畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

酒蔵のお仕事とコンサートと

2015-12-31 05:12:22 | 暮らし

 ラブレターが届いた。
いえ、朝日酒造のPR紙ですよ。



 最近の酒屋さん、酒蔵も大変ですよ。先ずはやはり酒蔵見学ですよね。
何せ、酒の文化を香り高いものに昇華しなくてはならないのですから。



 ほら、前にも紹介したけれども大きな酒蔵、酒造場と事務所の間のエントランスホール。
吹き抜きで、コンクリートの柱もエンタシス様式の凝った建物。

 そこで、聴衆と演奏者が膝を突き合わせたようなコンサートなんて嘘みたい。
普段、充実していると思っている田舎暮らしも、残念ながら文化的催しは少ないですからね。



 1~4月の催しですが盛り沢山ですねー。
お茶から、焚火イベントにスノーシュートレッキング。いやいやいやーこりゃ大したもんだテー。



 今年も7~11月、いえ12月も登山で行けなかったなー。
他のコンサートには行けたけれども、後は指を咥えてスケジュールを見ていただけ。

 でも、本当に楽しみですねー。酒蔵と音楽のコラボなんて粋なもんです。
「美術館もねー、映画館もねー、コンサートホールなんて見た事もね~♪」

 って、吉育三の歌でも無いけれどもま、今の田舎なんてそんなもの。
でもね、チョイと足を延ばしたら何でも見られる時代になりましたよ。
チョイと難しく言うと地方消滅とか、地方再生とか喧しいけれども、ま、田舎暮らしも良いものですぜ(笑)。
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魚沼に本格的な冬到来

2015-12-30 05:16:49 | 暮らし

 少し遅い時間帯の出動となったが、8時前に除雪車が到来。
この後、ロータリー除雪車が来ると言う、二台編成が除雪の体制です。



 国道も除雪車が往来していますが、まだ自動車が見えるから少ないですね。
やがて、出来た雪の壁で自動車も見えなくなるほどになることでしょう。



 家の周りも消雪設備は稼働し始めています。
高床式のコンクリート階段の踊り場。その下にポンプは入っています。



 新調して二年目の浅井戸用ポンプは快調に地下水を汲み上げてくれる。
今の雪国魚沼は、地下水が生命線と言っても言い過ぎでは有りませんね。



 ほら、自然落下式の雪が落ちる家の裏ですよ。
自然落下は同じ場所にうずたかく落ちて積もるのですが、地下水さえ万全だったら平気です。



 ポンプから、塩ビ管で地下に配管され、ところどころから地上に取り出す。
舗装コンクリートの端に、穴を開けた塩ビ管を並べ、バルブを開けたら消雪開始。



 こんな風に複雑に配管をしている所は車庫の前などで、理由がある。
自動車が出入りする場所は、踏んでも壊れないようにサニーホースと呼ぶ、柔らかなホースに穴をあけているのです。

 こうして、昔の暮らしとは比べ物にならない便利な世の中になりました。
でも、ポンプはただでは動きませんからね。さて電気代を稼ぎに除雪に行ってきましょうか。
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雪国の駅風景

2015-12-28 21:34:52 | 風景

 昨日は雪国の昔のお話。今日は昨日の駅構内の風景です。
27日から再び本格的に降り始めた雪も小康状態。新潟方の風景です。



 そして、こちらは東京方の風景。
昨日、雪にすっぽり隠れた旧鉄道官舎をお見せしましたが、昨日はまだ雪はほとんど積もっていません。



 本格的な冬、積雪が増えてくると前に見える駅名標も雪に埋もれてしまいます。
こうして見ると、慣れているスベルべでさえ信じられません。



 ホームから見た農天市場の建物です。
先日、前の庇も折りたたみ、前後を完全に封鎖した冬仕様になりました。



 駅前通りの家々の姿。
全ての家が、雪の自然落下式の作りで、雪下ろしの心配は有りません。

 我が家が最初にこのスタイルにしたら、全部の家が同じスタイルに。
滑り落ちた雪は、自家用井戸から汲み上げた地下水で溶かす、現在もっとも一般的なスタイルですね。

 昨日紹介した昔話から見るとテント地の違い。
雪国の暮らしも、随分楽で便利なものになりましたよ。


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雪国の昔話

2015-12-28 04:20:40 | 暮らし

 昭和56年の豪雪で、妻が二階の窓から写しています。


 家の一階部分は完全に雪に埋もれ、後方には雪に埋もれた旧鉄道官舎が見える。


 その頃の我が家、駅前道路。幼い娘達と妻が見えます。

   雪国暮らし

 雪国の暮らしも、自動車と道路が飛躍的に発達した、昭和四十年前後から様変わりした。
辛く、そして暗いと言うイメージが徐々に薄まってきてウインタースポーツなどと言う言葉が流行り、
スキー客で賑わうようになって来た。

 高度成長社会と呼ばれた国の飛躍的発展が雪国の暮らしもイメージも変えたのだ。
昭和四十年頃までは一級国道さえ冬は雪に閉ざされ、数ヶ月も自動車は通れなかった。
その雪に閉ざされた国道をコースにノルディックスキーの駅伝が行なわれていたのだから驚く。
幼かった私には応援をしたという記憶しかないが、姉たちはカンジキを履いて、競技コースを踏み固めたそうである。

 国道さえそんな状態だから、脇道も当然のこと雪に閉ざされ、
国道がブルドーザー除雪された姿を現した後、スコップで掘り出したのだ。
細くても地面を掘り出すと雪消えは格段に早まった。そうなると待ち望む春もすぐそばまで来たと感じる。
早くても三月から四月にかけての事である。

 それまでの間、十二月から二月の日の短い時期の朝は辛かった。
朝の暖かい布団の中で気持ちよく眠っているところを母に起こされる。
父と一緒に玄関を開ける。そこから道までの数メートルの間は雪の階段である。

 屋根から下ろした雪が道路も埋め尽くし、道路は地面から随分と上になってしまう。
家の茶の間から通行人の足が見える事も珍しくはなかった。
人家と人家の間は低いため、人々は道路の勾配を登ったり下ったりしながら歩き、
誰も冬は当たり前の事と不平も言わなかった。

 カンジキを履き、まずはその高い道までスコップか「コスキ」と呼ぶ木製の道具で、
雪を撥ね上げながら上がる。そこからは道に積もった雪を踏み固め、ゴム長だけで歩けるようにしなければならない。

 我が家は集落の中心部から、信号場から駅に昇格したばかりの国鉄の小駅の前に家を移転新築したので、
道踏みの分担が多くなった。
二百メートル余りだったと思うが、道幅を広げそして足が沈まないように踏み固めるには何回も、
往復することが必要だった。

道踏みが終わると、雁木と呼ばれた本屋に付属した小屋根の雪を下ろす。
それでやっと冬の朝の行事は終了。大概小一時間はかけていたように思う。
暖かい家に体の雪を払って入り、暖かい母の味噌汁で朝ご飯を食べてから登校となる。 

 みんなが他人のために眠い目を擦りながら暖かい布団から起き出し働いた。
そして私も一番列車に乗る人のため、雪道を踏むのは当然の事と思っていたのだ。
雪国の人々は大人も子供も辛抱強く、そして勤勉なものだったと思う。今考えると夢のような話だ。

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出会いと別れと

2015-12-27 05:08:13 | 暮らし

 今年の出会いと別れです。
ここのところ毎年山の畑でカモシカと遭遇しますが、今年も春先に会いました。
 


 笑えた出会いは、この「ムジナ」。
畑にネズミか何かを、穴を掘って夢中に探し、スベルべの接近に中々気付かなかった。



 スベルべが「おーい、何してるの?」なんて声を掛けて振りむいたのが前の写真。
ようやく気が付いた「ムジナ」くんの逃げる姿の可笑しいこと。



 台風の余波に舞い遊ぶカラスたち。
人間がサーフィンを楽しむようにカラスも強風で遊ぶと言います。



 我が家の玄関の真上では数羽のツバメが無事に誕生。
マックスの死後、新たに生まれた命でも有りました。



 かけがえの無い相棒、我が家のアイドルマックスも6月18日に亡くなってしまった。
スベルべが畑から帰るのを待っていたかのように、撫でられながら息を引き取りました。



 家族全員でマックスの遺骨を、マックスが大好きだった柿の木の根元に埋葬。
今年もまた、出会い別れの年でした。

 今日は義妹(妻の弟の連れ合い)の葬儀です。
昨日はお通夜を済ませて、娘達と帰宅。妻は葬儀場に宿泊。
娘達の起床を待って、葬儀場に向かいましょう。寒い冬の日の旅立ちになりました。
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