去年の今日、14:46に東日本大震災が発生しました。
今までに感じたことのない大きな揺れが怖かった。
震災に遭遇したのは職場で。
利用者様を第一に考えなくてはいけません。
事務スタッフはまず、非難路確保のために玄関を解放しに向かいました。
揺れが落ち着いてからは利用者様を一旦外に避難させました。
その後も度重なる余震に不安、自宅とも連絡が取れないまま利用者様の対応に追われました。
ガスが止まってしまい利用者様の夕食をどうするかという問題は出ましたが、幸い電気と水道がストップしなかったので助かりました。
職場でもこうして色々とあったわけでしたが…
私、個人的にも震災の影響を受けました。
週明けの月曜日、主治医から職場に電話がありました。
3月23日に予定していた手術は延期。
病院の設備は大丈夫、でもいつ停電するか分からない状況の中、術中に停電したら大変だから見合わせるとの連絡でした。
不安だろうから早めに連絡をという配慮で、職場の電話番号をわざわざ調べて電話してきてくださったのでした。
結局、計画停電の区域から外れ、余震はまだ続きながらも停電の恐れが少なくなった3月末から手術は再開され、再びクリニックから職場に電話があり私の手術は4月20日に決まり、無事に手術も終えることができましたが。
あれから1年。
地元の町は通常の日常を取り戻しているように見えます。
避難所も閉鎖され、施設も病院も商店も通常の営業に戻っています。
でも、まだまだ震災や津波で大きな被害わ受けた地域では、仮設住宅での生活が続き、まだまだ土地の整備、瓦礫の処理もままなっていない地域も多くあります。
住み慣れた地域に戻れる目処すらたたずにいる方たちがいます。
今日は日本老年行動科学会の総会と総会記念プログラムに参加してきました。
シンポジウムでは東日本大震災被災地域における活動報告がありました。
報道ではほとんど取り上げられることのなかった被災地域の高齢者施設での状況を知り、色々と考えさせられるものがありました。
そして、震災から11ヶ月を経た2月の気仙沼の写真、まだまた津波の傷痕が色濃く残るものでした。
茨城県南の私の勤める施設はガスが止まったのと、食材やオムツ、トイレットペーパーなどの確保、当初区域に含まれた計画停電への対策にわらわらしたぐらいで、大きな被害はなく済みました。
震災当日の夜と翌朝に少し非常食を使用したぐらいで、ガソリンも提携スタンドの協力で何とか確保でき、デイサービスも休まず動かすことができました。
でも、もし自分たちの施設が被災の中心地域にあったら…
被災地域での高齢者施設の状況を聞いて、自分たちは利用者様に、地域の皆さんに、どこまでの対応ができただろうと考えてしまいました。
もしもの時のために、日頃から準備し、考えていかないといけませんね。
私たちが住む地域は、余震を気にしつつももとの生活にもどれています。
でもまだまだこれから支援が必要な地域も多くあります。
仕事をしていますので、現地に行って何かをするというのは難しいのが現状です。
また、現地の皆さんの生活や復興の邪魔になるようなことをするのはいけません。
こちらにいてもきっと何かできることはあるはずです。
自分にできることを見つけて、少しずつでも実践していきたいと思っています。
今までに感じたことのない大きな揺れが怖かった。
震災に遭遇したのは職場で。
利用者様を第一に考えなくてはいけません。
事務スタッフはまず、非難路確保のために玄関を解放しに向かいました。
揺れが落ち着いてからは利用者様を一旦外に避難させました。
その後も度重なる余震に不安、自宅とも連絡が取れないまま利用者様の対応に追われました。
ガスが止まってしまい利用者様の夕食をどうするかという問題は出ましたが、幸い電気と水道がストップしなかったので助かりました。
職場でもこうして色々とあったわけでしたが…
私、個人的にも震災の影響を受けました。
週明けの月曜日、主治医から職場に電話がありました。
3月23日に予定していた手術は延期。
病院の設備は大丈夫、でもいつ停電するか分からない状況の中、術中に停電したら大変だから見合わせるとの連絡でした。
不安だろうから早めに連絡をという配慮で、職場の電話番号をわざわざ調べて電話してきてくださったのでした。
結局、計画停電の区域から外れ、余震はまだ続きながらも停電の恐れが少なくなった3月末から手術は再開され、再びクリニックから職場に電話があり私の手術は4月20日に決まり、無事に手術も終えることができましたが。
あれから1年。
地元の町は通常の日常を取り戻しているように見えます。
避難所も閉鎖され、施設も病院も商店も通常の営業に戻っています。
でも、まだまだ震災や津波で大きな被害わ受けた地域では、仮設住宅での生活が続き、まだまだ土地の整備、瓦礫の処理もままなっていない地域も多くあります。
住み慣れた地域に戻れる目処すらたたずにいる方たちがいます。
今日は日本老年行動科学会の総会と総会記念プログラムに参加してきました。
シンポジウムでは東日本大震災被災地域における活動報告がありました。
報道ではほとんど取り上げられることのなかった被災地域の高齢者施設での状況を知り、色々と考えさせられるものがありました。
そして、震災から11ヶ月を経た2月の気仙沼の写真、まだまた津波の傷痕が色濃く残るものでした。
茨城県南の私の勤める施設はガスが止まったのと、食材やオムツ、トイレットペーパーなどの確保、当初区域に含まれた計画停電への対策にわらわらしたぐらいで、大きな被害はなく済みました。
震災当日の夜と翌朝に少し非常食を使用したぐらいで、ガソリンも提携スタンドの協力で何とか確保でき、デイサービスも休まず動かすことができました。
でも、もし自分たちの施設が被災の中心地域にあったら…
被災地域での高齢者施設の状況を聞いて、自分たちは利用者様に、地域の皆さんに、どこまでの対応ができただろうと考えてしまいました。
もしもの時のために、日頃から準備し、考えていかないといけませんね。
私たちが住む地域は、余震を気にしつつももとの生活にもどれています。
でもまだまだこれから支援が必要な地域も多くあります。
仕事をしていますので、現地に行って何かをするというのは難しいのが現状です。
また、現地の皆さんの生活や復興の邪魔になるようなことをするのはいけません。
こちらにいてもきっと何かできることはあるはずです。
自分にできることを見つけて、少しずつでも実践していきたいと思っています。