な~んだか不完全燃焼な気分なのはせっかくのブルゴーニュ旅行なのに、やはり同行者の選択を誤ったから・・。こういう所にやはり東ドイツ出身の田舎オヤジを連れてくるのはもう2度としないぞ・・。同じ田舎でも東ドイツとブルゴーニュは一味違うのだよ。それにワイン好きな連中ではなかったのでカーヴ廻りもせずワインを1本も購入しなかったから。まだうちの地下室に寝かせてあるのがかなりあるけれど、それでも買い足す暇もなかったのは心残り。やはり秋に再度ワイン買いの旅をしたいもんだ。
そもそも22日の朝6時半にピックアップの約束をしていたのに、連中は20分も遅れてきたので、まずここで私は少々ムカついていた。それも旧式のナヴィゲーションシステムを使っていて完全に間違った走り方を指定されたからというのだが、同じ市内でしかもそんなに離れたところに住んでいるわけじゃないのに、それくらい市内地図見て通りを確かめてサクサク来いっていうのよ、全く。
・・・そういうわけで出発前に20分のロスタイム。それにドイツ人のくせしてというか規則を守るドイツ人の典型だからなのかアウトバーンの速度制限をきっちりと守るもんだからいつもと違ってすごい時間がかかった。それでもとにかくディジョンの南のフィサン(Fixin)のレストラン Chez Jeanette に何とか午後1時過ぎに到着。取りあえずアペリティフで誕生日の乾杯。ここでまた! 誕生日だから私が皆にアペリティフを振舞ったんだけど、あの東側出身太鼓腹オヤジはビールが飲みたいと抜かしやがる。ここはワインの里だよ!オー!ラ・ラ!しょうがないのでオヤジには地ビールをあてがっておいて残りの3人でワイン(Fixin Clos Marion)を飲みながら食事をする。このレストランにはお昼のコース17ユーロで前菜・メイン・チーズ・デザートというのがあってチーズワゴンに載ったチーズの種類はすごく多く選び放題というコストパフォーマンスのいい所なので結構気に入っていて何回か利用している。
ムルソー(Meursault)の実家にいるMに電話したら家の掃除をしているので夕方7時半頃に来いというので、ランチの後はボーヌ(Beaune)の観光をする。私は数え切れないくらい来ているが、同行者のHとオヤジにとっては初めての街なのだ。せっかくだから皆で観光用の電車に乗って街を一周した。数年前はあまりいなかった観光客が年々増えているようでこの日も街中は観光客でいっぱいだった。
観光客用の音楽隊はこの地方の特産物の鶏、羊、豚の着ぐるみと牛の形をした山車。
午後7時過ぎにムルソーのMの家に到着。彼の亡くなった母親の部屋と4月に亡くなったR氏が使用していた部屋が客間として用意されていたし、食事もちゃんと出来上がっていた。本当に彼はマメでよく気がつくのだ。
落ち着いたところで、シャンペン(銘柄はJacquesson)で乾杯。このジャクソンというシャンペンは辛口でMの3年前に亡くなった母親の大好きなシャンペンだったっけ。食事はメロン・オ・カシス、フィッシュサラダ、トマトの詰め物、鳥の丸焼きに芋のピュレーと続き、チーズ、デザートのタルトで終わり。飲んだワインはMの畑のムルソー1er Cruと1990年の Volnay。でも太鼓腹オヤジはビールが出ないのでドイツから持参していたApfelschorle(りんごジュースを炭酸水で割った飲み物)を時々テーブルの下から取り出しては飲んでいたのだ。その後ダイジェスティヴのMarc de Bourgogne(グラッパ見たいな飲み物)を飲んで晩餐は終わり。昼からずっと食べている感じで確実に数キロは太ったかも。
私は亡くなったR氏が使っていたベッドで眠ったのだが、夜中に彼が枕元に現れるかも・・と一瞬思ったけど朝まで爆睡していたのでわからなかった・・もしかしたら現れたけど私の爆睡に呆れて退散したのかな?
妙な臨場感があるのがいいですよね。
自分が行ったような気になるから不思議です。
アウトバーンの速度制限守るんですね。
ドイツ人にもやっぱりいろいろいるんだなあ。
飛ばす奴は飛ばしてますよね、恐ろしい程。
私もその口ですけど、ドイツでも。
だってなにせ日本じゃ考えられない距離を
車で移動しますよね。
P.S.
昔の記事の話ですいません。
亡くなられた倉橋由美子って全く忘れてました。
本棚に「暗い旅」があったのでびっくり。
京都のジャズ喫茶「しあんくれーる」の話とか
そういうのでも有名でしたよね。
今頃懐かしんでます。
忘却とは恐ろしいものです。
昔ナツカシ倉橋由美子もサガンも皆死んでちょっと寂しいものがあります。私も京都のジャズ喫茶いろいろ行きましたよ、「暗い旅」読んで。