今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

歳暮

2006-12-10 | 行事
今日(12月10日)は「歳暮 」のお話を・・・。
歳暮(せいぼ)とは、文字通り年の暮れ、1年の終わりを告げる季語で12月の季語でもある。
一般には、暮れに世話になった人に対し感謝するなどの歳暮周り(せいぼまわり)と呼ばれる年中行事が行われる事が多い。 このときに贈り物がされ、この贈答品がお歳暮と呼ばれ、現在では「歳暮」「お歳暮」といった場合、この贈答品、または贈り物の習慣を指すことが一般的となっている。近年ではこの習慣を不要と考える人も増え、廃れつつある。
本来は直接訪問して贈り物をするものであるが、近年では百貨店などから直送また宅配便などを利用して相手方に贈られることが多い。
お歳暮は、12月初旬から年末までに着けばよいとされるが、普通は今日(12月10日)頃から12月25日までに贈るのが多いいだろう。
この時期に贈る品物には紅白の水引と、熨斗アワビの飾りまたは代わりのマークを付けて贈る。
中元・歳暮の時期になると日本全国を慌しく往復する膨大な贈答品、年末年始の深遠宴会や忘年会。現代の日本の社会において、人と人との結びつきを強め、再確認し、さらに親密を高める上で、最も有効かつ不可欠の役割を果たしているのが、「宴」と「贈り物」である。「死後の世界」に旅立った使者へ贈る「香奠(こうでん)」と通夜に見られるように、われわれの人生の節目節目は必ず「宴」と「贈り物」によっていろどられている。そこには、日本社会の特質、個性が鮮やかに現れている。例えば、現金を生のまま人に贈るのは、非常識かつ異例なことであるが、一旦、熨斗袋にこれを包めば、立派な贈答品として通用するという広く行き渡った慣習は、極めて日本的な習俗と言ってよいだろう。実際、現在では印刷されるにとどまることの多い熨斗は、古く、『延喜式』に「長鰒(ながあわび)」として諸国から貢進された「のし鮑」にその起源を持っている。そして、今も、贈答品に多様される鰹節や昆布・海苔などの海草とともに、鮑は古代以来、神への「贈り物」神饌(しんせん)の中でも最も基本的な役割を果たした海産物だったのである。熨斗の機能についてはさまざまな議論がありそうだが、それを付すことによって、物品から紙幣までがそのまま本来の姿を変えて贈答可能な品となりえたのである。又、贈り物と同様に「宴」においても、「酒肴」と言う言葉があるように、葬送の宴は別として、現在に至るまで、」酒宴に当っても多彩な海産物が不可欠な役割を果たしてきた。勿論、贈り物は絹、馬、太刀、扇、雉など夫々の時代、地域の嗜好や習俗が反映されていて多彩である。山川の幸も「宴」・「贈り物」の中で重要なものであるが、何よりも酒なくして「宴会は成り立ちえなかった。毎年の祭りや儀式には、神との共食の意味も込めた酒宴は欠くことのできない行事であった。
話は、歳暮に戻るが、現代の歳暮は、中国より伝わった道教の行事の一つ三元(さんげん。上元・中元・下元の3つの行事の総称)の一つであったと思われる。昔日本は1年を6ヶ月ごとの2つに区切って1年としていた。夏のお盆と正月に仏や神祭りをしていた。夏の盂蘭盆が本来の中元で、贈答儀礼の中元が登場するのは明治以降のことである。この季節に贈答を行う習俗としては、毎年8月1日に行われていた「八朔(はっさく)」のお礼が古い。この八朔のことについては、私が書いた前のブログ「八朔(はっさく)。田の実の節句」で詳しく書いてあるので見て欲しい。
贈答儀礼の中元は、この八朔の儀礼に起源をもつらしい。一方、中世の職人の間には、年末・年始に得意先に羽子板・箸・チリトリなどを贈って雇用関係を確認し合う習慣があったともいう。これは替物・節料などと呼ばれていたそうだが、このうち年末に贈られたものは、歳暮、年頭に贈られるものは年始と呼ばれるようになった。今日の歳暮・年始などは、この慣習が広まったものと考えられている。
日本では、古の頃より、正月にはその年1年、家を守ってくれる“年神様”が降りてくるものと信じられていた。お正月の行事はすべてこの”年神様”を祝うためにあるといってよく、お歳暮も”年神様”を祝うために年末にお供えをしたのが始まりである。
神に供える“神饌(せん)”とは酒食を指す。正月の”年神様”へのお供えが歳暮の起源であるとすれば、お歳暮と酒の関係が深いのは当然である。
よく『ハレとケ』と言う言葉が使われるが、“ハレ”とは神祭などの非日的なことを、“ケ”とは日常を指している。農耕民族だったといわれる日本人の祖先は、田畑を耕したり、田植えをするといった生産活動が長く続くとケが枯れる、すなわち“ケガレ”るといわれ、“ケガレ”を忌み嫌った。そこで、ケを枯らさないために、神祭などのハレを催して神に祈った。そして、1年が始まる、新年最初の”ハレ”の日・正月は、年神にその年1年の加護をお願いするための最も大切な行事なのである。
”正月”の旧称である“睦月”は、家族や親類縁者、知人らがお互いにいったり来たりして、中睦まじくなる月の意味がある。その饗宴の場が主席である。われわれの祖先は年末から神前に、山川の幸と酒を供え、正月にその御下がりで”ハレ”の世界を共有してきた。神々に供えた酒を参集者に振る舞って催す酒宴は、神との共食の意味も込めたものである。つまり、酒のアルコールのよる酩酊によっれ神と人間との距離を近づけようとするこの考え方は、何も日本だけのものではなく、チベットや台湾、中国や韓国の古典的な行事の際にも、ヨーロッパのキリスト教社会の儀礼などにも見られるものであり、万国共通のものといえるかもしれない。
この正月の”年神様”を祝うための供え物として鮭や数の子、お酒などを贈ったものが、戦後次第に一年の締めくくりの感謝のしるしとして、お世話になった方への贈り物へと変わっていったものである。現在のようなギフト商品が主流になったのは戦後のことである。
(※現代の日本では、神仏混合でややこしくなり、盆は仏祀り、正月には神祀りの型になっているが、古代より、日本人が大切にしてきた「先祖」祀りでは、お盆と正月の2度先祖の霊が帰ってくると考えられていた)。
最近は、会社関での歳暮や仕事の先輩への歳暮といったものが減り、自分の家への歳暮が増えているといった報道を聞いた事がある。若い人たちの間で、バレンタインデーの贈り物などで、自分への贈り物が流行っていると聞いているがそういったことにっ繋がっているのだろうか。元来、歳暮は、お正月に帰ってこられるご先祖へのお供え物をする本家への差し入れの意味も含めて、本家に持っていったもののようでもあり、できればこのような行事は、本来のように、親元なり、本家なりへ歳暮として正月に食べるものを贈り、正月に、皆が集まって先祖の霊を交えて酒を酌み交わすといった伝統的な行事になってもらえないものだろうかな~。そのような関係ができてゆけば、もっと、穏やかな社会になってゆくと思うのだが・・・。
(画像は歳暮熨斗紙)
参考:
歳暮 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B3%E6%9A%AE
八朔(はっさく)。田の実の節句
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/129bce07d789e079ad06df613a41dbf2
睦月(むつき) - 語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/mu/mutsuki.html