今日(12月15日)は「観光バス記念日」
1925(大正14)年の今日(12月15日)、東京で遊覧乗合自動車(観光バス)が登場した。皇居前~銀座~上野のコースを走ったそうだ。
日本のバス事業の始まりには諸説あるが、1903(明治36)年9月に二井商会という会社が京都市内で始めたのが最初のバス事業であるとされている。なお、後年の1987(昭和62)年に、この運行を開始した9月20日が日本バス協会によりバスの日と定められた。 ただし、これ以前1903(明治36)年1月に広島の横川から可部の間に運行されている。これが日本で最初のバスの運行となる。しかし、これは馬車用の車両であり、また車両の故障などの頻発もあったため、9月で営業が終了している。また、3月には、大阪で開かれた内国博覧会への旅客輸送のために、臨時のバスとして梅田と天王寺を結ぶ路線が開設されている。このように、バス事業が始まったわけであるが、初期の頃は順風満帆とは行かなかった。 特に大きかったのが、人力車や馬車をはじめとする既存事業者との衝突である。上記の最初のバスが走った京都でも、人力車組合や京都市内で軌道を運営していた事業者の反発にあい、執拗な妨害工作を受けた結果、廃業せざるを得なくなってしまう。また、別の問題としては、当時の道路状況が極めて悪路である事が多く、バスを運行するのに向かないという事情もあった。しかし、車両が1台あれば運行できるという利点を持っていたため、会社の体を成していない零細な事業者や個人によるバス事業への参入は相次いでいった。
このようなバス事業であるが、その存在を大きく知らしめたのが1923(大正12年)年9月1日に発生した関東大震災のときであった。この未曾有の大災害により、東京市内は鉄道軌道が寸断され、人々の日常の足が奪われることとなった。そこで、応急的な処置として東京市電気局が、1924(大正13)年 1月18日、フォード車を改造した11人乗りのバスを導入し、市民の足を確保することとした。このバスは好評を持って迎えられて、応急的なつもりであったのが恒常的な運行へと変化した。ここにおいて、バスが新たな交通機関として認識されていくようになる。
堀内良平(現在の富士急行創始者。堀内光雄の祖父。)が東京市街自動車株式会社を設立したのが、1918(大正7)年11月1日 であった。 翌1919(大正8)年3月1日、 新橋~上野間で乗合バスを開業。車体の深緑色から「青バス」と呼ばれる。 1922(大正11)年 には、東京乗合自動車と社名が変更された。この 東京乗合自動車が遊覧自動車(定期観光バス)事業を開始したのが、1925(大正14)年の今日・12月15日 である。このとき、「ユーランバス」の商号を使用した。
1938(昭和13)年4月25日 、東京地下鉄道(現在の東京地下鉄(東京メトロ))が、東京乗合自動車を合併し、「ユーランバス」「青バス」を継承した。「ユーランバス」は、 1942(昭和17)年2月1日、 東京市電気局に買収され、そのまま休止。1948(昭和23)年に、遊覧自動車事業は新日本観光株式会社(現在の株式会社はとバス)に譲渡され、同社の手によって再開される。
観光バスと言うと、1960年代から70年代にかけて、幼稚園教諭、看護婦(看護師)、スチュワーデス(客室乗務員)などと並び、観光バスのバスガイドが、女性の憧れの職業で上位にランクしたこともある。
”若い希望も 恋もある ビルの街から 山の手へ
紺の制服 身につけて 私は東京の バスガール
発車オーライ 明るく明るく 走るのよ”
丘 灯至夫作詞、上原げんと作曲「東京のバスガール」、歌は、コロムビア・ローズだったよね~。映画にもなったよ。
バスガイドは、1925(大正14)年12月、東京周遊バス(現・はとバス)で採用し、観光案内のため乗務させたのが最初であるが、そのときは、観光案内には豊富な知識が要するとされて、大学を卒業した男性のみを採用したそうだ。今日のような女性バスガイドは1927(昭和2)年、大分県別府市の亀の井遊覧自動車(現・亀の井バス)で採用されたのがはじまりとされる。若い女性の採用で、七五調による観光案内を行い、大好評を博したという。その後、東京周遊バスでも女性ガイドに切り替え、全国に女性バスガイドが波及した。道路運送法により、乗務中、制服着用が義務付けられている。最近は女性の社会進出の拡大もあり、ガイドの待遇の低下などもあり、以前ほどの人気はないようだ。バスガイドの雇用形態も昔は、バス会社の正社員が多かったが、最近では、バスガイド派遣業者の設立もみられ、派遣ガイドが増えている。
1999年に改正された男女雇用機会均等法の施行で、男性バスガイドも採用されるようになったようだ。女性の男性社会への進出があるのだから男性が女性社会へ進出しても良いわけだが、採用しているバス事業者は多くないという。しかし、ある年代の女性客から絶大な支持を受けているのも確かというが、どのような層であろうか・・・?マツケンサンバのファンや演歌のきよしなどのファンかな・・・?。私など間違って、こんなバスに乗るとちょっと熱だしそうだな~。
最近はバスツアーなどで観光バスに乗っても若いガイドさんに出会うことは本当に少なくなったね~。確かにきれいな声で、適切なガイドは嬉しいが、余り、良くしゃべりすぎるガイドさんも困ったものだ。特に、一番前の席にいるときなど、顔を覗き込むようにしてしゃべりかけてこられると疲れて眠くても気を使って居眠りもできないものね~。
しかし、私達も若い頃は、昔の若い明るいバスガイドが輝いて見えてたよ。
(画像は「はとバス」はとバスHPより借用)
参考:
日本のバスーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%90%E3%82%B9
都営バス | 東京都交通局
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/information/ayumi/bus.html
東京地下鉄道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E9%81%93#.E4.B9.97.E5.90.88.E3.83.90.E3.82.B9
東京都交通局 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%B1%80
東京のバスガール 丘 灯至夫作詞、上原げんと作曲
http://www.fukuchan.ac/music/j-sengo1/busgirl.html
東京のバスガール - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD25868/index.html
はとバス
http://www.hatobus.co.jp/
1925(大正14)年の今日(12月15日)、東京で遊覧乗合自動車(観光バス)が登場した。皇居前~銀座~上野のコースを走ったそうだ。
日本のバス事業の始まりには諸説あるが、1903(明治36)年9月に二井商会という会社が京都市内で始めたのが最初のバス事業であるとされている。なお、後年の1987(昭和62)年に、この運行を開始した9月20日が日本バス協会によりバスの日と定められた。 ただし、これ以前1903(明治36)年1月に広島の横川から可部の間に運行されている。これが日本で最初のバスの運行となる。しかし、これは馬車用の車両であり、また車両の故障などの頻発もあったため、9月で営業が終了している。また、3月には、大阪で開かれた内国博覧会への旅客輸送のために、臨時のバスとして梅田と天王寺を結ぶ路線が開設されている。このように、バス事業が始まったわけであるが、初期の頃は順風満帆とは行かなかった。 特に大きかったのが、人力車や馬車をはじめとする既存事業者との衝突である。上記の最初のバスが走った京都でも、人力車組合や京都市内で軌道を運営していた事業者の反発にあい、執拗な妨害工作を受けた結果、廃業せざるを得なくなってしまう。また、別の問題としては、当時の道路状況が極めて悪路である事が多く、バスを運行するのに向かないという事情もあった。しかし、車両が1台あれば運行できるという利点を持っていたため、会社の体を成していない零細な事業者や個人によるバス事業への参入は相次いでいった。
このようなバス事業であるが、その存在を大きく知らしめたのが1923(大正12年)年9月1日に発生した関東大震災のときであった。この未曾有の大災害により、東京市内は鉄道軌道が寸断され、人々の日常の足が奪われることとなった。そこで、応急的な処置として東京市電気局が、1924(大正13)年 1月18日、フォード車を改造した11人乗りのバスを導入し、市民の足を確保することとした。このバスは好評を持って迎えられて、応急的なつもりであったのが恒常的な運行へと変化した。ここにおいて、バスが新たな交通機関として認識されていくようになる。
堀内良平(現在の富士急行創始者。堀内光雄の祖父。)が東京市街自動車株式会社を設立したのが、1918(大正7)年11月1日 であった。 翌1919(大正8)年3月1日、 新橋~上野間で乗合バスを開業。車体の深緑色から「青バス」と呼ばれる。 1922(大正11)年 には、東京乗合自動車と社名が変更された。この 東京乗合自動車が遊覧自動車(定期観光バス)事業を開始したのが、1925(大正14)年の今日・12月15日 である。このとき、「ユーランバス」の商号を使用した。
1938(昭和13)年4月25日 、東京地下鉄道(現在の東京地下鉄(東京メトロ))が、東京乗合自動車を合併し、「ユーランバス」「青バス」を継承した。「ユーランバス」は、 1942(昭和17)年2月1日、 東京市電気局に買収され、そのまま休止。1948(昭和23)年に、遊覧自動車事業は新日本観光株式会社(現在の株式会社はとバス)に譲渡され、同社の手によって再開される。
観光バスと言うと、1960年代から70年代にかけて、幼稚園教諭、看護婦(看護師)、スチュワーデス(客室乗務員)などと並び、観光バスのバスガイドが、女性の憧れの職業で上位にランクしたこともある。
”若い希望も 恋もある ビルの街から 山の手へ
紺の制服 身につけて 私は東京の バスガール
発車オーライ 明るく明るく 走るのよ”
丘 灯至夫作詞、上原げんと作曲「東京のバスガール」、歌は、コロムビア・ローズだったよね~。映画にもなったよ。
バスガイドは、1925(大正14)年12月、東京周遊バス(現・はとバス)で採用し、観光案内のため乗務させたのが最初であるが、そのときは、観光案内には豊富な知識が要するとされて、大学を卒業した男性のみを採用したそうだ。今日のような女性バスガイドは1927(昭和2)年、大分県別府市の亀の井遊覧自動車(現・亀の井バス)で採用されたのがはじまりとされる。若い女性の採用で、七五調による観光案内を行い、大好評を博したという。その後、東京周遊バスでも女性ガイドに切り替え、全国に女性バスガイドが波及した。道路運送法により、乗務中、制服着用が義務付けられている。最近は女性の社会進出の拡大もあり、ガイドの待遇の低下などもあり、以前ほどの人気はないようだ。バスガイドの雇用形態も昔は、バス会社の正社員が多かったが、最近では、バスガイド派遣業者の設立もみられ、派遣ガイドが増えている。
1999年に改正された男女雇用機会均等法の施行で、男性バスガイドも採用されるようになったようだ。女性の男性社会への進出があるのだから男性が女性社会へ進出しても良いわけだが、採用しているバス事業者は多くないという。しかし、ある年代の女性客から絶大な支持を受けているのも確かというが、どのような層であろうか・・・?マツケンサンバのファンや演歌のきよしなどのファンかな・・・?。私など間違って、こんなバスに乗るとちょっと熱だしそうだな~。
最近はバスツアーなどで観光バスに乗っても若いガイドさんに出会うことは本当に少なくなったね~。確かにきれいな声で、適切なガイドは嬉しいが、余り、良くしゃべりすぎるガイドさんも困ったものだ。特に、一番前の席にいるときなど、顔を覗き込むようにしてしゃべりかけてこられると疲れて眠くても気を使って居眠りもできないものね~。
しかし、私達も若い頃は、昔の若い明るいバスガイドが輝いて見えてたよ。
(画像は「はとバス」はとバスHPより借用)
参考:
日本のバスーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%90%E3%82%B9
都営バス | 東京都交通局
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/information/ayumi/bus.html
東京地下鉄道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E9%81%93#.E4.B9.97.E5.90.88.E3.83.90.E3.82.B9
東京都交通局 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%B1%80
東京のバスガール 丘 灯至夫作詞、上原げんと作曲
http://www.fukuchan.ac/music/j-sengo1/busgirl.html
東京のバスガール - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD25868/index.html
はとバス
http://www.hatobus.co.jp/