1946年 の今日(2月1日)は、NHKラジオで平川唯一(ただいち)の『英語会話教室』が放送開始された日。
NHKラジオ『英語会話教室』は1946年2月1日~1951年2月9日、毎週月曜から金曜日までの午後6時から15分間)放送された。
Come, come, everybody.
How do you do, and how are you?
Won't you have some candy,
One and two and three, four, five?
Let's all sing a happy song,
Sing tra-la la la la
カム・カム・エブリボディの歌を記憶している人は今どのくらいいるであろうか?ラジオ英会話の平川唯一がすっかり有名になったのは、「証城寺の狸囃子』の旋律に乗ったあの替え歌のおかげである。テーマソングが「証城寺の狸囃子」のメロディーで「カム・カム・エブリボディ」で始まることから「カムカム英語」とも言った。
戦時中、「敵国の言葉を使うな」というので、野球の試合用語もストライクは正球、ボールは悪球、バントは軽打、インフィールドフライは内野飛球、セーフは「よし」、アウトは「ダメ」と、なるなど英語は全てなくなったのが1943(昭和18)年であるが、それが、嘘のように、「オンチュウ ハブサムキャンディー(キャンディーはいかが)ワンアンドツウアンドスリー、フォー、ファイブ」と口ずさみ始めた。今、思い起こせば、終戦の年に、小学校に入学し、まだ1年も経っていない子どもであった私達が、英語など全然わからないのに、この歌を歌い出したのは、「カムカムエブリボディ」よりも「カムカムエブリシング」に興味があってのものであり、「証城寺の狸囃子」の軽快なメロディーに乗って、「コイ コイ コイ」と歌いながら思い浮かべていたのは、人などではなくアメリカ兵がくれるキャンディーというモノであったのかもしれない。
終戦の年・1945(昭和20)年の暮れに、渋沢敬三蔵相が外人記者クラブで「1921年には、1千万人の国民が餓死するかもしれないと語った」といわれるが、事実、それはオーバーとしても、大阪では1ヶ月に60~70人の餓死者があり、東京の場合は上野駅周辺だけでそれぐらいの餓死者があり、極端な物不足から「米よこせ」デモがあった。(このころの事は以下参考の私のブログ「食料メーデー」のあった日参照)
この頃のNHKの新番組「街頭録音」の主題は「あなたはどうして食べていますか」だった。
私の家はその頃、豊かだったので、お金はあったが、食べ物はなかった。それでも、芋粥などが食べれたのは幸せだった。お金のない家では、大根葉や芋のつるなどを煮込んで食べていたようである。
終戦後、街中を戦車やジープに乗って通りすぎようとするアメリカ兵にギブミー、ギブミーといって近寄ると、キャンディーやチョコレート、チュウインガムなどをくれた。当時、進駐軍兵士による犯罪もあったが、兵士は概して明るく陽気で親しみやすく、ガムやチョコレートの魅力にひかれる子ども達とたちまち友達になった。思い起こせば、英語などまだ習っていない小学生の私達が最初に覚えた英語の単語は、情けないかな「ギブミー」だったのである。
戦後、雑誌や映画を通して知らされたアメリカ人の豊かな生活様式は当時の日本人の憧れであった。戦後のアメリカ文化の流入は、明治時代の文明開化になぞらえて、第二の文明開化とも言える。日本人が飛びついたアメリカの文化は衣食住の物質文明である。お金さえあれば米軍のPX(酒保、米軍基地内に設けられた売店)や闇市で何でも入手でき、戦争中には配給だった砂糖や、食べることの出来なかったチョコレートも口にすることが出来た。苦しい生活でも、1947(昭和22)年頃には女性のモンペ姿がスカートに替わり、奇跡の合成繊維といわれるナイロンの靴下がもてはやされた。それでも、戦争で働き手の男性がいなくなった若い女性は、パンパンとなって夜の街角にたたずむ者もいた。派手な赤い紅を塗り、洋モクを加えて、パーマをかけた髪をネッカチーフで包み、相手にするのはG.Iと呼ばれる進駐軍兵士であった。一体、彼女達が初めて話した片言の英単語は何だったろうか?
NHKラジオ講座「英語会話」は、実践的なレッスンが好評で 超人気番組となり、街には英会話教室が続々と現われ、多 くの英語ファンを魅了、戦後の日本の英語教育に 大きな足跡を残した。
しかし、そんな一時代の貢献者で、勲五等双光旭日章も受賞した平川唯一氏のことについて、ネットで調べても、なぜか余り詳しい事はわからない。フリー百科事典Wikipediaでも、「岡山県出身で、戦時、米州部放送班長いわゆるアナウンサーとして、アメリカ兵に対して厭戦を行っていたが、戦後「カムカム エブリボディ」で始まる英会話放送をおこなった。日本の英語ブームの元祖火付け役である。」ぐらいしか書いてない。ただ。ここに書かれている厭戦と言うのは、太平洋戦争(大東亜戦争)時に日本がアメリカ兵向けにNHKラジオが流したプロパガンダ放送の事である。この日本のプロパガンダ放送をしたものとして有名なのはあの「東京ローズ」として戦後,逮捕されたアイヴァ(郁子)戸栗・ダキノさんであるが、彼女の事は、1月19日の私のブログ『対米宣伝放送の「東京ローズ」に特赦 の日』に詳しく書いてあるので見てください。
戦後、ラジオで、プロパガンダ放送をしたとして逮捕されたのは、日系人の戸栗さんだけであるが、他にも男性女性約4 - 20人ぐらいはいただろうといわれているので、当然、英語の堪能な平川氏も関わっていただろうと推測はできる。又、余り、知られていないが、1945(昭和20)年8月15日の、天皇陛下の太平洋戦争の終結を伝える玉音放送によって、日本人は日本の敗戦を知らされたのであるが、このときの玉音放送には、敵国で敵国人に聴かせるための玉音放送も作られていた。その英語に翻訳された終戦の詔勅(玉音放送)は平川氏が放送したのである。
何故か、このことも、余り、表面には出ていない。戦中戦後のことである。色々と差し障りがあるのかもしれないね~。
この玉音放送については、以下参考の「[PDF] 序章 なぜ今“玉音放送”なのか」に詳しく書かれている。長文だが、興味のある人は読まれるとよい。
それにしても、日本では、戦後、英語ブームが起こったが、1960年代に入るとその英語熱も醒めかけていたが、日本で初めての東京オリンピック大会(1964昭和39)年開催)を3年後に控えて、またぞろ、英語への関心が高まり始めた。そんな時大ヒットした本に「英語に強くなる本」があった。この本のことは覚えている人も多いであろう。難し英語の本でありながら縦組みの英語の本は、中学2・3年生の優しい英語を知っていれば誰でもこの本で英語に強くなれる・・・がうたい文句で飛ぶように売れた。ただ、この本はあくまでも英語「が」強くなるのではなく、英語「に」強くなる本であったのだ。(^0^)
英語のことで、一番記憶にあるのは、1974(昭和49)年の松下電器のテレビ「パナカラー・クイントリックス」のTV広告である。同テレビを挟んで、先生格の坊屋三郎 生徒のメキシコ人・トニー・ダイヤに英語のレッスンをする。
「QUINTRIX/クイントリックス、QUINTRIX/英語でやって御覧よ(中略)外人だろ、アンタ?」といった小柄な坊屋と大柄なトニー、ユーモラスな掛け合いが面白かった。
兎に角、巨大な英語をしゃべれないメキシコ人を相手に、発音論争を仕掛け、「英語でやってごらんよ」と打ちのめす。英語コンプレックスの日本人の溜飲を下げたテクニックが光っていたよね~。
しかし、最近、いただけないな~と思ったのは、ポスティングシステムで阪神から米大リーグのニューヨーク・ヤンキースに移籍した井川慶投手の入団記者会見である。誇らしげな表情を見せながら「自分の力を出し切って自分の投球をしたい」と抱負を語った英語のスピーチは、は「どれぐらい練習したのですか」の質問に、「練習時間は2日ぐらいですね。出来はこれが精いっぱいかなと思っています」と答えていた。米メディアでも「2日ぐらいの練習にしてはいい発音でした」と笑いながらこれを報じているのを見て、少々恥ずかしくなった。
井川が書いたスピーチ用のメモを見るとカタカナで書いてあった。
日本人だから、英語ができなくても恥ずかしい事でもないし、1年も住んでいれば生活に必要な最低限の言葉は覚える。分からない英語を無理に使うこともなかっただろうと思うが、皆さんの見解はどうなんだろう。
私が若い頃、国際語としてエスペラントがあり、私も遊び半分で少し覚えた事があるが、中途半端な言葉なので途中で覚えるのを止めてしまった。今では、国際語として、英語が通用するので、文部相が、小学生に英語を教えようとしていることに対して、賛否両論があるが、私も、教える事には賛成だが、ただ、教える事のできる先生がいるかどうかが問題だろう。英語は、単語を覚えることも大事だが、もっと大事なのが、発音である。正確な発音で会話から始めないと役に立つ英語は身につかない。中途半端な先生に変な英語を教えられるとかえって問題である。だから、子どもに教える前に、襲えられる環境の整備が必要だろうね~。
(画像は、松下電器のテレビ「パナカラー・クイントリックス」のTV広告。向かって右が坊屋三郎 、左がトニー・ダイヤ。アサヒクロニクル「週間20世紀より)
平川唯一- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B7%9D%E5%94%AF%E4%B8%80
証城寺の狸囃子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC%E5%9F%8E%E5%AF%BA%E3%81%AE%E7%8B%B8%E5%9B%83%E5%AD%90
証城寺の狸囃子
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/shojoji.html
渋沢敬三 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%95%AC%E4%B8%89
「食料メーデー」のあった日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ec01a615ce943538e7fc644bc42d5363
パンパン(ぱんぱん) - 日本語俗語辞書
http://zokugo-dict.com/26ha/panpan.htm
終戦前後の出来事
http://www.toshima.ne.jp/~esashi/war4.htm
[PDF] 序章 なぜ今“玉音放送”なのか
http://www.meijigakuin.ac.jp/~soc/examination/sociology/study/fujikawayukina.pdf
英語生活ノおト+α 「英語に強くなる本」です!
http://blog.goo.ne.jp/tecchan_july/e/39e7d91a8f2f0bb8750591171aa3452c
坊屋三郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8A%E5%B1%8B%E4%B8%89%E9%83%8E
井川、NYで入団会見 英語で「夢が実現した」 /SankeiWEB
http://www.sankei.co.jp/sports/baseball/070109/bbl070109002.htm
歌で身につく英語のリズムHTMLバージョン
http://72.14.235.104/search?q=cache:KZ082xuWRBsJ:www.osu.ac.jp/~miyake/utademini.doc+%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E3%80%80%E5%B9%B3%E5%B7%9D%E5%94%AF%E4%B8%80&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=17
玉音放送 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E9%9F%B3%E6%94%BE%E9%80%81
日本放送協会(NHK)
http://www.nhk.or.jp/
映画「運命」
http://www.weblio.jp/content/%E9%81%8B%E5%91%BD
中山晋平 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%99%8B%E5%B9%B3
d-score 楽譜 - 中山晋平
http://www.d-score.com/ar/A03022801.html
対米宣伝放送の「東京ローズ」に特赦 の日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/8e5116cdef748a8a997054ed3b96192c
NHKラジオ『英語会話教室』は1946年2月1日~1951年2月9日、毎週月曜から金曜日までの午後6時から15分間)放送された。
Come, come, everybody.
How do you do, and how are you?
Won't you have some candy,
One and two and three, four, five?
Let's all sing a happy song,
Sing tra-la la la la
カム・カム・エブリボディの歌を記憶している人は今どのくらいいるであろうか?ラジオ英会話の平川唯一がすっかり有名になったのは、「証城寺の狸囃子』の旋律に乗ったあの替え歌のおかげである。テーマソングが「証城寺の狸囃子」のメロディーで「カム・カム・エブリボディ」で始まることから「カムカム英語」とも言った。
戦時中、「敵国の言葉を使うな」というので、野球の試合用語もストライクは正球、ボールは悪球、バントは軽打、インフィールドフライは内野飛球、セーフは「よし」、アウトは「ダメ」と、なるなど英語は全てなくなったのが1943(昭和18)年であるが、それが、嘘のように、「オンチュウ ハブサムキャンディー(キャンディーはいかが)ワンアンドツウアンドスリー、フォー、ファイブ」と口ずさみ始めた。今、思い起こせば、終戦の年に、小学校に入学し、まだ1年も経っていない子どもであった私達が、英語など全然わからないのに、この歌を歌い出したのは、「カムカムエブリボディ」よりも「カムカムエブリシング」に興味があってのものであり、「証城寺の狸囃子」の軽快なメロディーに乗って、「コイ コイ コイ」と歌いながら思い浮かべていたのは、人などではなくアメリカ兵がくれるキャンディーというモノであったのかもしれない。
終戦の年・1945(昭和20)年の暮れに、渋沢敬三蔵相が外人記者クラブで「1921年には、1千万人の国民が餓死するかもしれないと語った」といわれるが、事実、それはオーバーとしても、大阪では1ヶ月に60~70人の餓死者があり、東京の場合は上野駅周辺だけでそれぐらいの餓死者があり、極端な物不足から「米よこせ」デモがあった。(このころの事は以下参考の私のブログ「食料メーデー」のあった日参照)
この頃のNHKの新番組「街頭録音」の主題は「あなたはどうして食べていますか」だった。
私の家はその頃、豊かだったので、お金はあったが、食べ物はなかった。それでも、芋粥などが食べれたのは幸せだった。お金のない家では、大根葉や芋のつるなどを煮込んで食べていたようである。
終戦後、街中を戦車やジープに乗って通りすぎようとするアメリカ兵にギブミー、ギブミーといって近寄ると、キャンディーやチョコレート、チュウインガムなどをくれた。当時、進駐軍兵士による犯罪もあったが、兵士は概して明るく陽気で親しみやすく、ガムやチョコレートの魅力にひかれる子ども達とたちまち友達になった。思い起こせば、英語などまだ習っていない小学生の私達が最初に覚えた英語の単語は、情けないかな「ギブミー」だったのである。
戦後、雑誌や映画を通して知らされたアメリカ人の豊かな生活様式は当時の日本人の憧れであった。戦後のアメリカ文化の流入は、明治時代の文明開化になぞらえて、第二の文明開化とも言える。日本人が飛びついたアメリカの文化は衣食住の物質文明である。お金さえあれば米軍のPX(酒保、米軍基地内に設けられた売店)や闇市で何でも入手でき、戦争中には配給だった砂糖や、食べることの出来なかったチョコレートも口にすることが出来た。苦しい生活でも、1947(昭和22)年頃には女性のモンペ姿がスカートに替わり、奇跡の合成繊維といわれるナイロンの靴下がもてはやされた。それでも、戦争で働き手の男性がいなくなった若い女性は、パンパンとなって夜の街角にたたずむ者もいた。派手な赤い紅を塗り、洋モクを加えて、パーマをかけた髪をネッカチーフで包み、相手にするのはG.Iと呼ばれる進駐軍兵士であった。一体、彼女達が初めて話した片言の英単語は何だったろうか?
NHKラジオ講座「英語会話」は、実践的なレッスンが好評で 超人気番組となり、街には英会話教室が続々と現われ、多 くの英語ファンを魅了、戦後の日本の英語教育に 大きな足跡を残した。
しかし、そんな一時代の貢献者で、勲五等双光旭日章も受賞した平川唯一氏のことについて、ネットで調べても、なぜか余り詳しい事はわからない。フリー百科事典Wikipediaでも、「岡山県出身で、戦時、米州部放送班長いわゆるアナウンサーとして、アメリカ兵に対して厭戦を行っていたが、戦後「カムカム エブリボディ」で始まる英会話放送をおこなった。日本の英語ブームの元祖火付け役である。」ぐらいしか書いてない。ただ。ここに書かれている厭戦と言うのは、太平洋戦争(大東亜戦争)時に日本がアメリカ兵向けにNHKラジオが流したプロパガンダ放送の事である。この日本のプロパガンダ放送をしたものとして有名なのはあの「東京ローズ」として戦後,逮捕されたアイヴァ(郁子)戸栗・ダキノさんであるが、彼女の事は、1月19日の私のブログ『対米宣伝放送の「東京ローズ」に特赦 の日』に詳しく書いてあるので見てください。
戦後、ラジオで、プロパガンダ放送をしたとして逮捕されたのは、日系人の戸栗さんだけであるが、他にも男性女性約4 - 20人ぐらいはいただろうといわれているので、当然、英語の堪能な平川氏も関わっていただろうと推測はできる。又、余り、知られていないが、1945(昭和20)年8月15日の、天皇陛下の太平洋戦争の終結を伝える玉音放送によって、日本人は日本の敗戦を知らされたのであるが、このときの玉音放送には、敵国で敵国人に聴かせるための玉音放送も作られていた。その英語に翻訳された終戦の詔勅(玉音放送)は平川氏が放送したのである。
何故か、このことも、余り、表面には出ていない。戦中戦後のことである。色々と差し障りがあるのかもしれないね~。
この玉音放送については、以下参考の「[PDF] 序章 なぜ今“玉音放送”なのか」に詳しく書かれている。長文だが、興味のある人は読まれるとよい。
それにしても、日本では、戦後、英語ブームが起こったが、1960年代に入るとその英語熱も醒めかけていたが、日本で初めての東京オリンピック大会(1964昭和39)年開催)を3年後に控えて、またぞろ、英語への関心が高まり始めた。そんな時大ヒットした本に「英語に強くなる本」があった。この本のことは覚えている人も多いであろう。難し英語の本でありながら縦組みの英語の本は、中学2・3年生の優しい英語を知っていれば誰でもこの本で英語に強くなれる・・・がうたい文句で飛ぶように売れた。ただ、この本はあくまでも英語「が」強くなるのではなく、英語「に」強くなる本であったのだ。(^0^)
英語のことで、一番記憶にあるのは、1974(昭和49)年の松下電器のテレビ「パナカラー・クイントリックス」のTV広告である。同テレビを挟んで、先生格の坊屋三郎 生徒のメキシコ人・トニー・ダイヤに英語のレッスンをする。
「QUINTRIX/クイントリックス、QUINTRIX/英語でやって御覧よ(中略)外人だろ、アンタ?」といった小柄な坊屋と大柄なトニー、ユーモラスな掛け合いが面白かった。
兎に角、巨大な英語をしゃべれないメキシコ人を相手に、発音論争を仕掛け、「英語でやってごらんよ」と打ちのめす。英語コンプレックスの日本人の溜飲を下げたテクニックが光っていたよね~。
しかし、最近、いただけないな~と思ったのは、ポスティングシステムで阪神から米大リーグのニューヨーク・ヤンキースに移籍した井川慶投手の入団記者会見である。誇らしげな表情を見せながら「自分の力を出し切って自分の投球をしたい」と抱負を語った英語のスピーチは、は「どれぐらい練習したのですか」の質問に、「練習時間は2日ぐらいですね。出来はこれが精いっぱいかなと思っています」と答えていた。米メディアでも「2日ぐらいの練習にしてはいい発音でした」と笑いながらこれを報じているのを見て、少々恥ずかしくなった。
井川が書いたスピーチ用のメモを見るとカタカナで書いてあった。
日本人だから、英語ができなくても恥ずかしい事でもないし、1年も住んでいれば生活に必要な最低限の言葉は覚える。分からない英語を無理に使うこともなかっただろうと思うが、皆さんの見解はどうなんだろう。
私が若い頃、国際語としてエスペラントがあり、私も遊び半分で少し覚えた事があるが、中途半端な言葉なので途中で覚えるのを止めてしまった。今では、国際語として、英語が通用するので、文部相が、小学生に英語を教えようとしていることに対して、賛否両論があるが、私も、教える事には賛成だが、ただ、教える事のできる先生がいるかどうかが問題だろう。英語は、単語を覚えることも大事だが、もっと大事なのが、発音である。正確な発音で会話から始めないと役に立つ英語は身につかない。中途半端な先生に変な英語を教えられるとかえって問題である。だから、子どもに教える前に、襲えられる環境の整備が必要だろうね~。
(画像は、松下電器のテレビ「パナカラー・クイントリックス」のTV広告。向かって右が坊屋三郎 、左がトニー・ダイヤ。アサヒクロニクル「週間20世紀より)
平川唯一- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B7%9D%E5%94%AF%E4%B8%80
証城寺の狸囃子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC%E5%9F%8E%E5%AF%BA%E3%81%AE%E7%8B%B8%E5%9B%83%E5%AD%90
証城寺の狸囃子
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/shojoji.html
渋沢敬三 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%95%AC%E4%B8%89
「食料メーデー」のあった日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ec01a615ce943538e7fc644bc42d5363
パンパン(ぱんぱん) - 日本語俗語辞書
http://zokugo-dict.com/26ha/panpan.htm
終戦前後の出来事
http://www.toshima.ne.jp/~esashi/war4.htm
[PDF] 序章 なぜ今“玉音放送”なのか
http://www.meijigakuin.ac.jp/~soc/examination/sociology/study/fujikawayukina.pdf
英語生活ノおト+α 「英語に強くなる本」です!
http://blog.goo.ne.jp/tecchan_july/e/39e7d91a8f2f0bb8750591171aa3452c
坊屋三郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8A%E5%B1%8B%E4%B8%89%E9%83%8E
井川、NYで入団会見 英語で「夢が実現した」 /SankeiWEB
http://www.sankei.co.jp/sports/baseball/070109/bbl070109002.htm
歌で身につく英語のリズムHTMLバージョン
http://72.14.235.104/search?q=cache:KZ082xuWRBsJ:www.osu.ac.jp/~miyake/utademini.doc+%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E3%80%80%E5%B9%B3%E5%B7%9D%E5%94%AF%E4%B8%80&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=17
玉音放送 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E9%9F%B3%E6%94%BE%E9%80%81
日本放送協会(NHK)
http://www.nhk.or.jp/
映画「運命」
http://www.weblio.jp/content/%E9%81%8B%E5%91%BD
中山晋平 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%99%8B%E5%B9%B3
d-score 楽譜 - 中山晋平
http://www.d-score.com/ar/A03022801.html
対米宣伝放送の「東京ローズ」に特赦 の日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/8e5116cdef748a8a997054ed3b96192c