ノートに書く日記が一年も続いたことは嘗てなかったのだけど、このブログは本日で目出度く一周年を迎えた。よく続いたもんだと我ながら感心する。
紙に書く日記の場合、夜書きなぐったものを次の日読み返しては「こんなものは恥ずかしくて残して死ねない」と破り捨てまた書いては破りの連続で結局続かなかったんだけど、ブログの場合はそこまで本心さらけ出してないから続いているのかも。一応知らない誰かさんに見られているかもしれないんだしこれでも少しはお行儀よく書いているってわけだ。
一年があっという間に過ぎてしまった。去年の今頃はまだワイン仲間がいてよく飲み会をしていたんだった。彼らも去りずいぶんワインの量も減ってしまったが、そのおかげか、体重も多少減ったようでこれはうれしい。
最近のこちらのトピックといえばパリ郊外を中心としたフランスの都市周辺地域の暴動だ。今晩もフランス語の先生とレッスン後にその話題になったが、この大都市周辺地域問題というのは今に始まった問題ではなく戦後旧植民地からの移民を受け入れ始めた頃からずっとくすぶっていた問題で、時の政府は自覚はしていても問題を常に先送りして真面目に取り組もうとはしなかったのが、今になって火を吹き始めたということだ。
特に、前世紀の60年代、70年代にフランスは大都市郊外に高層の低所得者層向けの住宅を建て、そこに低所得者を隔離するような状態にしてしまった。主に旧植民地だった北アフリカのアラブ系の人々やアフリカ系黒人たち、そして純フランス人だけど貧しい連中など。先週から暴動を起こしている連中は移民の3世、4世の代になるが、子供の頃からほぼ隔離されたようないわゆるゲットーと言われる地域で暮らし教育もちゃんと受けられず、またがんばって上級の学校に行っても就職で差別されるという仕打ちを受け不満がくすぶっていたのがこういう形で発散されてしまったということだ。
おまけに今の内相のNicolas Sarkozyが、彼自身ハンガリー出身の移民の出なのに、暴動を起こしている連中に対して差別的発言を繰り返し強行に取り締まる政策を進めているため火に油を注ぐ状態になっている。Jacques Chirac も年寄りすぎて食い詰めている移民の若者の気持ちなどわかるわけないし、今の政府には何の解決策もないんだ・・とフランス語の先生は嘆いていた。
こんなことが続いていると結局極右政党の Le Pen が盛り返して利するだけで、そうなると移民たちはますます分が悪くなり、自分たちで自分らの首を絞めるようなもんだ。早いとこ今の政府で暴動を沈下させ、移民融和を何とかしないと2007年の大統領選挙の時には極右のナショナリストたちが勝利してしまうということになりかねない。
今日になって、ドイツでもベルリンやブレーメンで車が数台焼き討ちにあったようだが、ドイツにフランスの暴動が広がってくるかどうか・・ということに関しては、植民地移民を多くかかえたフランスと労働者移民を抱えたドイツでは移民の質が違うのでありえないんじゃなかろうか・・と楽観的なニュースの解説であった。
どういうことになるか・・当分目が離せない。