ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

今この子のために 

2024-08-06 08:03:03 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「手段はともあれ」7月27日
 書評欄に、精神科医斎藤環氏による、『「精神医療の専門性 「治す」とは異なるいくつかの試み」近田真美子著(医学書院)』についての書評が掲載されていました。『ACT(包括型地域生活支援プログラム)で働くスタッフの語りに現象学的にアプローチする』ものなのだそうですが、正直良く分かりませんでした。
 ただ、とても気になる事例が紹介されていました。『ある看護師は、「幽霊が入ってくる」と訴える患者の保護室の扉に安倍晴明のお札を貼ったところ、幽霊が消えた』というのです。この行為に対し『専門的な医療行為とは言えない。しかしこうした「実験」が支援を豊かにすることもまた事実なのだ』という評価がなされていました。
 この看護師の行為は、医学的にナンセンスですし、科学性が皆無です。偏見や思い込み、迷信への依存を深める行為だと非難することもできそうです。実際、そうした苦情を言い立てる患者の家族もいるかもしれません。しかし一方で、幽霊がくると怯え、生活に支障をきたしていた患者の心を平安にし、穏やかな日常を取り戻させることができたという評価を下すことも可能です。
 私は後者の考えです。理屈はどうでもいい、現に目の前で困っている人を救うことが大切だという考え方です。そしてこうした考え方は、教職においても重要だと考えています。子供が苦しんでいるという状況が目の前にある、そんなとき法や制度や教育学や心理学、それらの裏付けも何もなくても、嘘をついてでも、誤魔化してでも、子供に平安のひとときを与えることができるのが、良い教員だということです。
 安倍晴明のお札を貼った看護師は、妄想に関する医学書を読んでいたかは分かりませんが、幽霊の出現を訴える患者をよく見ていたことだけは間違いないように思います。一人に人間と一人の人間として向かい合い、よく理解していたからこそ、安倍晴明のお札という具体的かつ有効な手段を思いつくことができたのでしょう。
 教員もそうあるべきだと思います。理論に通暁することが無駄だとは言いませんが、それよりも今目の前にいる自分の教え子を良く見、分かろうと努力する、その姿勢こそが重要なのではないでしょうか。
 公教育で安倍晴明のお札はまずいですが。

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