上には、中央に穴のあいた別の碑の礎石だけが残っています。

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石の大きさは直径3~7cm程度の円形で、よく見ると一つひとつに文字が墨で書かれています。

「平」「仏」「解」「経」「文」などと読み取ることができました。

一字一石碑は、さまざまな願いを込めて小石に一字ずつ経文を書き、これを地中に埋めて信仰しており、大乗妙典とは、法華経のことで、法華経の文字の一字を一石に記して供養した先祖の祈りが出てきたものと思われます。

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姉の家は、地元では「松崎」と呼ばれる旧家で、すぐ目の前が港で、かつては松に囲まれた岬に石垣を高く組んで建てられていた名残でしょうか、あの大津波後も石垣が残っており、そして、家のシンボルである樹齢270年余りの大欅が、根をしっかりと大地にふんばり、流されずに青々としたミドリの葉を生い茂させていました。

姉夫婦は、供養碑があったことすら知らず、ましてや供養碑の中にこれほど大量の「一字一石」が埋められていたことに驚いていました。先祖の鎮魂の祈りが伝わってきました。

津波で失ったものは計り知れませんが、先祖が次世代への祈りを込めた経文・経石を目のあたりにして、自然の摂理に従い・調和しながら復旧に力を注ぎ、次世代に引き継ぐ必要性を強く感じました。


震災後の綾里地区

2011年07月02日 | 震災と復興

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これは地元新聞の東海新報に掲載された6月下旬における綾里地区・中心部の状況です。

住宅地の瓦礫の撤去・整備率は90%近くで大船渡地区では最も進んでいますが、画面右側の田畑には瓦礫が散乱しています。

写真左下は、高台にある中学校で、校庭は仮設住宅が建ち、綾里地区の被災者のほとんどが入居しています。

画面左側の山側にあるのが昭和の大津波以後に、山を削り取り建てた住宅地(復興地)です。

綾里小学校の校舎から左側に進む道路をたどった山際が「つむぎの家」です。

2011_0312_065545p3120042 3月12日の綾里小・校庭

前画面,中央の綾里小学校の校庭周辺は、きれいに整備され、6月30日には運動会が行われました。

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つむぎの家の前の道路際まで来ていた瓦礫(写真は3月12日)も、今では全て撤去され、きれいな更地になっています。

復興はこれからです。

幸いにも、幼児たちの「こども園」(小学校の右側の林に囲まれた所)や小学校、中学校は健在です。次代を担う子どもたちの明るい未来を信じて、つむぎの家では、引き続き等身大の活動を積み重ねていきたいと思っています。


「森の積み木」贈呈、その2

2011年06月27日 | 震災と復興

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6月24日、「森の積み木」を三陸町内の4箇所のこども園に贈呈しました。第2班は、越喜来、吉浜地区を訪問しました。最初の訪問地の越喜来幼稚園・保育所は、すぐ下にあった保育所が津波で流されたために、老朽化した幼稚園で幼児・園児が一緒に学んでいます。

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そのため、園舎は職員室、休憩室、倉庫までを子どもたちの部屋に改造し、職員室は友好都市の相模原市から送られてきたトレーラーハウスを園庭の片隅に設置していました。

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積み木の山を前にして、子どもたちは歓声を上げ、さっそく積み木を手に取って遊び始めました。保育所・園の先生方は、後ろで子どもたちの動きを暖かく見つめています。

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子どもたちは夢中になっていろいろなものを作っていました。箱型のものと山型のものを作っていた子に「何をつくったの?」と聞くと、「仮設住宅」と「瓦礫の山」と答えました。

越喜来地区は、子どもたちの三分の一が被災しており、園の庭からは破壊された町並みと、被災した小学校の校庭に高く積み上げられた瓦礫の山が一望できます。そして、この子の家族も仮設住宅に入居しています。

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もう一人黙々と作っている年中組の子に「これは何?」とたずねると、「復旧道路」ということば。幼い子どもたちの目にも、震災の風景が刻まれているとともに、復興に向けた家族や町の人たちの働く姿が焼き付いているんだなと思いました。

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年長の男の子たちは、はじめはそれぞれで思い思いのものを作っていましたが、一人の子が高層住宅といって積み木を重ね始めると、「そうだ、マリンタワーを作ろう」といって周りの子どもたちも手伝い始めました。

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絶妙にバランスを取りながら共同作業でどんどん高く積み上げ、最後には自分たちの背の高さ以上になりました。

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こちらは、吉浜こども園の様子です。門構えのあるお家で、家の中にはソファや椅子までが作られています。

この地区は明治・昭和の三陸大津波以降、すべての住居を高台に移築し、今回の震災では海辺の漁業施設以外は、住居被害、人的被害は奇跡的にほとんどなかった地域です。

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共同作業で三種類の積み木を活用して高い塀を作ったり、

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廊下いっぱいいっぱいまではみ出して、高速道路をつくって車を走らせたり、

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最後には、遊んだ積み木を年少の子までお手伝いして箱の中に入れ、片付けていました。

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最後に積み木を提供してくれた「緑のダム」のスタッフに園の先生や子どもたちがお礼を述べている場面です。

吉浜こども園は、この4月から綾里こども園と同様、認定こども園としてスタートしています。隣にある吉浜小学校と同時に昨年度中に竣工・完成した新しい建物で、子どもたちも〈のびのび〉と育っているようでした。

越喜来・吉浜と二つの園を訪問して感じたことは、次世代を担う子どもたちが健やかに育つ環境を早く整備し、安心して安全に生活できる町づくりを一体となって進めなければならないと強く実感しました。