畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

雨の中で大根を採り、そして洗う

2016-11-30 04:15:15 | 野菜

 農天市場の営業は終わったけれども畑仕事に終わりは来ない。

昨日は雨の中で一人大根を収穫。持ち帰って午後から農天市場をの建物前で洗う。

 

 スーパーに並ぶ大根は見栄え良く、葉元を残して切ってある場合が多い。

でもね、この大きな大根の葉、「大根菜」が何とも言えずに美味しいものなのですよ。

 

 日照時間が少なく、いわゆる秋の陽気の悪い年でした。

でも、我慢を重ねて待っていたら、大根もずいぶん大きく育ったくれました。

 

 亀の子たわしで磨かれ、白く輝く大根は青首大根の「耐病総太り」です。

青首系の大根はほかに、巣入りせず身の質が柔らかな「英才」を作っています。

 

 採ってきた60本余りの大根を洗い終え、たらいの水を変えて次は「大根菜」洗い。

大根菜は、間引きの小さな葉よりも、大きくなった大根の葉の芯の部分が断然美味しい。

 

 畑で葉は切り落とし、回りの大きなものは捨ててきてある。

それでも、まだ念入りに硬いと思われる周囲の葉をかき落とし根元を包丁で整えます。

 薄いビニールの手袋を強いますが、寒さ対策には欠かせませんね。

こんな薄い手袋一つで、結構冷たさから逃れることが出来ます。って手は真っ赤になりますけれども。

 さて、ようやく4時過ぎに洗い終えましたが、それから注文のクレソンの収穫に。

5時を過ぎ真っ暗になった通勤者の自動車で混む道を帰ってくると、「大根菜」はごちそうに変身。

 体が芯まで冷え切ったスベルべは先ず、風呂に入り温まって食卓に着くのでした。

さて、大根菜のご馳走への変貌ぶりはまた次にアップすることにしましょうか。

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農天市場10年目の最終日(その2終わり)

2016-11-29 04:44:27 | 暮らし

 試食コーナーの一品。紫サツマイモのスイーツでトッピングはクルミの実です。

この紫色の材料「ムラサキマサリ」は本当に濃い紫色で、苗は自分で種芋から育てていました。

 

 小さなおにぎりが、ラップされています。これは「古代米」を混ぜて炊いたご飯が材料。

赤飯のように、薄赤い色に染まりますが、農天市場の打ち上げの意味もあったのかな。

 

 そしてこの古代米は完全有機栽培でしかも無農薬のお米です。

「有機JAS」の認定さえ受けているお米で、めったに手に入らないものですよ。

 あ、ちなみにスベルべママの「糠床」は、「コシヒカリ」の有機栽培のもの。

トンボさんにお願いして分けて頂いた小糠で、これと我が家の野菜で鬼に金棒って感じかな(笑)。

 

 漬物などです。左上は「味美菜」のたまり漬け。その右は「最上蕪」の甘酢漬け。

下左は「菊芋」の一夜漬け。右はいずれも生で、大根二種類と「ヤーコン」でした。

 

 この「菊芋」は先日来、まとめてお買い上げのお客様がいらっしゃいました。

「菊芋」は、スベルべが子供のころの味の記憶が懐かしくて探し出し、栽培しているものです。

 

 ネットから検索してプリントした「菊芋」の説明です。

ひょっとしたら、現代人を救う食べ物なのかもしれませんね。

 この他にも、もちろん色々な栄養素に富む「クレソン」もテーブル上に。

食と健康をテーマにしてきた、「農天市場」の面目躍如と言うところでしょうか。

 こうして、大げさに言うならば、汗と涙と笑いの「農天市場」は営業を終了。

お客様の皆様には「来年もよろしくお願いしますよ」と沢山の激励も頂きました。

 ご挨拶の張り紙にも、さり気無く書いておきましたが来年の営業は不透明です。

もし、やるとしたら営業方式を変えるとか、何らかの現状との変更も必要なようです。

 サラリーマン時代から、こんなことをやりたいと考え続けて実現できた「農天市場」。

長いようで短く、あっという間の10年間だったようにあらためて感じているところです。

          (終わり)

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農天市場10年目の最終日

2016-11-28 05:43:44 | 暮らし

 この土・日曜日で、農天市場はオープンして以来10年目の最終回でした。

いやー、最終回に向けて気合の入るスベルべママには圧倒されてしまいました。

 

 土曜日の朝、大急ぎで走り書きをした張り紙。

言わないと下段の「来年の営業は・・・・」に気付く人は無く「来年もよろしく」なんて言われます。

 うーん、農業、畑仕事に飽いた訳ではないけれど、土・日に営業。月曜から金曜まで畑は疲れます。

まー、7月から11月の5か月間ですから、何とか持ちこたえてはきましたけれども・・・。

 

 普段でも出来る限りの試食品は提供しています。

でも、今回のスベルべママの力の入れ方は尋常ではなかったなー。

 

 これは土曜日の朝の光景で、まだ商品の陳列は完成していない時間帯です。

同じ村の95歳になられるオジーさんが焼き芋の焼き上がりを待っていらっしゃいます。

 手前のマイカーは長岡から通ってくださる、親娘さんのものでお母さんは90歳くらいです。

オジーさんは遠くから自転車でお見えになり、スベルべと世間話を交わします。

 

 試食品の第1号は大根菜飯のお握りで、刻んだ紅ショウガがポイントかな。

土曜日は珍しく晴れ渡り、スベルべ夫婦は片手間に大豆を乾燥して落としたり大忙し。

           (続く)

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行き当たりバッ旅で那須へ(その6クラシックカー博物館編終わり)

2016-11-28 04:42:58 | 旅行

 何ヵ所も立ち寄りたい場所は有ったけれども、野菜の注文も入り早く帰りたい。

そこで、選んだのがこの「クラシックカー博物館」でした。

 

  広い館内には旧車、名車がずらりと並んで圧巻の光景。

よくぞ、これだけの台数を集めたと感心するばかりでした。

 

  自動車ばかりかスベルべの大好きなオートバイも名車がずらり。これはイギリスのトライアンフ。

ヨーロッパ系のオートバイもずらりと並んでいて、チェコやロシア製のものも。

 

  どれも綺麗に整備されているようで乗ってみたくなりました。

昔「陸王」の大排気量単気筒エンジンのオートバイに乗って持ち主に驚かれスベルべですから。

 

  ロールスロイスのシルバークラウドですよ。

横に立っているのは、マリリンモンローの人形かな。

 

  これなんて、自動車の黎明期とも言える時代の車ですね。

収集品ここまで、くるともう感動を通り越し、あきれ果てるような気分になるのでした。

 

 フォードのレーシングカーに乗っている人形。

と、思いきやなんとこれはスベルべトーちゃん。こんな風に乗れる車もあるのでした。

 この後、少しより道はしたけれど、ほぼ一目散に高速道に乗って帰路につきます。

高速を使った距離は、往路の倍ほども距離はありましたが、時間は3分の2程度。

 3時を少し過ぎて無事に帰宅。

旅の姿を着替えるのももどかしく、まずは約束のクレソンの収穫へと急ぐスベルべ夫婦でした。

             (終わり)

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連載90「イタチ」

2016-11-27 04:56:26 | 自然

   「イタチ」

  人生の大先輩達を施設に送迎するパートに職を得て、一年近い日々が過ぎた。短い送迎者の中で、運転手と乗客と言う立場になるから、多くの言葉は交わせない。

 しかし、さすがに人生経験豊富な大先輩達。色々な経験をされている。興味深い話も聞かせて頂ける。

 これは「イタチ猟」のお話。

 昭和二十年代の事だ。雪深い越後の山郷では冬は、仕事が無くなり、出稼ぎが普通の生活だった。しかし、その老人は、若い時に「イタチ猟」を覚え、冬の生業にしていたと言う。その頃、結婚をされたのだが、奥様になられた方は、皆がミカンもぎなどの出稼ぎに行くのに、何をしている人だろう。と、疑ったと言う。

 同じ仕事をするライバルもいたが「イタチ猟」は、出稼ぎに匹敵する収入をもたらせてくれたそうだ。勿論、その皮が珍重された訳だが、昭和二十年代に襟巻きにする、洒落者は誰だったのだろうか。不思議に思って聞いてみると「進駐軍の奥様方さ。」という答え。成る程と合点がいった。

 捕まえてきて、皮にして乾燥すると、仲買人が集めに来る。値段はと言うとさすがに、進駐軍御用達。毛皮一インチで百円と言う高値が相場だった。インチで測るところが憎いところだ。

 猟の方法を聞いた。小型の「トラバサミ」を使う。それは猟の目的で大きさは違うが、鋼鉄製のギザギザの刃が、踏まれた事により、バネの力でバチーンと閉じて足を挟み生け捕りにすると言う、少し残酷なワナだ。時には、自分の手を挟み、とんでもないしっぺ返しに泣くような思いもしたと言う。

 皮の土手に適当な穴を穿ち、その奥に小魚を入れ、入り口にトラバサミを仕掛ける。夜行性なので、朝早く獲物の確認に歩いたそうだ。さまざまな場所に仕掛けたそうだが、山の中の小河川沿いに棲むイタチは小さく、信濃川の支流の大きな川、魚野川の岸辺に棲むイタチは随分大きかったそうだ。

 イタチにも明らかに違う二種類がいた。数は少ないが黄色の鮮やかなものと、茶色の普通に見られるものだ。俗に言う「イタチの最後っ屁」で、ピンチになると猛烈に臭い匂いを出し、参ったそうだが、特に黄色イタチのそれは強烈だったと言う。

 時には幸運にも、一匹で二千円もする獲物も居たそうだから、単価から考えると、体長二十インチ、五十センチもの大物が居たと言う事になる。こうして、冬の一シーズンで二万円を越える収入も得たそうだ。家が三十万円足らずで建ったという時代だったから、大層な儲けになったらしい。

 夏場は農閑期に炭焼きをして生計の足しにしていたが、イタチにからかわれる事も有ったとか。弁当のオカズに烏賊の塩辛を持参し、余ったので入れ物のまま山に置いて来た。翌日行って見ると、見事に荒らされ、塩辛は跡形も無かったのだそうです。私は「今度は、酒も置いて行け。」なんて言われませんでしたかとからかった。

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