ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

我慢は美徳なんてクソくらえ 

2024-02-04 07:59:10 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「がっかり」1月31日
 『外相、どの声も「ありがたい」』という見出しの記事が掲載されました。麻生太郎自民党副総裁が上川外相の容姿を『そんなに美しい方とは言わない』と言ったことについて上川氏が、『さまざまなご意見や声があることは承知しているが、どのような声もありがたく受け止めている』と述べたことを報じる記事です。
 本当にがっかりしました。国際社会に向かって我が国を代表する立場にある外相が、ルッキズムや女性差別に満ちた発言を容認するような態度をとることが、我が国のイメージを損なうということが分からないのでしょうか。最悪の対応です。
 自民党という枠内での発想としては理解できます。今も党内に影響力をもつ麻生氏との間で波風を起こしたくない、そんなことをすればせっかくの女性初の総理大臣という好機を逃してしまうという思惑でしょう。
 また、細かいことにはこだわらない、問題発言に対しいちいち反発するような器の小さな人間と思われたくない、他人からの非難中傷に屈しない強いリーダーと評価されたい、などの思惑もあるのかもしれません。
 まあ、政治家の、自民党の常識に文句を言ってもしょうがないのかもしれませんが、上川氏の対応は、学校における体罰やセクハラについても悪い影響を与えることは指摘しておきたいと思います。
 学校で体罰がある。そのとき、体罰を訴えた被害者やその保護者が逆に非難されることがあります。(体罰をした)A教員は熱心な人、子供のことを思って愛の鞭を振るったのに、それが分からないのか、というようなことを言う人たちが現れるのです。ちょっと叩かれたくらいで「体罰だ」と騒ぐからA教員が顧問を外された、それで部活が出来なくなり、多くの子供が迷惑をしている、というような論理展開です。
 そうしたとき必ず現れるのが、「私も叩かれたが少しもA教員を恨んでなんかいない。私に悪いところがあったから叩かれた。叩かれたことで自分の未熟さに気がつくことが出来た。A教員にはむしろ感謝しているくらいだ」というような趣旨の発言をする人たちです。そして、こうした人の方が、器の大きな人として評価されるのです。そう、今回の上川氏のような人です。
 ここにあるのは、自分が平気だったからあなたも平気なはずだという、個人の違いを認めない考え方です。確かに教員に叩かれても気にしない人はいるかもしれません。しかし、とてもショックを受け傷つく人がいるのも事実です。それは、直接体罰を受けた子供だけではなく、体罰を目撃した子供、体罰をした教員が罰を受けずに放置された事実を知った子供の中にもいるのです。自分の考え方を他人に押し付け、他人の感じ方や価値観を否定するのは、多様性を否定する間違った態度です。傷ついた人を考え過ぎだと非難するのは、セカンドレイプのような許されない行為です。
 人は他者から不快な言動をされたときに、それは不快だと声を上げる権利があります。その権利を第三者が不当に奪うことは許されません。明らかに問題のある発言であるにもかかわらず、周囲の圧力を恐れ声を上げられない、上川氏の態度はそんな風潮を助長するものです。だから教育に携わってきた者として残念なのです。

 

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