冬の降雪の朝は、毎朝堤防の上を除雪のために走るブルドーザーが見えた。
いつの間にか静かになったと思ったら、堤防を魚野川の水流から守る「低水護岸工」は完成していた。
下流方を見ると、新たに作られた堤防のカーブに合わせて低水護岸工も曲がって出来ている。
最終的には出島のようになった削り取られた河原の残った部分も削られるのだろうか。
いずれにせよ、かって胡桃の木の林が有り、山菜の一種「コゴメ(草ソテツ)」が生えていた部分は残らないだろう。
久しぶりに歩く堤防の斜面から堤防上に向かって、工事の新しい看板が立てられていた。
「下島樋門新設工事」という件名のようですね。構造も上手く描かれています。
かなり大規模な「樋門」が出来るようです。
魚野川の支流である「大沢川」部分に作るのだけれど堤防本体は最終的に樋門部分を通って国道に繋がる。
しかし、この樋門に大きな排水ポンプを設置するまでの計画は無さそう。
とすると、考え方ですがもろ刃の刃になりかねない内容も含んでいるように感じてしまう。
魚野川の上流地域で豪雨があり、大沢川流域で降らなかった場合は締め切ってもさほど影響は無い。
でも、両方の地域に豪雨が降った場合は、樋門をしめ切ると大沢川の水が行き場を失ってしまうのではないか。
そんな状況の場合は、大型ポンプ車で魚野川に排水すると言うのが当初の説明会での計画だったが如何に。
工期が7月31日と言うのも、微妙な設定ですね。
なにせ、平成23年の水害は7月30日の早朝でしたから。
【事業の概要】を読むと、再び怒りと悲しさがこみあげて来ます。
表面上は水害の痕跡を残さない我が家だけれども、高床式の地下と一階の間の天井、防寒設備は仮復旧状態。
【整備効果】が字面どおりに出て、水害を防いでくれる事を祈るのみです。
なお、この樋門の少し上流方に昔は大きな村が有ったのだけれど、度重なる水害で対岸の山極に移転している。
近いようで、遠い約250年ほど前の事だそうです。
さて、我が家は新築後今年で24年目となります。
風雪どころでは無く、『中越地震』『新潟・福島豪雨』と大きな災害に見舞われました。
これだけ経験したら、いくらなんでも私の生存中に大きな災害は無い。と、信じたいものです。