畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

吹雪の日

2013-02-28 14:00:21 | 自然

 今冬最強の寒波だったと言う二、三日は猛烈な吹雪も伴った寒さでした。
朝から晩まで雪交じりの強風が吹き荒れる吹雪の一日となったのです。


 勿論終日氷点下の真冬日でもあります。
道路が渇いたように見えるのは、寒さで道路が凍っているため。


 左の雪の壁の上部からは、右に向かって糸を引くように雪が水平に流れる。
風速にすると何メートルになるのだろう。とにかく目も開けていられないような吹雪です。


 でも、こんな吹雪の時でも除雪がなされ道路は自動車も走られる状態。
除雪機も無く、地下水による消雪設備も無い昔は、この三メートルも積った雪の上の道を、
砂漠の中を彷徨うように歩いていました。

 本当に砂丘の砂が強風で動くがごとくに雪も動き、雪を踏みしめた道の形が横に動いてしまう。
道の形をしていて、固い道だと信じて踏み出した足が、道から外れた柔らかな雪に埋もれてしまう事さえ有った。

 小学校三年生の時に、村の真ん中の家から、駅前の始めての民家として我が家が建てられた。
人が多く行き交わす村の中から外れ、駅前の我が家に向かう一本道になると、
ブリザード吹き荒ぶ北極のエスキモーの子供もかくやの姿で家の有る風上、北西方向に歩いたのでした。

 先日、夜の集会の後に酒を酌み交わしながら吹雪く表が話題になった。
「最近は昔に比べ、吹雪の日が少なくなった」と言う話には、肯定の意見が多く有った。

 なんだかそう言えば、昔は冬と言えば吹雪の日ばかりだったような気がする。
実際は、そんな事も無くて、深々と音も無く雪が降り続けることも有ったのであろう。
しかし、皆の脳裏に浮かぶのは恐ろしいほどの吹雪の日でしかないようだ。

 駅前の新しい家に引っ越すまでの我が家は「千鳥破風」と呼ばれる作りの藁ぶきだった。
何処の家も、満足な外戸など無い時代でカヤを編んだ簾を立て掛けて玄関に入る吹雪を防いでいた。
家に出入りする際はねその簾の端をそっと押しのけて通っていたのです。

 店の有る街まで汽車に乗って買い物に行くなんて望外の事で、一軒だけ有った村の店で、
そこに有るものだけを購って、後は漬け物などの保存食で冬を過ごしていたのであろう。

 三月に入り、屋根に残った雪が溶けて萱吹きの屋根を伝って落ちる水を含んだ記憶もある。
なんだか、日向臭いような、なんだか懐かしいような味がしたっけなー。


 さて、吹雪が続くとこんな晴れの日も、まれには出現します。
マックスかと思ったら、暖かさに誘われた妻が道端の雪を片づけ始めたようです。
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「山びこ学校」を読みたい

2013-02-27 15:44:05 | 暮らし

 「ずぶんのあだまで考えろ」を読み終わった。
残念ながら、副題にある「私が山びこ学校で学んだこと」にある、本『山びこ学校』は読んでいない。

 でも、この「佐藤藤三郎」さんの著書見て、『山びこ学校』もどうしても読まなければと思っている。
本文を読み、この白皙の美青年が若き日の「無着成恭」先生だと知った。
だとすると、その隣で嬉しそうに手紙を読む賢そうな少年は「佐藤藤三郎」氏に間違いないだろう。


 『山びこ学校』のもととなった、文集「きかんしや」の13号の表紙は、
「むちゃく・せいきょうのかお」と言う版画だと言うことです。
この「きかんしや」は15号まで発行され、三年間の教育実践のすべてと有ります。


 序を書かれた大田堯氏による言葉で「啐啄同時」と言う言葉。
啐は卵の中の雛が殻の内側から鳴き声でサインを送ること。
そして、啄とは親鳥が間髪を入れず、機を見て殻を嘴で破ることを言うそうです。

 山元中学校に入学した好奇心にあふれた年頃の生徒たちと、
少し風変わりな新任教師として赴任した無着先生との関係がそれだと解釈しているようです。


 すばらしいですねー、文字通りの手造り学級日誌。紙質も悪く、勿論印刷はガリ版刷りの時代です。
子供たちもガリ切りに四苦八苦した様子です。

 ガリ版刷りは私も小学生時代、そして就職してからの労働組合関係の資料作成で経験しています。
って、私スベルべの年齢も分かろうってものですね(笑)。


 「きかんしや」の一号と「山びこ学校」の初版本が並んでいます。
不遜ながらそんな有名な本を読んでいないはずも無いと思うのだけれど、
内容が思い浮かばないから、やはり読んでいないのでしょうね。読みたいものです。


 戦後間もない時代にこんな理念で教育に当たったとは、
無着先生ご自身が受けられた教育にも関心を覚えます。


 でも、この本が世間ら知られ『山びこ学校』として版を重ね、有名になるとともに、
村人の中からは、貧しい村のはずかし話を世間に広めたとと言う、怒りの声も起きたと言います。

 確かに、映画化されたりして、静かで貧しい山の中の村、そして学校が脚光を浴び、
その後の村人、生徒たち、そして無着先生自身にも変化が生まれざるを得なかったようです。
無着先生ご自身もその後、毀誉褒貶にさいなまれる事となった様子は皆さんご存知の事と思いますが。

 でも、この本の著者「佐藤藤三郎」さんはその前も、その後も何も変わることは無かったと断じています。
しかし、持って生まれた彼の才能もさるものながら、それを引きだした無着先生も一つの才能だったと思う。

 さて、次の本も読みつつ有りますが、『三0人の大百姓宣言』も素晴らしいですよ。
「佐藤藤三郎」「星寛治」「山下惣一」の三巨人がそれぞれ好きな人を10人選んで書いているのですから。

 「佐藤藤三郎」氏は恥ずかしながら初めて著書を目にしましたが、後のお二人は、少なからず知っています。
図々しくも「星寛治」氏には大切なリンゴ畑にまでお邪魔して話を伺っています。
そして、「山下惣一」氏はなんとこの地で講演会の講師として、
深い雪の中をお越しいただき話を聞かせて頂きました。

 三人に共通することは、自ら農業に携わり土を耕しつつ本も出されていると言うことです。
こんな骨太の素晴らしい巨人とも言える存在が有ること自体が私には嬉しいことです。
物や、お金の豊かさのみに価値を見出そうと言う、心の貧しさが目立つ今こそ必要な人たちです。

「ゆとり教育」も「教育基本法」もそんなものみんな蹴っ飛ばせ。
今必要な事は、子供たちが土に親しみ、真の生き方を学ぶことではないか。
やはり、日本人は土に生きた農耕民族の末裔では有りませんか。

 私もつくずく、もう少し自分自身が若かったらなー、なんてちょっぴり苦い思いです。
そうですねー、もう一度山形を訪れて見たいですね。
旧山元村に行き、『山びこ学校』の印税で建てたと言う記念碑も見たい。

 待てよ、そんな事で訪れると妻が「星寛治」氏に半ば強引に私を引き合わせたように、
「佐藤藤三郎」氏にも「トーちゃん、お会いしたら」なんて言い出すかな(笑)。
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猪汁

2013-02-26 19:42:59 | 山菜

 四国に住む妹夫婦から、海の幸、山の幸が詰まった荷物が届きました。
圧巻はこの大きな猪肉のブロックです。


 半解凍し、半分にカットしてもこの大きさ。
いくら大猪だとしても、この塊が取れる部位は太腿辺りかなー。 


 見事な赤身です。
焼いて食べても良いかと思ったけれども、血抜き処理によっては匂いもきついことが有ります。


 以前頂いた際は、固くて往生したことが有ったので今回は食べる大きさにカットして、圧力鍋で15分間下煮しました。
外出先から帰宅したスベルべママは「やはり少し匂うけれどもそんなにきつく無い」と一言。

 そして、大ぶりにカットした猪肉に合わせ大根を初め、野菜も大胆大きくします。
隠し味にニンニクも少し入れましたが、匂いは分からない程度。

 味噌味で仕上げると、プーンと暖かく、そして美味しそうな良い香り。
獣肉が苦手の妻も「あら、美味しいー」と一言。
近所のオジサンにもおすそ分けしたけれども、「猪肉の出汁が効いて美味しかった」との報告でした。


 こちらは、妻の作品で「ウルイとコンニャクの酢味噌和え」です。
ウルイは同級生の栽培品で、コンニャクは知人から頂いた手作り品です。
あ、この美味しい手造りコンニャクは猪肉汁の中でも美味しさを発揮していましたよ。


 麻婆豆腐です。久しぶりに既製品を使った妻の作品で「やはり、私の手造りの方が美味しい」と、一言。
自分の手で全てを作った方が納得のいく味になりますよね。スベルべも同感です。
向こうにカーちゃんの「マタタビ酒」のお湯割りが見えます。


 さて、こうしてごちそうが揃ったら我が家の酒蔵からチョイスする飲み物は何か。
はい、やはりトーちゃんには、この焼酎がぴったりでしょう。
 
 この焼酎は「米だけの焼酎」なんてラベルには有るけれど、実は中身は果実酒用の35度の焼酎。
父の遺言でも無いけれど、親子二代で愛用する、果物の絵のラベルが有る焼酎ですよ。

 勿論ストレートでは無くて、いつもの梅干入りのお湯割りにしたけれど、
父もスベルべも、25度を割るよりも、35度の方が美味しいと言う、一致した考えでした。
父の遺言をかたくなに守り、今宵も熱々のお湯割り焼酎で桃源郷に入ったスベルべでした(笑)。
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「ずぶんのあだまで考えろ」

2013-02-26 05:09:29 | 暮らし

 「星 寛治」さんの著書に出てくる「佐藤 藤三郎」さんの話に惹かれ、ネットで購入。
昨日は二冊の本が、宅急便とメール便で相次いで到着。

 「佐藤 藤三郎」さんは『山びこ学校』で学ばれた方なんですね。
勿論『山びこ学校』にも、そして「無着成恭」先生にも惹かれる。

 荒廃したと言っても過言では無い現代に於いて、
再び教育の意味を問い直さなければならない時に至っているのではないか。
そんな私の思いに『ずぶんのあだまで考えろ』はぴったりと心に響く言葉。


 表紙を開くと、表紙の写真の全体像が有る。
嬉しそうに手紙か何かを読む子供と、にこやかにその様子を見る大人。
私たちが、便利さや、文明などと言う安易なものと引き換えに失ってしまったものが見えるではないか。


 ネット通販も商売上手。こんな本も紹介されたらもうたまりませんよね。
大好きな「星 寛治」さんと「山下惣一」さんに加え、今回惹かれた「佐藤藤三郎」さんの、
三人が書かれた文章が一冊で楽しめるなんて僥倖そのもの。


 『三〇人の大百姓宣言』なんて良い名前を着けられましたねー。
百姓、土や自然に親しむって、今の教育にとって大切な意味を持つんじゃないかなー。
いじめとか、体罰とかとは縁遠い世界が広がり、そして、待っているはずだとつくづく思うのです。

 ところで、今回の買い物で驚いたことは「中古本」を指定され、半ば不安な気持ちも持ったのだったけれど、
なんと、一冊は昨年の12月に初版本が発売されたばかり。

 1,500円の新刊本が中古本として扱われ、なんと送料込みでも定価よりも安く買えました。
街の本屋さんも受難の時代と言っても良いでしょうね。私には有難いことですけれども。
さて、今日から本格的に読ませて貰いますが、感激の内容は後ほどと言うことで(笑)。
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農と食と教育と(その4終り)

2013-02-25 05:20:02 | 山菜
  農の神様に会う(4終り)
                 (星 寛治氏の思いで)

      旅の途中では、こんな桜も見ることが出来ました。「久保の桜」だったかと思う。


      この本を再読したことから、前にもアップした拙い文を再掲載しました。
     「大地と心を耕す人びと」と有りますが、今の混迷の時代にこそ必要な言葉と思う。
     的確な視線で、軽佻浮薄な現代を捉え、私たちが何を今なすべきか示して下さっている。
     私も帯の『土を耕すことは心を耕すこと』を心にして生きて行きます。


      お礼の気持ちも込めて、出した年賀状に対して頂いた丁寧な年賀状です。
     今では私の宝物のとなった年賀状の裏面は詩集から抜粋された一つの詩でした。


 晩秋、私は自分で作ったサツマイモを、何種類も詰めた荷物を作り、お礼に御送りした。
今年一月の上旬のこと、帰宅すると妻が興奮して「山形からリンゴが届いている」という。
早速開けると、甘い香りが充満する。そして購買者に宛てた手紙のコピーが同封されていた。

 手紙によると異常気象のため、収穫が例年の三分の一になり、
購買希望者の購入希望にこたえられない旨が記されていた。
そんな貴重なリンゴを送って下さったのだ。

 その有機栽培法によって作られたリンゴは、今まで食べたことの無い、
一口で表現のしようも無い味だった。
強いて言うなら、暖かくて深い人柄がしのばれる滋味あふれる味であった。
私たちに神様から届いたような贈り物だったのである。


               (終り)
コメント (4)
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