ドイツ日記 Les plaisirs et les jours

ドイツに滞在して26年経過。2年後に日本へ本帰国予定。ゴルフを始めて4年半ですが相変わらず下手な初心者ゴルファーです。

ブルゴーニュ旅行記 3

2005年07月29日 | ゴルフ & 旅行
24日(日)もまずまずの天気。朝食の後は、おいしいチーズを売っている店を教えてあげるというMの先導で少し南にあるシャニー(Chagny)の朝市に行く。チーズを売っている店は数軒出店していたが、インサイダー情報を有難く受けてMの推薦の店で、今回買ったチーズは下の2種類。

まずはMorbierというチーズでFranche-Conté地方の牛のチーズ。

真ん中に見える黒い線は草から作った炭らしい。
モルビエチーズの作り方はこのサイトを参照下さい 

柔らかすぎず固すぎずなかなかの味。このサイトによると日本では100gを630円で売っているだが、こちらでは100gはわずか81セント!1ユーロ135円で計算しても約110円だから日本じゃ約6倍の値段だ。ヒェ~~

それからAisy Cendre というブルゴーニュ地方のやはり牛のチーズも購入。
Marc で洗ったウォッシュタイプチーズの王様エポワスをさらに一月灰の中に埋めて熟成させたもの。だから回りは灰に覆われているのでこのように黒い色をしている。


このサイトも参照して下さい。

因みに、このチーズは250gで6.6ユーロだった。これより少し安いエポワスは250gのものが確か5ユーロ台だけど、サイトをチェックしてみると日本ではエポワスチーズが大体2600円から2700円台で売られている。ということは、私が買ったチーズは多分日本では3000円くらい?オー・マイガー たかがチーズなのに、日本人が知らないと思って何とも法外な値段で高級食品のようにして売られているんだ。どこの誰が中間で暴利を貪っているんだ?

それにしても、納豆や豆腐はこちらの日本食品店で帰るし日本で買うより多少高いといってもたかが知れているし、これらは自宅で作ることも可能だ。でも日本国内ではこちらのおいしいチーズを手頃な値段で買うことも出来ないし、ましてや家で作るなんてことは到底無理な話。ってことはどっちも手頃な値段で気安く食べたい私はこっちにずっと住み続けるっきゃないってこと?ま、今のところ帰る気もないんだが・・・。

Chagnyの朝市はかなり大きくて有名な高級レストラン「ラムロワーズ」(Lameloise)の前まで伸びていた。このレストランは大好きでワイン仲間と何度か食事に来た事があるのだが去年までは3つ星だったのに、今年は2つ星に格下げされてしまった。どうもサービスの質が落ちたようだ。

朝市の後、Mに別れを手告げて我々は Abbaye de Fontenay (フォントネ修道院)に向かってドライブ。途中 Saulieuという小さな街にある3つ星レストラン Bernard Loiseauの前を通る。彼は数年前に猟銃自殺したのだが、その後も奥さんががんばっているらしくレストランはまだ3つ星を維持している。まだ彼が元気だった頃ワイン仲間とこのレストランにも食事に来た事があるが、いや~、高かった!

今回はこの高級レストランは当然のように素通りし、 Semur en-Auxois という小さな街でランチ。ここも昔来た時は日本の団体観光客もいたりして賑わっていたが、この日は何だかひっそりとしていた。食べた定食もあんまりパッとしないものだったので詳細は省略。

そういうわけで、フォントネ修道院に到着した時はすでに夕方になっていた。
 修道院の回廊

日本人観光客も多いとみえて入り口で入場料を払うと日本語の説明書をくれた。それによると、この修道院は1098年に創立されたシトー修道会の一つとして貴族出身の聖ベルナルドによって1118年に新たに創立されたそうだ。シトー(Cîteaux)派は聖ベネディクト(6世紀)の戒律のもとに世俗を離れ清貧、貞潔、従順の誓願を宣立し、沈黙・祈り・働けの生活を送っていたそうな。で、この寺院もいろいろと盛衰の歴史があるのだが、多いときは200名を超える修道士が共同生活をしていたそうだが、フランス革命当時は12名にまで減っていたようで1790年に国の所有物となりその後も幾多の変遷を経て現在は資産家の私的所有物でもあり歴史的記念物でもあり、1981年にはユネスコの世界文化遺産にも指定されている。


ところで旅の同行者の1人で私のダンスパートナーでもあるHは日本でサラリーマン生活を数年した後、カトリックの神父になろうと思い立ち日本のイエズス会よりミュンヘンの修道院に派遣されそこで修業をしつつ大学に行くはずだったのだが、ある時書置きを残して修道院を脱走したのだ。どうも修道院が街の近くにあったらしく世俗の魅力に勝てなかったとみえる。このフォントネ修道院のように人里離れた奥地にあったならHも脱走を思いとどまったかも。でも映画「薔薇の名前」のようなことが逆にあったりして・・。そういうわけでHは脱走後20年近くにわたって脱走の賠償費を支払わされることになったのだ。

食道楽の私としてはちょっと不満な旅ではあったが、この修道院に来れたのは今回の旅の収穫だった。ワイン仲間とは修道院見学なんてことに時間を割かないもの。