畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

ようやく桜が咲きました

2012-04-30 04:34:14 | 自然

 雪消えの遅れた魚沼にもようやく春が到来。
ここ二、三日の20度を越える気温の陽気に桜が満開になりました。


 でも、魚沼の桜は残雪の中での満開です。
ここはグランドの周りに植えられた桜だけれど、グランドにはまだ昨年の水害で発生した、
多量の発生土砂がうず高く集積され小山のようになったままです。


 桜の花はどこで咲いても美しく、やはり日本の春を知らせるものだけれど、
どうも、水害の発生土の脇で、花見と言う気分にもなれませんね。


 先般「さて、雪消えは何時になるのでしょう」なんてクイズめかして書きましたが、
正解って五月に入りますね。
これは昨日の朝のマックスとの散歩で魚野川の堤防に向かう際のもの。
まだ、水田も農道もは一面の雪に覆われています。


 朝の散歩から帰り、家の食堂から北西方面、家の裏を望みます。
水路の端の土がようやく顔を出してきています。

 農天市場の建物も、その隣のビニールの簡易温室も家から良く見えます。
つい先日までは国道を通る自動車なんて屋根も全く見えませんでしたけれどもね。
遅かった越後、魚沼の山里にも春が駆け足でやってきたようです。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また一つの芽が開く

2012-04-29 05:41:35 | 

 日が照り、気温が20度近くになると温室の中の温度は30度を簡単に越え、
野菜の苗たちも、一斉に伸びて、本葉が開き始めます。

 これは五種類播いたトマトのうちの「イエローアイコ」かな。
ほら、双葉の間から本葉が広がりを見せ始めていますよ。


 これは茄子の芽ですね。茄子は三種類播いたのかな。
「梨茄子」「巾着茄子」と米なすの「ドカンチョ」です。


 先日お見せした「アーティチョーク」の芽です。


 これも先日お見せした赤い茎の「ルバーブ」です。
「栴檀は双葉より芳し」などと言いますが、ほら、こんな新芽のうちから茎が赤いですよ。


 まだ頼りなく、ハウスに入る風で揺れているけれど、
これが「フェンネル」の新芽です。


 今のところもっとも大きく育っているのは「エンドウマメ」ですね。
もう少ししたら、本畑に移植してあげなくてはなりません。


 これらの野菜の苗の赤ちゃんが、電熱シートの上で押し合いへしあい育っています。
間もなく、もう一つ上のサイズのポットに移し替える仕事が始まります。

 昨日は、先日私一人で仮植えした70キロのジャガイモに次ぎ、
夫婦二人で残りの55キロのジャガイモを仮植えして、ジャガイモは一段落しました。
その後で、私は「蔓無しインゲン」を30ポット播き、妻は「ヒマワリ」「綿」等を播いています。
夫婦二人で競争するように種を播くから大変ですよ。

 さて、昨日の夕方はマックスと散歩を兼ねて山の畑の様子を見に行きました。
20度を超える気温となるとさすがに雪消えも早まりますね。山の畑はもう50センチかな。
農道が始まるあたりでは桜がようやく満開になりつつ有りました。
今日は完全に桜も満開となり、我が家の後ろの水田も土が顔を出すことでしょう。
ツバメたちの鳴き声と動きも一段と活発になり、いよいよ魚沼にも春が来たようです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の思い出(昼食編)

2012-04-28 05:04:19 | 食べ物

 ネタ切れと言う訳でもないけれど、忘れないうちにこの冬の昼食の一部をアップしましょう。
これは「モチ雑炊」ですね、さっと仕上げた雑炊に、隠れて見えないけれども焼いた餅が入っている。


 「焼きうどん」です。
野菜もたっぷり入っていますよ。


 野菜たっぷりの「カレーライス」です。
そうそう、子供の頃のスベルべは大食漢で(今もだけれど)大皿三枚も食べたっけ。


 「おろしうどん」又の名を「ミゾレうどん」かな。
冷たいうどんに、大根おろしを主体とした簡単な具が載ります。


 我が家の定番の一つ「ニシン丼」です。
新鮮な生ニシンを天ぷらの具にしての「天丼」ですね。
これも両親から引き継いだレシピで魚好きの嗜好も一緒に引き継いじゃいましたね。

 何回もお話をさせていただきましたが、今冬は今までのパートを退職し、
駅のホーム除雪を12月20日から3月20日までの契約で仕事をさせて頂きました。

 幸いなことに我が家は駅とは100メートル足らずの位置です。
仕事の合間を縫い、昼食時間には自宅まで急いで帰り昼食を食べていました。
冬季間はパートが少なく、家に居ることが多かった妻も家事の合間に昼食作りを工夫していました。

 これも一種の頭の体操として楽しみ、同じメニューってほとんどなかったですよ。
「名店の賄い飯」でも無いけれど、残った食材、簡単な食材でササーっと作っていましたね。

 二日勤めては一日休みの、曜日には関係ない休日の設定でしたから、
二人で、外食のいわゆる「B級グルメ」も近隣で結構楽しめました。
お店の食べ物から得るヒントってのも有るし、ま、これは手抜きの言い訳でも有りますが、
「忙中閑有り」って感じの、大雪の中でもそれなりに楽しみも得られた今冬でしたよ。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

災害と災難と

2012-04-27 05:12:08 | 暮らし

 雪が消え始めると、山肌は中越地震の崩壊跡がよりよく見えてくる。
右の建物「味の家 魚野川」さんの辺りから北に向かい激震ゾーンと呼ばれた、
より震度が強く、被害も大きかった地帯が始まっている。


 この急斜面も、峰の一部がまだ剥き出しになっているけれど、
あの、中越地震の震度七に近いと思われる揺れで崩れ落ち下の線路を埋め尽くしたのだった。

 正面の山頂から奥に向かい我が家の山の畑が始まるのだけれど、
そのあたりも山頂は崩れた跡をまだ見ることが出来ます。
けれども、間もなくこんな傷跡の斜面も草木の緑に覆われ、幸せそうな風景に変わります。

                                                   

 突然写真サイズが小さくなっちゃったけれども、中越地震発生翌日の光景です。


 これは昨年七月三十日の洪水の写真です。(味の家 魚野川 ガクさんより頂いた写真)
こんな風にわずか七年ほどの間に、この地域は大きな災害に二度も襲われてしまった。

 中越地震の前々年に92歳で亡くなった父は、明治43年生まれだったから、
その前、明治三十年にも記録されている、左(東側)から右(西側)の山の間が、
一面満水で湖のようになったと記されている大洪水にも遭わなかったことになる。

 「亡父は長生きしたけれども、こんな大きな災害を経験しなかった、
タイミングで、そんな風に運の良い人もいるんだなー」
なんて最近まで私は言っていた。

 しかし、最近ふと気付いた「でも、父はあんな悲惨な太平洋戦争を経験したのだったなー」なんて。
それに比べたら、大きな天災には遭遇したけれど、戦後に生まれ、そして戦争に巻き込まれずに、
今まで人生を送ってこられたことも、これも一つの大きな幸せには違いいない事だと。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待望の融雪剤散布が出来ました

2012-04-26 05:12:13 | 自然

 一昨日、待望の山の畑への農道の除雪が行われた。
雪消えが遅く、早く融雪促進剤を運んで畑に播きたいのに、
例年よりも遅くまで除雪は行われず、市役所の担当には電話を入れたりメールを入れたりで依頼していた。 


 でも、電話で依頼した効果も有り、何時もだと我が家の畑近くまで行き、
まっすぐに帰るのだけれども、行き止まりを広げてUターンが出来るように広げて有った。

 例年だと、除雪後は軽トラの荷台から飛び上がるほどなんだけれども、今年は大分減っている。
それだけ、除雪に入るタイミングが遅かったと言うことなんだけれども。


 さてと、我が家の山の畑を見回す。
あんなに純白だった山の雪も、春になると空気中のゴミ、埃で薄汚れてしまう。
本当は、もっと真っ白なうちに融雪促進剤を播いたら効果的だったのですが。


 カモシカの死体、いや、リードから放たれ、喜びのゴロゴロダンス中のマックスです。


 プラスチックの大きなソリに四袋ずつ積んで畑まで運搬。
一袋40リットルの融雪促進剤の商品名「炭太郎」を10袋運びました。


 これは同行したスベルべママの作業風景。


 30アールの畑と、畑への道路へ一時間ほどで播き終えました。
これで一安心、何せ下の畑ではジャガイモや、さつま芋の苗が育っているのですからね。


 汗をかいたので、急いで帰宅の途に着いたら途中でロータリー除雪車に追いついてしまった。
実は朝のうちに、喜び勇んで山の畑へ向かうと、まだ途中で除雪の真っ最中。
引き返して、午後から再度向かうと、ロータリー除雪車が除雪して帰ってきたばかりだった。
オペレーターを見ると、顔見知りで言葉を交わしたのち、畑へと向かったのでした。

 でも、今年は雪消えが遅くて皆が困っていると言うのに、どうしてこんなに除雪が遅かったのだろう。
この晩、農家組合長会議が有って、減反調整についての説明が主題だったのだが、
最後に一言発言「市もJAも雪消えが遅くて困っていると言いながら、
農道の除雪が何時もより遅いとはどういうことなんだ」
と、マスクを外して大きな声で抗議してきたのでした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする