ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

何が違う?

2024-02-05 08:07:50 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「誰も異存はない」2月2日
 川柳欄に、久喜市M氏による『よくないとみんなが言っているイジメ』という句が掲載されました。分かりやすい句です。イジメについては、大人も子供も、教員も保護者も、小学生も中学生も、誰に聞いても「悪いことだ」「いけないことだ」「許されないことだ」と言う、そういう意味です。
 でも考えさせられる句でもあります。いじめはなくなりません。おそらく全国の学校で年間100万件は発生しているはずです。誰もがいけないことだと言い、いじめてはいけないと考えているのに、100万件も発生しているのです。いじめは、一人の被害者につき1件と数えます。そして、1件のいじめには数人の加害者がいるのが一般的です。つまり、のべにして4~500万人の加害者、いじめをする人がいる計算になります。
 みんながいけないことだと言うにもかかわらず、実際には4~500万人がいじめをする、この落差をどう捉えればよいのか、思わず考え込んでしまうのです。のべ4~500万人ということは、小中高学校の12年間に限ってもほとんどの子供が一度は加害者になっていじめに加担しているということになります。
 世の中には、誰もがいけないということはたくさんあります。万引きも、未成年の飲酒や喫煙も、バイクの無免許運転も。しかし、こうした問題行動に手を染める子供は、いじめ加害者に人数より、0の数が二桁少なくなります。どうしてなのでしょうか。
 万引きは犯罪として検挙されるからでしょうか。でも、いじめは犯罪だという声が強まっていますが、それでいじめが減ったという話は聞きません。しかも、万引きも、飲酒も喫煙も、無免許運転も社会という監視の緩い場で行われているのに対し、いじめは学校という教員の監視が厳しい場所で行われます。つまり発覚し、指導や注意を受ける可能性が高いにもかかわらず、平然といじめが行われているのです。しかも、万引きや喫煙で死者が出ることはありませんが、いじめは被害者の自殺という結末に至る場合があることが知られています。「人殺し」という烙印を押されてしまう危険性を犯してまで、いじめをするのです。よく考えると、不思議な話です。いじめとその他の「良くないと言われる行為」との間には何らかの決定的な違いがあるのではないかと思えてきます。それを明確に示すことが出来れば、有効な対策を打ち出すことが出来る、そんな気がするのですが。やはり「本能」なのでしょうか。

 

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