わくわく活動日記

山本ゆきこ~子どもこそ未来

8月15日、社民党敗戦記念日・平和を求める街頭宣伝活動

2011-08-15 22:35:38 | 平和・人権
 本日、8月15日は終戦記念日です。社民党の毎年恒例の敗戦記念日・平和を求める街頭宣伝活動を武蔵が辻と香林坊で各1時間行いました。
 11時からの武蔵が辻ではちょうど雨が降り始めました。強烈な日差しはなかったものの、雨と蒸し暑さの中での街宣でした。武蔵が辻周辺の駐車場が満車が多かったにもかかわらず、メインストリート沿いの通行者は少なかったです。お盆ということで、大勢の観光客が近江町市場の中の海鮮丼のお店に行列を作っていました。

 お盆のさなかのこの街宣活動は、個人的にはちょっと痛いものがあります。昨日の日曜日に実家の七尾へ日帰りで墓参りをしてきました。入院中の叔母を見舞ったり、親戚へあいさつに行ったりとあわただしく過ごしました。田舎の実家はエアコンがないので、暑さがこたえます。

 先の大戦で300万人ともいわれる日本人が尊い命を落としました。また、広島、長崎の原爆により、これまた多くの人が痛ましい犠牲となり、そして、いまなお後遺症に苦しむ方々がいます。そして、忘れてはならないのが、アジアの国々へ侵略し、おびただしい数のアジアの人々を犠牲にした加害の歴史です。

 私の父は1929年生まれで16歳の時、終戦を迎えました。祖父は徴兵検査に合格しなかったため、幸いにも徴兵されませんでした。父の母と弟は、当時腸チフスで亡くなったそうです。中学校時代はほとんど勉強できずに勤労動員に駆り出され、「もっと学びたい」という思いが強かったといいます。昭和20年4月に浜松臨時教員養成所へ入学することになりましたが、浜松は空襲を受け、ほぼ全壊状態になりました。戦後の食糧難に悩まされたと言います。 

 母は1932年生まれで8人兄弟でしたが、そのうち4人を結核で亡くしています。食糧事情が悪く十分栄養がとれなかったためでしょう。祖父は徴兵されましたが、無事帰還しました。

 このように私の父や祖父は幸いにして戦争で命を落とすことはありませんでした。また、石川県は空襲にあわず、父母の実家はいずれも農家だったため、最低限の食糧は確保できたようです。そういう意味では、戦争の被害という点では、深刻な部類には入らないかもしれません。しかし、戦争による食糧事情から、伝染病や結核で子どもたちが命を落としました。平和な時代なら、その人生を開花させ、人生を全うできたでありましょうに。

 誰にも平和のうちに生存する権利があります。
 その権利を奪う戦争を二度と起こしてはなりません。
 声高に「国を守る」「日本人としての誇りを持て」というナショナリズムの台頭に警戒しなければなりません。

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