今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

頭痛の日

2007-02-02 | 記念日
今日(2月2日)は「頭痛の日」
慢性頭痛に悩む人たちで結成した「頭痛撲滅委員会」が2001(平成13)年に制定。「ず(2)つう(2)」(頭痛)の語呂合せ。
慢性頭痛に悩む「頭痛持ち」の存在をアピールし、社会に理解の輪を広げる日。これとは別に、頭痛薬「タイレノール」を販売しているジョンソン・エンド・ジョンソンも2001(平成13)年に制定。
頭痛とは、頭部に感じる痛みのうち、表面痛でないもの。様々なタイプの痛みを含んだ幅の広い症状概念であり、ありふれた症状である一方、これを主症状とする致命的疾患もあり、他方で原因が特定できないことも多いという、症候学上非常に重要な症状だという。
日本人の3~4人に1人(約3000万人)が「頭痛持ち」であり、そのうち2200万人が緊張性頭痛、840万人が片頭痛、1万人が群発頭痛といわているよいうだ。日常生活に支障ある頭痛を、世界中で最低40%の人が経験するという。
頭痛は現代人だけのものではなく、記録によれば古代から人類は頭痛に悩まされてきたのだという。
「頭が痛い」とか「熱が出てしんどい」といった時など、バッファリンとかノーシンといっったいろいろな薬が販売されているが、このような、薬が出る前に使われていた薬は、解熱・鎮痛効果に優れたアスピリンではなかっただろうか。子供には副作用の心配もあるらしいが、最も多く使われる大衆薬の一つになっていた。
「薬」は、クサカンムリに楽と書くが、苦しんでいる人を楽にする植物を意味しているといえる。仏教では柳は聖木とされてる。釈迦は、柳の木で作ったようじを愛用し、弟子たちに楊枝を奨めていたという。そして、柳は昔から消炎鎮痛作用があることが知られていたようだ。
ギリシャ時代の「医学の父」といわれるヒポクラテスは鎮痛剤として柳の葉を煎じて飲ませたという。西洋柳に含まれるサリチル酸が痛みを止める。ところが、サリチル酸にはひどい苦みや胃に潰瘍を作るなどの副作用があった。その後、科学が発達し、その副作用を取り去り、解熱鎮痛消炎作用を残した「アセチルサリチル酸」すなわち「アスピリン」が1897年に、ドイツ・バイエル社で誕生した。
同社刊「アスピリン百年史」によるとナポリの司教であつた“聖アスピリヌスAspirinus”は頭痛の守護聖人とされていたようで、アスピリンはその名前に由来しているのだとか。
古くから頭痛に纏わる話は多くあるようだが、その中のよく知られている日本のお話をしよう。
わたしのコレクションの絵葉書の中で、少し古い三十三間堂の絵葉書には、必ず1本の柳の木が写されている。この柳の木には、人形浄瑠璃にもなっている有名な柳の木の精に纏わる「三十三間堂棟由来」がある。内容は、京都の三十三間堂の棟木にまつわる伝説に題材をとり、横曽根平太郎の縁起などを組み合わせでつくられた五段続きの時代物で、その中のよく知られる三段目は以下のとおり。
”平太郎は熊野詣での折、紀州の山中の柳の古木の下で茶屋を営むお柳と出会い、夫婦となり、緑丸という子をもうける。その頃、後白川法皇が病になり、占いによれば、柳の木を伐って三十三間堂の棟木にすれば治癒するとのこと。こうして柳の木は伐られることになってしまうのだが、実はお柳は柳の木の精だった。これを知ったお柳は、自分が柳の精であることを打ち明け、平太郎に我が子の行く末を託して別れを告げる。一斧ごとにお柳は衰弱し、ついには消え失せてしまう。平太郎が緑丸を連れ、急いで駆けつけたときにはすでに柳の木は伐り倒されたあとだった。伐られてしまった柳は、誰が曳こうとしても動かない。しかし、平太郎の木遣りに合わせて緑丸が曳くと、難なく動き始めるのであった。人の姿はしていなくても親子の情に変わりはない。お柳が夫と子に別れを告げて消えて行く場面は何とも悲しく、技巧を凝らした三味線の旋律がいっそう哀れを誘う。 "
時間のある人は、下の人形浄瑠璃を御覧あれ。(・・・動画あり)
人形浄瑠璃「三十三間堂棟由来 平太郎住家の段木遣り音頭」↓
http://bb.tanuki.ne.jp/joururi/festival/index2.html
ここにもあるように、三十三間堂は後白河法皇の頭痛平癒のために建てられた 。
以下参考の「錦絵観音霊験記の世界」にある錦絵「西国第15番・今熊野観音寺」には、以下のように書かれている。
”後白河院は、いつも頭痛に悩まされていた。熊野へ御幸になり祈願されたところ、権現のお告げに、「洛陽因幡堂の薬師如来は、天竺から伝来した尊像であるので、この像に祈りなさい」と言われた。それゆえ、永暦二年(1161年)二月二十二日、因幡堂に御参詣になり、お祈りされたところ、夢の中に貴僧が現れて、「後白河院の前世は、熊野の蓮花坊という者で、六十六部の経典を日本廻国して奉納した功徳によって天皇に生れた。しかし、前世の髑髏が岩田川の水底に沈んでおり、その目穴から柳が生え、今は大木となっており、風が吹くと動くので、今の後白河院の身に頭痛がおこるのです。急いで取りあげれば、頭痛は治ります」と告げられたので、水底をお探しになったところ、お告げの通りであったので、その柳の大木で観音の像をつくり、その中へ髑髏をお納めになった。得長寿院を改め、頭痛山平癒寺蓮花王院となされたのは不思議な霊験である。”・・・と。
また、これとは別に、三重県南牟婁郡紀和町楊枝に楊枝薬師堂(紀和町楊枝の熊野川岸に建つ)という小さなお堂があるが、京都三十三間堂の棟木として切り出された切り株の上にお堂を建て、上皇直作の柳の枝で彫った薬師仏を祀ったのが楊枝薬師堂で、ここには、もとは伽藍があり、「頭痛山平癒寺」と号していたという。
この『「楊枝薬師堂由来」については、以下参考の『頭痛とヤナギ・三十三間堂・仏教医学におけるヤナギの事例・「アスピリン」』の中にある『「楊枝薬師堂由来」の説明文』を読むとよい。これを読むと、今にいう蓮華王院即ち三十三間堂の棟木として運ばれたお柳の柳があった場所はこの地だと分かる。
しかし、「錦絵観音霊験記の世界」には、”京都の得長寿院を改め、頭痛山平癒寺蓮花王院”とあるのだが、京都の得長寿院は、今ある三十三間堂とは別の場所、左京区岡崎徳成町に鳥羽上皇(1103~56)御願寺の一つとしてあったようで、今その得長寿院跡の石碑が残っている。以下参照。
SA047 得長寿院跡↓
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/sa047.html
この石標は得長寿院観音堂跡を示すもので、平清盛の父平忠盛が、後白河上皇の父・鳥羽天皇のために1132(長承元)年に建てたお寺で、造営した観音堂は柱の間が33ある大きな建物で、あったといわれている。そして、十一面観音や等身聖観音千体が安置されたことから、、「千体観音堂」とよばれていたそうである。これを三十三間堂と呼んでいた。現存する三十三間堂は、1164(長寛2)年に、清盛が父忠盛が建てた千体観音堂を受けつぐかたで、後白河上皇の離宮であった広大な法住寺殿の一画に、建てたもののようで、当時は五重塔なども建つ本格的な寺院だったが、1249(建長元)年の火災で焼失。1266(文永3)年に本堂のみが再建され、それが、現在残る堂である。
「錦絵観音霊験記の世界」にある洛陽因幡堂とは、烏丸松原東入ルの平等寺のことで、1003(長保5)年創建の由緒あるお寺で、古くから薬師如来信仰で知られていたようだ。後白河院はここへお参りしたのだろう、そして、頭痛平癒のために、平清盛に楊枝薬師堂のところにあった柳の巨木を運んこさせて、自分の屋敷のあった法住寺殿の一角に、得長寿院と同じ規模の三十三間堂を建てさせたのであろう。三十三間堂の名称は、本堂の内陣の柱間が33あることによるもので、ここで言う「」は長さの単位ではなく、社寺建築の柱間の数を表す建築用語である。また、お堂の完成により上皇の頭痛が治ったので、三十三間堂の千手観音は「頭痛封じ」に霊験あらたかな仏様として信仰されるようになり、民間には「頭痛山平癒寺」という寺号で親しまれるようになったものである。 毎年本堂の軒下(長さ約120m)で矢を射る「通し矢」の舞台となっっている。
柳の木と頭痛の話から、京都三十三間堂の話へ飛び、長々と書いてしまった、昔の偉い人は、自分の頭痛を治すために七堂伽藍の寺を建てさせるのだから凄いよね。それだけ、頭痛持ちは大変なのだろう。兎に角、柳の木は、邪気を祓う聖木とされていることから、お正月にお箸には白木の「柳箸」が使われている。
お正月には、「歳神様」が幸行されており、歳神様とともに、雑煮や煮しめをいただき、神様のご加護を受け、慶びを共にする。そのため、柳箸の一方を人が使い、もう一方は神様がご使用になる。だから、食べているもう1方を「取り箸」として使うのは、本当は誤りで、重箱用には、「組重」と箸紙に書かれた重箱専用の箸を用いるのが正式なのですよ。
頭痛のことは、以下参考の「頭痛大学 」が非常に詳しいよ。
参考:
(画像はコレクションの絵葉書より「三十三間堂」。大きな柳の木が植わっている。)
頭痛 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%AD%E7%97%9B
ジョンソン・エンド・ジョンソン
http://www.jnj.co.jp/entrance/index.html
頭痛オンライン
http://www.aditusjapan.com/patient/index.html
日本医師会 健康の森 「慢性頭痛」
http://www.med.or.jp/chishiki/zutsu/001.html
頭痛大学
http://homepage2.nifty.com/uoh/index.html
アスピリン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%B3
薬と毒・medicine_No4柳は痛み止め?
http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~ono/medicine/no4.html
み熊野ねっと・熊野の説話/●熊野と芸能/三十三間堂棟木の由来
http://www.mikumano.net/setsuwa/yanagi.html
宝木伝説
http://mryanagi.hp.infoseek.co.jp/
錦絵観音霊験記の世界
http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/nishikie.html
SA047 得長寿院跡
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/sa047.html
平忠盛 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%BF%A0%E7%9B%9B
法住寺 (京都市)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BD%8F%E5%AF%BA_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)
平家の怨霊・都を襲った元暦の大地震・
http://www3.ocn.ne.jp/~mh23/heike249.htm
洛陽三十三所観音巡礼 第二十七番札所 平等院 (因幡堂)
http://www.rakuyo33.jp/27.shtml
因幡薬師堂 平等寺
http://funabenkei.daa.jp/shiseki/inabayakushi.html
狂言・因幡堂
http://tarokaja.com/wiki.cgi?page=%B0%F8%C8%A8%C6%B2
お雑煮 京都通百科事典
http://www.111networks.jp/Kyoto/Life/RyouriZouni.html
■ 『平家物語』を読むための六波羅・法住寺殿復元図
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/heike/heike03.html