ドイツ日記 Les plaisirs et les jours

ドイツに滞在して26年経過。2年後に日本へ本帰国予定。ゴルフを始めて4年半ですが相変わらず下手な初心者ゴルファーです。

ダンスは上手く踊れない

2005年07月31日 | 日記
ダンススポーツクラブもバレエ学校も今夏休みで飲んで食っているばかりで体重関係がかなりやばい状態・・のような。来週のトレッキングに備えて森の散歩にでも行ってちょっとは脚を鍛えねば・・と思ってはみたが面倒くさいな・・。

でもダンスの週末特別コースが先生のプライベートスタジオで昨日から始まったのでそれに参加。昨日はワルツとルンバのステップの復習をしたのだが、8年間のブランクは大きくって完璧に忘れているわ、8年も年を取ったので覚えは悪くなっているわで散々であった。趣味でやってるフランス語と同じで何度も何度も同じこと習ってもどんどん忘れていくのだ。ヤレヤレ。今のところダンスパートナーのHのレベルも同じようなもんだから何とかやってるけれど、これからどうなるかな?
本日も夕方の特訓コースに行く予定。

昨日ダンスのレッスン後、日本クラブに寄って本を2冊借りる。

「北朝鮮に憑かれた人々」稲垣武  
「北朝鮮利権の真相」宝島

本当は中国関連の本を借りたかったのだが、1冊もなかったので取り合えず北朝鮮利権関連の本を読んで、日本のアホバカ政治家・マスコミ・学者に対して怒りをつのらせつつ、日本に税金を払い続けなくってよかったと思うことにしよう。

じゃ、ドイツに税金を払い続けていいのか?という疑問もあるのだが、核と拉致をカードに日本の金を引き出そうとするようなキチガイ北朝鮮に私の税金を使ってほしくない。

でも、旧東ドイツへ支払い続けている連帯税もなんとかしてくれ~というのも正直な気持ち。ドイツが統一されてから旧西側から旧東側へは毎年960億円もの額が投入されているらしい。これも穴の開いたザルで水を汲むようなもんで、統一から15年も経つのに東側はまだ自立できないでいるのだ。東側を助けるための連帯税というのは1991年から徴収され始め,当初は所得税の3.75%相当を所得税に加えてさらに徴収された。93年、94年と一時廃止されたのだが、やっぱりお金が足りないということで95年から再び所得税の7.5%相当がいきなり徴収され、98年からはそれが5.5%に減ったものの延々と徴収され続けている。一体全体いつまで続くのだ? 

それにしても世界最貧国のひとつ北朝鮮と韓国の経済格差は旧東ドイツと旧西ドイツの比ではないだろうから、あの国が崩壊したら一体どうなるのだろう?表向き統一を歌っている韓国もいざとなったら北朝鮮を養う財力はないし(韓国の一人当たりのGDPは日本の3分の1とのこと)。これも考えるだに恐ろしい話だが、もっと恐ろしいのは中国のバブルの崩壊と体制の崩壊だ。下部構造は市場経済資本主義、上部構造は一党独裁共産主義なんて永遠に続きはしないのだ。だから、今のうちにごねるだけごねて日本から金を引き出そうとしているわけなの、この日本の周りの3つの国は? 政治家も既得権益や利権ばかり考えていないで、もっとまともに外交考えるべきなんだが、あんなアホバカ政治家ばかり選んだのはどこのどいつだ?って日本国民なんだよね。トホホの図。








食べなおし、飲みなおし

2005年07月31日 | 日記

先週末の旅の反省は、やはりTPOに合った同行者を選ばなくてはならないということだった。しかし、幼馴染や学生時代までの友人は別として、社会人になって以降新しく友人を作るといういうは大変難しいもんだ。しかも日本にいれば自分の好みで選べる幅も機会もあるが、ここは異国の地だから現地人か非常に狭い日本人社会の中から友人関係を作っていくしかないのだが、相性がピッタンコの人はそうそういるもんじゃない。

因みにこの市にいる日本人は子供も含めて約6000人前後でその内訳は主なところで
1.日本企業からの派遣出向社員とその家族
2.日本・ドイツ企業で働く現地採用の被雇用者たち
3.日本飲食店・カラオケ・食料品店関係や美容師・理容師など
4・音楽・声楽関連、アティーストなど芸術ヴィザ保持者
5.留学生くずれやワーホリできたフリーターっぽい連中
6.こちらの人と結婚された方たち(2.とダブる人もいる)
7.日本人学校関係
8.フリーの通訳・翻訳・ガイド等
ってところか・・。

気のあう仲間を作るのは本当に大変なのだが、私は何しろ好奇心旺盛だから新しい人と知り合うのは大好きだしどちらかというと飽きっぽいので次から次へと新しい連中と知りあうのも楽しいもんだ。最近はずっと年上のシニア会の方たちとも知り合ったし。そういえば、この街で知り合った女性ですでに日本に帰国した人がいるが、彼女との共通の趣味はジャズが好き歌が好き音楽が好きという点で、駐妻で有閑マダムの彼女と現地採用で働く私との接点は普通ならないのだが、音楽という共通の趣味でウマが合いよく2人で遊び歩いたもんだった。夫と共に帰国した彼女は約2年前に東大出の一流企業部長の夫のもとを出てな~んと熟年離婚をしてしまった。今じゃ高校で英語の講師をしつつ、歌を歌いつつ果敢に独身生活を楽しんでいるし、日本に帰国したときにはいつも会って話しに花が咲くひとりなのだ。

・・・そういうわけでここ数年の飲み会仲間はすべてなじみの鮨屋で知り合った連中なのだ。で、29日(金)は久々にビストロHで、飲み会でした。プラハに転勤となった某銀行のNさんとその彼女Y子さんのデートに乱入!ってことはないんだが、彼らとビストロオーナー夫婦とで飲みました。N氏は7月からプラハに転勤になったのに、結構こっちに遊びに来ているようだ。ドイツも10日ぶりくらいに先週半ばから少し天候がよくなったのだけど、プラハの暑さは29日は38度だったらしくNさんはポロシャツに短パンでお出まし。イワシのサラダ、海老フライ、チーズ盛り合わせを肴にビール・ワインと飲んでヘロヘロでタクシーで帰宅。

このビストロ、日本の洋食を日本人に提供するというのがコンセプトだったのだが、オーナーは年内に店をたたんで日本に帰国することを考えているようだ。
ボルドーワインが好みのオーナーだが、本日はブルゴーニュワインを選択。

まずは私が持ち込んだ 白ワイン Savigny-les-Beaune 1er Cru ドメーヌシモンビーズ の Aux Vergelesses blanc 2001年


次にオーナーが出してきたのが ヴォーヌ・ロマネ村の ドメーヌ・メオ・カミュゼ(Méo-Camuzet)の Echezeaux Grand Cru 2002年。ちょっと若すぎ?と思ったけれどおいしかった。



やはり飲み会は 飲んで食べるのが好きなノリのいい人とするに限る。







ブルゴーニュ旅行記 3

2005年07月29日 | ゴルフ & 旅行
24日(日)もまずまずの天気。朝食の後は、おいしいチーズを売っている店を教えてあげるというMの先導で少し南にあるシャニー(Chagny)の朝市に行く。チーズを売っている店は数軒出店していたが、インサイダー情報を有難く受けてMの推薦の店で、今回買ったチーズは下の2種類。

まずはMorbierというチーズでFranche-Conté地方の牛のチーズ。

真ん中に見える黒い線は草から作った炭らしい。
モルビエチーズの作り方はこのサイトを参照下さい 

柔らかすぎず固すぎずなかなかの味。このサイトによると日本では100gを630円で売っているだが、こちらでは100gはわずか81セント!1ユーロ135円で計算しても約110円だから日本じゃ約6倍の値段だ。ヒェ~~

それからAisy Cendre というブルゴーニュ地方のやはり牛のチーズも購入。
Marc で洗ったウォッシュタイプチーズの王様エポワスをさらに一月灰の中に埋めて熟成させたもの。だから回りは灰に覆われているのでこのように黒い色をしている。


このサイトも参照して下さい。

因みに、このチーズは250gで6.6ユーロだった。これより少し安いエポワスは250gのものが確か5ユーロ台だけど、サイトをチェックしてみると日本ではエポワスチーズが大体2600円から2700円台で売られている。ということは、私が買ったチーズは多分日本では3000円くらい?オー・マイガー たかがチーズなのに、日本人が知らないと思って何とも法外な値段で高級食品のようにして売られているんだ。どこの誰が中間で暴利を貪っているんだ?

それにしても、納豆や豆腐はこちらの日本食品店で帰るし日本で買うより多少高いといってもたかが知れているし、これらは自宅で作ることも可能だ。でも日本国内ではこちらのおいしいチーズを手頃な値段で買うことも出来ないし、ましてや家で作るなんてことは到底無理な話。ってことはどっちも手頃な値段で気安く食べたい私はこっちにずっと住み続けるっきゃないってこと?ま、今のところ帰る気もないんだが・・・。

Chagnyの朝市はかなり大きくて有名な高級レストラン「ラムロワーズ」(Lameloise)の前まで伸びていた。このレストランは大好きでワイン仲間と何度か食事に来た事があるのだが去年までは3つ星だったのに、今年は2つ星に格下げされてしまった。どうもサービスの質が落ちたようだ。

朝市の後、Mに別れを手告げて我々は Abbaye de Fontenay (フォントネ修道院)に向かってドライブ。途中 Saulieuという小さな街にある3つ星レストラン Bernard Loiseauの前を通る。彼は数年前に猟銃自殺したのだが、その後も奥さんががんばっているらしくレストランはまだ3つ星を維持している。まだ彼が元気だった頃ワイン仲間とこのレストランにも食事に来た事があるが、いや~、高かった!

今回はこの高級レストランは当然のように素通りし、 Semur en-Auxois という小さな街でランチ。ここも昔来た時は日本の団体観光客もいたりして賑わっていたが、この日は何だかひっそりとしていた。食べた定食もあんまりパッとしないものだったので詳細は省略。

そういうわけで、フォントネ修道院に到着した時はすでに夕方になっていた。
 修道院の回廊

日本人観光客も多いとみえて入り口で入場料を払うと日本語の説明書をくれた。それによると、この修道院は1098年に創立されたシトー修道会の一つとして貴族出身の聖ベルナルドによって1118年に新たに創立されたそうだ。シトー(Cîteaux)派は聖ベネディクト(6世紀)の戒律のもとに世俗を離れ清貧、貞潔、従順の誓願を宣立し、沈黙・祈り・働けの生活を送っていたそうな。で、この寺院もいろいろと盛衰の歴史があるのだが、多いときは200名を超える修道士が共同生活をしていたそうだが、フランス革命当時は12名にまで減っていたようで1790年に国の所有物となりその後も幾多の変遷を経て現在は資産家の私的所有物でもあり歴史的記念物でもあり、1981年にはユネスコの世界文化遺産にも指定されている。


ところで旅の同行者の1人で私のダンスパートナーでもあるHは日本でサラリーマン生活を数年した後、カトリックの神父になろうと思い立ち日本のイエズス会よりミュンヘンの修道院に派遣されそこで修業をしつつ大学に行くはずだったのだが、ある時書置きを残して修道院を脱走したのだ。どうも修道院が街の近くにあったらしく世俗の魅力に勝てなかったとみえる。このフォントネ修道院のように人里離れた奥地にあったならHも脱走を思いとどまったかも。でも映画「薔薇の名前」のようなことが逆にあったりして・・。そういうわけでHは脱走後20年近くにわたって脱走の賠償費を支払わされることになったのだ。

食道楽の私としてはちょっと不満な旅ではあったが、この修道院に来れたのは今回の旅の収穫だった。ワイン仲間とは修道院見学なんてことに時間を割かないもの。




ブルゴーニュ旅行記 2

2005年07月28日 | ゴルフ & 旅行
 ブルゴーニュ地方も18日まではとっても暑い夏日だったらしいけど19日から天気が崩れたらしい。っていうことは私の住んでいるドイツのNRW州とブルゴーニュの気候はたいして違いがないってこと?ま、それでもブルゴーニュのほうが確実に数度は気温が高いような。

23日(土)はまずまずの天気だった。皆で朝食の後、ムルソー村の広場にある花屋に出向いて鉢植えの花を買い墓地へ行く。Mの母親とR氏の眠る墓地に花を植えて水を遣りお参りを終えて、本日の観光ドライブ開始。普通だったらワイン買いにいろんなカーヴに行ったりするのだが・・。田舎道を走ってシャトーヌフ(Châteauneuf-en-Auxois)という村に行ってみたら、ちょうどいろんな屋台が出ていた。よくよく見ると村人が中世のコステュームを纏い昔の楽器を弾いたりと観光客誘致のための村興しのお祭りが行なわれたいた。
 中世の楽器を演奏するコスプレの村人


お昼時となり村にある2軒のレストランのメニュを見比べて、値段の手頃な方へ入る。ここも前菜・メイン・チーズ・デザートの4コースで16.5ユーロ。私が住んでいるドイツの街のレストランの一皿分の値段でデザートまで食べれるのでやはり安いと思う。でもここにはチーズワゴンはなく、出てきたのはフロマージュ・ブランというカッテージ・チーズのような柔らかいチーズだった。同行者はブルゴーニュ・スペシャルのアンドゥイエットという食べ物をオーダーしたのだが、これは豚の腸の腸詰、つまりモツの腸詰をグリルしたもので、臭いし不気味だし私はこれまで一度も注文したことがない。物は試しということで注文したが彼らもちょっとばかし、ショックだったよう。この料理には様々な辛子がついてきたが、な~るほど、この辺りの名産となった辛子ってこんな臭い腸詰につけて臭い消しにするためだったのか・・。
 ロバも観光に一役

食事の後はディジョン(Dijon)までひまわり畑の田舎道をドライブ。HがMの穿いていたリーヴァイスの501のジーンズを欲しいというので、太鼓腹かかえて歩くのがしんどいらしいオヤジを車に残して3人でギャルリーラファイエットに行きジーンズ売り場でいろいろ試着をしてみたがしっくり来ないのでHはジーンズをあきらめてこれまで通りの「とっちゃん坊や路線」で行くことにしたようだ。何でもミュンヘンにはジーンズバーというゲイがジーンズ穿いていくバーがあるらしい。Hはきっとジーンズで格好良くキメテそこにデビューしたかったようだ。

ディジョンからボーヌまでの間は Côte de nuits と言ってブルゴーニュワインの特級街道があり日本でも有名なシャンベルタンとかロマネ・コンティとかの特級赤ワイン用の畑がズラズラと並んでいる。我々も緑の葡萄畑の中をのろのろとドライブしていたが夕食に間に合わないので途中から国道N74を走ったのでロマネ・コンティの畑のチェックは今回は出来なかった(・・ってどうせ高くて買えないし)。以前秋も深まっ頃に来た時には収穫の後に残っていたこの高級ワインの出来る畑の葡萄をこっそり千切って食べてみたのだがおいしかった!

そういうわけで、ムルソーのMをピックアップして再びボーヌまで戻り、予約してあった日本レストラン寿司海へ行く。本日は我々4人が宿泊させてもらっているお礼としてMを招待したので、彼の希望の日本料理となったわけ。それにしても、つい5,6年前にはボーヌの街にいる日本人はほんの片手くらいの数だったらしいが、年々増えて今では100人を超えているらしい。日本人観光客の数も年々増えているらしい。で、ここ1,2年の間にこの小さな街に日本料理レストランが2軒も出来たのだ。一体彼ら日本人はこのブルゴーニュの田舎に住んで何をしているのか・・というとある人は大学の醸造科でワインの勉強、またある人はフランス料理の修業とか・・そんなところなのかな?この辺りのフランス料理レストランには必ずと言っていいくらい日本人が働いている。裏で料理を作っている人だけでなくサービスをしている人もいる。中には店のオーナーだけフランス人で後は全部日本人という店もあるくらいだ。日本人は真面目で勤勉だし、低賃金でも文句垂れずに黙々と働くので、フランス人にいいように利用されているフシもあるんだが・・。日本人もフランスで修業したということで日本に帰ると一応箔がつくらしくじっと我慢しているのかもね。

・・そんなわけで、この「寿司海」というレストランはまだ去年開店したばかりの2軒目の日本レストランなのだが、8時になると全部のテーブルは地元のフランス人たちで埋まってしまい満席となってしまった。久しぶりにお刺身などを食べつつ、本日飲んだワインは Montagny 1er Cru 2003年でドメーヌはStephane Aladameでした。2003年は猛暑だったからどうかな?と思ったがいい出来でおいしかった。
今回はワイン狂いの連中と一緒じゃなかったので、ついワインのラベルの写真を撮るのも料理の写真を撮るのも忘れてしまった。何かすべて調子が狂うのよね。
考えてみたら、ディジョンとパリって300kmも離れてないので車で2時間ちょっとで行けるわけだし、パリの魚市場から新鮮な魚が仕入れられるはずよね。この夜もデザートまでしっかり食べてワインの後は冷酒まで飲んでご機嫌で帰宅。Mの家について Marc も飲んで就寝。

ブルゴーニュ旅行記 1

2005年07月27日 | ゴルフ & 旅行

な~んだか不完全燃焼な気分なのはせっかくのブルゴーニュ旅行なのに、やはり同行者の選択を誤ったから・・。こういう所にやはり東ドイツ出身の田舎オヤジを連れてくるのはもう2度としないぞ・・。同じ田舎でも東ドイツとブルゴーニュは一味違うのだよ。それにワイン好きな連中ではなかったのでカーヴ廻りもせずワインを1本も購入しなかったから。まだうちの地下室に寝かせてあるのがかなりあるけれど、それでも買い足す暇もなかったのは心残り。やはり秋に再度ワイン買いの旅をしたいもんだ。

そもそも22日の朝6時半にピックアップの約束をしていたのに、連中は20分も遅れてきたので、まずここで私は少々ムカついていた。それも旧式のナヴィゲーションシステムを使っていて完全に間違った走り方を指定されたからというのだが、同じ市内でしかもそんなに離れたところに住んでいるわけじゃないのに、それくらい市内地図見て通りを確かめてサクサク来いっていうのよ、全く。

・・・そういうわけで出発前に20分のロスタイム。それにドイツ人のくせしてというか規則を守るドイツ人の典型だからなのかアウトバーンの速度制限をきっちりと守るもんだからいつもと違ってすごい時間がかかった。それでもとにかくディジョンの南のフィサン(Fixin)のレストラン Chez Jeanette に何とか午後1時過ぎに到着。取りあえずアペリティフで誕生日の乾杯。ここでまた! 誕生日だから私が皆にアペリティフを振舞ったんだけど、あの東側出身太鼓腹オヤジはビールが飲みたいと抜かしやがる。ここはワインの里だよ!オー!ラ・ラ!しょうがないのでオヤジには地ビールをあてがっておいて残りの3人でワイン(Fixin Clos Marion)を飲みながら食事をする。このレストランにはお昼のコース17ユーロで前菜・メイン・チーズ・デザートというのがあってチーズワゴンに載ったチーズの種類はすごく多く選び放題というコストパフォーマンスのいい所なので結構気に入っていて何回か利用している。

ムルソー(Meursault)の実家にいるMに電話したら家の掃除をしているので夕方7時半頃に来いというので、ランチの後はボーヌ(Beaune)の観光をする。私は数え切れないくらい来ているが、同行者のHとオヤジにとっては初めての街なのだ。せっかくだから皆で観光用の電車に乗って街を一周した。数年前はあまりいなかった観光客が年々増えているようでこの日も街中は観光客でいっぱいだった。

観光客用の音楽隊はこの地方の特産物の鶏、羊、豚の着ぐるみと牛の形をした山車。

午後7時過ぎにムルソーのMの家に到着。彼の亡くなった母親の部屋と4月に亡くなったR氏が使用していた部屋が客間として用意されていたし、食事もちゃんと出来上がっていた。本当に彼はマメでよく気がつくのだ。

落ち着いたところで、シャンペン(銘柄はJacquesson)で乾杯。このジャクソンというシャンペンは辛口でMの3年前に亡くなった母親の大好きなシャンペンだったっけ。食事はメロン・オ・カシス、フィッシュサラダ、トマトの詰め物、鳥の丸焼きに芋のピュレーと続き、チーズ、デザートのタルトで終わり。飲んだワインはMの畑のムルソー1er Cruと1990年の Volnay。でも太鼓腹オヤジはビールが出ないのでドイツから持参していたApfelschorle(りんごジュースを炭酸水で割った飲み物)を時々テーブルの下から取り出しては飲んでいたのだ。その後ダイジェスティヴのMarc de Bourgogne(グラッパ見たいな飲み物)を飲んで晩餐は終わり。昼からずっと食べている感じで確実に数キロは太ったかも。

私は亡くなったR氏が使っていたベッドで眠ったのだが、夜中に彼が枕元に現れるかも・・と一瞬思ったけど朝まで爆睡していたのでわからなかった・・もしかしたら現れたけど私の爆睡に呆れて退散したのかな?

ブルゴーニュ旅行より戻る

2005年07月26日 | ゴルフ & 旅行

わずか3日間だけの旅行だったけど、何だか疲れた・・。総括は、「ブルゴーニュに行くときはやはりグルメでワイン好きな連中と行くべきだ。」ま、それなりに楽しかったけどやはりこれまでの旅行とは全く異なる内容の旅となった。疲れた原因の一つはナンシーとルクセンブルグの間の高速A31で大掛りな工事をしているらしく、かなり迂回をさせられたのだ。行きは大したことなかったけれど、帰りはフランスの高速の迂回でルクセンブルグに戻るのに、何とベルギーを通っての迂回路となっており、じゃあせっかくだから、リエージュ経由ドイツに戻るかという意見も出てそっちのコースを取ったらこれが大間違いのコースでまたまた工事箇所ばかりな上にフランスからかなり北西に登らされたおかげでものすごい遠回りにリエージュに入ることとなり、都合250kmくらい余計に走らされてしまった。観光の後に帰路についたのがすでに午後5時過ぎだったので結局自宅に到着したのは25日の午前1時だった。

疲れたもう一つの理由は同行した我々のアッシー役のドイツ人Wが、悪い奴ではないんだが、どうにもこうにも典型的な田舎のドイツ人というか東ドイツ育ちのドイツ人というか・・グルメのブルゴーニュ地方には全くそぐわない奴で  の連続だった。ゲイにも、おしゃれでやさしい感じのタイプばかりじゃなくって、彼のようにがさつで太鼓腹の田舎オヤジ風の人もいるのね・・とあきれたり驚いたりの日々であった。ま、Hが良いなら我々がとやかく言う問題ではないし・・夫婦の仲もよくわからないが、こうなるとゲイのカップルの仲もよくわからん。今回お世話になったムルソーのMとその相棒のPHの2人だったらゲイでもすご~くよくわかるいい感じの2人なんだけど。全くいろんな関係があるもんだ。

本日は寝不足の中、仕事から帰り部屋中に掃除機をかけ、猫をピックアップに行ったりしたので早く寝ることにしよう・・といってももうすぐ11時半だ。



旅の準備

2005年07月22日 | 日記
火曜日から薄ら寒い春のような天気になって明日もこの辺りは20度くらいにしかならないそうだ。まさか、このまま秋に突入ってことはないと思うけどちょっと気温が低すぎる。反対にスペイン、ポルトガルでは40度近くもあり、山火事が各地で発生し、犠牲者が出ている。そんな異常気象の毎日だが、本日はまたロンドンで同時テロが勃発、ドイツでは大統領が連邦議会の解散と9月18日の選挙を決意。シュレーダー首相の首相生命もあと2ヶ月か・・。

仕事の帰りに街に回り、日本食料品店であられやせんべいの詰め合わせセットをお土産に買い、さっきは猫2匹を知人宅(彼らの実家)に預けに行ってやっと帰宅したところだ。ゆっくり日記を書いている暇はなくって今からパッキングをしなくちゃいけない。

今回の旅の道連れはバレエ仲間の女性Yとその会社の男性で私のダンスパートナーのH、そしてその相棒のドイツ人男性Wの3人なんだが・・。これまでのノリのいいワイン仲間とはかなり違うタイプなので、楽しくやれるか心配だ・・。これまでの旅の道連れはとにかくあまり金に糸目はつけずにおいしい食べ物やワインに貪欲という連中だったので豪快に飲んで食べてという旅だったんだけど、今度はどうなることやら。 Yとは一度マヨルカ島に1週間一緒に旅行したことがあるが、かなりノリが違う人ではある。例えて言えば、堅物の修道女ってところでこれまでの長い人生で一度も男性と付き合った経験がないだろうとと断言できるタイプで、ミーハーな私とは180度反対の極にあるような・・・。ま、とりあえず上手くやるっきゃないってことで・・Wというアッシーもいるので私は運転しなくてもいいし・・。
Wは私の誕生日プレゼントを昨日は買いに出ていたらしいし・・楽しみにしてよっと。

本日も自宅療養

2005年07月21日 | 日記
私の登社拒否病が頭をもたげてきたようで本日も風邪で休むことにしてしまった。朝いつもの時間に一応起床したのだが、まだ鼻はムズムズするし頭も少し重いので、ここはちゃんと回復しておかないと旅先で苦しい思いはしたくないってわけで9時過ぎに会社に電話を入れた。何しろ連続3日までは医者の証明もいらないで堂々と病欠が取れるんだもの。ドイツは本当に労働者に取ってはいいところだ。

実のところ、3年前に私がいた会社の事業部が同業他社と合併して新しい会社となって以来私は仕事に対するモティベーションを失ってしまっているのだ。やる気は満々だけど昔のようにおいしい仕事が無くなってしまったのだ。そういうわけで、仕事はどうでもいいのでプライベートの趣味を充実させている今日この頃。それにしてもこんな状態でこれから何年ももたないな・・・っていうかその前にリストラされるかもっていう心配もあるが。ま、そういうことは今は考えないことにしておこうっと。

それにしても、私もドイツで20年も働いているとすっかりドイツ人労働者と同じで労働は必要悪、出来るだけ仕事はしたくないし、早く年金生活者になりたい・・と思ってしまうのだ。日本人が定年になってもまだ仕事したいと再就職しているのを知るとドイツ人はきっと驚くことだろう。何とか早く年金生活者になろうとあの手この手を使い病気を理由に早期年金生活者になった私の隣人のようなドイツ人も多いのだ。実際は大した病気じゃなくって年の半分はスペインに休暇にでかけていて丸々太って日に焼けて元気そうにしている。そういう輩が多いのでドイツの年金基金もパンクしかけていて、我々がもらう頃はド~ンと額を減らされるかも。

今朝のモーニングショーのトピックの一つが9月の新学期からドイツ全土で262の小学校が閉鎖されるということだった。ドイツも日本同様少子化が問題となっている上に旧東ドイツ側の住民がかなり西側に移住していることで閉鎖される小学校は東側が多いらしいけど。旧東ドイツのドイツ人人口は減少しているが、そのまた東にある東欧からの移住者の人口でかろうじて旧東側の人口減少の度合いが抑えられているのが現状のようだ。こうなるとトルコ人にもっと移民してもらって子供を生んでもらうしかないのかしらん。しかし、全人口の約40%が移民というここNRW州ではOECDによる「生徒の学習到達度調査」の結果は散々だったのだ。で、移民の少ない保守的なバイエルン州の結果はドイツ国内ではトップだったらしい。人口が増えればいいって問題じゃないのが、問題だ・・!ってややこしいな。

そういうわけで、本日もコーヒーや紅茶にアルコールを垂らしつつ、アスピリンを飲みつつ、昼寝をしたりネットチェックをしたりの一日だったが、そろそろ頭をおフランスモードにせねばと朝のモーニングショーの後はフランス語チャンネルを見たり、シャンソンを聴きつつ日記を書いたりして過ごしたが、かなり回復したので明日は会社に行くことにしよう。

今年二度目の病欠

2005年07月19日 | 日記
日本ではやっと梅雨が終ってこれから本格的な猛暑が始まろうとしているが、当地では夏がひと休み、本日は24度くらいまでしか上がらないようで昨日までと比べてもグーっと涼しい。今週はどうやらこのまま気温は上がらないようだ。でも650kmくらい南西にあるブルゴーニュはここと違って暑いでしょうねえ・・、日曜日の電話ではムルソーはすごく暑いとMが言ってたし。

・・そういうわけで、本日は風邪で病欠ということで家にいることにした。仕事より、週末の旅行の方が・・あ、いやいや健康のほうが大事ということで早く回復しなくてはいけない。
昨日もさっさと寝たんだが、朝起きてもまだ鼻水ポタポタ状態で気分も最悪。
朝からカフェオレにカールア(Kahlua)を入れたのを飲んだ後は紅茶にウィスキーを垂らしたのを飲みつつおせんべいを齧りつつ日本クラブで借りていた本、江国香織の「号泣する準備はできていた」谷村志穂の「フレンズ」を読んだが、読んだ端から忘れていくような内容で結局もはや何も覚えてはいない・・ま、風邪だからこんな軽いのしか読む気になれないが。

ついでに、CDの整理もしようと、かなり昔にBOOK-OFFで買ってほとんど聞いてなかった宇多田ひかるの「First Love」を改めて聞いてみたのだが、あまりに歌が下手くそなんで驚いてしまった。声は悪いわ、声量はないわ、音程は安定してないわ、息継ぎは下手くそだわ、何でこんなのが売れたの?現代の超進んだ編集ミキシング技術を駆使して作ったであろうアルバムの出来栄えがこの程度なの?リビングのいいステレオで聴いているとやたら伴奏のバック音楽が目立って聞こえて歌がごまかされてしまうので、パソコンの横に置いているCDラジカセで再度歌中心に聞いてみたが、息継ぎのその息がやたらうるさくって苦しそうで音程もフラフラしていてやっぱりだめだ。速攻再びBOOK-OFF行き決定だ。こんな歌唱力でちょっと英語が出来るからってアメリカデビューなんてお笑いだ。もちろん、話題にもならなかったようだけど。そういや、最近はとんと彼女の噂は聞かなくなったような・・・。

冷蔵庫の中にあった大根、こんにゃく、がんもでおでんもどきを作り辛子をたっぷり塗って昨日の豚汁の残りといっしょに食べてアスピリンも飲んだら眠くなったので昼寝をする。汗びっしょりで眼が覚めたら午後5時過ぎだった。
明日は少し回復しているといいんだけど。



風邪引いたみたい。

2005年07月19日 | 日記

滅多に風邪をひかない私だが、今回はやばい。だって金曜日からブルゴーニュに行くっていうのに。今朝の天気予報では午後30度以上になって湿度も上昇って言ってたので、ランニングのようなトップを着て会社に行き背中側にある窓を全開にして仕事をしていたのだが、外は灼熱でもこっちでは室内は涼しいし風はよく通るしでびゅうびゅうと背中に風を受けながら座っていたら午後になって鼻水が出だして止まらなくなってしまった。

やば~い!というわけで4時半には早々に退社して外は暑いというのに、長袖のトレーナーにショールを巻いて、蜂蜜レモンに生姜を入れたのを飲みつつアスピリンも飲みつつ、ついでに豚汁まで作り鷹の爪を放り込んだのを2杯食べて汗ダラダラのまるで夏の我慢大会状態の私である。とにかく金曜日までにフィットになってなくてはせっかくのグルメ地帯への旅なのに食べれなかったら元も子もない。そういうわけで、風邪薬は持ってないので寝しなにもう一度アスピリンでも飲んで早くベッドに入ろう。

来週末はブルゴーニュへ

2005年07月18日 | 日記

今日は今月の山歩きの日だったけどパスした。こんな炎天下に山歩きなどしたら顔がシミだらけになりそうだから。来月の登山合宿も実は心配なんだが・・。日焼け止めクリームとファンデを厚塗りするしかないなあ・・。このところ新しいシミが顔に3箇所も出来てしまった。最初はいつも赤く膨れて痛痒いのだが、それがひいてくるとしっかりとシミになっているのだ。ちゃんと日焼け止めを塗っているのにどうしてなんだろう、全く。・・そういうわけなので、本日は山歩きもパスし、近くの森への散歩もパスして一日中家の中に篭っていた。かなりな運動不足の上にせんべいを齧りながら本を読んだりパソコンやったりしていたもんだから、体重関係も心配。

バカンスでフランスの実家に帰省しているMに電話したら、ブルゴーニュ地方もすごく暑いといっていた。今度の週末の3日間を彼の実家があるムルソー村で過ごす予定なのだが、ミュンヘン近郊の知り合い家族もちょうど遊びに来るらしく、こっちから4人、その家族が3人、彼を入れて合計8人になるわけだが、どうやって寝ればよいのか、彼はわけわかんなくなっているようだ。大変そうなら我々はホテルへ移動してもいいし、ま、何とかなるでしょ。今度の金曜日22日はは私の誕生日でもあるし、Mが8人分のディナーを作るといっていた。男性とはいえ彼は料理が得意でいつも食事の用意をしてくれるのだ。楽しみだなあ。彼の知り合い夫婦はイギリス人とロシア人のカップルらしい。で、こっちから行くのは日本人3人とドイツ人1人。う~ん、何だか戦勝国グループの中に敗戦国グループがお邪魔しに行くみたいだわ。Mは、「フランス人、イギリス人、ロシア人、ドイツ人、日本人ですごくインターナショナルなディナーになるね。でも、話す言葉は、ドイツ語になるよ。」と喜んでいた。大丈夫、一緒に行く日本人はこれまで一緒に行っていたワイン友達と違って皆ドイツ語は問題ないもの。そういうわけで、来週末が楽しみ

アホ日本人集団

2005年07月16日 | 日記

本日はちょっと涼しくなって25度くらいというところ。朝からバレエもないしのんびりと日記を書いている。

昨晩は「シニア会」の集まりの日で元静岡大教授というS氏が飛び入り参加をされて総勢8人でいつものように何だかんだとたわいもない話から高尚な話までテーマはころころ変わりつつ食事をしたり飲んだりした後、カラオケに移動した。彼らと行くカラオケはボックスではなく、お姉さんが何人かいるカラオケバーのようなところでカウンター席のほかにボックス席が4つあるところだ。我々のグループは私を除いては当地では知る人ぞ知るといった有名人ばかりの蒼々たるメンバーではあるが、何しろシニア会というくらいだから私以外はド~ンと年がいった60代から70代の連中なので、他のボックスの若者連中から完全に浮いている。しかし、我々の仲間にはやたら若者の歌に詳しいリズム感もすぐれたおじさんがいるので怖いものなしなのだ。

で、昨日は別のボックスにいた異様な集団に我々皆して驚いて眉を顰めてしまったのだった。年の頃は20代から30代前半の男女。格好は超カジュアル。暑い夏の日本の海水浴の後カラオケに来ましたっていう服装。Tシャツに短パンでおまけに裸足の男が約数名。年齢では我々のボックスは浮きまくりであったけど、格好ではその連中は完全に浮いていた。あまりに場違いなので店のお姉さんにどこの連中?と探りを入れたら、ナ~ント ○井物産ですだと!うっそ~!あの商社の連中ってこんなに行儀悪いの?と我々一同唖然だったのだ。中の数人のちんちくりんの男は短パンはいて短い足投げ出して床に座り込んでいる。 ここは渋谷のゲーセン前と違うのだぞ!
彼らが本当に○井物産の社員だとは俄かに信じがたい。いくらなんでもボックスにいた連中はIQも偏差値も低そうなアホヅラだったし。でも、本当にこのアホヅラ連中が日本の一流商社の社員だったら世も末というか、日本の経済繁栄の終焉も時間の問題かも。
一流会社の連中でもワーホリの連中でも日本を出国するときには成田でまず教養試験でもしてアホで礼儀やマナーの悪いやつはふるい落として出国不許可にしてほしいもんだわ。これは外国語が出来るか出来ないかという問題以前の話で、サルは日本から出さないようにしてほしい。



人生いろいろ

2005年07月14日 | 日記


一番若い知人のY子さんからメールがきた。相棒のN氏がプラハに転勤になって寂しいと。そりゃそうでしょう。あんなにいつも一緒にいた気の合う相棒が突然いなくなってしまったんだもの。Y子さんはまだ20代の後半だが、バツイチだ。で彼女が購入したフラットの床の張替えは別れた元夫のドイツ人とN氏が仲良くやってフローリングの床が完成。彼女のお父上は重病でかなり末期に近いらしいが、最後の別れだということでこの夏彼女と一緒に別れた元夫も日本にお見舞いに行くらしい。彼女の元夫にも新しい彼女がいてN氏にももちろん日本には妻子がいるが、今では皆で仲良し・・・ってことはやはりなくってこの関係の中で何も事情を知らないのはN氏の奥方だけでしょう、多分。
私としては、やはり一夫一婦制というのがおかしいのだ!と言いたい。皆で仲良くして素敵な人は1人占めしないで共有すればいい・・と思うけどこれって無理?

夕方街に出たとき、別の知人に遭遇。彼女はすご~い格好いい中年以上初老未満という男性と一緒だった。容貌バッチリ、服のセンスも渋い。これが噂の永遠の愛の対象、骨まで愛している相手か!でも愛しても愛してもかなえられない愛の対象・・だってこの素敵な男性は女性には全く興味のない真性のゲイなのだ。そういうわけで若い頃、「僕は結婚できないのであきらめてくれ。」と言われた彼女は泣く泣く別の男性と結婚したが、結局何年か前に離婚して、今はまたこの叶えられない愛の対象のゲイの男性といつも仲良くいっしょにいるのだけど、そういう彼女は今年66歳。まだまだ彼氏が欲しいお年頃なのだ。自分よりかなり年上の連中と知り合いになるまでわからなかったけど、女性も男性も幾つになっても恋愛心ってあるもんなんだ・・とそのバイタリティに感心したり納得したりの今日この頃です。

早起きは難しい

2005年07月13日 | 日記

早寝早起きのライフスタイルにしようと思い立ったはいいが、それが守られたのは今のところ最初の数日だけで、静かで涼しい朝に読書するという習慣はまだまだ確立していない。朝の読書で読み終えた本はまだたった1冊、村上龍の「共生虫」だけだ。というわけでテーブルの上には読みかけの同時進行中の本が5冊ばかり山積みになったままだ。結局遅寝遅起きが早寝遅起きになっただけで早寝早起きはまだまだ・・。

今朝も6時に目覚ましをセットしておいたのにベッドから起き上がったのは7時過ぎ。8月を除く毎月の第二火曜日にはうちの部の月例会議が9時からあるのだが、私は起きて家を出るまで大体2時間くらい必要なのだ。猫のトイレの掃除と餌やりとちょっとばかしブラッシング、バルコンの植物に水をやり、洗濯したり、お昼の弁当を作ったり、TVでニュースを見ながらしっかりコーヒーも2杯飲んで朝ご飯も食べて、シャワーして化粧して・・と言う具合に。しかし、今日は会議だからランチもついてるし、弁当の準備は必要ないな・・とのんびりしていたら化粧の途中で8時45分になっていた。で、化粧は途中で中止。ファンデと眉だけであせりながらも安全運転で運良く10分で会社に到着。東京じゃ考えられない職住接近生活。 しかし、まともにお化粧しなくって会社に行けるのもドイツならでは。会社じゃまともに化粧している女性の方が希少だ。たいていの子はスッピンなのだもの。彼女らが日本の典型的なOL集団を見たらきっと驚くだろうなあ・・あの厚塗りの化粧に。私もドイツに来てからというものすっかり化粧などに時間をかけなくなった。朝の化粧は大抵5分くらいでおしまいだ。今朝はそれも省略して2分くらいだったかも。う~ん、もしかしたら、このいい加減な化粧のせいでちゃんとカバーしてないから最近シミが増えてきているのか・・それとも単に年のせい?

ぎりぎりセーフで会議室に滑り込み暑い中(エアコンなし)1日中プレゼンを聞いていたので疲れた・・ってわけで、午後6時にはもう帰宅していた。職住接近は楽チン!(しつこいな)しかし、朝ビールを冷やしていくのを忘れたので本日のアペリティフは南仏の労働者の酒パスティスに氷を入れてロックで飲む。パスティスはアニスの香りのする酒でギリシャではウゾ、トルコではラキと名前は変わるがどれも同種のお酒だ。
この庶民の飲み物が私は好きなのだが、日本に帰国したワイン友達は私がアペリティフにキールとかシャンペンとか飲まないでパスティスを頼んだりしたら「労働者の酒だ。」といつも笑っていた。ところで、この夫婦日本に帰国してすでに一月以上経つけどどうしているんでしょう?



ネット三昧の日曜日

2005年07月12日 | 日記
結局昨日の日曜日は外にゴミ捨てに出ただけで、森の散歩もパスして一日中家の中にいた。ゴミ捨てに出たらモワ~と熱風が顔を撫でたので、これは室内に居たほうが涼しくて正解だ・・ということで窓を開け放しブラインドを下げて、一日中ネットである若い女性の日記を読んでいた。これがかなりの感動物で母1人子1人の母子家庭育ちで、現在母親の病院入院・治療費をかせぐために、毎日睡眠3時間ぐらいで本職・バイト・内職しながらがんばっている話、かせいでもかせいでも暮らしは楽にならない毎日の話など・・しかし、かなりの数のHPを運営しているらしくその時間はどうやって遣り繰りしているのかっていうところもあるのだが、多分におもしろおかしく脚色しているにしても中々よく書けている日記で週刊誌に連載されている有名作家のエッセイなんかよりずっと面白くって、それを過去からずっと読んでいたってわけです。で、この女性は俳人でもあって俳句についてもいろいろ解説してくれて・・そんな日本古来の短詩に疎くなっている私にはこんな今時の若い女性が・・・と驚きだった。

で、そういや去年日本書店のオーナーが変わったときに在庫一掃セールをやっててその時に文庫本を1冊1ユーロでまとめ買いした中に鈴木真砂女の「人悲します恋をして」というのがあったな・・とそれを引っ張りだしてきて塩茹でしたソラマメを肴にビールを飲みながら読み始めた。

最初の結婚は人も羨む恋愛結婚。しかし、夫の突然の失踪、姉の死により已む無く義兄と再婚して実家の旅館を継ぐが、30歳で恋に落ちた7歳年下の男性と40年に渡る不倫愛、50歳にして夫を残して出奔、しかし、その愛人は既婚者だった・・と女の王道を行く恋愛・不倫・裏切りすべてを経験した女性の句集。飽きっぽい私にはとても真似が出来ない・・っていうかそこまで男にのめり込めないっていうか、そこまで自分を曝け出せないなあ・・私にはとても・・。

それにしても俳句っていいもんだね・・と今更ながら思い至った次第。しかし、教養のない私には何の知識もないわけで・・・今度帰国したときに歳時記でも買ってくるか・・今は季語を入れない俳句もありらしいけど・・。