千年の森コンサート
開催日の直前に友達から「コンサートのチケットがあるが夫婦二人で行かないか。」と言われた。
その頃、私たち夫婦はつまらない原因から、喧嘩をしてしまい気まずい雰囲気が続いていた。その事をこぼしたので、友が気を使ってくれたのである。
そのコンサートは、近くの町の主催で行なわれるイベントだという。仲直りが出来たらと、妻に話を切り出し、オートバイで行くことに決まった。
当日は開催予定時刻頃から雨が降り出すという、予報が心配であったが朝から出かけた。そして同じ町の体育館を会場にした、バドミントン社会人リーグ大会にも顔を出し、久し振りに仲間の応援もした。そのチームは二十年も前に私が立ち上げ、監督兼選手として引っ張ったチームである。私が「フォルテ」と言うチーム名の名付け親でもある。
コンサートの開演が気になり、第二試合の応援は失礼して、別れを告げた。
コンサート会場は、古いお寺の裏山。「千年の森」と名付けられたブナの林の中である。一般観覧席はその中の斜面で、椅子は横にされた丸太である。すわり心地はあまりよくない。
司会の挨拶があり始まったが、屋外コンサートであり、最新の気象情報によりプログラムを変更すると言う。短めに設定し、降らなかったら改めて伸ばすと言う。観客にも異議の声は無い。
ジャズピアノ、サンポーニャ・ケーナと言う南米の楽器、ジャズバイオリンの順に演奏は始まった。ブナの森の中という背景に、溶け込みコンサートは進んだ。
遠慮がちな片田舎の観衆ではあるが、それもまた森の中のコンサートにはふさわしいとも思えた。私が特に気に入ったのは、サンポーニャ・ケーナの演奏だった。独特の管楽器の音色はブナの森に心地よく響いた。好きな「コンドルは飛んで行く」のケーナを中心にした演奏には身震いした。
幸なことに、中ほどで少し降った雨も終わる頃には上がった。アンコールに答え三者で再びステージに立ってくれた。
雨を予想して、赤いTシャツに着替えたピアニストが、身振りで謝る姿も愛敬だった。
盛大にそして時間的には、予定通り終了した。
帰りは当然観客が一斉に帰途に付く。駐車場が広範囲にあるため、多くの人が歩く中を、オートバイの二人乗りで走るのは目立ち、照れ臭さと、誇らしさとの複雑な気持ちで走った。しかし、手を振ってくれる人達もいて、ほっとした。
二人の仲違いもなんとか治まった、日曜日の森の中のコンサートだった。
とうとう最後のお別れです。
最後に、ロシナンテ「スティード600」のエンジン部分を写す。
縦型Vツゥイン600㏄のエンジンは故障することなく、動いてくれました。
友人夫妻と、十日町地域の「大地の芸術祭」を見に行った際の一枚。
バイク好きの友人は複数を所有していて後ろはそのうちの一台。
250㏄のオフロードタイプにしたら、行動半径が広くなったとか。
大地の芸術祭
友人夫妻から「大地の芸術祭」見物に誘われた。しかも、オートバイでと言う条件であり、考える間もなく賛成した。ご主人は元我が町の中学校の教師をされていた。娘が在学していた関係でPTAの役員を引き受けていたが担当を指名された広報誌編集の学校側責任者と言う立場で付き合いが始まったのだった。
娘を直接受け持っていただいたことは無かったが、それでもさすがに在学中に我が家にお招きすることは遠慮していた。転勤を機会にお招きすると、なんと人と会う事はあまり好まないと言われる奥さん同行で来宅。国語担当の先生と言う事で気の合う所もあったが、何よりの一致点はオートバイ好きだと言う事だった。
そんな経緯から、十日町妻有地域を中心に3年に一度開催される「大地の芸術祭」見物をオートバイで巡ろうという話になったのです。
計画されたその年の9月10日は天候も上々で青空に時折雲が浮かんでは消える秋日和。先ずは十日町の友人宅を訪れ、お茶を頂きながらコースの検討。次第に胸も高鳴る思いがつのる。
私たち夫婦はいつもの「ホンダスティード600」で友人たちは3台持っているうちの1台でオフロード用の「カワサキ250」である。250cc、別名クォーターでもタンデムには支障のない馬力。そして軽量で扱いやすい事からこのオフロードに乗り始めたら行動半径が広がったと言うからクォーター侮るべからずでもある。
いくらオートバイで機動性が高いとは言っても、200点を優に超える作品群は簡単に見て回れるものではない。時折の風景見物、昼食も考えてスタートした。平日でも混雑とまではいかないが、それなりの見物者が自動車で来ているから、オートバイも慎重にならざるを得ない。
山中とは言え、ストレスを発散して飛ばせる広い道路もあって助かります。ワインディングロードばかりではホイールベースが長く、車重も200キロを越えるスティードでは疲れてしまうのです。
さて、肝心の作品群はどうだったのでしょうか。正直なところ現代アートには詳しくない私たちには、面白いとは見えても、芸術性と言われると首をひねるものが多い。芸術の才能を持ち合わせていないのかと自信喪失気味にさえなってしまう。広い平地に柱が門柱のように立っていて、間にひらひらと白いカーテンがはためいている作品。
長い鉛筆状の柱が乱立している作品。いえ、かまぼこ型の建物の小さな窓から覗くと本物の使い済みの鉛筆で表現したアートさえ有った。そして、作家と言えば国外の芸術家の作品が多かったなー。
途中で出会った、野良仕事の間に酒のワンカップを空けて美味そうに飲む、鉢巻き姿のおじさんにこそ芸術性を見た思い。自分がいかに凡人であるかを思い知らされた「大地の芸術祭」でもあったのでした。
長年連れ添ってきた「ロシナンテ」。
いつも、思い出し頭に浮かぶのは「ドナドナ」の歌詞です。
ある晴れた昼下がり子牛が売られていく~♪。
東北を一周した際の一枚(再掲)。
東北オートバイ紀行(再掲)
東北は近くて遠い。なぜならまだ高速道路網もまだまだで、新設の余地が大きく残っているからだ。特に日本海沿岸にその傾向が顕著と思われる。
その東北に行くのが、当時のツーリング仲間の夢だった。同じ会社の仲間だが職場が違い中々一致した休日が取れない。そんな中、なんとかみんなの休みを調整して出掛けたのは初秋の有る日だった。
当時の記録、リーダーから届いたツーリング計画を見ると、平成14年9月20日~22日となっている。9月20日の新潟港発午後11時50分のフェリーで秋田土崎港まで渡り、そこから東北地方を回ると言う壮大なツーリングだった。
新潟港新日本フェリー乗り場集合は午後10時30分。夜間ツーリングの経験は少なく、ましてや新潟港フェリー乗り場など始めて行くコースで、小出から行くリーダーに我が家に立ち寄ってもらって行く事になった。
予定時刻前に着いたが、既に5人のメンバーは集まっていて、私たち2人を入れて合計7名の参加メンバーが揃った。みんなの愛車は250のスクータータイプから、750の大型まで多様な車種だった。フェリーは予定時刻に港を出て夜の日本海を進む。土崎港には予定通りの6時30分に着いたが、秋の日は短く、まだ夜明けを迎えたばかりであった。
下船し、走るメンバー順を決めて早速走り出す。二日目の最終目的地は乳頭温泉。
しかし、そこまでの間に最大の楽しみの十和田湖、奥入瀬渓谷、八幡平などの名勝地が待っているのだ。オートバイツーリングなんて興味の無い人が見たら、呆れそして馬鹿にするようなもので、たたひたすら目的地を目指して走るのみ。燃料の補給時と昼食だけが休憩時間の様なものだ。
しかし、今回のツーリングはそんな方針も変えざるを得ない。何しろ大半のメンバーが十和田湖も奥入瀬渓谷も初めてなのだから。奥入瀬渓谷をゆっくり見物し、十和田湖休屋で昼食を摂った。そこから十和田ICに行き、今回の行程中唯一の高速道「東北自動車道」に入り、松尾八幡平ICで降り、八幡平アスピーテラインと言う名前の高原コースに入った。新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」の舞台でも有り、アオモリトドマツの枯れ木などが目立つ、ただ広い高原は冬の厳しさを十分に感じさせるものだった。しかし、初秋の高原は標高が高いとは言え、着ている皮ジャンパーの暖かさで快適な高原ツーリングとなったのだ。