今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

地下鉄記念日

2006-12-30 | 記念日
今日(12月30日)は「地下鉄記念日」
1927(昭和2)年の今日(12月30日)、上野~浅草に日本初の地下鉄(現在の東京地下鉄銀座線)が開通した。
銀座線は、東京都台東区の浅草駅から渋谷区の渋谷駅間を結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線。正式名称は3号線銀座線である。名前の由来は繁華街の銀座から。
東京地下鉄道株式会社(後、帝都高速度交通営団→東京地下鉄)は、1920(大正9)年8月、「地下鉄の父」と呼ばれた、早川徳次によって設立された。早川は、山梨県一宮町(笛吹市)出身。1914(大正3)年鉄道と港の調査研究のためロンドンを訪れる。そして、網の目のように発達する地下鉄網を目の当たりにし、これからの東京の発展には地下鉄が不可欠だと考え、欧米各地の地下鉄を調査研究し、2年後に帰国。自ら銀座の交差点に立ち、交通量の調査等を進め、東京地下鉄道株式会社を設立。1925(大正14)年に浅草~上野の地下鉄工事を始め、そして、1927(昭和2)年の今日、浅草駅から上野駅まで開業させた。
銀座線のうち、浅草~新橋間は「東京地下鉄道」によって建設・運営されたが、本来は新橋から浅草まで一挙に開通させることを目指していたものの、関東大震災後による不況のため資金調達が困難になってしまい、当時は日本一の繁華街で高収益が見込める浅草から上野までの建設を先行させたものであった。当時のポスターでは「東洋唯一の地下鉄道」というキャッチコピーが使われ、極東では初めての地下鉄路線であった。開業当初は物珍しさもあって、乗車時間わずか5分の区間に乗るため2時間待ちの行列ができたという。その後の経営も順調で7年後の1934年(昭和9年)に全通した。
一方、渋谷~新橋間は目黒蒲田電鉄系(現:東京急行電鉄)の「東京高速鉄道」により建設・運営された。1939(昭和14)年に渋谷~新橋間が全通。その後、1939(昭和14)年9月16日 東京高速鉄道との相互乗り入れ運転が開始された。
しかし、東京地下鉄道線への直通運転を目論んでいた東京高速鉄道の五島慶太(現:東京急行電鉄系列の総帥)と東京地下鉄道の設立者早川徳次との激しい攻防戦があったようである。結局この競争で事実上敗北となった早川は1940年地下鉄事業から身を引くことになり、失意のまま死去する。
その様子はここ(東京高速鉄道の経緯)を見ると良くわかる。
その後東京地下鉄道と東京高速鉄道は、未成に終わったペーパー会社の京浜地下鉄道とともに、戦時中の交通事業再編・統制を行うための陸上交通事業調整法に基づき、1941年(昭和16年)7月に帝都高速度交通営団(通称・営団地下鉄)へ統合された。、2004(平成16)年4月1日、帝都高速度交通営団から、政府と東京都が出資する特殊会社である現在の東京地下鉄株式会社となる。一般的には愛称の「東京メトロ」(東京メトロ○○線)で呼ばれている。日本の地下鉄のことについてはここ→日本の地下鉄を参照のこと)。
早川が目にした、ロンドンの地下を初めて走行した車両地下鉄の歴史は19世紀のイギリスから始まった。ロンドンの市街地の地下を通る、世界で初めての地下鉄であるロンドン地下鉄のパディントン駅とファリンドン駅の間の約6kmの区間を結ぶメトロポリタン鉄道(現在のサークル線の一部)が開通したのは1863年1月10日のこと。当時は鉄道の建設が盛んであったが、ロンドン市内は建物が密集しており、地上を通る鉄道路線を都心部に建設することは不可能であったため、地下に建設されたのだという。この地下鉄を計画したのは、ロンドンの法務官であるチャールズ・ピアソンだそうで、1834年に開通したテムーズトンネルをヒントにしたとされているようだ。(テムズ川横断トンネル参照)
この地下鉄の車両は、開業当初から1905年に電化されるまでは蒸気機関車を使用しており、硫黄の煙が発生したそうだ。そのため駅構内は密閉された地下空間ではなく、天井を設けない換気性を確保した吹き抜け構造となっていたほか、路線の一部も掘割であったという。
英語で地下鉄を意味する「メトロ」という単語の語源は最初の地下鉄路線である「メトロポリタン鉄道」に由来しており、イギリスに続きヨーロッパ各地の首都(=メトロポリタン)に相次いで建設されていったことに因んでいる。(ロンドン・メトロポリタン鉄道参照)
続いて開業したのは、1896年にブダペストだそうで、当初から電化されており、これは地下鉄としては世界で最初の電化路線であったという。さらに、1898年にはボストン、そして1900年にはパリにて開通。ベルリンでも1880年頃には地下鉄を通す計画が存在したものの、反対勢力によって計画が遅れ、開通は1902年であったそうだ。
しかし、世界で初めてイギリス・ロンドンで開通した地下鉄が、1863年当時、既にロンドンでは、馬車の往来が激しいため、交通渋滞の問題が発生していて、その解決策として考えられたというのが面白いね。日本では、全国的に路面電車が発達していたが、モータリーゼーションの発達とともに、車優先の社会とり、次々と、公共機関としての路面電車やバスが廃止され、その代替として、地下鉄が建設された。しかし、地下鉄の工費は莫大になるため、車両は古い路線では地上の鉄道と同様の大型の車両を用いているのが一般的であったが、2000年代以降ではミニ地下鉄が用いられることが増えた。これらを、ミニ地下鉄と呼んでいる。
日本の公営地下鉄は、地方自治体経営における交通部門の施策の一つとして、鉄道単体の収支以外に地下鉄建設による環境負荷軽減効果、地価上昇効果、税の増収効果、住民の便益向上効果などを、総合的に判断して経営されているようだが、現状では、地下鉄事業によって波及して発生している経済効果を把握していく適切かつ統一した会計基準がないばかりか、地下鉄事業本体の会計に至っても適切かつ統一した会計基準がない状況だそうであり、ミニ地下鉄といえ、莫大な工費のかかる地下鉄単独の採算などは、曖昧なようである。夕張市の財政破綻が今話題になっているが、他の地方都市の財政状況も、良くないところが多いと聞く。なんでも総合的に判断などと言っていると、地下鉄事業の意義を見誤ることにもなりかねない。モータリーゼーションの発達といっても、これからは、少子高齢化が進み、車の数は、激減してゆくだろう。年寄りには、負担となる地下深くの地下鉄よりも、高齢者に優しい路面の公共機関の復活も検討すべきでないかと考える。
かつて、地下鉄は地震に強いとされていたが、前の阪神・淡路大震災で神戸市営地下鉄、神戸高速鉄道で多大な被害を出した。又、近い日に東海大地震も予測されている。地下鉄は、雪や雹(ヒョウ)などには強いものの、このような地震や水害、火災、テロリズムなどには弱く、地下鉄の構造上、これらの被害にあった場合大惨事になる可能性が極めて高い。そのため安全に関する取り組みは、十分にしておかなければならないだろう。(※地下鉄の安全性参照)
蛇足:都市伝説の一種に東京地下秘密路線説が有るという。興味のある方は見ると良い。
東京地下秘密路線説↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E7%A7%98%E5%AF%86%E8%B7%AF%E7%B7%9A%E8%AA%AC
(画像は、ロンドンの地下を初めて走行した車両。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
東京地下鉄銀座線- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/東京地下鉄銀座線
東京地下鉄(東京メトロ)
http://www.tokyometro.jp/index.html
地下博物館・東京地下鉄と創設者早川徳次
http://www.chikahaku.jp/contents/tenji/rekishi/rekishi_03.html
建設博物誌・世界のトンネル
http://www.kajima.co.jp/gallery/const_museum/tunnel/index.html
地下鉄博物館/地下鉄の歴史
http://www.chikahaku.jp/contents/tenji/rekishi/rekishi_00.html