ドイツ日記 Les plaisirs et les jours

ドイツに滞在して26年経過。2年後に日本へ本帰国予定。ゴルフを始めて4年半ですが相変わらず下手な初心者ゴルファーです。

2009年のゴルフ

2009年12月30日 | ゴルフ & 旅行
12月26日に6Iとドライバーだけを持って行って今年最後の打ちっぱ練習をしました。

その後毎日雨が降り続いていて全く冴えない天気が続いています。

さて、今年のゴルフラウンドはどのくらいだったのか・・・。

自分のホームコースでは、51ラウンド+17ハーフラウンドで、2008年のラウンド回数を遥かに上回ってました。
ま、仕事しなくなったので平日にラウンドできるようになりましたから、当然回数は増えてしまいました。

それから、他のゴルフ場では、

近くの競馬場にある Grafenbergゴルフ場で、1ラウンド+1ハーフラウンド
同じくMuellheimの競馬場内ゴルフ場で1ラウンド+2ハーフラウンド

ライン河向こうの Birkhofゴルフ場で、5ラウンド
その隣のBirkenbuschゴルフ場で1ラウンド
ベルギーはSpaのRoyal GC des Fagnesで2ラウンド
オランダのHerkenbosch GCで1ラウンド
オランダとの国境近くの英軍基地内 Westrhine GCで1ラウンド
Muenster(ミュンスター)のGC Tinnenで1ラウンド、GC Westerwinkelで1ラウンド

結構ラウンドしましたが、腕のほうはさっぱりですわ。

来年も腰と肩をしっかり回して手打ちとオーバースウィングを撲滅するように努力いたします。

それでは皆さんよいお年をお迎えください。

Guten Rutsch ins neue Jahr!






ささやかなクリスマス

2009年12月26日 | 日記


今年のプレゼントはバーバリーのマフラーでした。


11月にあった聖マルティン鵞鳥トーナメントでゲットした肥育鳥2羽のうち1羽を丸焼きにしてみました。1600グラムもある大きな鳥で1日では食べきれずに2日目の昨日は鳥チャーハンの具に。

あと1羽はどうするか・・・丸焼きには飽きたので多分解体して鶏の水炊きにでもしようと思います。

さて、20日に降った大雪も寒波も去ってくれて雪もすっかり解けてなくなってしまいました。

が、昨日まではまだ昼間も3度から4度くらいだったので軽い散歩以外は家に篭って日本の友人が送ってくれたDVDを見続けています。

「BOSS」と「官僚たちの夏」と見続けて・・そのほかいろいろあります。当分家でゴロゴロ。

でも本日の気温は6度から7度になるそうなので、近くの練習場で打ちっぱでもするか・・どうするか・・。




そうだ、ベルリンへ行こう! No. 4

2009年12月20日 | ゴルフ & 旅行


勝利の塔

ホロコースト記念碑


12日(土)はベルリンの壁博物館、ユダヤ博物館、同性愛博物館と博物館を3軒はしごした後、ポツダム広場で開催されていたダリ展を見に行き、さすがに疲れて最後にはやや気分が悪くなりました。ダリ展には油絵は1点だけで、後はデッサンやリトグラフだけでしたが、その数がまた膨大で全部みるだけでもうヘロヘロに疲れました。

翌日の13日(日)はペルガモン博物館だけで、あとはクリスマス市を再びブラブラして終わり。このペルガモン博物館がまたまた巨大で見るだけでドッと疲れてしまいましたが、念願の博物館に行けて幸せ。

もう何年前のことだったか忘れましたが、15年くらい前にトルコ旅行に行ったときに小アジア半島のペルガモンにも行きましたが、あるのは原っぱだけで遺跡は全部ドイツの博物館に行ってしまってました。それ以来東ベルリンの博物館に行きたかったんだけど、やっとその機会が来たというわけです。

ベルリンには多くの博物館や美術館があり、一度の週末だけではとてもそれらすべてを訪ねるわけには行きません。また行きたいですわ。


寒波到来!

2009年12月20日 | ドイツあれこれ
だけど寒いです。夜のうちに降った雪が凍っています。

朝のラジオでは冷夏13度と言ってましたが、午前11時頃日本食の買い物に出ましたが、車は冷夏11度を示しておりました。

新しいゴルフ番組のDVDが入荷してないかと楽しみにしてましたが、まだ来てませんでした。がっくり。

寒いので、餅や手巻き寿司用の刺身などを買ってさっさと帰宅。

午後3時ごろなのに、天気雨ならぬ天気雪が舞ってました。

午後7時半からは、バレエを観に出かけます。寒いので家に篭っていたいけど・・。

夜は零下11度からもっと下がるのかしらん・・

早く寒波が過ぎるのを待ってます・・・ゴルフの練習どころではありませんわ。

日本でゴルフができる方々はうらやましいわア。

体脂肪が・・・

2009年12月18日 | 日記
大変なことになってます。

先週末あたりからこの当たりにも寒波がやって来ていて昨日はついに初雪を見ました。朝起きたら薄っすらと雪が積もってます。降ったのは夜のうちだったのか、朝には降り止んでいて地面の雪も午後には解けて無くなってしまいましたけど。

テレビのニュースによると昨日はパリもマドリッドも雪だったようです。

こう寒いと用事があるとき以外は家の中に引きこもっているせいか、体重はピークとそのマイナス2kgの間を行ったり来たり。で、体脂肪率の方ははウナギ登りの勢いで増えてます。あ~~、ヤバイったりゃありゃあしない!
もしかしてうちの体脂肪計壊れてる?
そうであって欲しいというような数字を本日目にしました。まさにガ~~ンでございます。

食べてじっと動かないんだからこうなるのも当たり前か・・。昨日は朝用事があって外出しましたが、車の示す気温はマイナス0.5度でした。今日はもしかしてもっと寒いかも?この寒い中ウォーキングに行く?どうする?
少しくらいウォーキングしても焼け石に水なんだけどね・・。意を決して出かけるか・・。外の空気を吸ってくるか・・・。


そうだ!ベルリンへ行こう No.3 ~ 1984年の東ベルリン

2009年12月17日 | ゴルフ & 旅行
善き人のためのソナタ スタンダード・エディション [DVD]

アルバトロス

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ベルリンの変わり様に対する興奮から覚めずに・・・1984年の東ベルリンはこんなにきれいじゃなかった・・ひどかった・・・と25年前のベルリンを思いだそうとしても、記憶はだんだん曖昧になっています。

そうだ、あの映画のDVDがあったっけ・・・と昨晩は久しぶりに「Das Leben der anderen 善き人のためのソナタ」を見ました。

映画の舞台となっている東ベルリンは1984年・・ちょうど私が東ベルリンに行った年の出来事です。フィクションとはいえ、おそらくあの当時国家保安秘密警察(ドイツでは略してStasi(シュタージと言われてます。)は反体制的と思われる危険分子を実際にも盗聴・監視していたんでしょうねえ・・恐ろしや!

ドイツでは最近になってもブランデンブルク州の左派党議員26人のうち7人が旧東ドイツの秘密警察シュタージの関係者であったことが明らかになり大問題になっています。

映画の主人公のシュタージは劇作家とその彼女で女優の二人を監視することから少しずつ変化していきます。ゴリゴリのシュタージの役人が最後は自分の左遷・失墜もものともせずこの二人を守ろうとします。そして・・・4年と7ヶ月後に壁が崩壊して・・・。う~~ん、いい映画です。

ところで、クリスマス市を見物してブランデンブルグ門まで散歩していましたら、一際大きな建物発見。やっぱりね・・と言いますか、ロシア大使館でしたわ。
他の大使館は・・というか、西側諸国の大使館は旧西ベルリン側の公園の横の大使館地区にまとまっているようですが、さすがソ連・・じゃなかった今のロシアはブランデンブルグ門のすぐそばの一等地にあるもんねえ。



ロシア大使館


で、それを過ぎてベルリン一の高級ホテルと言われているホテル・アドロンの前に来たら、大勢の人だかりが・・。道路にはイタリアの旗をつけた高級大型メルツェデスが止まってます。連中に誰を待ってるのかと聞いたら、イタリアのベルルスコー二首相がホテルから出てくるのだというので、「え~~、あのエロじじいがここに居るのか。じゃ、私も出てくるの待ってよ。」としばし待てど誰も来ないし・・・寒いし・・もう行こうかなと思ってたら、見知らぬイタリア人を送ってFDPの党首で現外務大臣のGuido Westerwelleが登場。



ドイツの外務大臣でFDPの党首であるGuido Westerwelle

ブランデンブルグ門脇の大きなクリスマス・ツリー


外務大臣が見送りするくらいだからイタリアの要人だったのでしょうが、全く知らない人でしたわ。ベルルスコーニはこのときは多分イタリア国内にいたんじゃないでしょうか。この2日後の13日だったか、ローマで頭のおかしいやつに襲われて鼻の骨と歯を2本ばかりへし折られてしまいました。

ブランデンブルグ門を見物して、さてこれらどうしようかな・・とブラブラしていたら、観光バスのお兄さんに勧誘されて2人で15ユーロと普段の半額に大まけてくれたので観光バスでベルリン2時間ツアーを楽しみました。

そうだ、ベルリンへ行こう! No.2

2009年12月16日 | ゴルフ & 旅行
11日の朝6時53分発のICEに乗ってベルリンに到着したのは午前11時過ぎ。中央駅からS-Bahn(電車)と地下鉄を乗り継いでホテルまで行き、チェックインの後、さっそく観光へ出発。

今回のホテルは旧東ベルリン側で、現在のショッピングの中心フリードリッヒ通りからもすぐのライプツィガー通りという便利な場所にありました。ブランデンブルグ門方面へブラブラ歩いていると昔泊まったヒルトンHを発見・・・ということは、その前にあるのは14年前はまだ建造途中だったドイツ大聖堂・・・天井のドームも完成して見事な姿に・・・!!う~~ん、きれいになったもんだ。立派になったもんだ。何しろ昔の瓦礫の山のような建設現場ばかりの記憶からあまりにかけ離れたベルリンの姿にもう驚きの連続でした。



ドイツ大聖堂


で、ドイツ大聖堂のある広場がジャンダルメンマルクト(Gendarmenmarkt)で、大きなクリスマスマーケットがあったのでさっそくそこで、グリューワインとカリーヴルスト(カレーソーセージ)でランチです。



本場のカレーソーセージと寒い日にはとってもおいしい熱いワイン


広いベルリンには各地区にクリスマスマーケットが立ってますが、このジャンダルメンマルクトのクリスマスは中に入るには一人1ユーロの入場料を取られます。初日は1ユーロも払えるか!なんて言って入りませんでしたg、最後の日に入場料払って中に入ってみましたが、他のクリスマス市と大して違いもなく、なんだったの?って感じでございましたわ。


クリスマスツリー脇の小屋で販売していたバウムクーヘンはとってもおいしかった。お勧めでございます。


途中の寄り道が多くって目指したブランデンブルグ門になかなか到着しません。

それにしても、ベルリンというのは、旧東ベルリン側が戦前からの中心地だったのですね・・・シミジミ・・。政治・文化・外交関連の建物は全部旧東ベルリン側にあったのだわ。ドイツが戦争に負けずに・・壁も出来ていなかったら今頃はもっともっと繁栄した大都市になっていたのかも・・。

そうだ、ベルリンへ行こう No.1

2009年12月15日 | ゴルフ & 旅行
ゴルフシーズンが終わってとっても暇。

練習にだけでも行きたいけれどこう寒いとその気も失せてしまいます。あ~あ、すごく下手になっているでしょうね・・。クリスマスが終わったら少しだけでも練習したいけど・・それも天気と気温次第です。

そういうわけで、家でゴロゴロしているのも何なので、久しぶりにベルリンへ行ってみました。このところ、都市観光はもはや興味ないので、なかなか思い立たないんだけど・・・(この間のハンブルグ旅行もほとんど何も見てないし)・・・でもベルリンも壁が落ちて20年経過したしね・・この眼で変化を見てみたいというのもあるので、行ってきました14年ぶりのベルリン。

初めてベルリンに行ったのは、1984年8月。壁が崩壊する5年前。

当時留学していた大学のサマースクールのバスでの修学旅行で旧東ドイツを突っ切って旧西ベルリンに行きました。友人たちと電車に乗って旧東ベルリンにも行きました。関所で旧東ドイツの通過に両替させられて恐る恐る東ベルリンに足を入れましたが、ブランデンブルグ門からテレビ塔のほうへ続く大通りのUnter den Lindenは閑散としていてあちこちに見張りのような兵士がいたりして、何かドジなことやったらしょっ引かれるんじゃないかと冷や冷やもんでしたわ。建物もとにかく醜悪この上ないデザインのものばかりで・・おもしろいものがあるでなし・・・せっかく来たからランチでもしようとレストランに行きましたが、そこも至るところに見張りのような兵士が座っていたりして全く落ち着かずに、関所を通過して電車で旧西ベルリンの駅に到着したときには全身の力が抜けたようにホッとしました。

で、2回目に行ったのは、壁が落ちて6年目の1995年。

このときは旧東ベルリン側に新しく出来ていたヒルトンに宿泊。しかし、ホテルの周りはもちろんのこと、旧東ベルリンの至るところは建設現場となっており、開発が終わってきれいになるまでにはまだまだ当分時間がかかるような状態だったのであと10年くらしたら来て見よう・・・と思ってましたが、なかなか行けずにあれかあ14年経ってしまい今回やっと3回目の訪問となりました。



今回はICEで旅行。シャッターが遅くて間に合わずにICEの鼻が切れてしまった。


ブランデンブルグ門


壁を越えようとして失敗し、命を落とした人たち




壁が崩壊して20年。ベルリンは本当に変わってしまいました。きれいになりました。醜悪だった旧東ベルリンに存在していた建物は皆壊されて斬新なデザインの建物もたくさん。ブランデンブルグ門から東に延びるUnter den Lindenの通り沿いには新しい建物も建ち、昔からある博物館や美術館も改築・化粧直しをされてきれいに蘇ってます。本当に感慨深いものがありますわ。

何だか、ぐれた放蕩息子が何年ものすさんだ生活から改心して真面目に金を稼いで立派に出世したみたいな・・。

ま、旧東ベルリンがここまできれいに蘇ったのも、西側の税金をこれでもかというぐらいに注ぎ込んだからですが。それにしてもあの共産主義国家体制とか冷戦とか・・今となっては全く何だったのか・・マルクスもレーニンも冗談きつすぎるよ・・と。

ベルリンの壁を越えようとして最後に命を落とした人は、1989年3月亡くなってます。あとちょっと、あと数ヶ月我慢していれば、壁の上に上がって万歳してシャンペンが飲めたのに・・。




女子ゴルフ部クリスマスディナー

2009年12月14日 | ゴルフ & 旅行


鴨の燻製肉入り赤レンズ豆のクリームスープ

お肉もやわらか~

デザートもウマ~~


・・というわけで、12月10日(木)の夜はホームコースの女子ゴルファーだけのクリスマスディナーでした。いつもながら、このディナーに出席するのは女子ゴルファーの一部で40人前後。残りは仕事などの関係で欠席です。グループレッスンも休みに入ったし、クリスマスディナーも終わったしで、ゴルフも当分冬眠です。外の気温はこのところ日中でも2度くらいだったりして、とてもゴルフなんてする気になりませんわ。

Damengolfの副隊長が、11月から病気で闘病中です。昨日まで元気だった人が病に倒れたりして・・・本当に先のことはわかりません。

私もこのところの食べ過ぎで胃の調子がよくありません。節制しなくては。

グループレッスン打ち上げ

2009年12月10日 | ゴルフ & 旅行




昨日は、グループレッスンの今年最後の日。

10時からのレッスンに集まったのは4人だけ。いつものようにドライビング・レンジで打ちっぱ練習して、後半はラウンドレッスンだったけど、地面がもうグチャグチャの田んぼ状態で、打ってもグチャグチャの泥が飛び散るだけでボールは飛ばずに全く練習にならないので10番を打ち下ろして18番を打ち上がって2ホールだけで終わり。

最後の日なので、デブのGaryは、奥さんのBarbaraが用意したGluehwein(ワインのお燗したもの)やクリスマスクッキーなどを持参。

打ちっぱの間にも熱いワインを飲みながらホロ酔い気分で練習。ティーショットの前にもワインをグビっとやってから。ちょっとアルコールが入っているほうが力みが取れていいかも・・・なんちゃって。

昨日もティーショットの後は6番アイアンのみでラウンドしましたが、オーバースウィングしないようにフラットに振らなくては・・と心がけていても先生が見てないとついついこれまでの癖が出てしまう。

レッスンのあとは、Barbaraお手製のクリスマスクッキーとケーキのクリストシュトレン(Christstollen)をパクつきながらコーヒーを飲む。

これで今年のグループレッスンも終わりました。来年は1月20日からレッスン開始です。その間、近くの練習場で少しだけでも練習するつもり。
来年は、今年より少しでも上手くなりたい。HCPも改善したいなあ・・。

異国の日本女性に対するイメージとは・・

2009年12月08日 | 読書
靴だけでなく、本やCDなども少しずつ整理を始めています。何しろ多いので時間がかかりそうですし。

というわけで、以前に本屋の閉店セールで1ユーロで購入した文庫本を昨日読んでいましたら、とっても気になる一節に出くわしました。

本は干刈あがたという女性作家の

「借りたハンカチ  物は物にして物にあらず物語」1989年

その中の「鍬とロザリオと毛糸」という短編の中のフレーズ・・

・・・日本人の女で、男を転々としながら齢をとり、日本を軽蔑しながら実際にはもう日本に戻ることもできず、生気がなくなってしまっているような女が、パリには何人もいた。そんなふうにはなりたくなかった。・・・

う~~ん、どうですか?このイメージ。華やかな都パリにひっそりと暮らす流転の人生を生きる不幸な日本人女性という対比のイメージ。通俗的・ステレオタイプ的見方・・・むかつきません?いや、そういう生き方している人もいるかもしれないけどさ。

・・・男を転々としながら齢をとり・・・

今時、男に依存しながらのシンデレラ症候群みたいな日本女性が異国の地にいるんだろうか・・?そりゃ、長い人生いろんな人と知り合ったり別れたりということはあるかもしれません。でもそれを「転々としながら・・」なんていうのは失礼じゃない? ちなみに私の周りにいる大部分の女性はほとんど修道女のように真面目な生活をしながら、ちゃんと普通に仕事して地味に暮らしておりますが。


・・・日本を軽蔑しながら実際にはもう日本に戻ることも出来ず・・・

日本を軽蔑って・・・、軽蔑はしないけど、自ら日本を脱出してきた人はやはり日本に不満を持っている人が多いと思いますよ。外から客観的に眺めるとここが変だよってところはいっぱいありますからね。

私にとって日本の何が嫌か?

東京の満員家畜電車に文句も言わずに乗っているサラリーマン連中。
貧弱で狭い住居
緑の少ない都会
電線・電信柱・布団や洗濯物がはためいている醜悪な街の風景
住宅街の狭い道路
ガキ文化中心
労働環境の悪さ(休暇問題など・・)

・・というのは、日本の社会的・文化的インフラの低さの問題で、それとは別に

うっとおしいことも多い。たとえば、心がこもらない義理の付き合い。
何かと言えば、KYなどと言って常に周りのことばかりに気を使わなくてはいけないような人間関係。自己主張すると嫌がられるし、自分の意見も満足に言えないような閉塞感を味わうことになるし・・・。言葉と言葉で戦えない。出る杭を打つような村八分的根性の人々。人と違うことをしたり言ったりすると嫌う風潮・・・。あ~あ、面倒くさい日本の付き合い。個人が個人として生きにくい環境。

・・というわけで、自主的に日本を脱出した人の中には「実際にはもう日本に戻ることもできず・・・」というよりは、戻りたいと思っている人もそんなにいないのでは? 私の周りの人を考えても望郷の念に駆られている人は皆無です。

出来れば、住みやすくいこの地にいたい・・・デモね・・諸般の事情で戻らざるを得ない・・・という消極的帰国が多いんじゃないの?

帰ろうと思えば、10時間で帰れてしまう日本だものね・・。今は日本とフランスやドイツも近いのです。干刈あがたという作家は1943年生まれ。ということは60年安保の頃が青春時代だったのね。その頃の感覚かな・・異国の地にいる日本女性に対するイメージは。

日本はやあっと政権交代があって少しだけでも変わろうとしているのかな・・それがいいほうに向くか悪いほうに向くかはまだまだ未知の世界ですが。

民度も少しずつ変化しているのだろうか・・・。まだまだ日本に帰ってもいいかなという気になれずにいます。







心の準備・・・

2009年12月07日 | 日記




靴を6足処分しました。靴の形が自分の足に会わなくて購入したのにほとんど履いてないものもあります。全くもったいないったりゃありゃしない。置いておいても場所をふさぐだけだから思い切って処分します。

こうして、少しずつ、はなはだ少しずつですが遠くて近い将来に迫りつつある日本への本帰国に向かって準備することにしました。いや~~、まだまだこちらでの生活に未練タラタラで、とても帰国など本気では考えられない状態ですが・・・いつになるかもしれないし・・・あと長くて10年、短くて5年はこちらに住むかも・・。

ただひとつ言えることは、最期まで・・こちらに住むということはないでしょう。

というか、こちらに来た頃は、いつまでこちらに住むかとか、老後どうするか・・・なんてことは全く頭にありませんでしたし、とにかく人間らしい生活が出来るところで静かで時間に余裕のある質の高い生活をしたい・・と東京の満員電車から脱出することばかり考えて先のことなんて考えてなかったしなあ・・。


こんなことを最近考えるひとつのきっかけとなったのは、11月に知人女性が亡くなったことでした。こちらに住居を残したままで、その住居を空にするのに我々知人が数人で大仕事しました。やっぱりこんな形で他人に迷惑を掛けるのはマズイな・・・と思ったのでした。そうでなくても、突然こちらで病に倒れてしまうことも考えられるしね・・。

どうせ親戚・知人に迷惑をかけるなら、やっぱりまだ元気なうちにとにかく日本国内まで帰国しておいたほうがいいかも・・と考え始めたのでした。外国まで後始末に来るのは大変ですからね。

もうひとつのきっかけは、私の佐助ドン、B男に突然辞令が下りて来年早々帰国してしまうことになったこと。定年までのドイツ勤務を希望していたので、まだまだ帰国は先のことだと思っていたので慌てました。

私はそんなに早く帰りたくない!! 帰りたくない上に、来年15歳と10歳になる老猫2匹を抱えているので大変です。上の猫が寿命を全うするまではこちらに居たい。あ~~、それに、このアパートも売却しなくてはならないし・・。もう・・いろいろあってすぐには帰れませんわ。マジ帰りたくないし・・。動くの面倒だし。

・・・というわけで、私はもう「帰ろうかな・・・帰るのよそうかな・・」とああだこうだと心の葛藤と戦っているのであります。

日本ってどうなの?

25年前とは少し変わった?

私に住めるだろうか・・・。充実した気持ちで・・。


痩せたい・・・痩せます。

2009年12月03日 | 日記
あ~~あ、如何、如何

久しぶりに体重と体脂肪を測ってみた・・・結果自己ワースト記録。

ゴルフで大叩きして自己ワーストスコアになった時と同じくらい悲しい。

25年前に日本からドイツへ来たときに比べて10kg増加。そりゃ、25年も経てば、老化して代謝も落ちて贅肉は貯金され・・・というわけですが、このままではエンドレスで増加するかもです。今月は12月です。パーティや忘年会で食べる機会が増えるのですから。
ここらで、気を引き締めて、食欲をコントロールしなくてはなりません。

どうしたら、25年前の体重に戻れるだろうか・・・。10kg減量というわけですが。食べなくて運動量を増やしていくしかないんだろうなあ・・・。

取り合えず、体重と体脂肪が増えているということを自覚して、「体重測るだけダイエット」から始めてみよう~っと。

寒い季節になり、ゴルフラウンドもないし、練習にも行かないしめっきり動く時間が減ってます。家に篭って食べてばかりでは太るだけ・・というのはわかってますけど・・。

というわけで、1日30分ウォーキングも再開しなくってはね。これをしなくなって早数年も経ってます。これでは足腰も弱っていくばかり。ゴルフで歩かない日だけでも、ウォーキングしようと思います。今日はその決意で、30分ばかり歩いてきましたけど、こんな程度では、体重には何の変化もなしでしょう。民主党の事業仕分けで減らされる額みたいなもんですか・・・。焼け石に水っていうやつね。

ま、それでも何もしないよりはいいだろうということで、本日は30分ウォーキングと室内素振り50回。後はマットの上で腹筋とストレッチくらいはしようかな。

本日の体重と体脂肪をワーストのピークとして、これから減量したいと思います。

第一目標は、来年の日本のゴールデンウィークまでにせめて4kgくらいでも落としたいんですけど。がんばります。


ちょっと休むと・・・・

2009年12月02日 | ゴルフ & 旅行
ゴルフって、練習しないとすぐ忘れてしまうんですね・・・ハア・・。

ゴルフといえば、最後にラウンドしたのは11月21日にハーフだけ。22日打ちっぱに行って以来すっかりクラブも触ってなかった。

で、本日は、10日ぶりにクラブに触りました。久しぶりに気温7度の中でグループレッスンです。連日の雨模様の日々の中でぽっかりといい天気となった今日のレッスンには、5人が参加。いつものように最初はドライビング・レンジでスウィングチェックして、後半は練習ラウンド。

練習場では、いつものように、オーバースウィング矯正練習。フラットに後ろにテイクバックしてダフらないようにほとんど下半身を使わないで打つ練習です。この際トップしてもいいので、とにかくダフらない練習です。で、長年オーバースウィングして逆ピボットになってしまっていたのを矯正するのですが、一旦身に付いた悪い癖はなかなか治りません。

ドライバーは全く練習せずに、後半の練習ラウンドをスタートしましたが、いや~、ドライバー全く当たりません。っていうか、練習したとおりに打つとトップして低空飛行してしまうし・・・。う~~ん、こんなんでいいのか・・。このところずっと降り続いた雨のせいで、地面はグチャグチャなので、練習ラウンドも2ホールだけで終わり。このところ、練習ラウンドではドライバーのあとは、先生の命令で、6番アイアンだけで回ってます。ウッドを使わせてもらえないのよ。アイアンでダフらずにちゃんと飛ぶようになったらウッドを使ってもよいということかな。

ゴルフを始めてからの過去3年ちょっとで身に付いていたオーバースウィングを今矯正しておかないとこれからのハンディ改善は見込めないとデブが脅すんだもん。しょうがないので、今はぐっと我慢の矯正練習です。

今年のグループレッスンは来週の水曜日が最後。いよいよ来年まで冬眠か。