恋人「ノンコ」の思い出
「ノンコ」は真っ白なポメラニアンだった。綺麗に毛を整えられ、ピンクのベストを着た姿で籐のバスケットに入り、我が家に来た。
東京に住む叔母が、娘、つまり私の従姉妹が出産のために帰宅して、世話が出来ない。赤ちゃんが帰るまで我が家で面倒を見てもらいたいと言うのだ。
猫は飼っていたが犬は居なかった。もとより動物好きの我が家に反対する家族は無い。
こうして三ヶ月ほど「ノンコ」は我が家の娘となった。今風に言えばホームステーだ。
家族の中でも、特に私になついた。私も室内犬と暮らすなんて始めての経験。
でもトイレの躾も良く、心配もなく我が家の生活に溶け込んだ。
朝は心配そうに見送ってくれる。夕方帰宅すると、文字通り狂喜乱舞。
嬉しくて離れては居られない。本当に恋女房。
新婚の新妻が夫を待ち侘びる風情に較べられる光景だった。
ある時、私が仕事の関係で二日ほど家に帰れなくなった事があった。二日ぶりに帰宅すると何時にも増しての喜び方である。まとわりついて離れない。踏み付けそうにさえなってしまう。中々興奮が収まらない。
毎晩私の布団に潜り込んで寝ていたのだが、その夜も勿論離れない。
しかし、抱いてみると体の震えが止まらない。歓び方が嬉しく、「ノンコ」の温もりも疲れた身体に伝わり、私もすぐ眠りに落ちた。しかし、間も無く背中の異様な感覚に目覚めた。
何か背中が熱いのだ。丸まった私の背中には「ノンコ」が張り付いている。やられた、そうか震えの止まらなかった原因はこれだったのか。
興奮の余り、トイレを忘れ、私もそれを忘れ寝てしまったのだ。小さな身体に似合わぬ、十分な量が私の寝巻きから下着までたっぷり濡らしてくれたのだった。
やがて約束の日が過ぎ、「ノンコ」は東京に帰った。
電話の会話の折には必ず「ノンコ」に電話口に出てもらった。甘える声が耳に聞こえる事もあった。
「ノンコ」は何時までも私を忘れる事は無かった。やがて老衰で両目が白内障になり、耳も遠くなった。それでも私の電話には反応した。
そして、東京へ帰ってからは一度も会うことは適わず、「ノンコ」は叔母の元で天寿を全うしたのだった。こうして「ノンコ」と私の恋は終りを告げたのだった。