ドイツ日記 Les plaisirs et les jours

ドイツに滞在して26年経過。2年後に日本へ本帰国予定。ゴルフを始めて4年半ですが相変わらず下手な初心者ゴルファーです。

バレエ Der Holzgeschnitzte Prinz/Erda

2005年04月30日 | バレエ・オペラ・演劇
本日は曇り、時々雨という天気でしたが、明日は23度、明後日の日曜日は28度まで気温が上昇していい天気になるとか・・。

今晩久々にバレエを観に行ってきました。当地ラインオペラのバレエ監督 Youri Vàmos の振り付けによる2作品「木彫りの王子」と「Erda]。私はこの人の振り付けはあまり好みではないのだが、2作品の中では 後半にやった「Erda」のほうが良かったかな。観客もブラボー連発でしたね。
前半の作品「木彫りの王子」のほうには男女ともに日本人ダンサーが数人出演していたが、如何せんこちらのダンサーに比べてとにかく小柄な上にプロポーションが悪くって華がないのだ。 男女とも足と手があと10cmずつ長ければどんなに見栄えがすることか・・・残念!と思ってしまう。男も胸板薄くって貧弱に見えるんだわ。やはり日本人の体型は西洋の踊りには向いてないってことか・・。

観客は10歳台、20歳台の若者と60歳以上の世代が多いようで平均すると50歳代ってところかな・・。ほとんど女性客だけの日本と違って本日の観客も男女半々ってところです。私は両脇を爺さんに挟まれて座っていましたが、爺さんたちもモダンバレエにしっかり見入ってブラボーの掛け声を掛けていました。日本もこうなってほしいよな~。バレエを見に行く爺さん、おしゃれだとおもうけどなあ~。ま、バレエでなくってもいいですけど。

JR宝塚線列車脱線事故について思う

2005年04月30日 | ニュース・トピック
この事故で一番驚いたのは運転士がまだわずか11ヶ月の経験しかないという23歳の若者だったということだ。このような未熟な若者に過密スケジュールの列車の運転を任せていたという会社のオペレーションに驚いたが、考えてみればバブルがはじけてからの日本企業は一斉に中高年の社内での冷遇やリストラに精出しているし、これから迎えようとしている団塊世代の定年退職というのもあり、中高年の熟年労働者が減少し未熟な若者しか残らなくなっているんじゃないだろうか・・。ってことはこういう事故はまた様々な労働現場で繰り返されるということが大いにあり得るということだ。
しかも、企業間の利益確保の競争は激化する一方だから経営者側は数十秒の遅れも処罰の対象として未熟な若者をますますストレスに晒す。本日のネット記事を読んでさらに驚いた。運転ミスをした運転士に課される日勤教育というものが運転技術の向上のためのトレーニングなどではなく、リポート、草むしり、窓拭きなど現場の仕事と全く関係ないものだったらしい。これって完全なる集団リンチじゃないの。何でこんな非生産的で暴力的なことを企業が強いるのか・・わけがわからない。この事故は結局のところJR西日本の経営ミスから引き起こされたと言えるのではないの? 事故を直接起こした23歳の運転士も確実に被害者の1人と言える。

さよならの季節

2005年04月28日 | 日記
 さよならの匂い残して
         2人の季節は終ったのね・・   

・・というのは私の別れ話ではありません。

今朝飲み友達の大学の後輩からメールが入ったのだ。転職するって、それもニューヨークはマンハッタンに!彼女だけじゃなくやはり飲み仲間だったM夫婦も近々日本に帰国することになるようで、来月の末には飲み仲間がいきなり3人もこの街からいなくなってしまうのだ。思えばこの4人でよく飲んで食べたものだった。けんかもよくしたけど(M夫の方とですが)。初めての4人での旅行はまだユーロが導入される前のフランスはブルゴーニュへの珍道中で3つ星レストランでひとり約2000フランの食事(約350ユーロ)をして、このお金で1週間マヨルカ島に遊びに行けたかもと嘆き、翌日は100分の1のランチメニュを発見して得した気分になったり。そう言えばこのレストランのシェフは去年だったか一昨年だったか、猟銃自殺をしてしまったっけ。でもレストランは依然3つ星のようだ。2年前にはやはり4人でシャンパーニュ地方へグルメ旅行をしたっけ。M夫婦と3人ではボルドーやブルゴーニュへ数え切れないくらい旅行したっけ。今月初めにもR氏の葬儀に出席するためにブルゴーニュへ行ったばかり。5月末には再びブルゴーニュへ旅行する予定だったけれど、彼らの引越し準備で微妙になってきた。後輩とは2人でプロヴァンスやノルマンディー地方を旅したっけ。そして近々トスカーナへ旅行する予定だったのに。全く何てこったぁ・・何で皆いなくなるのよ?

 透き通るワイングラスを
         ゆらゆら横切るあなたの顔・・   

これからひとりでワインを飲むたびに4人で遊んだ日々を思い出すことになるのかな・・。

ま、ものは考えようでニューヨークに行ったときの遊び仲間が出来たと思えばいいか・・。最後に行ったのは早や10年前なのでちょうど近々行きたいと思ってたんだわ。

来月はそういうわけで送別会が続きそう。でも淋しくなるなあ・・・、後に残った飲み仲間って絵の先生だけ? 彼はいつまでこの街でフリーターやってるんでしょう・・。

因みに「さよならの季節」松本隆作曲、瀬尾一三作曲、石川セリの歌でした。

やっと疲労回復

2005年04月28日 | 日記
昨日一昨日と朝から異常に眠くて会社に行ってもまるで低血圧状態がそのまま続いているようなというか時差ぼけのような状態というか、とにかく頭がボーっとしていて何だかしんどかった。それなのにやたらお腹が空いて食欲だけは朝からあって眠気覚ましに一時ガムを噛んだ後はお土産にもらったあられをボリボリ食べながら仕事していた。こんなことが平気でできるのもドイツの会社は大部屋状態ではなく私は女6人で広い個室にいるので仕事しながら飲んだり食べたりというのは極日常的な風景であるのですが。先週たった1週間だけの休暇だったのにフルに遊んだせいか身体がどうも完全休暇モードになってたようで、本日になってやっと回復、朝も眠くならずに身体も仕事モードに戻ったようだ、ヤレヤレ。それに今日はお腹もそんなに空かなかったな。サンドイッチのほかにあられやバナナなどいっぱい持って行ったのに全部食べ終わったのは夕方だった。(結局、全部食べたわけですけど・・)で、夜はバレエのレッスンにも行きました。あと2日で週末だ!

今シーズン初のアスパラ

2005年04月27日 | ワイン・フード


友人達が到着した翌日16日、早速ダウンタウンのマルクトに皆で買い物へ。
まだ少しシーズンには早いけど、マルクトにはアスパラが出回り始めています。日本から来た友人たちは楽しみにしていたようなので今年初めてのアスパラを食してみました。

アスパラはオリーブオイルとパルメザンチーズをかけてというのがさっぱりしていて私の一番好きな食べ方です。付け合せは茹でたジャガイモにハムやサラミ。それからセップ茸(ポルチーニ)をオリーブオイルと白ワインで炒めたものにオリーブやチーズで飲み会となりました。飲んだワインは前の週に行ったブルゴーニュはヴォーヌ・ロマネ村のカーヴで購入した2002年のVosne-Romanée
生産者はYves Chevallier。

楽しかった1週間

2005年04月24日 | 日記
朝から青空で昼間の気温は21度まで上がり気持ちのいい春の日でした。昨日ドイツを発った友人達も無事に日本の自宅に到着したようです。
市内ショッピング、アルザスへの旅行、ミュージカル観劇、アウトレットで買い物と、フルプログラムで1週間遊びつくし、よく笑い食べて飲んで・・・いや~楽しかったわ。日頃1人で暮らしているので、たまの合宿生活は本当におもしろかった。名所観光そっちのけで、ブティックのバーゲンコーナーのホッピングも女3人であーだこーだと言いながらするのはひとりでの買い物とはまた違って楽しいものでした。友人たちにつられて私も数点購入。やっぱり何と言いますか、おしゃれする気持ちは大事だということを思い出させてくれました。こっちにいると通勤も車だし、皆カジュアルな格好しかしてないしで・・ついついどうでもいい格好しかしないようになってましたが、年も年だし・・おしゃれ心は大事ですね。

そういうわけで本日午前中は10日ぶりのバレエのレッスンに行き、午後はフランス語の先生のところへ行きましたが、新しいローマ法王のことと中国の反日デモ関連の話で盛り上がりました。新しいローマ法王ベネディクト16世、フランス語ではブノワ(Benoit)16世についてはフランスではあまり喜ばれてはいないとのこと。ま、ドイツ人ってこともその理由の一つかもしれませんが、何よりも年寄り過ぎるし保守的な人というのが大きな理由のようです。カトリック信者34%のドイツと違って80%がカトリック信者のフランスではもっと進歩的な法王を期待したようです。世界の人口爆発、エイズ問題、同性愛、結婚離婚問題など改革しなくてはいけないことがたくさんあるのにまた保守的な人・・・とがっかりされている模様。

そう言えば、本日土曜日の午後私の住んでいる市でも中国人が反日デモを2時間することになっていると聞きましたが、忙しくて見に行くことも出来なかったので真偽のほどはわかりませんが、デモのためにわざわざ中国から学生たちがやってきているとの話でした。ドイツで反日デモ!全く何を考えているんだか・・。おかげで、日本人がお得意さんの中華料理店は閑古鳥が鳴いているらしく、自分で自分の首絞めてどうするんだ、全く不愉快きわまりない話。
  

友達の到着

2005年04月16日 | 日記

山のような日本食と本が詰まったスーツケースをかかえて友達2人が日本から無事に到着しました。明日から(というか日が替わったので今日から)1週間3人での珍道中が始まります。天気がそこそこよくあることを祈るのみです。

明日土曜日は時差ボケ解消のため当地で体調調整予定。女が3人寄ると、コエンザイムだ、アミノ酸だ、美白にはアレ、シワにはコレと健康食品とサプリの話に花が咲く咲く。そういえば、日本から持ってきてもらった食料の中にはせんべいや梅干、味噌以外に最近話題の寒天や黒豆もちゃんとはいってるし・・。これで当分日本食に不自由なさそう。ま、こちらでも日本食糧はたいていのものは手に入るけれど、値段も高いし賞味期限切れのものも多いので日本直喩のものは本当にありがたい。さて、女3人の1週間・・どうなることやら。

麗しい男?の友情

2005年04月13日 | 日記
PHはフランスの大学を出てまずドイツはミュンヘンのホテルで働き始めた。その時に客としてホテルに来ていたのがR氏だった。R氏はPHを自分の息子のようにかわいがったようで後にPHとMがいっしょに住むようになってからも度々ミュンヘン郊外に住む二人を訪ねて来ていたらしい。Mにはフランスはブルゴーニュのムルソー村にひとりで住む母親がいたが、彼女は若いときから病気で晩年は車椅子の生活だったので、仕事を引退したR氏が5年くらい前にムルソーのMの家に住み始めMの母親の面倒を見ていた。3年前にMの母親が亡くなって1人暮らしになったR氏はめっきり弱り心臓も患い、自分のアパートの引き払いも出来ない状態だったので、2年前に彼がもうドイツのデュッセルドルフには戻らず本格的にムルソーに住むということになったときにはPHとMがミュンヘンから出てきてアパートの整理などの後始末をすべて引き受けた。亡くなったR氏は結局Mの母親の墓地の中に一緒に眠ることになったのだが、身寄りのないひとりの男を最後まで面倒みたPHとMの2人って何とやさしいのか・・私には不思議でならない。普通赤の他人に対してここまでしないでしょう?因みにR氏が彼らに財産を残したというわけでもないらしい。晩年の彼は、ボーヌ一のホテルのバーの常連でシャンペンにキャビアを楽しみレストランでも美食を重ねていたようで、とうとう銀行から差し押さえ寸前になったらしくMはひじょうに困っていたものだ。葬儀の参列者の中にはホテルバーのマスターやレストランの経営者などがいたのでR氏が如何に上客であったのかを物語っている。私がワインを扱っているMや飲み仲間になった日本人連中と知り合ったのも行きつけの鮨屋の紹介だったし・・・Mを通してR氏やPHと知り合って・・・何だか美食外交で友達の輪が広がっているみたいな。R氏のおかげでホテルバーのマスターやレストラン経営の夫婦と顔見知りになったのでこれからボーヌへ行ったときにはちゃんと顔を出して行きつけの場所にしようっと。それにしてもだ・・、いい男は何で皆ゲイなんだ?女にとって残念すぎる話だわ。

ドイツを憎んだドイツ人の死 その2

2005年04月11日 | 日記
納骨の後最後まで居残った我々日本人3人、R氏の面倒を見ていたMとPHの2人,彼らのドイツの家の隣人夫婦の合計7人で、ムルソーのMの家に集まり、皆でワインなど飲みながらR氏の思い出話をしましたが、とにかく葬儀に参列した誰ひとりとして彼の本当の生い立ちの詳細を知らないということでした。R氏の話は虚実混ぜ合わせた話で、どれが本当なのか誰もはっきり知らないらしいのですが、とりあえず大体わかったのは・・・ポーランド系ユダヤ人でもイギリス人でもなくて彼の本当の両親は純粋なドイツ人であったこと。父親が社会主義者であったためナチスに捕らえられ収容所で殺されたこと、また同じく社会主義活動家であった伯母さんが暴行されたりするのを見て大変傷つき、ドイツをさらに憎むようになったこと。青少年交換プログラムでイギリスに行っているときに、父親を殺したドイツには2度と帰りたくないということである女性の養子となりドイツ人からイギリス人になったらしいこと。この辺り、父親の死とイギリス行きの前後関係は不明。フランスはカーン(Caen)大学出身で、仕事でいろんな国に行っているが1976年からムルソーに越す2000年まではドイツのデュッセルドルフに住んでいたこと・・など。

おそらく父親っ子であったR氏は愛する父親を殺したナチスドイツを徹底的に憎んだらしく、他人が、自分の名前を養子先のイギリスの姓までちゃんと言わないと気分を害したらしい。何年か前、私はドイツ名・ドイツ姓+イギリス姓の順番に並んだ彼の名前が不思議で、もしかしたらイギリス女性と結婚して2重姓を名乗っているのかな・・と思って彼にそれとなく聞いたら、ポーランド系ユダヤ系イギリス人だからドイツっぽい名前なのだ・・・というようなことをぶつぶつ言っていたのでした。しかしそれも嘘だったようです。仕事の関係でずっとドイツに住んでいたR氏には結婚歴も不明、しかし、どうもゲイではないような・・・、PHを通じてMの古里ムルソーを知り、最後にはそこに引っ越してしまい2度とドイツにはもどらなかったわけです。ドイツを憎んだドイツ人R氏は、ブルゴーニュはムルソーのブドウ畑の真ん中にあるきれいな墓地の一角、しかし全く血縁関係のないMの母親の脇に永遠の安らぎの場所を見出したわけです。合掌・・。

偶然にも、本日ドイツのブッヘンバルトのナチスドイツ強制収容所の解放60周年記念式典がワイマールで開催されました。この収容所では主にナチスドイツに反対する政治犯が収容され殺されたそうです。式典には500人あまりの収容所生存者が出席しましたが、あと10年もすれば彼らもいなくなり、この歴史の悲劇の目撃者がいなくなってしまうことに彼らは危機感を抱いています。

ドイツを憎んだドイツ人の死

2005年04月11日 | 日記
R氏の葬儀はムルソー(Meursault)の教会で9時に始まりました。友人で身元引受人だったMより遺体を一緒に引き取りに行くかと聞かれましたが我々日本人3人は大泣きしそうなので、それはやめて教会の前で棺が運ばれてくるのを見守りました。R氏は2年前に葬儀保険を掛けていたそうで、棺のタイプや葬儀、火葬にすることなどを決めていたそうです。フランスでの葬儀は初体験で、神父の説教やお祈りなどがしばらく続いた後、最後に参列者各人が順番に神父から渡されたステッキのようなもので棺の上に十字を切るの(仏教の焼香に当たる?)ですが、これが一巡して葬儀は終わりとなりました。
棺が葬儀会社の連中によって運び出され、我々友人たちも車3台でディジョン(Dijon)の火葬場まで同行しました。棺に黙祷し火葬場のボタンが押された後、参加者9人で共和国広場のレストランでランチ。2時過ぎに骨壷を引き取りに再び火葬場へ。日本のように親族が骨を拾ってつぼに入れるというような習慣はこちらではないし、またあったとしてもR氏は一族の最後の生き残りで親族もいないわけで、すでに骨壷というか木箱に遺骨が入れられネジでとめられていて空けて見ることはできないようになってました。その後、ムルソーの墓地へ行くとMの母親の墓地の隅に納骨用の穴がすでに掘られており、骨壷を納めたのち、納骨参加者がそれぞれ土を掛けてお祈りし、納骨の儀式は終わりとなりました。

ホリエモンに託す夢

2005年04月07日 | 日記
日本放送、フジテレビ、ライブドア、SBIなどとそれぞれの主幹証券会社の表や裏の駆け引き・取引についてもっと詳しく知りたなといくつかのサイトを見たりしていたが、知人の死が続いたりで、落ち着かない毎日。8日の葬儀に出られるように、配達のアポを延期してもらい、土曜日に見に行く予定だったバレエを月末の公演チケットに変更してもらったり、猫の世話を隣人に頼んだりと障害をクリアして明日の午後出発できるようになりました、やれやれ。ラッキーなことに上司が先週から日本に出張していて不在なので、私も気兼ねなく休めるわけです。感謝!
いろいろこなしながら、何故私はホリエモンを憎めないのか・・というより積極的に応援しているのか・・・ずっと考えていました。その心は・・おそらく先が見えている団塊世代のおじさんたちが、自分の叶えられなかった夢をスーパーヒーローに託すかのように彼を応援しているのとたいして変わらないんだけど、私は21年前にどんな気持ちで日本を飛び出したのか・・とあの頃の自分を思い出していました。
21年前の私は、東京の満員電車で朝晩ヨレヨレになりながら会社に通っていて・・同じく周りのヨレヨレサラリーマンを見て、これが先進国日本の一流大学を出て一流企業で働く連中が中流と思っている暮らしなのか?こんな家畜列車に詰め込まれて会社とウサギ小屋を往復する毎日に何も怒りを感じないのか?と私はひとり怒りに燃えていたわけです。さらに21年前の女にとって日本の男権社会の壁は厚く、こんな国はExodusだ!とばかりに当時流行っていたボブ・マーリーのレゲエ音楽Exodusに乗って出エジプトならぬ出ニッポンを試みたってわけです。私には金儲けも起業の才覚もないし・・・ま、ホリエモンは男で、それは日本ではまだまだ女性に比べて有利だけど、既得権益集団に根回しもせず、ストレートにぶつかっていく姿は楽天の社長なんかより好感が持てますね、私には。というわけで、私が出来なかったことをやっている彼を素直に応援しているわけです。 彼の日本放送買収ということがなければ、日本のおじさんたちはいまだにノー天気にしてたでしょうが、彼が出てきて初めて買収対策を講じ始めたり、法を改正しようとしたりアワアワしているんでそれも外から見てるとおかしいな。

偶然、堀江貴文の半生記のようなサイトを見つけました。お勧めです。 彼って子供がいたんですねえ。

不幸は続く

2005年04月05日 | 日記
全くどうしたことか、このところ不幸が続いている。「山の会」で一緒に歩いた牧師様が3月27日に亡くなり、4月2日にはローマ法王(もちろん、知人ではありませんが)、そして本日、フランスはブルゴーニュのムルソー村に住んでいた知人のR氏が亡くなったとの知らせをもらった。昨年秋の万聖節に会ったのが最後となってしまったが、あの時はまだ元気で我々を食事に招いてくれて、いっしょにワインも飲んだっけ。R氏が住んでいた家の持ち主とその友人と我々の6人でボーヌのレストランに行って深夜過ぎまで飲んで食べて・・・あれが私にとっての最後のR氏となってしまった。2月に入院したと聞いていたので5月にはお見舞いに行こうと思っていた矢先だったのに。
葬儀は8日の金曜日になったらしいけど、毎金曜日葬儀で会社を休むってこともちょっと難しいなあ・・・でも最後のお別れもしたいし・・困ったもんだ。もっと近くならいいけど、何しろ片道650kmは遠い。思案中・・・

私にとってのホリエモン効果

2005年04月03日 | 日記

今日も朝から青空のいい天気で、気温は22度くらいまで上がるそうです。このところ毎日青空が続いており本当に気分がいい。今年の冬が異常に長かったのでその埋め合わせをしてくれてるのかもと思ってしまう。あと2週間したら高校の同級生たちが遊びにくるので、願わくは彼らが滞在する1週間は上天気であって欲しい。

さて、私にとってのホリエモン効果ですが、私から見たら普通のことをしているとしか思えないホリエモンを政治家・官僚・経済界などが一緒になって引き摺り下ろそうとするだけでなく、一般庶民の間からの彼をバッシングする声がネットの新聞記事などにあり、それが不思議でならずいろんな人のブログを見ていて彼の行動に賛同している tyuioさんのブログに行き当たったことです。 私のワイン片手に酔っ払ったようなアホな内容のブログと違ってtyuioさんのブログはおもしろいですよ。頭脳明晰で分析力抜群、語彙も豊富で文章も切れがあって小気味よく・・日本の情報、それも私好みの情報や物の見方に飢えていたので、まさに「ヤッター!」って感激してます。
(ブログを書き出してつくづく思ったのですが、元々なかった私の日本語力がますます落ちていて言葉が出てこないってことです。最近本もあまり読まなくなったし・・反省!)

で、ホリエモンのことですが、tyuioさんのブログで知ったのですが、日本ではテレビ番組などで街行く人に彼のことを好きか嫌いかなどと街頭インタビューなどしているらしいですね。そうやって、彼のことを好き派と嫌い派に分けたりすることに何か意味があるんでしょうか?いかにも日本的ですよね、こうやってイジメの土壌を作っていくんですねえ・・。どうして、人は人、私は私と互いにリスペクトするふうに持っていこうとしないんでしょうかね。どうしても敵と味方に分けたがるんですね。私は、彼を嫌いだといっている人はなんだかんだと最もらしい理由をあげるけど、やはりこれは同性に対する嫉妬だろうとうすうす思ってましたが、tyuioさんも同様のことをおっしゃってます。しかし、女だけで「男の嫉妬」だなんて茶化してもな・・と思っていたら、いましたよ。男性でちゃんと 堀江に対するバッシングの99%はやきもちだ と喝破されている方が。

男性が如何に嫉妬深くて意気地がなくって卑怯な(これを世間では女々しいというが、私としてははなはだ不本意で、雄雄しいと女々しいを逆の意味にして欲しい。)動物であるかは、30年も男性社会の中で働いているとよくわかります。ホリエモンバッシングで男の嫉妬深さを再確認させてもらいました。ということで、内側からの黒船として彼にがんばってほしい。負けるなよ、既得権益集団に!

男はしっかり見ていた!

2005年04月03日 | 日記

最近よく森の散歩に行くのはひとえに減量効果を期待しているわけですが、それというのも山の会のメンバーのひとりから、3ヶ月毎日1時間歩いて体重が減ったと言う話を聞いたからです。ずぼらな私は毎日歩くなんてとてもできませんが、せめて週末だけでも少しは森林浴も兼ねて歩こうと言う気になったのです。

昨日の葬儀で6年ぶりくらいに知人に遭遇しましたが、彼が私の顔を見て何か言いたそうだったので、「どうしたの?ずいぶん老けたねって言いたいの?」と言ったら、「いや、昔に比べて少し痩せたね。山歩きの合宿に行った頃はもっとプリプリしてたよねえ。」だと。

そう言えば、先月会った高校の同級生も「ちょっと痩せたんじゃない?」と言ってな。彼と最後にあったのは去年の6月だけど、その頃よりも痩せたってことかなあ?

男性陣は 女性が太った時にはそうとは気づいても「最近太ったんじゃない?」とは絶対言わないで、痩せたときにはちゃんとコメントするのね。太ったと気がついてもコメントするのは女性陣を不機嫌且つ怒らせてあまりに危険とちゃんと心得ているのかな。彼らは彼らなりにちゃんと処世術を学んでいるってわけね。しかし、ちゃんと見ているわけだ。

...と書いていると、テレビニュースでは今とうとうヴァチカン市国の鐘が鳴り始め、ローマ法王が亡くなったことが公式に知らされた。最後の最後まですごい生命力でした。初めてのイタリア人以外の、しかも共産圏ポーランド出身という身分で1978年以来26年という長きに渡って法王の地位にあった人が亡くなってしまった。ぽっかりと穴が空いたようで、やはり喪失感は大きい。
ご冥福をお祈りします。アーメン 


ローマ法王危篤

2005年04月02日 | ニュース・トピック

今日も朝から日本晴れ!・・じゃなかった、ドイツ晴れ!気持ちいい青空が広がってます。今週までイースター休暇で土曜日のバレエも休みなので朝からテレビ見ながら、ネット三昧。

昨日の朝からこっちのテレビはローマ法王、ヨハネス・パウロ2世の危篤ニュース一色です。ドイツには普通のチャンネル以外にニュース専門チャンネルが N-TVとN24と二つありますがどちらも、ほとんど24時間ローマ法王のニュースだけやってます。中でもN-TVはずっとヴァチカンからのライブを流してます。昨晩からヴァチカンの広場に集まりだした群衆はすでに6万人になるとか。すでに昨晩から血圧も下がり、腎臓も機能しておらず、脳死状態らしいけれど、最後の最後まで「死亡」ということにはしないので、一体いつまで延命処置をするのか・・やきもきしてますが、アメリカのテリー・シャイボの安楽死を批判したヴァチカンだから、法王も簡単に死なせるわけにはいかないんでしょうね。エイプリル・フールの日に死亡ではシャレにならないんで、いくらなんでも4月1日ははずして、2日にするのかな・・・なんて思ってますが。法王が死ぬに死ねないでいる間にヴァチカンの裏側では次の法王選びの権力抗争が展開されているんでしょうね・・・。世界最大のマフィアの内部で今何が起こっているのかそっちのほうが興味津々ですけど。公的コンクラーベの裏の権力争いのほうがおもしろそうだもの。

さて、あんまり天気がいいのでネットで遊ぶのはちょっと休憩して、森の散歩に行ってきます。