「ロク」と「ビル」
私が中学生の頃、いつの間にか我が家の周辺に大型の犬が一頭、出没するようになった。
柴犬の大型のようで、柴犬とも異なる、やや太り気味で茶色のいわゆる普通の「犬」だ。その風貌と、何かの漫画から採ったのか、いつの間にか皆に、「ロク」と呼ばれるようになった。
捨て犬、宿無し犬の類だと誰もが思っていた。大人風の雰囲気と、怒る事を知らない性格は皆に好かれ、餌も十分に与えられていた。
私の母の畑仕事にもお供をし、山道を一緒に通い、山菜採りにも同行していた。太り気味の身体のため、暑さに弱く、山から帰るとザンブとばかりに川に飛び込み笑わせた。
やがて、意外な知らせがもたらされた。「ロク」は少し離れた集落の、ある家の飼い犬でそこの家では「ビル」と呼ばれ、可愛がられていると言うのだ。
放浪癖と言うか、自由気ままな生活好みと言うのか、本宅と別荘を使い分ける生活を楽しんでいたのだ。
そんな事実が判明しても、「ロク」は相変わらず、我が家の周辺に出勤してきた。
そして、ある日小柄な雌犬を伴って来て皆を驚かせた。
「おい、ロク。お前は何時結婚したのだい。結構な嫁さんじゃないか」とからかわれた。
その嫁さんが、私達の目から見たら決して美人とは言えない雌だった。
どう言う訳か、上唇が捲れ気味でいつも歯が、口元から見えているのだ。
我々の美醜の基準と「ロク」のそれは異なったようだ。人間だって「ロク」を見習わなければならない。美醜は決して外見だけでは判断出来ない。いや、判断してはいけないのだと。
自由気ままで、幸せな生き方を見せた、「ロク」事、「ビル」もいつの間にか姿を見せなくなり、やがて本宅で天寿を全うしたと言う噂話が流れた。
皆もいつの間にかその存在を忘れ、噂話をする事も無くなった。
(正月で新聞連載も中断していましたが再開です)