今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

今年の漢字「命(いのち)」

2006-12-19 | 行事
今日(12月19日)は、今日の日に関する記念日も、過去の歴史や出来事などについても、特別に書きたいことがないので、最近非常に気になっている「いのち」のことについて書いてみよう。毎年、財団法人日本漢字能力検定協会が、その年をイメージする漢字一字の公募を全国より行い、最も応募数の多かった字を、その年の世相を表す漢字として、12月12日「漢字の日」に京都市東山区の清水寺にて発表している。その後、本尊である千手観世音菩薩に奉納される。
2006年「今年の漢字」応募数の中でトップだったのは、「命」であった。同寺の森清範(せいはん)貫主が清水の舞台で、縦1・5m、横1.3mの和紙に書いた。「命」の字を選んだ理由には、相次いだ子どものいじめによる自殺や秋篠宮後夫婦の長男・悠燈仁(ひさひと)さまの誕生、飲酒運転による事故などが理由にあげられていた。2位は、「悠」3位は「生」昨年は、「愛」一昨年は「災」であった。
近年、確かに日本では、中高年者や若者の自殺や殺人・傷害といった犯罪が増加しており、「キレる」とか「ムカつく」とかいった、ささいな理由で人を傷つけ殺してしまう若年層があらわれたことに、何と「いのち」が軽く扱われだしたことかとあきれている毎日である。
日本は、戦後、戦災によって何もかもをなくした悲惨な状況の中から、飛躍的な経済発展を遂げて成長を続けてきたが、そのバブルが弾け、ここ10年ばかりは、経済の停滞も余儀なくされた。その結果、未曾有のデフレ不況とともに失業者の増加、少子高齢化など、とともにいろいろな面での格差を生むなど、解決すべき問題も多くできたことは確かである。しかしそれでもまだ、日本は世界の国々のなかでは、今、尚、高い生活水準を維持している。それなのに、自殺や殺人・傷害といったことが増加しているのは何故だろうか?。
そこには、「いのち」を軽く見るような暴力や殺人などといったテレビゲームやドラマの氾濫もあるようだ。そして、、戦後の誤った自由主義の考え方、自己中心的な考え方の蔓延、家庭の崩壊、また、経済成長期とともにすべての価値観が、カネ、モノ第一主義の考え方になってきた。道徳教育や倫理観、「いのち」の大切さなどについての教育を怠ってきたことを指摘する人も多い。そして、戦時中苦労した世代は、自分と同じ苦労をさせないようにとした事が結果的に子どもを甘やかせたことになり、それまでの日本人の勤勉性、忍耐力も低下し、努力せず、楽して金を儲けをしたいなどといった考え方も蔓延している。これらが、複合的に重なって、今のようになったのであろう。
ところで、「いのち 1 【命】 」をgoo国語辞書で見ると、(1)生物を生かしていく根源的な力。生命。(2)生涯。一生。(3)寿命。(4)一番大事なもの。ただ一つのよりどころ。といった解説がなされている。
しかし、日本の仏教関係者の間では「いのち」を表す文字としては、漢字「命」の表記は使わず、通常、「いのち」は、「いのち」とひらがな・和言葉で書くか又,漢字では『生命』と書いて「いのち」と呼ばせている。それは、「いのち」「命」の語源にも由来してのものである。この語源や仏教的な由来などについては、以下参考の「命について」、「「いのち」を「命」と表記しない理由」などを読むと詳しく説明されているので良くわかるだろう。
簡単に要約を記すと、「いのち」の和言葉には、「息の道」、「息の内」といった意味が込められているといい、日本人は、「生きている」ということを「息してる」と考え、仏教伝来恐らくそれ以前より、日本人の心象の中には「息をしてるということが生きていることだ」と見られていたようである。このことは、人の臨終の際に「息を引き取る」といった言い方に残っている。 この和言葉の「いのち」に相当する漢字は、主に「命」・「寿」の二つで、これを合わせて「寿命」となる。また「生」の字も重要で、「命」を組み合わせて「生命」ともなる。仏教で、「衆生」・「群生」・「畜生」という言い方も「いのちあるもの」という意味であり、また「一生」・「人生」と言えば、人の「いのち」の全体を指すことになる。そして、「来生」「往生」と書けば、ある覚りの境地に到達することを表わしている。 因みに「生」の文字は、草木の芽が伸びて土から顔を出した形で、「いのち」が始動して同時に継続した状態を表わす象形文字だそうである。
それに比し、「命」は、「口」と「令」の意味を合わせた会意文字で、つまり、「命」という漢字は、上からの命令という意味になり、「天からの命令で生きている状態」を表していることになるそうだ。
私達日本人は、戦中戦後のころまでは、食事の前には、たとえ家族との食事のときであっても、当たり前のように手を合わせて「いただきます」と言っていた。この言葉は、殆どの人が、あまり深く意味も考えずに口にしていたものであるが、それでは、一体、誰に対してこの言葉を言っていたのだろうか。それは「命をいただく」ことへの感謝の意味であり、「食べるということを通して動物や植物のたくさんの命を、自分の中に受け継がせてもらいます」という気持ちの現われだったのである。宇宙に地球が誕生し、ヒトが生まれ、ヒトは、長い年月の中で、類希なる脳の働きによって進化してきた。そんなヒトも「食べる」ことがなければ生きてはゆけない。生きてゆくためにヒトはヒト以外の動物や植物などのたくさんの命を自分の中に受け継いで生かされているのである。そのことへの感謝の気持ちが「いただきます」の言葉である。今、人間は、有り余るほどの食べ物を、簡単に手に入れられるようになって、「いただきます」の言葉の意味を軽んじているというか忘れている。その結果、「食べ物」という「命」を軽く見るようにもなり、それが、自分や他人の「命」の重さをも軽く見るようになってきた。それが、今の日本の現状・人の命を軽視することにつながっているといえるかも知れない。外国の文化を取り入れるのはいいことだ。しかし、日本には日本の長い歴史の中で培われてきたすばらしい伝統や文化・思想がある。戦後、わけのわからぬ人たちに、戦前までの日本文化を無茶苦茶にされてきた。今一度、日本文化の見直しとともに、生命の神秘、生きるということ、人の命の尊さなどを知らしめてゆかなければならないだろうと思う。人間楽して、楽しく生きる事が理想のように考えている人が多くなったかもしれないが、そんな人は、一度、黒沢明監督映画の「生きる」をDVDででも見てみると良い。『生きる』の主人公に限らず、誰だって享楽的な生活を送りたくなるだろう。しかし、この映画の主人公は、それでは、何も満たされることがなかった。享楽的な生活が『生きる』こととは思えなかった。『生きる』とは、そういうものではないと思った。じっくりと見て欲しいものだ。
♪いのち短し 恋せよ少女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを・・♪
吉井勇作詞・中山晋平作曲の有名な『ゴンドラの唄』であるが、『生きる』の劇中で使われている。短い命、短い人生の中の貴重な青春時代をどのように生きるべきか。必ず得るところがあると思う。思えば、私など、特別に何も考えずに今まで生きては来たが、振り返ってみると、自分としては、すばらしい青春時代をすごしてきたことを今、しみじみと幸せに感じている。生来が馬鹿な私は難しいことなど何も考えずに、ただただ、自分のしたいと思うことだけ夢中になって思う存分やってきた。だから良かったのだろう。
又、他の人よりほんの少し劣ったり遅れをとっただけで悩んだりしている人は、以下参考の青空文庫の北条 民雄「いのちの初夜」 など読んでみるとよい。 
昭和初期では不治の病とされたハンセン病(癩病)、患者は一般社会から隔離されて専門の施設に隔離された。自身も癩病患者であった作者の体験的な作品「いのちの初夜」は、癩病院への入所という絶望の中から不死鳥のような命の叫びを感じさせてくれる。生命(いのち)ってなんなんだ。?・・・深く考えさせられる。
又、先の阪神淡路大震災では、6,400人を超える命が失われた。中には、倒壊した家屋に埋まってしまった中で、火災が発生し、生きたまま火に焼かれて死んでいってしまった人も多くいる。しかも伝え聞くところでは、倒壊した家屋に埋まった人を助け出そうとする家族に火に巻き込まれないよう自分を放っておいて逃げろといい、家族は泣く泣く逃げて助かった人もいる。多くの人が瓦礫の下の埋まり、全員を助けることは出来ないので、出来るだけ大勢の人を救うことを優先したため、1人2人の人は、涙を飲んで助けないまま現場を離れていった消防士達がいるとも聞いた。新潟の震災では、埋もれた生きているかどうか分からない人を必至に救出しようとしている消防士達の姿が連日TVで放映されていた。TVを見ている人の涙を誘いTV局は、視聴率を稼いだことだろう。それはそれで結構な事だ。しかし、神戸では、埋もれている人を全員助け出す丈の人がいなかったのである。それは、悲惨な死に方をした人が非常に多くいる。そのような経験をした神戸の消防士達が新潟火災などで救援に駆けつけて活躍した。「生きていける」って大変なこなんだ。生きたくても生きれなかった多くの人達がいるのだ。それは、先の戦争での犠牲者達もそうだった。そのような生きたくても生きてゆけなかった人たちのためにも、今、生かされている人間は、しなければならないことが一杯有るのではないのか・・・。じっくりと考えてもらいたいものである。
以下参考の「阪神大震災ノート『語り継ぎたい。命の尊さ』のページ」なども時間のある人は覗かれるとよい。
生命とは何なのか?・・・科学はこの神秘に満ちた問いかけに挑戦し続けている。かなりの研究も進んでいるが、まだ、神秘のベールに包まれているのが「いのち」である。以下参考の「JSTバーチャル科学館』若い人には面白いかもしれないが、私的には、このような、「いのち」の謎解きよりも、もっと、「いのち」の尊さ、神秘性を学ぶ方が良いと思うのだが・・・。
(画像は、コレクションの絵葉書、那覇中央郵便局発行黒澤明監督全30作品絵入り絵葉書の中の「生きる」左:ブランコに乗りゴンドラの唄を歌っている主演の志村喬)
参考:
命 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%BD
goo国語辞書「いのち 1 【命】 」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CC%BF&search_history=&kind=&kwassist=0&mode=0&jn.x=37&jn.y=8
命(いのち) - 語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/i/inochi.html
命について
http://www.u-gakugei.ac.jp/~sekiguti/eoikc/inochi.htm#topic1
「いのち」を「命」と表記しない理由
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/03_04_21.html
生きる - goo 映画(1952)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD23449/index.html
映画『生きる』に見る青春の方程式
http://kaze.cc/tayori/about/movie.htm
図書カード:「いのちの初夜」 著者名: 北条 民雄 
http://www.aozora.gr.jp/cards/000997/card398.html
阪神大震災ノート『語り継ぎたい。命の尊さ』のページ
http://home.kobe-u.com/top/newsnet/sinsai/book/book.html
dff.jp | クリック募金 _ クリックで救える命がある。
http://www.dff.jp/index.html
JSTバーチャル科学館/生命とは何なのか?
http://jvsc.jst.go.jp/