ドイツ日記 Les plaisirs et les jours

ドイツに滞在して26年経過。2年後に日本へ本帰国予定。ゴルフを始めて4年半ですが相変わらず下手な初心者ゴルファーです。

ハマるかも・・・・?

2005年08月30日 | 日記

この間から北朝鮮利権関連を暴いた本などを読み、村上龍の最新のベストセラー「半島を出よ!」の上巻を読み始めた矢先に、ついに私のところにも2年遅れで  例の物 が知人から回ってきた。いい加減 朝鮮半島にや~~なイメージを持ったところで あの連ドラ 「冬のソナタ」 が来たのである。で、北朝鮮の話じゃないし、博多を占拠する話でもないしってところで昨日から見始めたんですけど、フン!メソメソしてばかりのメロドラマだわねえ~って思いつつ、いつの間にかこっちも涙してたりして(笑)・・これ20話もあるの?
日本に帰国するまでには見終わって返却する約束なんで急いで見なくてはいけないけど、本も読んで返却しなくちゃいけないし・・ああ、忙しい。

な~るほど、これが日本のオバサンたちが大騒ぎしているヨン様かい?あ~、でももう1人のパク・ヨンヒってのもかわいいじゃん・・。続けて見るとハマりそうなんで一日一話だけと決めてるんだけど・・9月10日までに見終えるかな?これまでの感想はアメリカとかスペインのソープオペラによくありがちな話の筋ってこととそれぞれの役のキャラがこれまたよ~くあるわかり易いパターンだよね・・ってことかな。

さて、私はこの連ドラにハマルだろうか?

ダンスパートナーのHは男の癖に(といってもゲイだが)すっかり「冬のソナタ」とヨン様にハマってしまってヨン様のA4拡大写真をいつも眺めているらしい。日本のおばさまだけじゃなくゲイにも好かれるヨン様であった。

またひとり・・・

2005年08月27日 | 日記


この地で結婚し歯科医でもあったJ子先生が7月15日に逝去されたとの報に接し本日はちょっと気が滅入っている。天気も薄ら寒いし。

日曜日には28度になるらしいが、今年のように天気が悪いと酷暑・熱帯夜の日本の夏でクーラーつけずに汗ドロドロでいることに憧れてしまう。

J子先生は過去にどこかの癌の手術をされていたようで、よく行ってた鮨屋のカウンターでたまに一緒になったりしたがガリガリに痩せていたので心配したものだ。

まだ歯科医として働いていらした時に私の最後の親知らずを抜いてもらったこともあったっけ。きっと癌が再発したんでしょうね、私よりずっと若かったのに。合掌

それにしても我々の世代は本当に癌になる人が多いが、16歳離れた姉の周りは癌よりも脳疾患になる友人たちが多いとのことだ。

日本の知人からのメールはこのところ親の介護のことが中心だ。これが一段落したら今度は自分たちの病気の話になるんだろうか・・。

死ぬ寸前まで元気でいたいとポックリ病を願うのは誰しも同じだろうが、寝たきりにならないてめには少なくとも90歳くらいまでは元気溌剌としてないとだめだ・・とか。

早朝ウォーキングは今のところ継続中だけど、早朝に運動するのはよくないと知り合いのおじさんたちが言うのだが、朝しか時間が取れないのだからしょうがない。
今朝はいつもより寒かった・・これから寒く暗くなるけど続けるぞ~!


かたや山火事かたや大洪水

2005年08月26日 | ニュース・トピック
全く天気のパッとしない夏だったが、南方面ではとんでもない事態になっている。

乾燥した気候と水不足の深刻さは今年の春からすでに危惧されていたのだが、それが現実のものとなり、ここ数週間スペインの山火事に続いてポルトガルで山火事が30箇所ぐらい一斉に起こり自国だけではどうにもならない非常事態に陥ってEUに救援を求めてきていた。フランスやドイツの消化救援ヘリなどで今日になってすべての山火事を何とか鎮火させることができたようだが、これまでにポルトガルでは20万ヘクタールの森が灰となり16人が犠牲になり、スペインでは10万ヘクタールが燃えて13人が犠牲となった。

かたや南ドイツ、スイス、オーストリアでは大雨による川の氾濫、地滑りで各地が大洪水に見舞われている。南ドイツではドナウ河沿いはまだ危険水域らしいがそれ以外は峠を越したようだが、オーストリアのチロル地方では洪水と地すべりで道路が寸断され、6000人の休暇客がホテルや民宿に閉じ込められたまま身動きが取れない状態らしい。


年々地球の天候不順が異常になってきているような・・・。散々したい放題の環境汚染をやらかしてきて今更地球にやさしくなんていってもすでに手遅れかも・・・。 

「世界青年の日」終了

2005年08月21日 | 日記
ハレルヤ~ハレルヤ~、今日は晴れるや

なんて寒いギャグを言ってる場合じゃないが、朝から霧で、その割には全然晴れてこない日曜日だ。金曜日の夕立とともに本当に夏が終ったようだ。

それにしても、16日からの「世界青年の日」の行事で世界約200カ国から集まった40万人以上の若者でケルンだけじゃなく、うちの市もリュックを背負った若者であふれていた。デパートの入り口付近では法王グッズのお土産が売り出されショッピングモールの入り口には雨宿りの若者集団が座り込みハレルヤコーラスをやってるし、テレビをつければローマ法王の顔と礼拝やお祭り行事でまたハレルヤ大会だ。
昨夜のイベントや本日のローマ法王の最後のミサには約80万人の巡礼者や観衆が集まったらしい。テレビのアナウンサーはこの人の山を見て「仮設トイレは充分に足りているんでしょうか」・・なんて心配していた。

街の中心のショッピング街は巡礼観光客で溢れているので、昨日は久しぶりにバレエのレッスンの後港地区のお気に入りのレストランであるロバーツ・ビストロに食事に行った。

港地区というのは、ライン河沿いにある港のある地域でここ数年で再開発され薄汚かった倉庫街が今ではおしゃれなデザイナーズビルのオフィス街、テレビ局やレストランなどに変わり、ま、東京でいうとお台場のような地区に変身したのだ。

ロバーツビストロは再開発される前からずっと続いているフランス料理のビストロで、味と値段がリーズナブルなのでグルメには人気のあるレストランだ。そのせいで何時行ってもとにかく満員で店内人でぎっしり。予約は取らないので席が空くまでじっと待つしかないのだ。昨日は午後1時を過ぎて行ったので運良く空きがありすんなりとテーブルを確保できたけどこんなことはめずらしい。

このところ早朝ウォーキングが一日の休みもなく続いているんで、つい気が大きくなって金曜日の夕方には特大のロース豚カツ定食を平らげた私はこの日は魚でいくことにした。前菜は生牡蠣半ダース、メインにブイヤベースと食べてデザートはマンゴーヨーグルトのフルーツ添えでおいしいけど、お腹いっぱいで苦しい。
夜は絶食だ!この店に初めて来たダンスパートナーのHは「こんなおいしいビストロがあるのなら、いちいちフランスまで行く必要ないね。」と、えらく気にいった様子だった。この間ブルゴーニュに行ったときに挑戦したAndouilletteがメニュにあったので食べてみたらと勧めたけれど、もう2度といやと却下されてしまった。

・・そういうわけで、金曜日の朝までは順調に減っていた体重が週末の食べすぎで少しリバウンドだ。 体重ってなかなか減らないもんだね。

負け犬の遠吠え

2005年08月20日 | 日記
今何が一番おもしろいかというとそれはやっぱり日本の選挙騒動でしょうねェ。
小泉首相が衆議院解散・総選挙に打って出てからの郵政民営化法案に反対した自民党の連中の困惑とオタオタ振りを見ていて、この図何だかちょっと前にも見たような・・déjà vu 感に襲われたんだけど・・よく考えてみるとそれは数ヶ月前のホリエモン騒動に何だかとっても似ているように思えたのだった。

あの時ホリエモンにいきなり乗っ取られそうになった日本放送の亀淵社長やフジテレビの日枝社長だったか会長だったかもはや定かじゃないけど、彼らが自分たちの企業経営能力の無能さを棚に上げたまま、ホリエモンに対して「やり方が汚い」とか「卑怯だ」とか罵っていたのと、亀井静香が新党結成に際して小泉首相に対して独裁政治だとか言ったり、荒井参議院が自民党を離党するときに自由も民主もないとか言ってるのって全く同じ負け犬の遠吠えの構図だよね。最近じゃ「負け犬」も別な意味で使われているようですが。

サラリーマンアナウンサー上がりの亀淵も小泉首相の真意を読み違えた亀井静香も負けた後にああだこうだと全くみっともないったりゃありゃあしない。亀とつく連中は歩みがノロイだけじゃなくってどうもお頭のほうもノロそうだ。

さらに考えてみると、戦後60年経っていまだに反日の狼煙を上げて吼えている中・韓も同じような構図で、侵略や併合された被害者意識で感情的になってないで、己の当時の国家経営無能力を反省するってことはないのかね、全く。

・・・そういうわけで やはり負け犬の遠吠えはみっともないと思ったのだった。

しかし、亀井静香よりももっとオバかなのは民主党じゃないだろうか。郵政法案に反対した民主党は小泉首相の「国を改革したいのか、したくないのか」のわかりやすい戦法の前では非常に不利な事態に陥ってしまっている。民主党は政権を取りたかったんじゃなかったの? 今のままじゃ改革に反対した党という烙印を押されて票も取れないでしょうね、きっと。

さらに、ホリエモンは亀井静香の選挙区から郵政改革賛成派の無所属で立候補することになった。そんなこんなで日本の総選挙はサッカー以上に面白くなりそう。

そういえば、9月18日にはドイツでも選挙があるんだが、こっちはほぼ結果が決まっているようなもんで、取り合えずCDUのメルケル女史にやらせてみようということになるんじゃないかな・・。



ローマ法王がケルンへ

2005年08月19日 | ニュース・トピック

本日は8月になっておそらくドイツで一番暑い日だったと思うけど、それでもこの辺りは28度。今年は本当に天気が悪い夏だった。この暑さも最後の打ち上げ花火みたいなもんで、また明日は崩れて夏もこれで終わりかも。

さて、16日からケルンで始まっていた「世界青年の日」のハイライトは本日のローマ法王ベネディクト16世の訪問だった。テレビはずっとライブで法王の空港到着から遊覧船でのライン河下りとかケルン大聖堂でのミサや聖堂前でのスピーチ、ガラス張りの車でのパレードなどをやっていてケルンは上を下へのの大騒ぎのようだった。

16日から始まっていたこの「世界青年の日」のイヴェントのために、世界中から数十万人以上の若者がケルンを中心に近郊の市に集まっている。うちの市でもライン河沿いの河原の芝の上に仮説テント小屋が幾つもできているし、知人の美容師は夫がドイツ人なのだが、彼はどうしても巡礼の若者の宿泊に自分のうちの部屋を提供すると言っていたらしい。彼曰く、「このボランティア活動をしないと自分は罪悪感いっぱいになって天国に行けない。」とのこと。また、私のダンスパートナーの同居人の太鼓腹Wは巡礼の若者たちへの炊き出しというか食事配給ボランティアで毎朝早くうれしそうにケルンまで通っているらしい。ふ~~ん、そういうものかネェ・・・と信仰心のない私は考えるのだった。

それにしても、21世紀も5年をすぎて世界中からカトリックのイベントのためにこんなにもたくさんの若者が集まってきて楽しそうに歌ったり踊ったりするのって・・何だか異様にも見えるなあ・・・再び首をかしげる不信心な私であった。それでもイスラムのモスクの中みたいにひげを生やした男だけじゃなく、各国の旗を振りながらも男女が友好的にしているのはまだ好感が持てるけどね。

ところで、「世界青年の日」が始まった16日にはブルゴーニュのディジョンの近郊テーゼ(Taizé)にあるキリスト教の共同体を創立した90歳になるブラザー・ロジェが、ミサの途中に大勢の信徒の目の前で頭のイカレタ女性に刃物で刺されて殺されてしまったのだ。直ちにこの悲報がケルンにもたらされ集まっていた若者たちは悲しみとショックに見舞われたのだった。

このテーゼの共同体は第二次世界大戦の最中の1940年にプロテスタントのブラザー・ロジェともう1人のフランス女性によって創立され戦争の避難民、とりわけユダヤ人の保護や後にはドイツ人戦争捕虜などの世話をしていたらしい。現在この共同体には世界の25カ国から100人あまりのプロテスタントやカトリックの修道僧が集まり、またそのうちの何人かはナイロビからニューヨークまで大都市の貧困地域で活動しているとのこと。で、このテーゼ村には毎年夏になると世界各地から何万人もの若者が瞑想などにやってきていてこれは今日の「世界青年の日」の集いの青写真となったらしい。

宗教にファナティックになる姿には引いてしまう私だけど、それに過去に数々の残忍な事件を引き起こしているキリスト教だけど・・それでも困っている人を助ける気持ちを持ち行動することは美しいとは思う。・・・しかし、そんなキリスト教徒が現在イスラム教徒に宣戦布告されているとは・・何とも皮肉なものよのう・・・。



ドイツ対オランダ

2005年08月18日 | サッカー

昨夜は各地でワールドカップの予選や親善試合が行なわれたが、オランダのロッテルダムでは因縁の対決ドイツ対オランダの親善試合が行なわれた。

結果は2対2の引き分けだったけど、内容的にはオランダは3,4点入れてもおかしくないほどのチームだった。前半開始3分でRobbenに見事はシュートを決められてしまい、ドイツはショックから立ち直れないのか全然動けない、ボールを取れない・・全く、何てこったァ!後半もいきなり再びRobbenのゴールでKahnは呆然。
この後何とか2点取り返したけど、コンフェデ杯の時の出来と昨夜は全然違っていた。こんなんじゃ、来年のワールドカップも心配だな・・。

ドイツ対オランダのファンの対決がないように警備は万全だったようで、ラジオによると、オランダ人がスタジアムを全員出た後でドイツ人が出されそのままバスに押し込められて帰国となったらしく・・何事もなくすんだようだった。こうでもしないと、とんでもないスタジアム外の対戦になってたかも。

日本関連のニュースが多いような・・

2005年08月16日 | ニュース・トピック


ドイツのTVでも8月になると毎年のように日本関連のニュースが放送されるんだけど、今年は広島・長崎の原爆慰霊の式典と来て、郵政民営化法案否決・衆議院解散・総選挙のニュースがあり、今日15日は敗戦の式典で、またまた小泉首相の顔がTVに映っていた。そういうわけでこのところ頻繁に小泉さんの顔がこっちのTVに映っている。本日の式典では下を向いてまたまた植民地支配・戦争侵略の非を中韓に詫びているところ。エエイ!一体何度謝れば気が済むっていうわけよ、中韓の連中ったら。戦争についてはまだしも、植民地支配まで何で何度も詫びなきゃならないわけよ?当時の帝国主義国家はあっちこっちに植民地を持っていたけど、英・仏・蘭・独なんかが彼らの植民地に後からこんなに何度も詫びたなんて話聞いたことがないわ。中国だって日本ばかりじゃなくって英国にも謝らせたらどうなのさ。自分たちはチベット侵略したままだってのに、全く・・・とついムカついてしまいたくもなるのだった。

日本のニュースといえば、数週間前の朝のモーニングショーの芸能コーナーでSMAPまで紹介されていたのはびっくり。彼らの歌を「Suhi-POP」と紹介していたけど、ニッポン物には何でもすしをつければいいと思っているみたい。ハンブルグのサッカーチームにいる高原は当初、「すし爆弾」って言われてたし。

来月休暇で日本に帰国するけど、途端に世界で何が起こっているかわからなくなるんだよね、毎度だけど。日本のTVは朝からくだらない芸能ネタか食べ物情報しかやってないんだもんね。

早朝ウォーキング

2005年08月14日 | 日記

登山合宿から帰ってきた翌朝体重計に乗ってみたら何と!行く前より増えていた。
あれだけ飲んで食べていたのだからしようがないか・・。難攻苦行の登山で消費したカロリー以上に摂取したってわけね、トホホ・・

これじゃあいかん!という気持ちと登山してみて如何に持久力や体力が無くなってきているかを実感したのでさっそく早朝ウォーキングを日課に取り入れることにした。私のようにおいしい物を食べるのが趣味でこれだけは外したくないという者は身体を今以上に動かさないことには消費出来なかったカロリーがどんどん溜まっていくばかりだ。ドイツにいると、とにかく回りは縦横デカい連中ばかりなので私ってまだ痩せてるし大丈夫だわ・・と気にもしないので食べてしまうのだが、日本に帰国すると周りはガリガリの人ばかり。日本人はちゃんと食べてるの?・・と思ってしまうが、レストランなどで出される料理はこちらの量の半分以下で値段は倍以上なんだから、なるほどね痩せるわけだ・・と納得してしまう。ま、単に痩せているだけでは格好よくもないんだけどね。日本の若い子は痩せているだけで姿勢と歩き方が最悪だからちっとも格好よく見えないのが多い。

で、9日から始めた早朝30分ウォーキング、今のところ続いている。継続させることが大事なんで家を出て15分早足で歩いて回れ右して戻ってくるという方法。今朝は土砂降りの雨の中を登山用のヤッケを着て歩いた。

午後になって雨も上がったが曇り空。今年はこのまま秋になるのかな・・。
酷暑の日本もいただけないけど、今年みたいに天気がパッとしない夏もいやだな。





ツークシュピッツェ登山合宿 (4)

2005年08月13日 | ゴルフ & 旅行
8月8日(月)天気は相変わらずパッとしない。朝のTVで「日本の郵政法案否決、9月11日選挙」のニュースをやっていた。自民党をぶっ壊すと言ってた小泉さん、マジに自民党を壊してるわ・・と思いつつ朝食を取りにダイニングへ行く。

チェックアウトして外に出ると来た時とは姿の違う山が見える。昨日降った雪を被っている。 

出発まで時間があったので荷物を駅のロッカーに入れて山用品の店で買い物をしたり、ガルミッシュの街の散策に厭きたのでパルテンキルヒェンまで散歩したりして過ごす。ガルミッシュ・パルテンキルヒェンはドイツの高級リゾート地で我々が泊まったペンションのある辺りはお金持ちのでかい別荘がぞろぞろ建っていた。街にはセレブがうろうろしている・・らしいと聞いていたが、出会わなかったよ~って言うか誰がセレブなのか顔知らないし・・。会社の同僚はベッケンバウアーはよく行ってるらしいから彼に出会うかもよなんて言ってたけど、会わなかったよ。

ミュンヘンでICE(Inter-City Express)に乗り換えたんだけど、待ち合わせ時間に駅前のデパ地下に行ったら回転すし屋があっってテイクアウトの寿司も売っていたので、さっそく買い込み列車内で食す。駅でも寿司屋があって寿司パックを売っていたのにはびっくり。全く20年前には考えられないことだけど、最近は本当に寿司ブームで大都市にはたくさん寿司屋があるのだ。でも、デパ地下も駅の寿司屋もやっている人は東南アジアのどこかの国の人だった。

夜11時頃に我が家に到着。疲れた! つらかった! でも楽しかったな。
花がきれいなペンション


放射能対策

2005年08月13日 | 日記
レストラン等に魚を卸している知人から「鯵が余ったので買わない?」と電話があった。アリカンテで水揚げされて空輸されてきた新鮮な鯵だそうで、さっそく4匹うちまで持ってきてもらって、1匹は鯵のタタキにしてもらい、残りの3匹は開いて塩を振ってただ今干物にしているところ。自宅まで配達してくれて魚をさばいてくれるなんて本当にいい奴だ、友人として大事にしよう。

今晩は魚の予定じゃなかったけれど、急遽変更で久しぶりに葱と生姜がたっぷり入った鯵のタタキを肴にビールを飲んだ。何でもビールには放射能予防効果があるらしい。 で、放射能による染色体異常を防げるんだとか・・。これでビール好きな人は飲んだくれる大義名分が出来たってわけね。でもビールってすぐお腹いっぱいになるから私はあまり飲まないんだけど。でも、運動やお風呂上りはやっぱりワインよりビールだ。ま、何はともあれビールの効用がわかったようで、これからは放射能対策だ・・と思いつつ飲むことにしようっと。

ツークシュピッツェ登山合宿 (3)

2005年08月12日 | ゴルフ & 旅行

8月7日(日)窓の外はガスで何も見えず。眼を凝らしてよ~く見ると、な、なんと!雪が降っている。ヒェ~~!

本日は2050mにあるこのヒュッテから2600mの地点にある Sonn-Alpin というロープウエイの駅まで行かなくてはならない。標高差は550mだし、前日の最後の700mの登りほど勾配がきつくなく歩く距離が少し長いだけなので何とかなるだろう・・と出発したのが、9時20分。この標高差550mの登りもドイツ人用のガイドブックによると1時間しかかからないとなっているらしいが、我々日本人じゃとっても無理。脚の長さが違うもんねえ・・。前日も後から登って来たドイツ人にどんどん抜かれて彼らはあっという間に見えなくなったもんだった。まるでアウトバーンでポンコツ車の横をポルシェでヒュ~っと抜かれるようなもんだ。

視界も悪く粉雪が舞っていた。これが8月の天気なの
文句を言ってもしょうがないので、ただ黙々と歩き始める。最初は瓦礫の上に薄っすらと雪が積もっているという感じだったのだが、標高が高くなるに連れて積雪が段々深くなり、視界は5mもないくらい、先に行った人の足跡も見えずかなりやばい状況で、積雪20cmくらいの中を勘を頼りに歩いたのだがまるで「八甲田山、死の彷徨」という雰囲気で一時はどうなることやら・・幹事は責任重大でプレッシャーが大きかったでしょうね・・。とにかく黙々と歩き11時半にザイルバーン(ロープウエイ)の駅を発見 遂に 2600mまで登頂だ!やはり我々日本人は登るのに2時間もかかってしまった。

駅の横のレストハウスまでよろよろと登って行ったら、な、な、なんと!ロープウエイで上がってきた軽装の中国人の団体客20人くらいがきゃあきゃあと記念写真の撮りっこをして雪の中ではしゃいでいる。う~ん、恐るべし中国人!中国語だというのはわかるけど、香港人なのか、台湾人なのか、はたまた本土の中国人なのかは実は私にはわからなかったのだが。

ランチに熱々のグラーシュスープを食べて身体も暖まったところでいよいよ山頂を制覇だ!・・と言ってもここから先は崖な上に雪とガスの中をザイルにつかまりながらの怖い登山になるので、我々のような素人には危なすぎるということで当然のようにザイルバーンに乗ることにする。で、たったの4分で 2962mの山頂駅に到着。山頂の気温はマイナス5度。8月の雪山体験。

山頂テラスに出てみると、今度はアラブ系の団体客がきゃっきゃと雪合戦をしていた。恐るべしアラブ人・・といっても中東のどの国か不明。身なりからするとお金持ちっぽい団体であった。

ところで、2600m地点のレストハウスの表示などは、ドイツ語・英語と来て何と!3つ目は日本語になっていたので驚いてしまった。


それだけ英米に次いで日本人観光客が多いってことなんでしょうが、そのうち日本語が中国語にとって替わる日が来るかも・・又はアラビア語?

山頂レストランでラム酒の入ったコーヒーを飲んで暖まり、ザイルバーンで一気に
アイプ湖まで下山。下界も天気が悪く湖の周囲の気温は零度。ツークシュピッツェバーンに乗ってガルミッシュへ戻る。そう言えばこの鉄道駅のゴミ捨ても日本語表示がしてあったのだ。


ペンションに戻り熱いシャワーを浴びて久しぶりにテレビニュースなどを見たりして休憩。ビールを飲んでお次はワインを飲みつつ中国・北朝鮮の悪口大会となる。私と同室になった人がとにかく明るい性格でザルのように飲む人で幹事の部屋割りに感謝。

この日はイタ飯屋で夕食を取った後、ペンションのリビングで打ち上げの飲み会となり、深夜一時半まで飲んでいた。

難攻苦行の登山も終ってみれば楽しいものだった。一時はマジに心臓が破裂するかと思ったのだけど。





ツークシュピッツェ登山合宿 (2)

2005年08月11日 | ゴルフ & 旅行
8月6日(土)目覚めると外は寒そうな雨が降っていた。
こんな天気で登山するの?・・と半信半疑なまま取り合えずダイニングに朝食を取りに行く。しかし、幹事の口からは中止のお達しもないので、こっそりと昼用のサンドイッチなども作りつつたっぷりと朝食を取る。

山小屋宿泊用に必要な物や遭難を想定しての水や食料などもリュックサックに詰め込み準備完了。オリンピックスキージャンプ台のあるところまでバスで移動。

午前8時50分に標高725mのところから本日の登山開始。本日の目標は標高2050mのところにあるクノールヒュッテ(Knorrhuette)まで登ること。

ところが・・!出だしからいきなりきつい高度で登りだし、馬鹿みたいに水を3リットルも担いだ重いリュックが肩にずしりと食い込んで、心臓バクバク状態で今にも爆発するんじゃないかとヘロヘロになってしまった。このきつい登りがかなり続いたあとにやっと、なだらかな沢伝いの登り道になってやっと生き返ったというか息が出来るようになったというか、いやはや何ともいきなり体力のなさを実感する事態になってしまった。

正午頃に途中の小屋に到着。約35分のランチ休憩。途中雨が降ったり日が差したりの繰り返しで、ヤッケを着たり脱いだりとかなり忙しい。それでも歩いている間はとにかく暑くて汗びっしょり状態。

 途中にあったエメラルド色の湖
「湖に君は身を投げた・・」などと口ずさむ余裕がまだこのときはあったのだが・・・。

沢伝いに奥へどんどん歩いて行き、午後2時半過ぎに次の小屋に到着。ここで雨宿りをしつつ最後の休憩。そしていよいよ本日の最大にして最後の山場に近づく。

最大にして最後の山場は標高1350mの所から2050mまで標高差700mを登り切ることなのだが、この道がかなり急でほとんど直線に近く、しかも瓦礫の道なき道なのだ。ここをドイツ人なら普通1時間で登るらしいのだが、我々の体力とコンパスではそんなに速くは進めない。瓦礫の急坂を息も絶え絶えに登り、午後17時10分にや~~っとクノールヒュッテに到着。やった~~!

ヒュッテに着いたときは力が尽きていて自分たちの部屋にいく階段を上がるのもヘロヘロできつかった。・・と、取り合えず・・ビ・・ビール・・と食堂に倒れこみ飲んだビールは上手かった。
しかし、2000mを超える所にいるせいか、何だか心臓が苦しい。

アジア人グループは我々9人だけで後はもちろんドイツ人、それから数人のイギリス人グループもいたが、皆山登りのベテランのような顔つき体つき。つまり、下界にたくさんいるような太鼓腹のおっさんみたいなのは1人もいず皆引き締まった体つきの連中ばかり。

どのテーブルも食事の後はトランプに興じていた。テレビも音楽もないから他にすることもないし。我々もババ抜きや七並べなどを延々とやったがそれにも厭きて寝室に戻り早々に就寝。幸いヒュッテが超満員ではなかったので、2人分の幅のベッドを1人で占領して寝ることが出来たのでラッキーだった。

それにしても、登山初心者にしてはあまりにきつい登山で、汗と涙と鼻水と雨で顔はぐっしょり。登るのに必死で、日焼けがどうのシミがどうの・・なんてのはもはやどうでもよくというかどうにでもなってくれ・・それどころじゃないって感じでこんなことなら、化粧道具かついで来るんじゃなかったと後悔しても始まらない。来年の合宿の時は担ぐリュックの中身は軽くしようと反省。

ツークシュピッツェ登山合宿 (1)

2005年08月10日 | ゴルフ & 旅行
今年の山の会夏合宿は、ドイツ最高峰ツークシュピッツェ(Zugspitze、標高2962m)登山に決定し、8月4日23時11分発の夜行寝台電車で出発した。電車組は女性ばかり8人で、4人ずつのコンパートメント2つ。列車に乗り込むや否や早速酒盛りが始まりビールとワインを飲みながら大騒ぎをしていたら、隣のコンパートメントから「静かにしろ」との苦情の合図があり、缶ビール数本とワイン2本空けたところで早々に就寝。

5日朝ミュンヘンで電車を乗り換えて目的地のガルミッシュ・パルテンキルヒェンに8時57分に到着。駅のカフェで朝食を取っていると車移動組が荷物をピックアップに来てくれたので我々電車組はペンションまで手ぶらでブラブラと歩く。前日は雨で薄ら寒かったそうだが、この日は青空でいい天気。
遠くにうっすらと見えるZugspitze山脈


チェックインの後、足慣らしのハイキングへと12人全員で出発。本日の目的地はペンションのすぐ近くの丘 St.Martinにあるレストラン。
 丘の中腹から見えるガルミッシュの街とツークシュピッツェ山脈。肝心の最高峰のツークシュピッツェは右端にあるはずなのだが雲に隠れて見えず。

丘のレストランでバイエルン料理とビールを堪能し、ペンションまで戻り昼寝の後スーパーへ買出しに。雲が取れてかなりはっきりとツークシュピッツェが見えているような・・。


夕方ガルミッシュの街のレストランで再びバイエルン料理とで宴会。こんな調子ではどんなに歩いても体重は減らないだろうな・・
しかし、明日の本格登山に備えてペンションに戻ってからは皆静かに早めに就寝。

この時はまだ明日の登山があんなに大変だとは夢にも思っていなかった・・・。

休暇届け

2005年08月03日 | 日記

たいていの連中が夏の休暇を取っているこのシーズン、会社の中はガラガラ状態だ。夏の休暇だが、ドイツ・フランス・イタリアなどは夏に3週間から4週間続けて取るのはごく普通だが、イギリスではどうも2週間というのが標準のようだ。

3年前に新会社になって以来うちの会社のHQはイギリスになったのだが、連中はドイツの社員が3,4週間の休暇を取ると非常に驚いてsabbatical leaveか?と聞くらしい。「ドイツではsabbatical leave というのは普通半年以上のことを言うのに・・。」とイギリス人上司に休暇を届けた同僚は嫌味を言われたとブリブリしている。うちの会社にもこの sabbatical leave の制度があって今エンジニアの1人が4月から半年の休暇を取っている。勉強しているのか旅行してるのか詳細は知らないが。

・・そういうわけで今年の休暇は4月に友人が日本から遊びに来たときに1週間取っただけなので(それも昨年の休暇の消化のため)私も早く休暇をとらないと消化しきれないので、9月14日から10月3日までを休暇にしてその間に日本に遊びに行くことにした。まだ残暑が残っているかもね。台風が来る頃でもあるな。
それに、最近妙に多い関東地方の地震も心配だし・・・テポドン、北の核実験・・・なんてことを心配してたらキリがないな。今回は伊勢を巡って大阪旅行もつけて故郷の小倉まで行って遊んで来る予定なんで楽しみ。

その休暇の前に今週末はトレッキング旅行だ。明日までにちゃんと旅の準備をしなくては・・こんな日記書いている場合じゃないんだった。