ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

世間の目

2014-04-15 07:33:59 | Weblog

「世間の見方」4月7日
 『広がるか「飛び級入学」』という表題の記事が掲載されました。その中で教育評論家の尾木直樹氏が、『その子をどう成長させていくかという視点からなら飛び級の選択肢はあっていいし、逆にゆったり学ぶのも大いにありです』と語っていらっしゃいました。
 一人一人の能力に応じた学習の保証という大原則からは、その通りだと思います。しかし、尾木氏が考える「ゆったり学ぶ」というシステムのイメージがよくわかりません。「飛び級」という制度に関わって語っているのですから、授業中に理解に時間がかかる子供にはしっかりと時間を確保するというようなレベルの話をしているのではなく、小学校を7年間かけて卒業するとか、高校を5年かけて卒業するというようなことだと推察されます。
 私は以前このブログで、橋下大阪市長が提唱した留年制度について触れ、学校は学習をするところであるという基本に立ち返る上で有効な措置であると賛意を表しました。尾木氏の主張も橋下氏の留年制に近いものなのでしょうか。私の記憶では、子供同士の人間関係を壊すということで、尾木氏は橋下氏の提案に反対の立場だったように思うのですが。
 それはともかく、実際に学習内容が身に付くのに時間がかかるからということで、小学校を7年間で卒業させる制度が現実のものになった場合、その子供に対する世間の見方は、「馬鹿な子」「勉強ができない子」「劣等生」といった芳しくないものになるでしょう。そうした見方が、その子供も保護者も傷つけるということも、留年制反対の大きな論拠なっていたものです。
 しかし、留年制が子供や保護者の意思とは無関係に第三者に強制されるのに対し、「ゆったり制」は、子供や保護者が自らの意思で選択するという違いがあります。馬鹿か利口かという違いではないのです。能力に応じて学ぶという意味では、高校進学に際して、普通科に、工業科に、スポーツ科に、デザイン科にとコースを選ぶのと、6年コースか7年コースかを選ぶのも、本来は同じであるはずです。
 7年で卒業=馬鹿という世間の見方を崩すことができさえすれば、「ゆったり制」は我が国の学校教育を大きく変える改革になると思います。ただ、問題は、人の意識ほど変えることが難しいものはないというところです。
 

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