ドイツ日記 Les plaisirs et les jours

ドイツに滞在して26年経過。2年後に日本へ本帰国予定。ゴルフを始めて4年半ですが相変わらず下手な初心者ゴルファーです。

新撰組の続編、楽しみ!

2005年05月31日 | テレビ

昨夜寝ようとしたら雷雨となり暑かった4日間が終ってしまった。
本日はで、はっきりしない天気でした。
ラジオではこれを Arbeitswetter、つまり仕事日用の天気と言っておりました。
4日間の連休中が好天だったのでラッキーでした。
明日もこんな感じでしょうか?

数日前だけど、新撰組の続編が製作されると発表がありましたね。また、皆に会えるんだね。
鬼の副長の山本耕史、だまっていればカッコいい斉藤一のオダギリ・ジョー、楽しみだわ!
オダギリさん、ちゃんと発声練習して出演してよね。
 

ピアノの午後・・

2005年05月30日 | 日記
 29日(日)
天気はいいが、昨日までの3日間のような異常な暑さはなく快適。午前中に1時間半森の散歩。

午後2時から知人のH氏宅に彼のピアノの発表会兼飲み会に赴く。彼のピアノを聞くのは初めてだったけど、4歳からピアノを始めたというだけあってなかなか上手でした。第1部では バッハ、ヘンデル、ランゲ、メンデルスゾーン、シューベルト、ベートーベンの曲、第2部ではショパンの曲7曲、アンコールでムーンリバーとか弾いたりして・・彼のパートナーのWが作ったカナペなどを休憩時間につまんだりしながら我々観客はワインを飲みながらピアノ曲を堪能しました。で、ピアノの後、皆で持ち寄った料理で飲み会になったのだが、ぶしつけかも・・と思いつつ初対面のWに「ゲイの人ってひと目見たときにその男がゲイなのかストレートなのかわかるの?」と聞いてしまった。というのも、本日最初に彼が我々女性に誤解のないようにと前置きしてHとは知り合って4年で一緒に住んでいると紹介したし(私は知ってはいたけど)、ミュンヘンのマリエンプラッツの地下鉄駅で偶然出会ったときにHに一目ぼれしたと告白したからだ。ひと目見たときにゲイかどうかってわかるものなのか?とそのとき思ったから。で、Wの答えは「すぐにわかる。すぐピンと感じる。」と言うものだった。へ~え、そんなもんなんだ。因みにWはドイツ人で3人の息子もいる。で、元の奥さんはWがゲイだったこと知っているのか?と聞いたら、それは「Ja」で、彼女も元々レズだったとさ。もう何がなんだか・・。だけど、息子や親兄弟にはちゃんとカミングアウトしてないので彼らが気づいているかどうかはわからないとのこと。WとH2人の話では100%ストレートからバイをはさんで100%ゲイまでその間でいろんな段階の人がいて同じゲイだからといってその段階が違うと相性も合わないらしい。いろいろあるのね。まだ女性に対してその気になったことがない私はちとわからない・・でも100%女が嫌いかというとそんなことないし・・、う~ん、このあたり開拓してみていいかも・・なんちゃって。しかし、性的対象としてなんて・・やっぱり考えられないなあ・・。ま、とりあえず、本日の面通しで私はWに嫌われなかったようなので、来週からH氏と社交ダンスの練習に行くことがOKとなった。社交ダンスは前に一通り習って3年近くやっていたけれどそれ以来やってなかった。H氏のダンスの腕前はどうなんでしょう? あ~あ、それにしても何でこうも知り合う連中はほとんどがゲイなんだ?

オペラ La Wally

2005年05月29日 | バレエ・オペラ・演劇
昨日(28日)は当地で年に一度のJapan Tag (日本デー)のお祭り日で、アルトシュタット(ダウンタウン)の広場では日本関連の催しが開催された。いつもの和太鼓や琴・日本舞踊・柔道・剣道・居合道・空手・沖縄古武道・合気道・盆踊り等等。今年はジャズの「渋さ知らず」が最後に出演するので聞きに行きたかったのだけど、何とこの日のオペラのチケットを買っていたのでコンサートには行けなかった。残念!

で、アルフレード・カタラーニ作曲のオペラ「La Wally」(サブタイトルはアルプス地方のトゥ-ランドット)に行ってきました。オペラ座に入る前にお祭りの舞台のあるアルトシュタット方面を散歩したけど、天気もいい土曜日でものすごい人だかり。最後のイベント日本の花火大会を楽しみにこの日は100万人の人出予想と朝ラジオでも言ってたし。酔っ払いの暴走を食い止めるためか、何台ものパトカーや救急車も周りで待機してるし、全く何事かという感じ。でもオペラ座の中もかなりの人入りだった。お祭りで飲んだくれる連中とはまた違った雰囲気。

このオペラはそんなに知られてないと思うけど、その中で歌われる「ああ、わがふるさと」という歌は知っている人多いんじゃないかな。ジャン・ジャック・べネックス監督の映画「ディーバ」が上映されたのはいつだったっけ?1981年ごろ?その中で郵便配達夫の青年ジュールが虜になったディーバが歌った曲で、その時からこの歌が歌われるオペラを見たいと思っていたら、やあっとラインオペラで今回初公演となったのだ。そう言えばこの「ディーバ」という映画も当時はおしゃれだったなあ・・、出てくる連中がおもしろかった。ゴロディッシュ役のリシャ-ル・ボーランジェもいい味出してたしギャング役の男もよかった・・。ところでオペラのあらすじはワイドショー的三文愛憎ドラマなんですが、親に結婚しろと強要された相手ゲルナーのことをワリーは嫌いで、ワリーの好きなハーゲンバッハはワリーを嫌いで、親の命令に背いたためにワリーは家を出なくてはいけなくなったのだけど、最後にはハーゲンバッハもワリーへの愛に目覚めるが、何と言う不運!ハーゲンバッハは雪崩に巻き込まれて遭難死してしまうという悲恋物語。
「ああ、わがふるさと」は第一幕第一場でいきなり歌われてしまうのだけど、ワリー役のソプラノ歌手(Morenike Fadayomi)なかなか良かった。だけど、出てくる連中は皆アルプス地方の山男や民族衣装を着ているのに、ワリーだけは、最初から最後までまるで映画「ディーバ」の中の彼女が着ていたようなローブを着て衣装直ししてもまた長いローブに毛皮のコートなど着たりして一人だけ何で?という格好であった。

オペラが終ったのが夜10時15分頃。花火大会に間に合いそうなのでライン川方面へ歩いたがあまりの人だかり(ちょうど渋谷駅から西武デパートへ行くときのような)で、歌舞伎町のような飲食街の通りを歩くのも大変だった。何とか広場へ到着。人込みに揉まれながら花火を見る。
ドイツ人は日本の花火大会が大好きで、花火となるとものすごい人出になるんだわ。花火が打ち上げられる度に掛け声かけてそれが花開くとまた大げさに騒いで・・その反応の仕方を聞いているのもおもしろかった。11時半過ぎに帰宅。

またまたブルゴーニュ行きたい病

2005年05月29日 | 日記

昨日も暑かった。熱波襲来3日目でこの辺りは33度くらい。コブレンツでは35度まで気温が上昇したそうな。 でも本日は26度くらいとのこと。やっと熱波も去ったようだ。

昨日の朝ミュンヘン郊外に住むフランス人の友人Mから電話があった。6月、7月と休暇を取って数週間ずつムルソーの実家に帰るので遊びにおいで・・と。4月に亡くなったR氏の遺品、それは主に山のような書籍だったけど、それらをすべて捨てて家の掃除をしたし、ベッドも新しく用意するし・・・とのこと。これからブルゴーニュに遊びに行くときはMの実家に泊まれるのはうれしい。浮いたお金でおいしいものが食べれるな。問題は片道650kmの距離。ひとりで一気に運転するのは疲れるなあ・・。でも行きたい! 何とか7月の中旬以降に数日でも行きたいなあ・・。でも8月には登山合宿旅行もあるし・・。金曜日(27日)1日休暇を取ったので今年の休暇は残りあと29日。上手く配分せねば・・。今年は法事で日本に帰国しなくっちゃいけないし。でもそのうち、夏はムルソーのMの実家で長期休暇ってことも可能だな。やっぱりフランス語真面目に続けよう。

ゴギる・・・

2005年05月28日 | 日記
「ゴギる」とは理不尽な行為を平気で行うことを意味する・・らしいって、こんな新語がもう日本で使われているのだろうか? 中国の呉儀副首相が小泉首相との会談をドタキャンして帰国したことから造語されたそうだけど。小泉が本当は呉儀との会談をしたくなくって、わざと靖国云々発言をし、シナリオ通りに呉儀が怒って帰国したのか、会談するつもりだったのに小泉のうっかり発言に面子をつぶされたと彼女はマジに怒って帰国したのか・・・。もし、前者だったら小泉ってすごい役者だけど。

4月の中国の反日デモ事件以来、いわゆる左系と保守系のメディア記事などをネット上でだけどいろいろ読んでいるが、いや~、これが面白くってついつい熱中してしまい自分のブログ更新も忘れてしまうほど。で、右も左も読みつつ、何がなんだかわからなくなってしまったというのが実感。実にいいかげんな感想だけど、日本はこれからどうしたいのかが、今ひとつよく見えてこないなあ・・。といってもそんなもの簡単にわかるようでは他国に見透かされてしまうのでそれはたやすく公開できないのだ・・ということもあり得るけれど、そうではなくって、日本はこの先どういう人生哲学を持ってそれを実現するためにどういう戦略でやっていくのかというのが外から見ていてわからない・・っていうか、今わかっているのは、このままアメリカ追従の西洋志向の外交を続けますってこと。これでずっと行くの? どんなにがんばっても黄色いバナナなんだし、アジアの一員としてやっていく気はないの? とはいっても共産党独裁の中国やキチガイ北朝鮮があのままじゃどうしようもないしなあ・・。この2国が崩壊して民主化しないとねえ・・。あ、でもその前に日本は安全保障を見直しておかないと・・ってたくさん考えることあるのよねえ。
仮に共産党が崩壊しても政権を取る連中は反日教育で洗脳された若者たちだし、反日はそのまま残ったりして・・。

戦後60年経過してドイツはマルクも捨て、EU憲法も承認し、これからEUの1国としてやっていくと決意しているようだけど、それが可能なのも周りの戦争被害国が大人の対応をしてドイツを許してくれたからよね。それに引き換え日本の周りの国は幼稚なキチガイ3国だもんねえ・・。いつまで経っても、溝は埋まらないなあ。 全く日本ってやっかりな国に囲まれているもんだわねえ。

しかし、ドイツではこれまで政治家があまりにも自虐的に周りの国々に謝ってばかりいるので、そのせいでネオナチが台頭してきているということも言われているのです。それに現在、ユダヤ人の移民先の筆頭はドイツらしい。何しろユダヤ人ということで優遇されているので。これって日本の自虐史に対する「新しい歴史・・・」とか人権擁護法案によって選挙権を獲得しようとしている在日の人たちの傍若無人ぶりを連想させてしまうな。
因みに国籍がドイツ人でない限り何年ドイツに住もうと我々日本人には選挙権はありません。これ当然だと思うけど。 

ドイツにあって日本にないもの その2 「FKK」

2005年05月28日 | ドイツあれこれ

暑いよ~! 熱波はまだ衰えず本日も昼間は33度。本当に極端な気候だわ。冬と真夏の間に限りなく冬に近い春と限りなく冬に近い秋が少々。1日にして気温差は15度くらい。寒いか暑いかの二つだけ・・って、一神教の国だし気候もそれに倣ったのかな?

こう暑くなると、FKK信奉者もいよいよお出ましですねえ。FKKとはFreikörperkulturの略で、英語に直訳するとFree Body Culture となります。つまり一糸纏わぬヌードで日光浴したり休暇を過ごしたりする自然信奉者の文化のことで決して露出趣味とか露出狂などの変態系グループとは関係ありません。前回書いた裸で入る混浴サウナも、この一つだと言えるかも。ドイツの各地にある湖などには FKKの人たちのヌーディストビーチがあるようですが、服や水着を着用している普通の人たちのビーチとはちゃんと分けてあって、ヌーディストと服着用の人たちがゴチャゴチャに日光浴してたり・・ということは普通はないようです。しかし、ミュンヘンのイギリス庭園のヌーディストたちはどうなんでしょ? これは実際見たことがないのでわかりません。・・というか、私にはFKKの趣味はないので、わざわざ彼ら専用のビーチに行ったことがないのですが。

以前ギリシャのナクソス島のハイキングツアーに参加して1週間島を歩き回りましたが、ある時、いつものように、リュック背負って黙々とビーチ沿いに歩いていたら、ヌーディストビーチに突入してしまいました。裸の人の群れの中を服着て歩くのも逆に勇気がいるもんです。古代ギリシャ人ならいざ知らず、現代のギリシャ人がまさか人前で裸になるわけないだろう・・と話し声を聞いてるとドイツ語しゃべってました。ギリシャまで来て裸になっているドイツ人って・・・。本当に裸が好きなドイツ人を実感しました。

熱波襲来

2005年05月27日 | 日記

いつものことながら全く極端な天気だこと。25度から30度という天気予報をはるかに超えて本日(26日)は絶対30度以上はあったわね。テレビによるとアフリカから熱波がスペインを越えてドイツへと吹き付けてきたらしい。いや~昼間の暑かったこと。ランチの後散歩に出ようと思ったが、あまりの暑さに夕方まで家に篭っていて5時過ぎに森へ。それでも歩いていると汗がドッと出てきたし、木立の切れ間の日差しのキツイこと・・。2時間近く森を散歩し帰ってきてパイナップルジュースにウオッカを垂らして飲んでいたのだけど、机に置いたグラスの中に蝿がポトリ・・、もう!飲めないじゃないの!何とかして欲しい、この蝿! ところで、明日も32度くらいになるらしい。

本日の家事:窓ガラス1枚と半分磨いただけ。明日もこの続き。暑くなる前にバルコンに出て外側を磨かないと・・。

骨盤のゆがみ・・・

2005年05月26日 | 日記

今週やっとここも初夏の陽気となってきたようで、これから週末にかけて25度から30度くらいになりそうだ。 で、本日はまたしても聖体節という祭日でお休み。これはこの間の15日が聖霊降臨祭だったが、その後の第一日曜日22日が三位一体祭でその後の木曜日が聖体節ということらしいが、異教徒の私には???で、ま、休日だからうれしい。明日もブリッジ休暇にしたので4日連休で、天気も良さそうだし、これから窓磨きでもするかな・・。

しかし、何ですか、陽気がよくなり窓を開けているとデカイ蝿がいっぱい入ってくる。今の日本の都会の住宅街じゃ蝿なんてあまり見なくなったんじゃないだろうか・・。でもドイツにはいるんだよね。蚊はいなくても蝿はわんさか。自然が多いのと、犬の糞も多いのと・・・それに我が家には猫の餌やトイレがあるのでその匂いを嗅ぎ付けて寄ってくるのかも。本日もすでに4匹殺し、まだ1匹が目の前の窓にへばりついている状況。まだゴキブリや蚊がいないだけマシかも。

さて、骨盤のゆがみですが、最近右側の腰が痛くなり、それもバレエをした後に痛くなるので昨日レッスン時に鏡で改めて確認しましたが、相変わらず私の腰はゆがんでいる!左の腰の方が右より高い。すべての元凶はコレだァ!若い頃からゆがんでいるのはわかっていたし、運動しつつすこしずつ矯正していたがなかなかちゃんとはならないもんですね。今度日本に行ったら整体かカイロに行って矯正してもらいたいもんだわ。どこかいいところないかしらん。
とりあえず、窓磨きのあとは矯正体操をして、森へ散歩に行きましょう。ウォーキングは腰にも大事ですし。

ところで、昨夜イスタンブールで行われた欧州チャンピオンズリーグの決勝戦だけど、前半3対0でACミラノが勝っていたのに、後半でFCリバプールに3対3の同点にされ延長PK戦で結局リバプールが優勝してしまった。ミラノに優勝させたかったなあ・・って単に私はイギリスが嫌いなもんで。あ~あ、嫌い嫌いイギリス大嫌い。中東をボロボロにしてしまった3枚舌外交の責任を取れ~!


筋肉痛・・・

2005年05月24日 | 日記
22日(日)は「山の会」の5月定例山歩きの日で、ボン郊外のSiebengebirge(7連山)を歩いた。7連山という名前だけど、実際には小高い山が40くらい連なっているらしい。今回はそのうちの3つの山を登ったり下ったりしながら制覇・・というほどのものではないか。場所はボン郊外のライン川の右側でライン川とアウトバーンA3に挟まれた自然保護地区で、まず麓の駅からPetersberg(331m) の頂上まで歩く。この頂上にはアフガニスタン会議の会場となったり、天皇皇后両陛下も宿泊された高級ホテルがあったりする。その昔ボンが西ドイツの首都だった時代には政治家などによく利用された場所である。ここから下って再び尾根づたいに上って Oelberg(461m)に到着したところで、ランチ。動いた後は食欲旺盛であっという間におにぎり3個とゆで卵1個をぺロリ。ここから再び下りまた尾根伝いに歩き、最終目的地のDrachenfels(竜の岩、321m)へ。下の左に見えるのがDrachenfels の山。

頂上から見たライン川沿いの景色

ライン川の中州


Drachenfelsの頂上に到着したのはちょうど午後3時頃。山頂レストランで飲んだビールがおいしかった!それから熱いサクランボソースとクリームのかかったワッフル。ビールにワッフルとは変な組み合わせだけど、どっちも疲れた後には身体に沁みるおいしさだった。走行距離はちょうど15kmでした。 電車でトロトロと帰路につき、午後6時過ぎから日本に帰国するメンバー3人の送別会で、またまた韓国料理屋へ。

あんなに歩いたのに今朝の体重は前日より増加!!何で?ビールとワッフルと焼肉のせい? おまけにすごい筋肉痛だけど、本日も夕方家近くの森を1時間散歩した。この数週間で森はすべて新緑になりとっても気持ちいい。

忙しかった1週間

2005年05月21日 | 日記
仕事じゃなくてアフターファイブが忙しい1週間であった。

17日(火)は 飲み仲間だった夫婦が来週日本へ帰国するので夜7時から3人でまず送別会の1次会。スペイン料理タパスバーでイワシのフライや烏賊のグリルなどをつまみにワイン2本空けてお腹がいっぱいになったところで8時半からひと仕事。南ドイツに住むワイン商のフランス人の友人Mからシガークラブに卸してあるワインの救助を依頼されていたので、そのワインを引き取りにシガークラブへ。事情はよくわからないのだが、どうも卸したワインなどの支払いが滞っているので売れ残っているワインを引き取ってきてほしいとのことで、3人で押しかけリストと照合しながら取り合えず49本のワインやシャンペンを救助したが7本不足・・・飲まれてしまったか・・。 その後、いつもの日本食レストランに絵の先生も合流し、2次会。ワイン1本と吟醸酒花神・・おいしいけど匂いが臭くって好みじゃなかった・・。


18日(水)バレエのレッスン、帰宅してカレーを仕込む。

19日(木)スーパーで買い物。 7時過ぎに絵の先生に来てもらい、車からやっと49本のワインやシャンペンを降ろして、地下室に運ぶ。このワイン、シガークラブでもちょっといい加減な保存の仕方だったと思うし、引き取って2日も車の中で揺られて暖められて・・・もうかなりだめになっているような・・・予感が。友人からはワイン救助のお礼で1本空けて飲んでいいよと言われているので一番好みでいいのを今度空けてみようっと。その後絵の先生とビールやワインなどを飲みながら旬のアスパラガスに昨日から仕込んであったカレーで食事をしながら、中国・韓国関連の話題で盛り上がる。ところで、「絵の先生」というのは1972年生まれで、東京芸大の修士を出てドイツの奨学金でここの美大に留学してきているのだが、その奨学金も切れて今は絵を教えたりして生活している一応今でも学生の身分の人。なーんと、1972年生まれ。世間ではもう中年初期?かもしれないけど、私にとってはまだ若者の部類、早い時にできた子供といってもいいかも。しかし、彼が一番話が出来るのだ。とにかく、年に似合わず何でもよく知っている。我々の世代が知っているようなことも。でも、アーティストとしては・・う~ん、もう終ってるかも。言ってみれば日本で問題になっているフリーターとかニートと言われる部類の人なのかな・・・。これからどうするのかちょっと心配してしまうのだが、私にはどうすることもできないね。

20日(金)6時半から今月のシニア会の集まりで、今月の当番の人の「日独比較文化論」のプレゼンの後食事をして、有志でカラオケへ移動。飲み仲間の夫婦も日本帰国を控えて最後のカラオケということで特別参加して2時間楽しんで この日のうちに帰宅。
というわけで、毎日忙しかった1週間でした。




ドイツにあって日本にないもの その1 「裸ははずかしくない」

2005年05月17日 | ドイツあれこれ
ドイツ人って子供の頃家庭でどういうふうに教育受けたんだろう・・!と21年前にこちらに住み始めてまず驚いたことは、彼らが異性の前で裸になったり下着のままでいることに何の羞恥心も持ってないことだった。

当時大学のだったか市民学校のだったかもう忘れてしまったけれど夜のスキー体操クラスを受講していたのだが、その更衣室が男女兼用で男子も女子も同じ部屋で真っ裸になって着替えているのに日本から来たばかりの私はであった。女子も平気でブラを取っておっぱい丸出しだし、男子もパンツ脱いでいるやつもいる。何てこったあ~!しかし、皆当たり前のように平気な顔して着替えている。これがドイツじゃ普通なのか?

その頃の知り合いで郊外に山小屋のような別荘を持っているのがいて彼は地下に自分で作ったサウナを持っていた。週末になると彼の別荘に数人で泊まりで押しかけて食事やハイキングをしたものだが、もちろん仲良くサウナにも入ったものだった。男も女ももちろん裸で和気藹々と。サウナ内でおしゃべりし、休憩時にはワインを飲んだり・・こ、これってドイツじゃ普通なのか?とまた驚き!

スキー旅行に行ったときも、初対面の男女が下着一枚でうろうろしていても皆平気な顔している・・う~ん、何で? きっとドイツ人って「裸を人前に晒すってことは恥ずかしいことだ」という教育を受けてないんだ・・と思い至った次第。

そういうわけでドイツのサウナはたいてい混浴だ。サウナによっては混浴日の他に女性の日とか男性の日と分けてあるところもあるようだけど、私が行っているフィットネスクラブのサウナはどれも混浴。以前に女性専用のサウナ室があったのだが、人気がなくって、つまりたいていの女性も混浴サウナの方に行ってしまうので女性専用サウナは潰されてしまった(笑)。老いも若きも男も女も素っ裸で和気藹々である。最初は私も戸惑ったけれど、今じゃすっかり慣れきってしまい平気なもんだ。そういえば昔の日本の銭湯って混浴じゃなかったっけ?今でもどこかの田舎の温泉とかに混浴風呂ってあるのかしら? ドイツの混浴サウナにすっかり慣れた私であるが、唯一いやなのは顔見知りの日本人男性とばったり会ったりすることだ・・。これはさすがにちょっと・・心の中でぎゃ~と叫んでみたりしつつ目を反らして素知らぬ振りをするばかり

また祭日が減るかも・・・?

2005年05月16日 | ニュース・トピック


本日は聖霊降臨祭後の第一月曜日で国の祭日であるのだが、ドイツの企業家団体(日本の経団連のようなもの?)から、この日を祭日とするのはやめようという提案が出されている。それでなくても祭日、特にカトリック系の祭日が多すぎるし、有給休暇も多すぎる、この景気の悪いご時勢に労働者は休んでばかりで全くとんでもない・・というのが企業家の提案理由のようですね。それに今年から隣の国フランスでは本日は国の祭日からはずされてしまい、働かなくてはならない日になったのでドイツもそれに倣えと言いたいらしい。

しかし、祭日が多いといっても、日本のように異常に多くはないでしょう・・・と私が住む州の祭日を数えてみたら、今年は11日あるけれど、そのうちの3日は週末と重なっているし、日本のように振り替え休日などないので、実質8日しかないじゃないの。日本は最近やたらと無意味な祭日を増やしているので絶対ドイツより多いとみたけど・・違うかな?日本に最近できた新しい祭日は把握できてないのでわからないなあ。

数年前、11月の中旬にあった贖罪祈祷日(新教の祭日)が、確か今回のフランスと同様の理由だったと思うけど介護保険の導入とともにそのファイナンシングのために祭日から労働日に変わって祭日が1日減らされた。それでもまだドイツの労働者は恵まれている。日本から見ると天国のようだ・・って大げさかな。
何しろ、労働一年目から有給休暇は年間30日。しかも、日本と違って病気のときは別に病気休暇があるのだ。それも病気で休む場合3日までの休みだったら医者の証明も必要なし。風邪などで医者に行くと1週間の病気休暇の証明を出してくれるので多くのドイツ人は3日どころかしっかりと1週間休む。で、年間何度か風邪を引くとしてその都度1週間ずつ休む者もたくさんいるのだ。やっぱり天国だわ・・。もちろん30日の有給休暇も捨てるようなことはせず、しっかりと取るのだから。

転職して6月からアメリカで働くことになった後輩によると彼女の労働契約では入社1年目の有給休暇は6日だけ。2年目は5日増えて11日となり、その後1年ごとに1日増えて10年目で20日となりそこで終わり。つまり最長20日の有給休暇らしい。確か日本もそんなもんじゃなかったかしら?な~るほど、戦後労働システムもアメリカに倣ったのね。日本の場合、男性の多くはその少ない有給休暇も満足に取らないで捨てているんじゃないだろうか・・。

1分の遅れも許さない満員電車に詰め込まれ有給休暇も満足に取らずに働き続ける・・・ゆとり教育の前に、ゆとりある社会システムを考えるべきじゃないの? 




送別会

2005年05月16日 | 日記

5月も半ばだというのに、まだ4月のように安定しない天候が続いているし、気温も低目。
本日15日は、聖霊降臨祭(イースター後の第7日曜日)で明日は聖霊降臨祭後の第1月曜日で祭日でお休み。つまり3日連休なのだ。

転職してNYに行ってしまう後輩と9日にインドレストランで食事をしたが、昨日は我が家で送別会第2弾の飲み会を開いた。といっても彼女と絵の先生との3人だけのささやかな飲み会でしたが。
4年前に一緒にブルゴーニュに行ったときに買った赤ワインをまだ持っていたらしく、それを持参してきてくれたので私は白を用意。
白は、Meursault ムルソー Les Millerans 2002年 生産者は De Sousa-Bouley やっぱりこの間飲んだアルザスで買ったリースリングより好み。ムルソーのシャドネーは特別だ。こんな普段飲みのワインでもおいしい。
赤は久しぶりに飲む Philippe Leclerc の Gevrey Chambertin ジュヴリ・シャンベルタンで畑はPremier Cru の Les Cazetiers 1997年。普段飲むには値段が少々高めなので最近は滅多に飲んでないなあここのワインは・・・。私もまだ数本地下室にキープしたまま。

最後に飲んだのはスペインのワイン。グラン・レゼルヴァというわりにはおいしくなかった。ま、スーパーで買ったワインだし。こんなものかも。やはりルクレールのワインのほうが数段おいしかった。


さっそく今年のクリスマス休暇には後輩を訪ねてNYに行くことに決まり。大晦日はタイムズ・スクエアでカウントダウンってことになるかな? 実現するといいのだけど、冬のNYは寒そうだな・・。

アルザス旅行 4

2005年05月15日 | ゴルフ & 旅行
コルマールにはイーゼンハイムの祭壇画、プティット・ヴニーズの木組みの家のほかにもう一つ観光スポットがありまして、それは何かと言いますとフレデリック・バルトルディ(1834-1904)という彫刻家の生家で現在は美術館となっている建物です。このバルトルディという人はフランスがアメリカに贈ったあの「自由の女神」像を作った彫刻家なんですね。でも私達は自由の女神よりもバーゲンあさりに忙しく、美術館はパス。

さて、4月19日(火)の朝コルマールのホテルをチェックアウトした後私達が向かったのはアルザスワイン街道。最初の目的地は、テレビの「世界ウルルン滞在記」で放送したアルザスのジャムの妖精の住んでいる村。

運良く妖精さんご在宅で、我々にジャムを作っている現場を見学させてくれまして最後に皆で一緒に記念撮影。 お土産にジャムを各人に一瓶ずついただきまして感激!
購入したジャムは、
     グリーントマトとオレンジ
     アルザスのマルメロの実(ノストラダムスのレシピによる)
     ブルーベリーとラズベリーの2層になっているもの
     それとお土産にいただいたのはオレンジのジャム
妖精さんのジャムはどれもスーパー等で普通に売られているジャムとは一味違うもの(それでも日本のア○○タのジャムなどよりはるかにジャムらしくおいしいけれど)。とっても自然な手作りジャムで香りがすばらしい。200gの瓶が5.25ユーロと少々お高いがそれだけの価値はありそう。
ウルルンで放送されたからか、私達のようなミーハー日本人観光客がシーズンになると毎日のように訪れるそうな。日本を始め世界中に輸出されてもいるようだから、妖精さんは、あの小さな村のジャム長者なんだろうな・・・きっと。そう言えば、3人の日本人の若者がワーホリでジャム作りの修行をしてました。

その次に向かったのはカイゼルスベルグ(Kaysersberg)ここも木組みの家並みがとっても美しい村でした。ここは子供の頃に教科書か伝記物で読んだことのある有名なアルベルト・シュヴァイツァー博士(1875-1965)の生まれ故郷。博士の生家はシュスヴァイツァー文化センターとなって彼にゆかりの物が展示されてます。


アルザス旅行 3

2005年05月13日 | ゴルフ & 旅行
この間の旅行の写真などをUPしようと思っているのにちっともはかどらない旅行記です。

というわけで前回の続きで、4月18日(月)は美術館の後はコルマールの観光で、プティット・ヴニーズ(Petite Venise),つまり小ヴェニスと言われている運河沿いに木組みのかわいらしい家が建ち並ぶ一角へ。



この木組みの家並みはドイツの田舎町にもたくさんあるけど、アルザスもドイツの影響を受けているからなのでしょうか?それとも、単にヨーロッパの田舎に多いのか・・。


ランチは タルト・フランベ(Tarte Flambée)要するにドイツで言うところのパンクーヘンであったが、これにはやっぱりビールですね。

朝から観光もそこそこに、ブティック廻りやスーパーモノプリ(Monoprix)でみやげ物などの買い物に時間を費やし、夜はスペインスナックバーでタパスにアルザスワインで軽い夕食。ホテルでマカロンなどをつまみ、就寝。

ブティックのショーウインドウに飾ってあった人形たち。