ユーチの気まぐれ日記

感じたこと、考えたこと、記憶に残った出来事を気まぐれに更新しています。

お疲れ様です(^o^;

2006-10-31 23:46:50 | 日々あれこれ
今日は今までにないぐらいの残業。帰りのタイムカードは23時12分、終業は17:30だから…消灯時間も過ぎていたのでそーっと帰ってきました(笑)

明日の午後、利用の実績をケアマネに届ける時に一緒に持っていくことになった報告書の作成が終わらなくて。昨日の夕方書き方を説明され今日しかやる日なくて(泣)
明日の午前中は小学校の社会科見学の相手をしないといけないからできないし…

でも今日はこんな時間なのに一人じゃなかったんです。会計関係で事務のSさんも残業、 そして施設長も。夜の事務室、ちょっと心強かったです。

最後の文化祭

2006-10-29 23:53:28 | 日々あれこれ
今日は私が卒業したサポート校の文化祭に行って来ました。
タイトルの通り、最後の文化祭。何だかまだ実感ないんだけど、残念なことに今月で閉鎖になってしまったのです。

最後ということもあって、クラスメイトも先輩も後輩も、退職された先生方も、懐かしい顔が沢山集まっていて、ちょっとした同窓会のよう
お互い近況を話したり、思い出を話したり、今日は色々な話をしたなぁ。
懐かしい学び舎で、懐かしいメンバーと、とても楽しい良い時間が過ごせました。
この場所でみんなが集まれるのが最後っていうのはやっぱりさみしいけれど

文化祭の後は、卒業年度も色々の卒業生13名、K先生、S先生、Iさんの計16名で近くのイタリアン料理屋さんでお食事を。そこでもまた色々な話をしました。
良いよなぁ・・・こういう関係でいられるのって

最後の学園祭、学園の閉鎖。沢山の思い出があって、私自身を大きく成長させてくれた大切な場所だったので、感慨深いものが・・・。文化祭やライブなどイベントに顔を出すと懐かしい顔が誰かしらいて、そんな自然に集まれる場所がもう無くなってしまうんだなぁと思うととても寂しい。友達や先生とのつながりはこれからも続けていけるものだけど、連絡先を知らなかった子とも再開できたり、友達を通じて新たな交流が生まれたり、そういうことも難しくなるなぁ。

これで学園とはお別れ・・・でも学園には本当に感謝しています。ありがとう
学園との出会いがあったから、たぶん今の自分があるんだと思うし。
素晴らしい思い出がいっぱい。この学園の生徒で本当に良かったです

まずは今つながりがあるみんなとの関係を大切にしたい。
連絡を取り合ったり、時々はみんなで集まれる機会を持ったり。
またみんなと会える日を楽しみに・・・

秋の風

2006-10-28 23:48:07 | 日々あれこれ
季節はもう完全に秋ですね
当たり前か・・・10月ももう少しでお仕舞い。
でもその季節が当たり前に巡ってくる環境って幸せなのかもしれない。
1年中真夏のように暑いところもあれば、1年を通してとても寒いところもある。
けれど日本では四季を感じることができ、折々移り変わる景色をみることができるのだから

デイサービスで利用者さんと一緒によく施設の周りの散歩に行きます。
最近では、柿がなっていたり、キウイがなっていたり、ざくろがなっていたり、お茶の実がなっていたり、どんぐりがなっていたり、まさに実りの秋という感じです。
そんな中を散歩しながら、「あの柿は甘柿っぽい、あっちのは渋柿だね」とか「キウイは1度霜が降りたか降りないかぐらいで採るのがちょうど良いらしい」とか話も盛り上がります

先週の土曜日には私もコスモス畑に行って来ました
本当に一面のコスモス。どこまでも続いているよう・・・素晴らしいの一言でした。
就職するまでこんなところが近くにあるとは知らなかったので、ちょっとビックリでした

日中、利用者さんと一緒に外出するには今ぐらいの気候がちょうど良い。
夏は暑く、日差しも強いので、熱射病や脱水の危険を伴う。
その点、今の季節なら暑すぎず寒すぎず心地が良い気候で、適当に水分が取れていれば脱水の恐れは夏場よりかなり軽減される。

それに何よりも秋の晴れた日は空が高くてきれい。
そして秋のさわやかな風は肌にとても心地良い。

ゆっくり散歩して道端に咲いた花をめでたり、季節を感じてみるのもたまには良いですよ。
施設の中ばかりで過ごすよりも、利用者さんも外に出るのは気持ちがいいと言ってくださいます。
皆さんも今のいい気候のうちに、近所を散策してみては??
何か珍しい発見があるかも(なんて)

通院の日

2006-10-27 23:13:03 | 身体のこと(外傷性頚椎症性脊髄症etc...)
今日は2週間に1度の通院日。
午後からいつもの整形外科に行ってきました。

受付で診察券を出した後、殆ど待つことなく名前が呼ばれ診察室へ。
いつもそれほど待つことはないんだけど、今日は特に空いていたような・・・
待合室で待っていて他に2人いたのに一番最初に呼ばれたのが自分だったのでちょっとびっくり。

今回も一番初めは「しびれはどう?」との質問。
右手のしびれはまだやっぱりあります。左手は微妙、あったりなかったりかな。
しびれの部分について、先生はどの指?というのではなく、「親指より?小指より?」と聞いてきた。
しびれているのは中指・薬指・小指だから、質問に答えれば小指よりだけど・・・どっちより?というのは??

それから「痛みは?」とも。
いちがいに「痛い」という表現が正しいのか自分でもよく分からないのだが、痛いような重いような不快な感じが首の付け根あたりから肩や肩甲骨のあたりにある。
あとは時々、薬指の付け根あたりが痛むことも・・・関連があるのかどうかは分からないけど。

今日も「じゃあ、お薬出しておくからね」とのことで前回までと同じ飲み薬4種類の処方を受けた。

昨日の保険会社からの電話のこと、一応話をしました。
でも、先生には「私はまだ治っていない」「詳しいことは先生に聞いてください」とだけ話しておけば良いと言われました。
「保険会社から電話がまたあって」とまで話した時点でそういう話になったので、後遺障害診断書を作成するとかしないとか、そういう段階かとかそこまで話はいかず・・・良いのか悪いのか?

面倒だけど、先生と話してこういう話になったこと、また保険会社の人に伝えないといけないかな。

保険会社の人には、早く賠償の期間を終わりにしたいという思惑があるだろう。
医師はどうなんだろうか?中には自由診療は保険診療よりも収入がいいので・・・なんていう先生もいるのだろうか?
今通っているクリニックの先生が、そういったことではなく患者を第一に考えてくれていることを祈るが・・・。

自分としてもいつかは区切りをつけなければいけないことは分かっている。
ただ、それが今であるべきなのか、もう少し先であるべきなのか、私にも分からない。
保険会社の人は、早く打ち切りたいだろうから、一般的にはこれくらいの期間がと言って打診してくるのだろうが、全ての人が同じぐらいの期間で改善するものでもないだろうし。

どうしたらいいのだろうか?
自分にとってどんな方向に進んでいくことが一番良いのか?
自分で決めないといけないのでしょうが難しいところです。

保険会社

2006-10-26 19:21:05 | 身体のこと(外傷性頚椎症性脊髄症etc...)
昨日の午後3時半頃、携帯に交通事故の相手の保険会社から着信が入っていた。
仕事中は送迎に出るとき意外は携帯を持ち歩いていないし、基本中に休み時間以外は使用しません。なので気づいたのは5時半過ぎ、かけ直してはみたけれど保険会社のほうが終業後だったようでつながりませんでした。

それで今日の昼休み、面倒だけど一応もういちどかけ直しを。
前に着信が2度ほどあったとき、出れなくて放っておいたら、連絡がつかないためとかいって文書が送られてきたことがあったので。

で、予想通りと言うかやっぱり治療費の保証の終了の打診。
通常の治療の保障期間は3~6ヶ月でもう賠償の範囲を超えているとの話だった。
それは前にも聞いた話で分かっています。
ただ、そのときはまだ転院して間もなかったので様子を見ましょうということになりましたが・・・。

今日は具体的に言われました。
11月○日(上旬)ぐらいで終了にしたい、譲歩しても11月末までぐらいにはと。
まだ症状が残っているのなら後遺障害診断書を先生に書いてもらう方向で話を進めていって欲しいとの話でした。
う~ん、症状はあるけれど、後遺障害に該当するほどのものなのかどうかは疑問。

9月末に主治医と面談をしたらしい・・・(いつの間に??)
保険会社の人によると、先生は治療は継続の方針のようだけど、本人が後遺障害診断書を書いてというのならそれを拒むものではない?というような話だったそう。
先生から症状固定だからというような話があってそうなるものではないという話だった。
保険会社の人は早く保障を打ち切りたいだろうし、本当のところはどうだか分からないが・・・
症状は現にまだ続いている。変化があるかないかが問題なのかな。

まぁ、インターネットとかで調べてみても入院をしたりしたわけではなく10ヶ月近くというのは長いほうなので、そろそろ見切り時なのかなぁという気もしないでもない。
こちらも強く出ればまた違うのかもしれないが、なかなかそうも言える性格でもないし。
そうじゃなくても、いつまでもというわけにもいかないだろうし、近いうちに区切りはつけないといけない時期なのでしょう。

次に病院にいくのは明日なのだけれど、どうしたものなのだろう・・・。
話を聞いてしまったからには先生に相談しないといけないかなぁ。

しんどい・・・

2006-10-25 23:54:12 | 身体のこと(外傷性頚椎症性脊髄症etc...)
久しぶりに入浴介助の中介をした。
今日のデイの利用者さんは2人。不安定性はあるがどちらも独歩ができる男性。
本当なら同性介助が良いのでしょうが、うちのデイには男性職員は1名しかいないのでそうも言ってられないのが現状です。

ちなみに中介とは浴室に一緒に入って介助をする担当のこと、外介は脱衣室で着脱の介助や身体を拭いたり髪の毛を乾かしたりする担当のことです。

それはそうとして・・・
外介はときどきやったりしてました。
あとは先日は機械浴の中介に介護員と一緒に入ったりもしてました。

けれど、個浴(一般の家庭にあるような普通のお風呂)の中介に入ったのはかなり久しぶり。

だいぶ前に入った時は、認知症がとても強い女性で、お盆中に単発で2日間利用された方で、同性介助じゃないと嫌ということでもう1人介護員と一緒に中介に入りました。たまたま私はその利用者さんに気に入れられたようで、色々お話してくれました。でも慣れないところでどうしても湯船に入るのを拒否したので、シャワー浴しか結局できませんでしたが。家族からもどうしても拒否が強い場合は入浴を断念してもかまわないと言われていたかたでした。機嫌が悪いと手を出してきたりもする方なので、無理に進めるのは危険だからというお話で。

たしか午前中にお風呂入れしたんだけど、そのあと調子悪くなったんだよな・・・私。
手のしびれも強くなって、動くのもしんどかったような気がする。
ただ、その方の場合、男性はもちろん女性の職員でもあの人は嫌とかいうことになったので、結局2日連続で中介に入りましたが。
で、その後、しばらく個浴での中介には入っていなかったんです。

そして今日もまた・・・
午前中に2人連続での入浴。
2人ともある程度はご自分で洗える方なので、ちょっと難しい背中の洗身と洗髪のみ介助で、あとは立ち上がりの介助をしたぐらいで殆ど見守りに近い感じでした。
だからそんなに大変なことをしたかどうかは疑問なんだけど・・・
その後の浴槽や浴室の掃除がいけなかったのかしら?

入浴介助が良くなかったのか、掃除が良くなかったのかは分からないけれど、今日もまた入浴介助を終えた後、どうも調子が悪くなってしまいました。
右手のしびれはちょっと強くなり、右肩は痛いような重いような感じがして、右腕が重たくてしんどくていつもよりも上げられない。
いつもは肘を曲げていればある程度はあがるんだけど、入浴介助を終えたあとには肘を曲げるのもしんどくて・・・。机の上の高さまで右手を上げているのも辛くて書き物もあまりできず、かといって動くのもキツくて介助や体操をするのもであまり仕事にならなくなってしまいました。

本当、自分でも驚いてしまうくらいあがらなくて、手のひらもいつもより握れない感じだったし。
無理してあげようともしてみたんだけど、ちょっと震えが出てきちゃったりしてどうにもこうにも。腕を下げれば震えは出なくなるんだけど。
リーダーには気候のせいかなぁなんて言われて片付けられてしまいましたが(泣)
けれど気候でこんなにも症状に変化が出たことはこれまでありません。
何だかせつなくなってしまいます。

リフト車不足

2006-10-24 11:48:39 | お仕事日記
今現在、私の勤める施設にはリフト付きの車が1台しかない。
そのほかに軽自動車が2台あるが、リフトはなしで、車いすはタイプによってたたんで1台積めるかどうかという微妙なもの。
そしてもう1台、最近加わった普通車はなぜか荷物専用?との話があったり。

というわけで、施設の社用車は4台あるのだが、そのうち車いすの方が車いすのまま乗り込めるのは、リフトつきのワゴン1台だけなのです。
そのリフト車には車いすが2台固定できます。

その中で、デイの送迎を行い、ショートの送迎を行い、入居者の受診の送迎なども行います。
ちなみにデイでは月・火・水にリフトでないと送迎ができない利用者さんがいます。
これまでそれで大きな問題が起こったことはなかったのですが、今日それが起こってしまいました。
帰りの送迎の時間になっても外に出たリフトが戻ってこない。

デイの送迎がその時間にあるのは毎週のことで分かっているはずなのにどうして!?という感じです。
予定にあったわけでなく急遽出たので誰がどこに乗っていっているのかデイの方には連絡がきていませんでした。
急なことだったのでかなり焦りました。

そんなわけで今日はかなりドタバタしました。
看護師の判断などで急遽に病院を受診することになった人が2人。
同じぐらいの時間帯にあっちの病院、こっちの病院という感じだったので、車がみんなで払ってしまうようなことになり・・・。
誰がどこに行っているのかも一部の人しか分かっていない有様で。
ショートの方でも送りの担当予定だった職員が病院に付き添いで行ってしまって、急遽別の人が送りに出たり。

デイの方もけっきょくリフト車が帰ってくるのが送りの時間に間に合わず、仕方がないので家族に電話をして送りの時間が遅れることをつたえ謝罪しました。
今日の利用者さんは車いすの方が2人だったので、リフトが帰ってこないことにはどうにもなりませんで。

デイの送迎は毎日のことなのに、困りますよね。
連絡が途中で止まってしまったりもして、大変でした。
リフトを使って病院に行っていた職員は、入居担当の相談員に車を使うことを伝えていたようなのですが、その相談員も別の人の受診についていくことになり、そういう話はデイには一切きていませんでした。
帰りの送迎でリフト車を使うのは毎週のことで分かっているはずなのだから少しは考えて欲しいですよ。

だれが乗って行ったか調べた時点で、その人の携帯に連絡して、送迎が間に合わないからリフトを戻すように話したら、今レントゲンとか撮る所で手伝ってるから無理だよ!といわれてしまいました。近くの病院だったのですが、挙句の果てに車取りに来れば良いじゃん!とのしまつ。
おぃおぃ、どういうお考えで?、同じ取りにきてもらうにももう少し言い方があるのではと思ってしまいました。

その職員もデイで送りの送迎にリフトを使うことは知っていたはずです。
受診の間、ずっとリフト車を置いたままにしておく必要はないでしょう。ましてや近い病院です、2人職員が乗っていって1人が車を戻してまた後で迎えにいくとか。
そうじゃなくても、電話を1本、「長引いて送迎までに戻れなそうだから車を取りに来て欲しい・・・」という連絡を送迎時間に余裕を持って入れてくれればと思ってしまいました。

4時着で送るべき人がいて、3時45分になっても車が帰ってこないって言うので連絡取ったら取りに来れば?じゃ困りますよね。
よほど細い道でなければ軽に乗れる人はリフトでも遅れるけれど、車いすのまま乗り降りしないと無理な方はリフト車待ちになってしまいます。
遅れるなら遅れるで家族にも連絡を入れなくてはなりません。
どれぐらいに遅れるかの目安もお話しないといけませんし。
緊急の受診とデイの送迎の時間調整、これからの課題になっていきそうです。

防災訓練

2006-10-20 21:16:39 | お仕事日記
今日は職場である施設の防災訓練がありました。
消防車や救急車も来ての本格的なもの。
緊急車両も来ての本格的な訓練は年に2回行う決まりになっています。

午後2時 厨房より火災発生という設定。
訓練なのでマニュアル通りに進められます。
新しい施設なので今回で2回目、まだまだ新しく入ってきた職員も多く、慣れない感じでした。前回の訓練の時にいた人は?と消防署の人に聞かれても数名しかいなかったりして。

施設という場所がら、出勤者全員が訓練に参加するというわけにも行きません。
利用者さんを移動させることは危険を伴うので、動ける利用者さんで希望する方数名程度で殆どは中で待機です。そのため、スタッフも一緒に残る必要があります。
なので、前回の訓練に未参加だった人が参加者に多くなったようです。

放送があって指定の場所(駐車場の端の方)に非難して、その後は消防署の方から消火器の使い方の説明を受けました。
訓練用に中身が水の消火器があるのですね。初めて知りました。
確かの本物の消化剤を噴射したら後が大変ですが、水なら外で行えば問題ありません。

皆さん、一般的なサイズの消火器ってだいたい15秒ぐらいしか噴射できないのってしってました??
私はどれくらいだと思う?と聞かれて20秒ぐらい?と答えて「惜しい」と言われてしまいました。

消火器の説明が終わった後は、消火栓の使い方の説明も。
一部の人が実際にホースを延ばして外で放水していました。
私の施設の消火栓のホースは比較的細いもののようですが、けっこう威力はあるのですね。
女の人ならできれば2人でやった方がいいとのお話でした。

消火器のことなど改めてお話を聞いて勉強になりました。
消火器はいざという時あわてると、ピンを抜き忘れる人がいるそうです。
で、そのままレバーをにぎる。普通なら硬くて動かなそうなものなのですが、意外と曲がってしまうそう・・・消防署の方いわく火事場の馬鹿力だそうです。

消火栓についてもホースを延ばしたものの、元のレバー?を回し忘れて水が出ないといったケースも多いそうです。
ホースの先のものにはすぐ気づくそうなのですが、もとの消火栓があるところをまわし忘れることがあるので注意が必要なんだそう。

いざという時、どうしても焦ってしまいそうですが、落ち着いて対処しないといけませんね。
職員は利用者を第一に、命を守らなくてはいけません。
職員があわててしまっては助かるものも手遅れになりかねませんものね。
いざという時はもちろん、何事も落ち着いて動くことが大切だと感じました。

まずは生きること

2006-10-18 23:57:25 | 日々あれこれ
最近、いじめによる自殺のニュースをよく見る。
同級生によるいじめ、先輩によるいじめ、先生によるいじめ・・・
今報じられているように本当に先生がいじめをしていたとすると話にならないですよね。

私もその昔、いじめられっ子でした。
その関係もあってプロフィールにもあるように中学時代は不登校だったのです。

私の場合、いじめが始まったのは小学校1年生の頃から。
それから断続的に?小学校卒業まで続きました。中学へは殆ど行っていないため、いじめられることはありませんでしたが・・・。

小学校1年生の時、毎日1、2度はクラスの男の子に蹴られていました。その子は幼稚園の頃から一緒だった子。たしか幼稚園時代はそういうことはなかったのですが・・・。私は毎朝、行く行かないで泣いて母親と揉めていたような覚えがあります。でも、まだ小1、抵抗もそれほどできず、無理にでも学校に連れて行かれました。今思えば親の気持ちも分かりますが、そのときは嫌な気持ちだったと思います。1年生の時の担任は新任の若い女の先生で、対応に一生懸命にはなってくれていたように思いますが、解決には結びつかなかったように思います。けれどその子からのいじめは2年生ぐらいには無くなっていたと思います。

けれど、それからもからかわれたり、悪口を言われたり、暴力的ないじめはありませんでしたが、精神的に辛いことは多かったように思います。私が大人しくて人見知りをするような感じで、人との関係を持つことが苦手だったのが良くなかったのかもしれません。一緒に遊べるような友達はごく少人数でした。休み時間も外で遊ぶという幹事でもなく、教室で本を読んだりして過ごしていました。グループになって遊んでいるところに「仲間に入れて」と入ることができなかったのです。今でもあまり得意ではありませんが・・・。

4年生の時、それまでに比べると友達はいたように思います。
仲の良い友達もでき、休みの日に遊ぶこともそれなりにありました。
まだ、いろんなことを言ってくる子もいましたが、それでもクラスに仲の良い友達ができたことで、それなりに楽しく過ごせていたように思います。

ただ、それも長くは続きませんでした。
6年生になるとき、市内に新しい小学校ができ、分離することになりました。
そして、仲の良かった友達が殆ど新しい学校の学区だったのです。
それにはどうすることもできません・・・。

そして6年生になり、その前から苦手だった子が同じクラスになりました。
からかわれたり、無視されたり・・・すごく嫌でした。
私が風邪で数日休んで学校に行った時には「もう来たの?まだ来なくていいのに」と言われ、ショックを受けた覚えがあります。私には「来るな」といわれているように感じたのです。根が真面目というか、さらっと流せない正確なので、まともに受けてしまいました。

小学校6年生の1学期までは何だかんだで頑張って学校に行っていましたが、夏休みを挟んでの2学期から学校に行けなくなりました。
いけなくなったばかりの頃は、親もやはり必死(気持ちは分かります)。毎朝押し問答、無理にでも学校に行かせようとしていました。わたしは断固として?結局行きませんでしたが。

その頃は本当に毎朝、吐き気がして「気持ち悪い」と言うのですが、あまりにも毎日となるとなかなか信じてもらえません。実際に吐くことは決してなかったので。
当時は今ほど不登校に関しても報道されることもなく、理解もされずらかったように思います。近所の医院に連れて行かれ、吐き気止めをもらったこともありましたが、それでどうなるというものでもありませんでした。ただ、吐き気があるのはたいてい登校時間をピークにした朝だけで、行く行かないの心配がなくなる?午後あたりにはなくなるような感じでした。

学校へ行けなくなってしばらくは毎朝の親との押し問答が続きました。
どれぐらい続いたかはあまり覚えていません。そのうちにそれもなくなり、お昼ごろに起きて夜更かしというような生活が続いたように思います。
小6の時は特別支援教室?の先生が、週に1度ぐらい家に来て算数を教えてくれていました。その先生は優しい先生だったので、私はそれなりに楽しみにしていたように思います。その先生に進められて一時期、クラスの教室ではなく支援教室?の方に行ったことがあるのですが、進路の話がでた後から行かなくなってしまいました。真剣に私のことを心配して言ってくれたことだったと思うのに、先生には申し訳ないことをしたと思っています。でも、その当時の私は、そのときにいっぱいいっぱいで、小学校卒業後の中学・高校・そして将来のことを考えるほどの余裕はありませんでした。

何だかんだありましたが、小学校は卒業。卒業式には参加していません。
そして中学校へ入学。入学式にはとりあえず参加しました。学校が変われば新しいスタートが切れるかなぁと少し期待しつつ。でも結局学校にまともに行ったのは3日程度。
ダメでした。中学校というのは小学校からの持ち上がりのメンバーが多く、心が耐えられませんでした。そこでまたいじめられるかもという恐怖があっても、友達ができるという前向きな考えはできませんでした。
私の場合、同級生が苦手で、先生が嫌いなわけではなかったので、放課後に何度か学校に行ったことはありました。先生と話すことは抵抗なく、あまり学校についての話はしませんでしたが世間話などをしていました。

それでも私の在籍していた中学校は卒業させてくれました。ありがたいです。
定期テストなども結局1度も受けていないし、何か課題を出していたわけでもなく、出席日数もさんざんな物なのに。
中には卒業を認めない学校もあると聞いたことがあります。
私も誰かに「よく卒業させてもらえたね」と言われた覚えが・・・。
卒業式には結局参加しませんでしたが、卒業式の日の放課後、かなり久しぶりに制服を着て、卒業証書をもらいに行きました。

3年生の後半には、担任の先生が進路の話をするようになりました。
中学校で義務教育は終わり、その後のことを考えなくてはいけません。
私もそれは感じていました。どうすればいいのかは分からなかったけど、ただ漠然と、今時高校ぐらいは出ていないとまずいかなぁと思っていたように思います。
でも、この出席日数にこの学力、学校に行っていない間、独自に勉強したりもしていなかったので、中学校の内容が殆ど抜けているような状態です。これで入れる学校があるとは思えませんでした。

先生は私立の学校を中心にパンフレットを持ってきてくれました。
でも私は、一般の高校に入れたとしても、勉強にも着いていけないだろうし、卒業できる自信はありませんでした。
1箇所だけ、不登校だった子どもも受け入れているという洋裁系の専修学校のようなところがありましたが、特別それがやりたいというわけでもなく、距離も遠かったこともあり躊躇してしまいました。

そんな頃、何となく地元の図書館に行って、何かいいところはないかと学校関係の本を。そんな中で私が卒業した通信制サポート校のことを知りました。
今でこそ通信制サポート校もあちらこちらにでき、知られているようになってきましたが、当時はあまり認識されていなかったように思います。担任の先生も?という感じで、良く調べたほうが良いという話があったように思います。

学校説明会に行き、話を聞いたりして、その学校なら何とかやっていけそうな気がしました。不登校の生徒も多く受け入れているし、分からないものについては基礎から教わることもできるということだったので・・・。そして、私はそのサポート校と通信制高校を受験。サポート校のほうは推薦・単願だったので、作文と面接で合格。通信制高校の方は国・数・英の試験と面接、国語は全部答えられたけれど後の2科目は白紙も同然・・・やばいかなぁと思ったけれど参考程度ということでこちらも合格。このサポート校との出会いが私の人生を軌道修正してくれました。

サポート校を卒業した後は大学へ行き、社会福祉学科を無事卒業しました。
そして現役で社会福祉士にも合格することができました。
今は資格を活かして就職し、デイサービスで生活相談員をしています。

中学校時代の私からすると想像もつかない状況です。
大学に在籍中、ボランティアで中学時代の保健室の先生がいる中学校(私が卒業したところとは別の学校です)に手話を教えに行った時、「正直、高校も卒業できないかと思ってたんだ」と言われました。
ちょっとショックでしたが、自分でもそう思います。

もし、このブログを今不登校の子や不登校の子がいる親御さん、いじめられている子やその親御さんが読んでいたら・・・
あきらめないで欲しいと思います。今が辛くても、生きていればかならずいつか、時間がかかっても道は開けてくるものだと思います。
無理して学校に行くことよりも、生きていることの方がよほど大切です。どうしても学校に行くことが辛ければ、行かないことも一つの選択肢だと思うし、それも大切な決断のように思います。子どもが不登校になったからといって、子どもをせめないでください。温かく見守ってあげてください。
親も辛いと思いますが、一番辛いのは子ども自身です。不良で学校に行かない人は別として、いじめなどで学校に行けなくなった子どもは、学校に行っていないことに負い目を感じていることが多いと思います。「学校に行け」といわれるのが一番辛いのです。

休ませてあげてください。家庭の中に無理していかなくても良いという雰囲気を作ってあげてください。それで子どもは楽になります。みんながみんなとは言いませんが気持ちが落ち着いてくれば、時間はかかってもいずれ何とかしなければいけないと自分で考えるようになると思います。将来について考えるようになると思います。何年か学校に行けなかったとしても、それで人生が終わるわけではありません。生きていれば、遠回りにはなっても、時間はかかっても、普通の生活に戻れる人が殆どだと思います。学校で一緒だった人が一生ついて回るわけではありません。いつかは離れたところで、それぞれの生活ができるのです。

私は、「死にたい」と思ったことはあったけれど、自殺する勇気もありませんでした。今はそれでよかったと思っています。私が思うにその勇気があるのならば、その勇気をもっと別のことに使って欲しいと思います。今いじめられていて無理して学校に行っているのなら、行かないという決断をする勇気も大切だと思います。死んでしまっては意味がありません。いじめている奴らのために、自分の人生をなくしてしまうなんてもったいなすぎます。だったら、いま学校に行かなくたって、好きなことをして過ごし、心が落ち着いたときにまた新たな道を考えた方がよっぽどいいと思います。だからまずは生きてください。

なんだか重い話になってしまいましたね。長々と書いてしまいました。
これは私の実体験です。取りとめのない文章を読んでくださった方、ありがとうございます。お疲れになったでしょう。

命を大切にしてください。
今いじめられていても、学校にいけないでいても、生きてさえいれば道はいつか開けます。
将来については、気持ちが落ち着いてから改めて考えればいいのです。
焦る必要はありません。そして周りにいる方は温かく見守ってあげてください。

偉そうなことを言ってごめんなさいm(__)m。
でも、まずは生きて、希望を持って欲しいと思います。

ケアプラン

2006-10-17 23:41:44 | 日々あれこれ
今日はケアプラン(通所介護計画)とにらめっこ・・・
前はデイのリーダーが中心となって立てていたのだが、最近私が担当になったのだ。
デイのリーダーは今、在宅介護支援センターと兼務になり手が回らなくなったもよう。
とはいえリーダーが中心となって立てたのは1名分だけなのだが。その後プランを立てないといけない人がたまってしまっている状態だった。
そうしたらある日「お願いしまーす」という調子の良い口調で仕事を振ってきた。

担当になるのは良いのだけれど・・・
私はケアプランを今まで立てたことはないのです。
デイの職員でもケアプランはかじった程度の人はいても、本格的に立てたことがある経験者はいないといっていいような状況。それに最近はプランの立て方も変わってきているようです。

そんなわけで、今日は「通所介護計画立て方ガイド」という本とにらめっこしながら、試しにプランを考えてみた。入居利用者向けにケアマネが立てたプランも少し参考にさせていただきながら。新しい施設で前のプラントかは一切ないので、参考にできるものが少ないのです。
とりあえず1名分立ててはみたが、それで良いのか悪いのか私には分からないのが現状です。誰かに教わったという感じでもないので・・・

今日はリーダーも午後からお休みだったし、明日は私がお休み。今度会ったときにでも見てもらうことにしようと思います。そして、リーダーや介護員などの意見を聞いて手直ししようかと思っています(←手直しですめばいいのですが)。

ケアプランってなかなか難しいですね。どこまでプランに盛りいれるべきなのか悩ましいところです。優先順位をつけないといけないのでしょうが、項目によってはそれもなかなか難しかったりして。

まずは教わりながら数をこなしていくことからなのかなぁと思います。

秋桜

2006-10-16 11:28:21 | お仕事日記
今日はデイサービスの利用者2人と、職員3人で施設近くのコスモス畑を見に行っていた。
戻ってきてデジカメで撮った写真を見せてもらったのだが一面のコスモスの花がとてもきれいで良い風景だった。

コスモスといえば秋・・・。季節を感じさせてくれるやさしい雰囲気のある花です。
デイルームのテーブルにもコスモスの切花が飾ってありますが、3輪ほどの花でも季節感を感じさせてくれる素敵なインテリアになっています。

みんながコスモス畑に行っている間、私は留守番?だったのでパソコンに記録の入力をしていました。利用者の人数が少ないこともあってすぐにそれは終わったのですが・・・。
その後始めた重要事項の直しがなかなかややこしくて参ってしまいました。出入りしている業者が変わることで1項目に料金変更があったので、それを取り直さないといけないのですが、入所の方で出したもの(入所&ショート担当の相談員が作成)をデイにあわせて手直しして事務のそういうことに詳しい人(みんなは先生と呼んでいます)に添削してもらったところ、色々と問題が出てきまして・・・。
表現がおかしいとか、直したほうがいいとか。私も最初に動き始めた段階でその相談員さんが作ってくれたものをそのまま使っていたので、ちょっと混乱してしまいました。でも言われてみると、分かりにくい表現があったり、微妙な区別をどう説明するか難しいものがあったり。

結局今回は、入所とショートがすでに取り直しの書類を出しているということで、大幅に内容がことなることはショートとデイを併用している人に混乱を招くといけないのでそのまま出すことになりました。いずれは直した方がいいという課題つきではありますが。

契約というのはなかなか難しいですね。きちんと交わしていなければ、後で何かあったときに問題になります。より分かりやすい内容にした方がいいのではとその先生には言われますが、内容の意味を変えずにどうしたら分かりやすくなるかは難しい課題です。早めに考えていく必要がありそうです。

通院日。

2006-10-13 20:32:35 | 身体のこと(外傷性頚椎症性脊髄症etc...)
今日の午後は2週間に1度通っているクリニックへ。
毎度のことだけれど、いつもの整形外科。

先生には「しびれはどう?」と今日も聞かれた。
少しずつなんだけど、弱くなってきているとは思う。
でも、なくなりはしないんだよなぁ。

普段あるしびれはそれほど強くない。
今のしびれはうっすらと言ってもいいかなぁと思うぐらいになってきた。
しびれているという感覚はあって、やっぱり多少気にはなるんだけど、しびれで生活や仕事にどうこうということはない。
利用者の介助や利用者との体操とか身体を使うことをすると、ちょっと強くなったりもするんだけど・・・。

それから今日は、しびれている場所を確認されたようだった。
右手の平をさして、「全体に?」と聞かれた。
私の場合、全体ではなく、中指から小指で、人差し指は一時期だいぶ前にあやしいときはあったが今はないし、親指にはしびれを感じたことはない。

あとは左右の肘のあたりを軽く押されて「左右同じ感じ?」と聞かれたが、右の方が少し痛かった。前よりは痛くなかったカナ?微妙なところ。右ひじを軽く叩かれたら指までしびれが響いた・・・。
う~ん、しびれは今も多少弱くなってきているように思うけど、改善されてきているのかあんまり変わらないのか・・・。

今日も「じゃあ、お薬だしておくからね」と前回までと同じ飲み薬4種類が処方された。
ロキソニン、リンラキサー125、メチコバール、セルベックスカプセル、を1日3回1錠ずつ。
薬の名前もすっかり覚えてしまった(苦笑)

そして道路を挟んで向かい側にある薬局へ。
症状の変化と胃の調子を聞かれた。
症状は・・・多少は良くなっているような感じかな。胃は特に問題はないように思う。
薬剤師さんには「根気良くお薬続けてみてください」と言われました。
5月中旬に今のクリニックに移ってからだから、今の薬の組み合わせになってからしばらくたつ。けれどそうかんたんにどうこうなるものでもないだろうし、急性期でもないのだから変化がゆっくりなのは仕方のないことなのだろうと思う。でもまぁ、しびれも多少でも弱くなってきているように思うし。
とりあえず、指示の通り根気良く続けてみることにしよう。

思い出を大切にしたい

2006-10-12 23:57:51 | 日々あれこれ
昨日、サポート校から一通の葉書が届いた。
10月29日(日)にある文化祭のお知らせの便り・・・

その日に文化祭があることは、先日サポート校の事務のIさんに会った時に聞いてたので知っていた。
驚いたのはそれが「学園閉鎖! 最後の文化祭へのお誘い」というタイトルだったこと。
来年4月の10周年を目前に、このたび閉鎖することになりました。と書かれていた。

正直ショックだった・・・
なんで? どうして? と思ってしまった。
閉鎖の理由は私には分からない。きっと色々と事情もあるのだろう。
それにしても・・・
3月に卒業する3年生はともかく、1・2年生はどうなるのだろう?
閉鎖が年度末なのかそれよりも前なのかも分からないけど・・・

不登校だった人や高校中退者などで必要としている人がいると思うのに残念です。
私にとって大切な場所だっただけにとても淋しい・・・
人が生きていく中で様々な出会いや別れはあるものだけど、まさかこんな別れがくるなんて・・・。
学園との出会いが素晴らしいものだっただけに余計に泣ける
まだなんだか信じられない感じです。信じたくないと言ったほうが正しいのかな。

この学園での思い出を大切にしたいと思う、と改めて思った。
いつまでも私にとってはそこは大切な場所であり、そこで感じたこと経験したことは自分の中の大切な一部となって存在し続ける。今も続いている学園で出会った先生や友達との関係も大切にしていきたいと思う。

やることがいっぱい

2006-10-11 23:20:31 | お仕事日記
今日はなんだか忙しかった。
あれもやらないと、これもやらないとで、気持ちが焦ってしまい・・・でも結局時間的にできたのはほんの一部だけ。

請求書作り、重要事項の直し、ケアプラン、文化祭(作品展)にデイで出す作品の準備、事務室で頼まれた仕事など・・・優先順位をつけてやればいいのでしょうが、なかなか思うようには行かず。頼まれたことから先にやっていくと自分の仕事で締め切りのないものが延ばし延ばしになってしまう。

それもまた立場上仕方のないことなのでしょうが、やらないといけないことがたまってくると、気持ち的に焦って疲れてしまいますね。順をおってやればできることも、焦ることでできなくなってしまったりもします。

今日は1日ドタバタして、というか落ち着かなくて、新たな課題が出てきたりもして、もともとやろうと思っていたことは殆どできませんでした。今日やらないといけなくなったことだけで手一杯な感じで・・・

今日は結局、事務室の方で今日中にと頼まれた仕事(大量の病院&薬局の請求書のコピー)と、朝の送迎時に職員が希望があると聞いてきた理美容についての答えの対応(ちょうど入る業者が変わることになりややこしいときに希望が・・・)、文化祭の作品づくりの準備だけで終わってしまいました。

重要事項の直しとケアプランも早めに進めないとだけど、明日はいいかげん最優先で請求書は作らないとまずいなぁ。入居とショートのほうもまだできていないようだけど、そろそろ発送の時期なのです。

事務室のSさんにはショートステイの方の相談員が休みのときとかの対応もできるようになって欲しいといわれているけれど、今の私にはとても対応しきれそうにないです。こんなんじゃいけないのかもしれないけど・・・。正直なところ今はデイだけでも一杯いっぱい。ショートについても対応できるようにしていくのは、デイの方がある程度それなりにできるようになってからかなぁと思ったりしています。
みんな中途半端になってしまいそうだから・・・。

さぁ、明日も仕事だ頑張ろう。今日できなかったことが少しでもできるように・・・。日々勉強ですね。

おだんご作り

2006-10-07 22:27:19 | お仕事日記
昨日は十五夜。
1日遅れなのですが、今日は施設内のユニットの1箇所でだんご作りをやりました。

で、そこにデイのスタッフが手伝う代わりに?デイの利用者様(今日は1名)も一緒に参加させていただき、いよいよスタートです。

まずは準備・・・手洗いをしてアルコールで消毒して・・・食べ物を扱うので衛生にも要注意です。そしていよいよだんご作りに取り掛かります。

①だんごの粉にお水を加えてひとまとまりになるまでこねます。
②適当な大きさにちぎり取り、丸くなるようにまるめます。
③まるめただんごを茹でます。
④茹でている間にみたらしのたれを作ります。
⑤茹で上がっただんごを串にさして串だんごの形をつくります。
⑥作ったみたらしのたれをかけたら出来上がりです。

おだんごって意外と簡単にできるんですね。
初めてだったのでちょっとびっくりでした

不恰好なものもあるけど味は最高
完成したおだんごはみんなで美味しくいただきました
得意そうに作っている人、不自由な手で頑張っている人、利用者様一人ひとりの努力がつまったおだんごです。