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農地調整法」が改正・公布された日(第一次農地改革)

2006-12-29 | 歴史
1945(昭和20)年の今日(12月29日)、「農地調整法」が改正・公布された(第一次農地改革)。
不在地主の小作地譲渡や在地地主の保有面積を平均5町歩に限定するなどの措置を規定。
戦後の憲法改正は、明治憲法の改正と言う形をとりながらGHQ(連合国軍最高司令官総司令部 )草案を基礎にしてなされた。その新憲法が施行された1947(昭和22)年には、経済の面でも重要な改革がすでに進行しつつあった。「戦争放棄」や「健康で文化的な最低限度の生活」を含む新憲法が出現したのは、これらの改革に法的な基礎を与えたものと言える。同時に、経済制度の改革は、それから5年10年と言う期間をかけて、日本の社会に浸透してゆき、新憲法が機能するにふさわしい社会をつくりだすことに役にたった。
当時日本を統治していたGHQの最大の目標は、世界の脅威となる日本の軍事力を解体することであり、軍国主義を廃した民主的な国家を作ることにあった。マッカーサーはこれを『上からの革命』と称したが、彼は後に、当初は日本を工業国から農業小国に転換し、米国の市場とするつもりだったと述べているといわれており、当時導入された経済改革を考える上でも、これらの、目標達成が、根底にあったことを頭に入れておくべきであろう。
導入された、経済改革の3本柱の、第1は財閥解体であり、第2が農地改革、第3が、労働改革であった。GHQはこの3つの改革を、日本の不公正な国際競争力除去に不可欠と考えたていたようである。つまり、封建的な経営形態の財閥を解体し、労働組合運動を助長し、農地改革により農村からの低賃金労働供給源を絶てば、日本の労働者の賃金上昇、商品価格上昇をもたらし、不当な競争力は除去されると考えたのである。財閥解体は、三井、三菱、住友、安田の4大財閥を始め、11社の企業分割、三菱鉱業、日本通運など7社が工場・株式の処分を強いられた。(過度経済集中排除法参照)。
又、自由競争の確保、消費者保護などを目的として、独占禁止法が制定され、公正取引委員会がその運用を管掌することとなった。しかし、占領が終わると昭和27年には金融機関を中心に旧財閥は復活再編され戦前にもまして、國際競争力を強化した。農地改革は、寄生地主(単に地主ともいう)が日本の軍国主義に加担したということから行われた。そして、地主が保有する農地は、政府が強制的に安値で買い上げ(事実上の没収)、小作人に売り渡されたのである。
つまり、在村地主の小作地保有制限を、農地調整法改正、自作農創設特別措置法によって実施され、北海道では4ヘクタール、その他は1ヘクタールとし、小作地の約80%にあたる2百万町歩が解放され、戦前46%であった小作地は約10%に激減した。自作農化した農民は農業協同組合を設立し、農家経営の近代化を推進して自民党に対する強力な圧力団体となった。又、労働改革では、戦時労働体制の解体に始まり、労働基準法労働組合法労働関係調整法の「労働三法」の成立によって労働組合運動の助長、団体交渉制度の確保を目指す改革であった。この組合助長策は、単位産業別の組合の組織化、生産管理闘争(※以下参考の生産管理闘争参照)の盛り上がりと相まって、労働者を昭和22年の「二・一ゼネスト」へと高揚させたが、マッカーサーの禁止命令によって、ストは回避された。
今日のテーマーは、農地改革にあるので、以下農地改革について、もう少し詳しく考えてみよう。
戦後の日本は、深刻な食糧不足やインフレーションなど、空前の経済危機の中、これらの3つの経済政策は占領軍の命令によって勧められたがいろいろ日本側の抵抗もあった中で、日本側が自ら手をつけた唯一の例外が農地改革であった。
それが、幣原内閣の農林大臣松村謙三によって作成された「農地改革要綱」であり、それを骨子として、1945(昭和20)年12月4日、第八九帝国議会に「農地調整法改正法案」として提出されたものであり、「第一次農地」正法案と呼ばれているものである。しかし、国会の審議過程で地主勢力の猛烈な抵抗を受け、1945年末の国会で承認された第1次農地改革は、地主に平均5町歩の農地保有を認める不徹底な内容であったため、マッカーサーは、本国から、農業専門家を呼び寄せ、不在地主の保有地は1町歩とするより厳しい改革案を作り、1946(昭和21)年10月の国会で成立させた。そして、翌3月に始まった第2次農地改革は、1950(昭和25)年7月の完了までに全国の小作地の80%を開放する成果を上げ、軍国主義の温床となった日本の農村の貧しさを解消する土台となったとされている。占領軍の民主主義改革は1947(昭和22)年の二・一スト中止命令で終りを告げるが短期間で軍国日本を全面的に改造した実績は、絶対的権力に加え、共産党までもがアメリカ軍を解放軍と歓迎するほど日本国民の支持を得たからだといわれている。
しかし、戦後の農地改革には、山林については改革の対象とならず、山林地主が残存した。又、 自作農を大幅に増加させて生産意欲を高め,それを通じて農民の生活水準と農業生産力の向上をめざしたが、農地改革によって大地主から強制的に土地を買い上げて小作人に分配した。これは、大地主に経済的に隷属する状況から小作人を解放し、民主主義を根付かせることに寄与した半面、零細経営の自作農を多数創出する結果となり、大規模農業事業を難しくさせ、戦後の高度経済成長のなかで、第2次・第3次産業と農業など第1次産業との格差が拡大し、農業の国際競争力は戦前よりもさらに弱まったことなどが問題として残った。しかし、言い換えれば、農業改革の狙いが、日本を、工業国から農業小国に転換し、米国の市場とするつもりだったマッカーサーにとっては、当初からの狙い通りになったといっていいかも知れない。これらを見ていると、マッカーサーは単なる軍人の枠を超えた非凡な人物であったともいえる。
この問題を解消しようと、1961(昭和36)年に農業基本法が制定され、経営規模が大きく生産性の高い自立農家の育成がはかられたのであるが、必ずしも成功はしていない。
戦後、軍国主義から解放された日本人は、戦争で負けた国の米国が、日本人のために、平和憲法を導入し民主的な国にしてくれた親切な国と感謝しているのであるが、戦争で、散々相手国を困らせた敗戦国日本のためにそんなに親切心だけで、やってくれたのではないことぐらいは、知っておくほうが良いだろう。
(画像は、農地改革記念碑。碑の前に立つのは、和田博雄元の農相。昭和23年4月17日。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
参考:
連合国軍最高司令官総司令部 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E5%AE%98%E7%B7%8F%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8
農地改革 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E5%AE%98%E7%B7%8F%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8
農地改革の真相-忘れられた戦後経済復興の最大の功労者、和田博雄 ...
http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0138.html
食料・農業・農村基本法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO106.html
食料・農業・農村基本法のあらまし(農林水産省)
http://www.maff.go.jp/soshiki/kambou/kikaku/NewBLaw/panf.html
中野文庫 - 自作農創設特別措置法
http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hs21-43.htm
日本農業の問題点と今後の展望: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
http://72.14.235.104/search?q=cache:ysWbAa4yjj0J:www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~shin/bs/bsr97/tn1.pdf+%E8%BE%B2%E5%9C%B0%E6%94%B9%E9%9D%A9%E3%80%80%E5%95%8F%E9%A1%8C%E7%82%B9&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=7
農地制度見直し 問題点は何か 上
http://www.nca.or.jp/shinbun/20020809/rensai020621.html
■農協の誕生から現在まで、大まかな流れを四項目で集約し、検証。
http://www.local.co.jp/news-drift/ja-1.html
農地調整法等の一部を改正する法律案要綱
http://ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00928.htm
農業基本法 (昭和36年[1961年] 法律第127号)
http://roppou.aichi-u.ac.jp/joubun/s36-127.htm
農業基本法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%B3%95
財閥解体 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E9%96%A5%E8%A7%A3%E4%BD%93
連合国軍最高司令官総司令部 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E5%AE%98%E7%B7%8F%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8
労働法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E6%B3%95
生産管理闘争
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/d/pcs.htm
二・一ゼネスト - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%B8%80%E3%82%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88
マッカーサーによる「上からの革命」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hakuzou/MacArthur.htm