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畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

連載334「コーナーリングが決めて」(その4終わり)

2025-08-08 04:04:36 | オートバイ
 6月末の佐渡島一周。トビシマカンゾウが花盛りです。

 フェリーへの乗船を待ちます。右の彼は何回も転倒しました。

 入港すると、オートバイに乗って下船を待ちます。

    コーナーリングが決めて(その4終わり)

 佐渡島一周ツーリングには定年後に二輪免許を取り、すぐに限定解除をして大型アメリカンで参加した仲間もいた。でも、なんとそのツーリング中に三回も転倒し、心配させられたのだった。その後、オートバイ仲間に聞くと、年配になって自動二輪車免許を取る人には共通した弱点があると聞いた。

 直線はいくらでも早く走られるのだが、コーナーリングは共通して苦手の人が大多数だという。やはり、心身の柔軟性などがオートバイには求められるという事なのだろう。かく言う私は、先年ゼンマイ採りで山から転落し、腰を強打して痛めてしまい、体の一部のようになっていたスティード600も手放すことになってしまった。
              (終わり)
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連載334「コーナーリングが決めて」(その3)

2025-08-04 04:08:56 | オートバイ

 ある年の文化の日に何人かでツーリングを楽しんだ。

 子供が幼い頃は後部座席は取り合いだったが、成人すると家内の指定席に。

    コーナーリングが決めて(その3) 

 その、スティード600では東北一周をし、富士スバルラインで二回も富士吉田口5合目まで登った。二回と言えば佐渡島もフェリーで渡り行きました。楽しいツーリングも、傍迷惑かも知れないが、走っている当人たちにとっては楽しいもの。

 職場にオートバイマニアがいて、彼が誘った仲間で何回もツーリングに出かけた。ある年の文化の日には私たち夫婦もいれてタンデム二組、総勢7人でのツーリングも楽しむことが出来た。

 若いときからオートバイに乗っていて、しかも砂利道を多く走行していたからか、コーナーリングには強いほうですね。コーナーリングも得手不得手があり、私の場合は左カーブよりも右カーブが怖かった。しかし、スローイン・アウトファーストのコツでコーナーは多くの仲間よりも早かった。お話ししたヤマハSR250単気筒では252号線の六十里越峠でスポーツカーと勝負したりしていた。
            (続く)
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連載334「コーナーリングが決めて」(その2)

2025-08-03 08:04:07 | オートバイ
 十日町市を中心に開催される「大地の芸術祭」を夫婦二組で見物に。
向こうのお二人は、何台ものオートバイをお持ちだが、この日は250のオフロードで。
小型のオフロードバイクにしたら、行動範囲が広がったとも言われていました。


      コーナーリングが決めて(その2)

 この小さなオートバイは車体とエンジンのマッチングが良くて、今でも名機だと思っています。これで、まだ舗装率の悪かった道路を走り回り、時には佐々木小次郎よろしく、釣竿を背にして、南魚沼、北魚沼の渓流に岩魚を求めて走り回ったりしていた。

 その後CB90は平ヶ岳への遠征帰りに、砂利道だった枝折峠のカーブで転倒し、壊れてしまいヤマハHT1と言う黄色の目立つガソリンタンクのトレールモデルに替えた。それも何年か乗り続けたが、義兄が乗っていたホンダCB500Pと言う白バイとして使われていたという中古を貰うことになった。初期のモデルで、重量もあったが馬力も強く、当時勤めていた群馬県水上町まで三国峠越えをして何度も往復した。

 その後結婚して、しばらくオートバイからは離れたが、走る際の爽快感が忘れられず、家内を拝み倒して中古の単気筒エンジン、ヤマハSR250を手に入れて、後ろ座席に幼かった二人の娘を交代で乗せて楽しみました。

 娘たちが成長し、後ろに乗らなくなったころに、ホンダスティード600を手に入れて、家内としばらくタンデムを楽しむことになりましたが、これは24年も乗り続けることになってしまった。
             (続く)
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連載334「コーナーリング決めて」(その1)

2025-08-02 04:49:28 | オートバイ

 上司が購入したけれど乗りこなせなくて、譲り受けた。
単気筒650ccという暴れん坊のエンジン。短期間で換えましたが。

 24年間乗り続けたスティード600です。

      コーナーリング決めて(その1)

 長くオートバイに乗り続けた。二十歳ころから古希の七十歳代まで顧みると50年以上もオートバイに関わっていたことになる。十八歳で普通自動車免許を取ったのだが、それは昭和40年の8月。9月1日から法令改正になる直前の事だった。改正の免許制度は、二輪使用者が増えてきた社会情勢に依るものもあったのでしょう。

 改正以前は結構大雑把な免許証の区分であり、普通免許取得には自動二輪車の資格も無条件に付いてきたのです。ちなみに私よりも少しだけ早く普通自動車免許を取得した姉にも、もちろん付いてきた。当時、自転車にさえ乗れなかった姉でしたから、ブラックジョークのようなものでもあった。

 私が当時小千谷市の旭橋の下流、河川敷と思われる場所にあった自動車学校に通ったのは高校3年生の夏休みの事。最終試験は忘れもしない8月31日でした。当然の事ながら、試験に受かっても運転免許証の交付は後日になる。自動二輪車の免許証は諦めていたのだったが、送られてきた免許証を見て小躍りするような気分になった。なんと、資格欄には普通自動車と自動二輪車の資格取得が記載されていたのだった。

 社会人になり、自分の給料でオートバイを買うことになった。当時勤めていた六日町で地域出身の先輩に聞いた○○屋モータースで前身は自転車屋らしかった。乏しい小遣いの予算内で買ったのは中古のホンダCB90でした。前の持ち主がハンドルを交換したらしく短めのバーハンドルと言うスポーツタイプ。
              (続く)
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スキードー!

2024-02-26 04:02:28 | オートバイ
 先日、下の娘からスマホに動画が送られてきて驚いた。
しかも、借用品だと思ったらなんと、中古品を手に入れたのだとか。

 スベルべもずっとあこがれていて、中古を探したりもしていました。
気持ちも声も上ずって、「購入費用でも修理代でも一部負担するよ」なんて。

 先日、その娘婿がスベルべが紹介したオートバイ屋で修理。
帰りには、我が家に卸して表の車庫で一時保管することになりました。

 かなり大きな車体ですが、車庫の後ろには農機具などもあるけれど納まりました。
修理と言ったけれども、故障はしていなかったようです。トラブルというか使用条件でした。

 これは、DOSPEEDと言う製品名で、アメリカ製です。
日本でも、ヤマハやカワサキが作っていたけれど、排ガス規制か何かで製造は中止した様子。
 本当に昔の話になりましたが、知己のオートバイ屋から借用したことがあります。
それは、スベルベママママなんてふざけて表現していた、義母を乗せるためでした。
 義母が77歳、喜寿を迎えた際に冬の山の畑を案内したくてスノーモービルを準備したのでした。
 写真が残念ながら残っていませんが、婿が義母をスノーモービルにタンデムなんて絵になりませんか。
その時は、スベルベママももちろんのこと、娘たちも一緒にスキーで登り、山で豚汁をして食べた記憶があります。
早速、山の畑に向かいたいところです。ところが今年はご存知のような小雪。今年は無理かなー。
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