ドイツ日記 Les plaisirs et les jours

ドイツに滞在して26年経過。2年後に日本へ本帰国予定。ゴルフを始めて4年半ですが相変わらず下手な初心者ゴルファーです。

19kmのウォーキング

2006年03月27日 | 日記
来月の山歩き幹事の3人で下見のウォーキング。

予定日は2週間後なので春の日差しの中を川沿いに歩いた方が気分がいいだろうと、ライン河沿いのハイキングコースを歩いてみた。川沿いなので高低さはなくフラットなままなのだけど、距離的にはかなりあり予定のコースは17km。本日はそれにプラスして、フェリーでライン河の反対側に渡り、昔の要塞の壁に囲まれた小さな街 Zons(ツォンス)の観光と食事もつけたので都合19kmの歩きとなった。食事の後再びフェリーでライン河右岸に戻り歩き続けたのだけど、食事中にビールを2杯飲んだ上に久しぶりのドイツ飯だったのでお腹が重くて頭もだるくて足は疲れるわでヘロヘロ状態で予定のコースを歩き遂げた。

午前中は雨模様だったけど、午後は天気もよくなり暑くなってきた。コースの最初と最後に通るBenrath(ベンラート)城の庭園やライン河沿いの散歩道は結構な人出でした。

2週間後の日曜日、晴れるといいのだけど・・。

12. week, 2006

月:  さっさと帰宅
火:  今年初めての平日早朝ウォーキング、スーパーで買出し
水:  夕方ウォーキング、ドイツ対アメリカのサッカー親善試合をテレビで観戦
木:  夕方ウォーキング
金:  ゴルフレッスン8回目、その後ゴルフ師匠奥さんと隣のワインショップで試飲して、市内のラーメン屋に行く。
土:  オランダのアウトレットでショッピング、ダンスの練習
日:  19kmのライン河沿いウォーキング

最近ラーメン屋の前を週末などに通ると、ドイツ人がずらっと行列を作って待っている。行列ができるほどのおいしいラーメン屋ってことはないのだけど、日本の寿司がある程度ドイツ人に浸透した後、彼らはやっと日本のB級グルメも発見したようだ。土曜日に行ったワインショップのオーナーのイタリア人もこのラーメン屋のラーメンが大好きで日本語で「おいしい」ってどう言うの?と聞かれた。今度ラーメンを食べたときに日本語で「おいしい」と言ってみたいとのことだ。

アウトレットでショッピング

2006年03月27日 | 日記
ここから30分余り北西へ走るとすでにドイツ国境を越えてオランダになるのだけど、その国境を越えたすぐの街Roermond(ルーアモンド...オランダ語発音は非常に難しくカタカナでは正確に表せない・・・)に5年前にアウトレットが出来た。

で、昨日はこのアウトレットによる当地日本人ご招待の日で、バスで行き帰り運んでくれ、市内観光、昼食付きのショッピング。さらに、参加者全員にAigner(アイグナー)の素敵なキーホルダーをお土産としてプレゼントまでしてくれた。

これから日本人が度々訪れガッポリとブランド物の買い物をしてくれると元が取れるという計算なのでしょうかね?

ちょうと所有のクレジットカード会社からこのアウトレットで使用できる25ユーロのクーポンを貰ったし、バスの運転手にあげるチップ代以外は費用ゼロ、しかも自分で運転せずに寝ていけるということで喜んで参加。昨年の9月に店舗数が増えて以来行ってなかったし、丁度いいタイミングだったってわけで・・。

で、3時間余りのショッピングタイムの中、私は、Reebokのランニングシューズ、
Adidasのゴルフシューズ、Polo Ralph Laurenでポロシャツ2枚、アウトドアショップで、冬の山歩き用に厚手のフリースジャケットなどをゲット。

去年の大晦日にもニューヨーク郊外のWoodbury Common Premium Outletにバスで買い物に行ったのだけど、あそこの店舗数は220店ととにかく多くて全部はとてもじゃないけど見て歩けなかった。それに比べるとオランダのアウトレットは120店くらいと小規模だ。



Roermond市の St. Christophorus大聖堂の守護神St. Christophorusは地球を持った神様を肩にかついでいる。



Roermond市庁舎の塔の飾られている人形のひとつは1716年から1794年までこの地を統治していたオーストリア・ハプスブルグ家のマリア・テレジアとのこと。彼女はこの地で善政を施し今も愛されているらしい。

ドイツ対アメリカ

2006年03月23日 | サッカー

この間のイタリアとの親善試合でボロ負けして恥をさらしたドイツは今日の試合は負けられない崖っぷちにいる。FIFAランキング5位のアメリカは、22位のドイツなんて格下だと思っているのか、今日は2軍選手を送って来たとか。

で、結果は4対1でドイツが勝ちましたけど。前半は0対0、後半すぐにドイツが点を入れるとそれから続けさまにドイツが点を入れ4対0だったのだけど、終了間際にGKカーンとアメリカのジョンソンがぶつかって、ゴール前が無人となり1点取られましたけど。勝ったとはいえ、アメリカは2軍らしいし、ホームでの試合だし、これで負けた日にはすさまじい”恥さらし”呼ばわりの非難の嵐で監督も窮地に陥ってたかも。

テレビは、これがワールドカップ前の最後の親善試合だと言ってるんだけど、確か5月30日に日本対ドイツの親善試合があるはずなんだけど・・。日本との試合なんて数のうちに勘定してないのかいな?

それにしても、セバスティアン・ダイスラーが再び膝の怪我でワールドカップ出場が不可能となってしまった。本当についてない選手だ。4年前の怪我でダメだったし、やっと怪我から回復したと思えば鬱病になりそれからも回復して今度こそ!というときにまた練習中に怪我。不運のサッカー選手というほかないけど、また鬱病にならないか心配だ。

クリンスマン監督は5月27日にも欧州のどこかと親善試合を画策しているようだ。相手はルクセンブルグかリヒテンシュタインだと?日本との試合は全然話題にも上らなかった・・。本当にするのかしらん?

祝WBC優勝  今日は日本各地で祝杯でした?

2006年03月22日 | 日記

朝会社のパソコンに小学校の幼馴染C子からメールが入っていた。「WBCで日本チームがキューバに勝った。西岡が若くてイケメンでかわゆい。」と。

早速ネットでチェックすると日本中が狂気乱舞の様子。今日は休日だったので、多くの日本人がテレビの前で観戦してたんでしょうね。彼女も今日はスポーツ番組のハシゴだと興奮している模様。日本の至る所で祝杯が上がったことでしょう。

ところで、日本チームの優勝祝いで105本のシャンペンが抜かれたようだけど、私はいつもF1の優勝選手がシャンペンを掛け合ったりするのを見ると心が痛むっていうか、「もったいな~~い!私に飲ませろ!」の心境になるので、今回の105本が本物のシャンペンだったら(多分そうなのでしょうが)あ~あ、シャンペン製造業者も泣くんじゃないの・・と思うのだ。

数年前シャンパーニュ地方に遊びに行き、シャンペン醸造シャトーでシャンペンの作り方などを見学し、その手のかかる製造方法を見ているのでよけいに頭から掛け合っているのを見ると、そんなことしてないでちゃんと飲めよと思うのだ。

ところで、王さんは世界中に野球を知らしめた・・というようなコメントをされてましたが、ここドイツではWBCはおろか野球の野の字も知らない連中ばかりで、当然、スポーツチャンネルでも視聴率の取れない野球は放送されない・・ライブなんてとんでもないし、多分これから待っていてもアメリカで行なわれた野球なんて放映してくれないだろう。日本の大相撲は数週間遅れで放映されるのに・・。

そういうわけで、西岡がどのくらいのイケメンかチェックできないのだ。だけどC子がそういうならきっとイケメンなのでしょう。だって私達は小学校の頃から筋金入りのイケメン好きだったんだもん。彼女とは私が小学校5年になって本来の校区の学校に戻って以来の友達なのだけど、その頃からイケメン発見に余念がなく、隣の小学校まで見に行ったりしたもんだ。

当時の同級生の男子にはいまだに同窓会などで会うと、「あんたらは、昔から男の話しかしてなかった。」と言われてしまうのである。昨年帰国時の同窓会にも琴欧州の相撲を見ていてC子と2人で遅刻してしまい、あの子はかわゆいなどと盛り上がっていたら「もういい加減で、そういうの止めたら・・」と呆れられてしまったのだった(笑)。

野球などトンと話題にならないドイツだけど、明日はドイツ対アメリカのサッカー親善試合がドルトムントであるのだ。これに勝たなかったらマジやばいよ。だって数週間前のイタリアとの親善試合では4対1でイタリアにボロ負けしてるんだもんね。明日は私の好きなメッツェルダーが前半から出るらしい。だけど明日はバレエの練習日・・・サッカー観るか、バレエに行くか・・行って速攻で帰宅しても後半しか観れない・・・やっぱりサッカー観るかナ明日は。


春だ!と思ったのは甘かった・・

2006年03月20日 | 日記
地獄に堕ちた勇者ども

ワーナー・ホーム・ビデオ

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今年最初の山歩きの会。昨日と同じ青空かと思えばかなり深い霧の朝。これが中々晴れずに寒い中を歩き始める。山歩きと言っても山のない所に住んでいるので本日はルール地方はエッセン郊外の湖の周りと近くの森の中を歩く。ランチは湖の脇にある観客席にて。この湖ではボート競技などが行なわれるようで、本日も子供たちがこの寒い中1人乗りヨットの練習をしていた。

ランチの後は湖の近くにある鉄鋼財閥クルップ(Krupp)家の邸宅Villa Hügel(ヴィラ・ヒューゲル)の敷地の散歩をし邸宅の中を見学する。

この邸宅がとにかく広大なんだわ。門をはいっって番人の家のそばを過ぎるとず~と広い庭園というか森というか・・・これを財閥一家が所有していたのですね。番人小屋といっても日本の一流企業の社長宅より豪華といえるかも・・。


Villa Huegelの庭に咲いていた鈴蘭


因みにこのクルップ財閥はルキノ・ヴィスコンティ監督の映画ドイツ3部作のひとつ「地獄に堕ちた勇者ども」のモデルになったと聞いたことがあるけれど、実際のクルップ財閥でこの映画のようにナチス第3帝国の時代に親族の愛憎劇があったあのだろうか・・。邸宅の中を見学しつつ、あの映画のシーンを思い出していた。何てたってヘルムート・バーガーにダーク・ボガードというヴィスコンティの映画にはお決まりの美男が出ていたのだよね。今から36年か37年か前の話ですけど。

現在のクルップは、もうひとつの鉄鋼会社テュッセン(Tyssen)と数年前に合併しているし、クルップ財閥の親族でこの鉄鋼会社経営を継いだ人はいないらしい。この邸宅も今では会社所有となっているとか。

見学の後はいつものようにレストランでビールなどを飲み本日の山歩きも終わりとなった。帰りの電車に乗るころになって霧も晴れ太陽が出てきて暖かくなってきたのだけど、それでも例年に比べるとまだまだ寒い。来週の日曜日からサマータイムなのに・・。


11. week, 2006

月  上司の送別会その1
火  スーパーで買い物
水  バレエ
木  フランス語
金  上司の送別会その2
土  40分ウォーキング、ゴルフレッスン7回目、ダンスの練習
日  山歩き(たった10km)、ダンスの練習

・・というわけで、今週は結構忙しかったなぁ・・。






ちょっとだけ春になったみたい

2006年03月19日 | 日記


朝から青空で日が燦燦とリビング・ルームに差し込んでいる。春だよ~と眠い目を擦りつつ着替えて外に出る。本日も少し遠回りの40分ウォーキングの後パン屋で朝食用のパンを買う。

お腹がペコペコだったのでシャワーを後回しにして朝食の用意。よく考えたら昨晩の送別会では余り食べてなかったような・・・。海鮮鍋と後はうどんだったのだけど男性9人に対し女性は私1人だけ。絶対食べ負けているよな~。
でもワインはちょっと多めに飲んでやったもんね。

それにしても昨夜帰宅して半分酔っ払って書いた昨日の日記は「ですます調」でいつもより少しだけ上品っぽくなっていた。いや~酔っ払うと上品な地が自然に出るんだわ~(嘘つけ!)

朝食の後は朝風呂に入り、その後久しぶりに掃除機をかけるがリビング、台所、廊下、書斎とかけた所で時間切れ、寝室とバスルームはやり残してゴルフのレッスン場へと急ぐ。

天気がいいせいか室内練習場は閑散としていたので私の練習には好都合。でもまだ左の肘が痛いので本調子で練習できないんだけど。3時間ばかり練習したり、おしゃべりしたりした後、帰宅して猫に餌をやり今度はダンスの練習へ。

先週もサボったし、ちょっと踊らないと忘れてしまうのよね、これが。
クウィックステップとスローフォックスは何度やっても忘れる・・困ったもんだ。

明日はエッセン郊外の湖の辺りを歩く予定なので、今から明日のお弁当のおにぎりを握らなくっては。明日雨が降りませんように






送別会その2

2006年03月18日 | 日記


本日は上司の送別会第2弾でした。通算13年ドイツに駐在した上司が取締役になって本社にもどることになったのです。彼が最初にドイツに来たのは89年だったかな?途中数年日本の本社に帰って再度ドイツに来たのが99年か2000年。それから数年して我々の部門が同業他社と合併しましたが、本日の送別会には、合併した相手の会社の人はいなくって合併する前の元同僚の人たちも参加して久しぶりに昔話に花が咲きました。

そう言えば、月曜日に行なわれたドイツ人主催の送別会でも、合併前の古き良き時代の社員旅行が話題になりました。ドイツ人でも思い出に残っているのは、羽目をはずした馬鹿騒ぎだったようです。ウィーンに夜行列車で行った社員旅行。宿泊先でのサウナ・プールパーティ。ローマでやったトガパーティ。これは全員、ローマ帝国時代の服装に着替えての仮装パーティでまさにドンチャン騒ぎで、ワインは掛け合うわ、アイスクリームは投げあうわ、挙句の果てには、服(トガ)を着たままプールに飛び込むわ、仮装衣装のトガは破るわで、あとからホテルに何枚のトガを弁償させられたことやら・・・。今から10年以上前の話で社員もまだそれなりに若く、こういう集まりで各国の社員対抗のサッカー試合なんかもしたり・・。ドイツ、イギリス+スウェーデン、フランス、イタリア+スペインで充分試合になったなあ・・・。日本がバブルの時代はこっちでも結構バブったことやってたんだ・・となつかしくなりました。こういう馬鹿騒ぎは今では考えられません。

本日はビールの後はワインを飲んで、無事車を運転して帰ってこれました。おまわりさんもいなかったし・・ってそういう問題じゃないですね。本当はいけないんですけどね。

週末から飲み会が続く

2006年03月14日 | 日記
10. week, 2006

月:  さっさと帰宅
火:  ヴィデオを返却、新たに借りたいのを我慢して帰宅
水:  バレエ
木:  フランス語
金:  3時退社の積りだったのに6時まで仕事、その後さっさと帰宅
土:  30分ウォーキング、午後ゴルフホールへ遊びに行く。
日:  30分ウォーキング、午後4時から深夜12時まで飲みながら麻雀大会

本日は、もうじき日本に帰国となる上司の送別会1回目がドイツ人マネージャーの主催で行なわれ、イギリス人CEOとうちの部のイギリス、フランス、イタリアのマネージャーも入れて30人近くで食事となった。今週は金曜日にも日本人だけで送別会が計画されている。車だし、明日は月例会議なので遅刻できないから、ビール1杯だけで、あとは水飲んで我慢したけど、この週末は何だかダラダラと飲んでいたな~。

土曜日の午後2時過ぎにゴルフホールに遊びに行ったら、先月麻雀で知り合ったコンサルタントのT氏がスペインの別荘から帰って来ていた。結局ゴルフ師匠夫婦とT氏と4人で近くのイタ飯屋に行ってワインを飲み始めおしゃべりしているうちに夕方6時過ぎとなり、ダンスの練習に間に合わずサボってしまった。

昨日、日曜日は午後4時からゴルフ師匠夫婦、T氏、など4人を我が家に招いて麻雀しつつの飲み会となり途中お好み焼きや炒飯などを作りながら麻雀は続き、深夜近くになってデザートのケーキと紅茶で締めとなった。寝る直前に紅茶を2杯も飲んだため、よく眠れず今日は昼間つらかったわ~。

しかし、何といいますか・・去年までと飲み仲間というか遊び仲間が様変わりしてしまったな~(シミジミ・・)。自分の子供と言ってもいい遊び仲間から、年相応というか、同年代プラスかなり上の人たちになってしまった今日この頃ではある。でも、皆明るいというか、笑いが耐えないくらい馬鹿なことばかり言いながら遊んでいるんだけど、一回り以上年が上のT氏が時たま「あと20年もすればここにいる皆この世からいなくなるんだよな~。」と言う。ちょっと待ってよ!T氏はそうかもしれないけど20年はいくらなんでも早すぎると抗議すると「じゃ、あと50年したら皆いなくなる。」と訂正してくれたけど、やっぱりそんなことを考えて明るいけど無常な気持ちになっているT氏なのだ。

2人のドイツ人妻の後で今は3人目の日本人妻と同居しているけど、稼ぎが相当いいらしく税金対策のため偽装離婚をしたらしい。そしたら、その奥さんは「彼女名義の財産を持って今の家を売って日本に帰りたい。貴方はスペインの別荘で暮らせば・・。」と言い出してるんだよ・・なんてゲラゲラと笑い話にして話すのだ。

幸なことに、T氏もゴルフの師匠もジャズが大好きで実際に楽器をやっていたらしく、その点では趣味が一致するのでT氏がこの世とおさらばするときは、明るいジャズをガンガンかけて送り出してあげよう...なんて言ってもこればかりは年の順番にいくとは限らないんだけどね。


で、夜は夜で送別会だったのでさらに疲れ気味。明日はさっさと帰宅の日にしよう。

プロフューモ死す

2006年03月12日 | 読書
アムステルダム 新潮クレストブックス

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昨日だったか John Profumo が9日に91歳で亡くなったというニュースが流れた。有名なプロフューモ事件があったのは前世紀60年代前半のことなので子供だった私はさすがに記憶にはないが、その後政治家と女とスパイがからんだスキャンダルが起きると何かと彼の名前が出てきたように記憶している。

2週間前だったか久しぶりにイギリスに出張で行ったときヒースロー空港からうちの会社までタクシーに乗ったのだが、その途中に広大な敷地の中に建つ現在ではホテルとなっている邸宅の横を通るのだけど、まさにこの大邸宅Cliveden Houseがプロフューモ事件の舞台となったのだった。

当時ジョン・プロフューモはマクミラン政権下の陸軍大臣。コールガールのクリスティーヌ・キーラーは16歳で家出して以来ソーホーでショウガールをしている魅力的な女。この2人が1961年にアスター公の所有するクリヴデンハウスで行なわれたプールパーティで出会いプールからベッドへ直行したのだった。それだけなら単なる政治家の女遊びで終ったのだが、このコールガールは同時にソ連の外交官とも関係していたことが発覚して大騒ぎとなったのだった。60年代始めは東西冷戦の真っ只中で、西の情報がコールガールを通して東に流れたのではと一大スキャンダルへ発展し、プロフューモは政治生命を絶たれ、マクミラン首相も辞職するに至ったのだった。プロフューモはこの事件の後一生をチャリティ活動に捧げ健気に生きてきたらしく1975年には国家より勲章までもらっている。彼自身は家柄もよろしく政治生命は絶たれたとはいえ金には困っていなかったわけだ。で、9日に亡くなったのだけどちょっと前に事件の舞台となった邸宅の前を通ったところで何だか感慨深いものがある。あれから45年も経っていたのだね。

で、上の「アムステルダム」という本だけど、1人の女と彼女に関係したイギリスの政治家・音楽家・ジャーナリストの話なんだけど、プロフューモ事件にインスパイアされて書いたのではないかな~と読んだ当時思ったのだった。もしかしたら、そういう宣伝文句でこの本が紹介されていたかもしれないが、記憶は定かではない。1998年のイギリスはブッカー賞受賞作品。

今日は今日で旧ユーゴスラビアのミロシェビッチが獄中で死亡。裁判の途中でまだまだ永遠に決着がつかなさそうだったのに、これからどうなるのだろう・・。

ドイツのパン  ~ 本日のブランチ

2006年03月11日 | 日記


左は普通のブロートヒェン、右は全粒パン、後ろは特大デーニッシュペーストリ


この週末も天気がパッとしないようだ。春はまだまだ遠い。こんなに冬が長い年もめずらしい。テレビの街頭インタビューなんかでは久しぶりに冬らしい冬になったと喜んでいる老人もいたりするが、もういい加減で春になってほしい。ま、少しずつは暖かくなってはいるんですけどね。一昨日あたりから気温は高くなっているにはいるんだが、まだ不安定。
 
今朝起きると小雨降る灰色の空。しかし、このところ食べるだけで余り動かないため体重は高止まりなので、めげずにウォーキングに出発。途中で雨が大降りになってきたが、いつものコースを歩き・・なんだか焼け石に水的ショートウォーキングではあるのだが、最後にパン屋まで行って朝食用のパンをゲット。

さっさっとシャワーを浴びて着替えをしてコーヒーを煎れつつ、きゅうりとサラミを切り皿に盛る。フランスのバゲットも大好きだけど、ドイツのパンも結構いけますよ。写真左側の小さなパンがドイツの朝食では極一般的なパンだ。この地方ではそれを Brötchen (ブロートヒェン、ブレーチェン 発音が微妙に難しく日本語では書き表せない)と呼びます。パンはブロート(Brot)でそれに小さくてかわいい物につける接尾語の chen(ヒェン)が付くので、「ちびパン」ということですね。右のはちびパンの上に小麦やら大麦やらひまわり、かぼちゃやクミンシードなどの種をのせて焼いた物。健康に良さそうでしょ。後ろのデーニッシュはドイツではへびと言うのです。へびがとぐろを巻いたところにそっくりだからでしょう。で、これが日本で売っているのに比べると倍以上に大きい。今それにかぶりついていますが、本日買ったのには干し葡萄ではなく芥子の実がはいってました。

ゴルフの師匠から電話があり、本日午後に団体30人のレッスンが貸切で行なわれるらしく一般の人は6時まで練習ができなくなったらしい。腕がまだ痛いので、今週も大事を取って私はレッスンを休むことにした。かく言う師匠も実は1月の末から右腕がテニス肘になってまだ痛むらしい。彼の場合は市の中心から今のゴルフ練習場内にゴルフショップを移転させたときの引越し作業が原因だとか。ま私達は2人とも同い年だし、同じように老化していってるってことなのね。

どうせ暇なので、これからゴルフショップに遊びに行くことにしよう。師匠奥さんと来月の山歩きの打ち合わせなどをしなくてはならない。



年を感じる時・・・テニス肘

2006年03月10日 | 日記

ちょうど3週間前、大量の買い物をした後に左肘がテニス肘になってしまい、いまだにそれが痛むのだ。ゴルフは左じゃなくって右だから・・とよせばいいのに、途中ゴルフの練習も何回かしたのでさらに悪化してしまったようだ。右でやるといっても、下手くそゴルフだから、ボールをきれいに打てなくって思い切り芝状の地面を叩いたりして肘にビビ~ンと衝撃がきてますます痛くなりこの十日ばかり包丁やはさみを持つのも苦になるくらいの痛さだった。少しはよくなりつつあるけど、回復するまでまだ当分かかりそう。痛いといっても利き手だから使わないわけに行かずやっぱり使うのだよね。特にマウスね。私は右手にペン、左手にマウスでパソコンに向かうのだ。タイプは両手ですけどね。

2年前だったか、日本に帰省したあとも右肘がひどいテニス肘になったのだ。あの時は日本から重いスーツケースや手荷物を引きずってきたのが原因だったっけ。今度は左肘。力仕事は主に左手でやる私としては左肘が痛いというのは本当に不便だ。

こんなことでは老後をドイツで暮らすのはかなり大変だから、肘が回復したら今度こそ真剣に腕や手首を鍛えなくてはとつくづく反省というか決意を新たにしたというか・・。何しろ、すべての物が日本製品と比べてかなり頑丈で重いのだ。例えば鍋やフライパンの類。こちらで使う物はほとんど厚いステンレス製や琺瑯びきの重~い製品しかない。便利な圧力鍋も滅法重い。そう言えば死んだ母が最晩年の頃に「アルミ製の軽くて小さな鍋じゃないと他のは重くて持てない。」と言ってたっけ。

40肩にも50肩にもぎっくり腰にもなったことがないのにテニス肘にはこの数年悩まされている私。テニスなんてここ10年くらいご無沙汰しているのに・・。これからは足腰をきたえるウォーキングや、バレエ、ダンスだけじゃなく腕と手首も鍛えなくってはならない。ダンベル体操がいいのかしらん?

お願いだからそろそろ痛みから解放してくれ~。明後日の土曜日にはゴルフの練習を入れてるけどどうするかな・・。

会社が3度目の空巣被害に!

2006年03月10日 | ドイツあれこれ

全くうちの会社が暢気なのも程があるというもんだが、3度目の被害にあってやっと昨晩から平日の終業時間から早朝までと休日にはガードマンを雇うことにしたらしい。普段は午後4時になると空になる入り口レセプションに今日はガードマンが座っていた。

会社があるのは郊外のオフィスビル群のあるところで夜にはまず人の気配のないところだ。しかも建物の周りには柵も門もなくただ車の駐車スペースと庭に囲まれているだけ。つまり建物のどこからでも窓とシャッターを破って侵入可能というわけで昨年の秋から空巣に目をつけられていて昨日とうとう3度目の被害にあったのだ。これまでは建物の地上階だけが被害にあいパソコンや液晶モニター、ラップトップの類が盗まれたのだが、3度目の昨夜はついに最上階まで侵入され私の机の周りも荒らされていた。幸私のパソコンやモニターは無事だったけど、地上階の数部屋ではそれらの機器がまたもやごっそりと持っていかれたらしい。

かなり前の話だけど、窓から何気なく外を見たら、上司の高級メルセデス・ベンツが今まさに盗まれて動かされるところで、その犯人と格闘しているガードマンが「警察を呼んでくれ~!」と叫んでいるところで、大慌てしたことがある。上司が会議か何かで部屋を無人にしたところに誰かが侵入し背広のポケットから車のキーを盗んでいたのだ。それくらいオフィスの入り口管理がいい加減というかのどかな時代だったのだけど、それ以来入り口から入るのは管理がちゃんと行き届いているけれど、窓を破って進入されてはもうお手上げだわね・・。3度もやられるということは、組織化された窃盗団で内部のことに通じた誰かの手引きがあるのかも・・。

かくいう私のアパートも7年前だったか空巣にやられたのだ。あの時はもう驚いたの何の・・。入り口ではなく中庭側から登られてバルコンのドアをこじ開けて侵入されたのだ。 家の中のありとあらゆる引き出しや開きは開け放たれて、引き出されて家中ぐちゃぐちゃ状態で、置いてあったいくらかのお金と貴金属品はすべて持って行かれたけれど、イミテーションのアクセサリーはちゃんと残されていた。結構目利きの泥棒なのね・・と感心したものだ。警察に電話をしても「あ~またか。」ってなもんで調書を取りに来たのは深夜すぎ。それなしでは保険請求ができないので現場を片付けるわけにもいかず延々と警察の到着を待っていたっけ。同じ通りで同じ手口で空巣にやられているところがかなりあり、毎年どこかの1軒がやられているかんじだったけど、警察によるとどうもロシア人の空巣団らしい。決め付けるのはよくないけど、会社に入った空巣も多分ロシアか東欧出身の連中だろうね。






78. Academy Awards

2006年03月07日 | 映画

早朝にライブ放送されたアカデミー賞授賞式をヴィデオに取っておいたのでそれを見ていたのだけど、案の定録画取りに失敗してSPで取ってしまい、途中でテープが終り、アレ~・・巻き戻されている・・・なのにテレビには授賞式が映っているけど・・なんで?と思ったら、今再放送している最中だったのだ。しかも早朝ライブは英語そのままだったのに、今夜の再放送ではドイツ語のナレーションが途中被っていたりするので邪魔くさいんだけど録画失敗したところもちゃんと見ることができてやれやれ。しかし、アメリカのショーはやっぱり英語でそのまま聞きたいよ。

結果としては、「ブロークバックマウンテン」は作品賞をもらえず監督賞他3つの賞を取っただけで、作品賞は「LA CRASH」が取った。「クラッシュ」といえば私にとっては、大好きな監督の1人 David Cronenberg の映画「クラッシュ」を思い浮かべるのだけど、今度の「L.A.クラッシュ」も悪くなさそうなので見に行ってみるか。

いずれにしてもハリウッド特有の大金かけた特撮娯楽映画が賞を取らなかったのはうれしい。プロデューサーや興行主は製作費用を取り戻せなくって大変かもしれないけれど。私はあの手の映画は嫌いなのだ。

そう言えば私の大好きな監督の1人、ロバート・アルトマンが名誉監督賞をもらった。彼の映画はいわゆるB級映画と言われるレベルかもしれないけれど「M★A★S★H」「ザ・プレイヤー」「プレタポルテ」「ニューヨーカーの青い鳥」「ショート・カッツ」「カンザス・シティー」等等私はどれも大好きだ・・。だけど、私にとってはセンスのいいおしゃれな映画と思えてもアカデミー賞を取るほどの作品とはいえなかったのかこれまでノミネートされることはあっても賞は取ったことがなかったらしい。今回ステージに出てきたアルトマン監督はもうかなりの年のようだけど、オスカー受賞してよかったよ。

ベスト・コステューム賞は「ゲイシャ(サユリ)」が取ったのだけど、「いろいろ教えていただいた日本に感謝します。」とスピーチで言ってるわりには、映画の中の着物の着付けはめちゃめちゃっぽいんだけど。

そう言えば昔に比べてアカデミー賞授賞式も昔のような派手さがなくなってヨーロッパの映画祭の授賞式みたいに地味目になってない?


昔、アメリカの家庭は私の憧れだった

2006年03月06日 | 映画
アメリカン・ビューティー

ソニー・ピクチャーズ

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今晩というか明朝というかもうじき今年のアカデミー賞が決まるけど、最近シネマで見た唯一のアメリカ映画「ブロークバックマウンテン」が大賞を取るといいなあ。

アカデミー賞に因んで6年前の大賞作品でまだ見てなかった「アメリカン・ビューティー」のヴィデオを借りてきた。こういう作品ならアメリカ物でも好きだわ。

私が子供だった頃アメリカの家族風景は憧れだった。大きな家に大きなキッチン、緑の芝生に大きな自家用車。「わんぱくデニス」「パパは何でも知っている」「うちのママは世界一」「恋するカレン」等等・・。あれから約半世紀が過ぎて、アメリカの郊外にあるきれいな住宅の中に住む家族は単に幸せを演じる対外CM用の家族となり実際はバラバラに崩壊しているのだ・・というのを半分コメディタッチ、半分シリアスタッチで描いた作品。ケヴィン・スペイシーの冴えない中年男がいい味だしている。

広告業界で働くレスターはリストラされるが上司の悪事をネタに退職金をがっぽりせしめてハンバーグ屋でバイトを始める。妻のキャロリンは不動産ブローカーで虚栄心の強い女。2人の夫婦関係はすでに壊れている。娘のジェーンは高校生で反抗期の最中。レスターは娘の同級生のアンジェラのチアガール姿を見て惚れ込んでしまう。ある時隣に元軍隊大佐だった男の一家が引っ越してくるが、ここにも問題児の息子リッキーと亭主関白で軍体調の律し方しか知らない夫とそれに疲れた妻の姿が・・。そのうち、レスターの妻キャロリンは仕事敵の男と浮気を始め、娘のジェーンは隣のリッキーと仲良くなるのだが、レスターとリッキーがたまたまガレージに2人でいるところを隣から盗み見ていた大佐は2人がホモの関係を結んでいると誤解してしまい、帰ってきたリっキーを殴りつけ出て行けと罵る。リッキーはジェーンに駆け落ちしようと持ちかけ、隠れホモだった大佐はレスターのところに行って彼を誘うがあえなく拒絶され、すごすごと帰るのだが・・・・。レスターはアンジェラと寝ようとするが、彼女が口先ばかりで実はまだ未経験だと知って手を出すのをやめる。このあたり、平気で援助交際という買春をやる日本の中年親父よりまだモラルがあるかも。最後の瞬間にレスターはアメリカの美を思い出しながら死ねたのだろうか。その死に顔には穏やかな微笑みが・・。エンディングに流れるビートルズの「ビコーズ」の詩と曲が賛美歌のようで絶妙に合っている。
配役の一人一人にドラマがあって、映画の作り方は私の好きなロバート・アルトマン監督の作品に通じるものがある。なるほどね、アカデミー大賞あげてもいい作品だ・・って、取ったんだけどね。

そう言えば昔テレビドラマで山田太一の「岸辺のアルバム」というのがあったっけ。あれも家族の崩壊と再生を多摩川の決壊にかけて描いていたけど、あの中の夫はいかにも日本的な仕事人間で、そういう生き方に疑問のひとつも持ってないような男で、魅力なかった・・。あれでは妻は他の男に走っても納得だ。もう内容はちゃんと覚えてないけど、テーマ曲だったジャニス・イアンの「Will you dance」というのが良かった。



9日ぶりの青空だ・・と思えば

2006年03月05日 | 日記
9. week, 2006

月:  ゴルフレッスン6回目、ゴルフ師匠夫婦とイタ飯屋で夕食。彼らの行きつけのレストランなので座ると同時にプロセッコがサービスで出てきた。きのこの炒めたものとルッコラ・カルパッチョ・パルミジャーノの盛り合わせを前菜にハウスワインで乾杯。メインはゴルゴンゾラソースのパスタ

火:  フランス語
水:  バレエ、本屋で山歩きのガイド本と地図を購入
木:  スーパーで買出し
金:  レンタルヴィデオ店へ
土:  昼は老人ホームでボランティア、18時から2時間ダンスの練習
日:  30分ウォーキング、19時から2時間ダンスの練習

本当に久しぶりに朝から青空だ。運動不足だから歩きに行こうと着替えたところでなにやら空が真っ黒になり突然の雪嵐がやってきた。仕方なく部屋着に着替えたらまたパッと太陽が出て明るくなったのであわててまた着替えて今のうちにとウォーキングに出かけた。今日はこのように晴れとにわか雪が交互にやってきてまさに春の嵐のような一日だった。何でもミュンヘンの辺りは大雪になったようで、ニュースでも「シベリアのようなミュンヘン」などと言っておった。この寒波は週の半ばまで続くらしい。南ドイツと違ってこの辺りでは雪も積もらないので助かるけれど、今年は本当に冬が長すぎる。これが最後のなごり雪であってほしわ。Vivement le printemps!!