ドイツ日記 Les plaisirs et les jours

ドイツに滞在して26年経過。2年後に日本へ本帰国予定。ゴルフを始めて4年半ですが相変わらず下手な初心者ゴルファーです。

久しぶりに小説読んで泣いてしまった

2010年09月20日 | 読書
対岸の彼女 (文春文庫)
角田 光代
文藝春秋

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吉原真理さんが、彼女の7月2日のブログの中で泣いたと書かれていたので、私も読んでみようと日本で購入してきて昨日読み終わりましたが、やっぱり泣きました。特に、楢橋葵とナナコが自殺未遂の後再会したシーンで。

私の高校生時代は、葵とナナコのようなものではなくってもっと暢気で陽気で、高校野球の応援に現を抜かしたどちらかというと当時のテレビドラマの「青春とは何だ!」的なノリだったけど、一方では、何とかして親の管理から抜け出したい、そのためにはどうしても東京の大学に行って一人暮らしがしたい・・・と願ってもいたっけ。

ま、念願かなって親元を離れたわけだけど、そういう意味では親と受験という重しからの逃亡劇ではあったわけで、葵やナナコと対して変わらなかったのかもしれないな・・。

考えてみれば、いつも「ここではないどこか・・に行きたい。」という気持ちがあって、東京に出てきて、さらにはふらっとドイツまでやって来て住み着いてしまったわけで・・18のとき以来の逃亡劇がまだ続いているとも言えるかも。

あのまま日本にいて結婚を続けていたら私も田村小夜子のようになっていたかもしれないな・・などなど、いろいろ考えさせられることも多い小説ではありました。






禁じること・・・誘惑の手段

2010年08月01日 | 読書
宗教学講義―いったい教授と女生徒のあいだに何が起こったのか (ちくま新書)
植島 啓司
筑摩書房

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20年くらい前日本に帰国した際に買った本のひとつが植島啓司という人が書いた『恋愛のディスクール』(PARCO出版)というものだった。植島啓司という人がどんな人であるか全く知らずに、ただ本の帯を読んで購入を決めた。

そこにはこう書かれていた。

・・・ぼくは、マルグリット・デュラスが名優チャ-ルス・ロートン監督の「狩人の夜」(1955年作品・1990年ケイブルホーグ配給)という映画が異常に好きで4回見た、と語っているのを知ったとき、なんだか一瞬、胸がざわつくような感じがした。 しかし、まさかそれが、本書「恋愛のディスクール」の基本プロットになるとは、その時には想像も付かなかったのである。・・・植島啓司

私の大好きな作家のマルグリット・デュラスが大好きだった映画について語ったことを知って触発されて書かれた小説・・か、何ともややこしいけど、おもしろそうじゃないの・・ってことで買って読んだんだけどね・・、最後の幕切れも良くわからん・・・結局、「狩人の夜」という映画を見てないと理解できないわけ?・・・とそのまま放っておいたんだけど、

最近になって本の整理・処分を開始して、本の山の中から「宗教学講義」という新書を発見。著者が植島啓司となっていて・・・待てよ・・この名前どこかで聞いた覚えが・・記憶にある名前・・・とこれまた本の山に潜っていた「恋愛のディスクール」を引っ張りだすと作者の名前が一緒じゃないの~!

この新書も著者のことには全く関せずに買ったわけだけど、不思議ですねえ・・、結局人間の嗜好というか思考というか、その傾向というのは決まってしまっているってことですかしらん? 何で、2度も知らない人の本を買うわけ? 植島啓司って人はもしかして私の好みの男かしらん?

教授と女生徒による対話形式で、人間がどのように宗教に魅かれていくのか・・・というようなことを説明しているんだけど、最後のプロットがやっぱりよくわかりませんわ。

一体教授と女生徒のあいだに何が起こったのか・・・教えてよ~!


聖書読破に取り掛かる

2010年06月10日 | 読書
中型聖書 - 新共同訳

日本聖書協会

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暇を見つけては本やCDの整理をしておりますが、やっと一大決心をして「聖書」読破に取りかかりました。

まずは旧約聖書からってことで、創世記を読み終わって、現在は、出エジプト記の途中まできました。日本聖書教会発行の聖書と同時に、「絵画で読む聖書」中丸明著・新潮社ってのも大笑いしながら読んでいます。

この聖書、ドイツで生活を始める初期の頃に持ってきて、まずは聖書を読んでからヨーロッパ文化を理解する参考にしようなんて思っていたのに、今の今まで山積みの本に紛れて放っておかれてました。

そろそろ、日本へ帰国するための本の整理をする段階になってやっと読む決心をしてもねえ・・今更遅すぎるってもんですが、読めば結構おもしろいですわ。

それにしても、出エジプト記の後も旧約聖書は延々と続いており、いつになったら新約の方に到達するのか・・、何しろ本に関しては、1冊だけを読み通すということが出来ずに、常に数冊同時進行で読んでいるので・・。聖書に手をつけても途中でいろんな本に浮気することになるだろうしね・・。とにかく、ドイツにいる間に読破しなくっては。

東京は醜い

2010年03月02日 | 読書
ヨーロッパ退屈日記 (文春文庫 131-3)
伊丹 十三
文藝春秋

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私が若かった頃、好きな俳優が二人いた。一人は「白い巨塔」や「クイズタイムショック」で有名だった田宮二郎(1935-1978)ともう一人は奥様番組のレポーターみたいなことをやっていたまだ若かりし頃の伊丹十三(1933-1997)。

その後、田宮二郎は猟銃自殺、伊丹十三は飛び降り自殺してしまって、二人とももうこの世の人ではなくってとっても悲しい。格好いい男がいなくなってしまった。

伊丹十三のエッセイは70年代にたくさん読んでこれまた激しく激しく共感したもんだった。

昨年死んだ知人が残した本の中に彼の「ヨーロッパ退屈日記」があったのでひさしぶりに再読してみた。

その中のエッセイに「素朴な疑問」というのがあって、・・・一体東京はいつ頃から醜くなり始めたんだろう。江戸はどうだったんだろう。・・・ってのがあって醜くなった東京の街について書いてある。

曰く、どうして醜い要素ばかりがドンドン発展してしまうのか。人々が寄ってたかって自然の美しさを台なしにしてしまうのは一体なぜだろう。・・・たとえば海岸は美しいが、海水浴場はなぜあれほど薄汚いのか。形式的な美しさなんて少しもない。そもそも外観なんてどうでもいいのではなかろうか。家の外側というのは、つまり部屋の裏側であるに過ぎない。だから中にあって具合の悪いものは全部外にくっつければよいという考え方なのでしょう。
雨戸の戸袋が出っ張ってついている。トイレの空気抜き、風呂場の煙突、雨樋、ガスのメーター、牛乳箱、郵便受、屋根の上に物干し台を作る、テレビのアンテナを立てる、犬小屋を置く、電線を収めた鉛管や、ガス管が壁の外を這っている、お上も協力して電柱を立て、電線を張り巡らし、交通標識を立ててくれている、玄関にはNHKの聴取者章、電話番号、丸に犬と書いた金属板、押し売り、ユスリ、タカリは110番へ、とい貼り紙、防犯連絡所という木札・・・・以下延々といかにごちゃごちゃと汚いものを付け足してこれでもかとと街の汚さを羅列して・・・これがわれわれの街なのです。思い切ってスラム調で統一してみました。穢さがイッパイ!

1960年代の初めに伊丹十三が感じた東京の街並みの穢さはその後も改善されずに、益々混沌としているような気がします。

日本に帰国するたびに、集合住宅のベランダにはためく洗濯物や布団のオンパレードを眺めて、「日本人にとって家の外側というのは部屋の裏側。中にあって具合の悪いものは外に出せばいいんだ。街並みがどんなに醜くても関係ないんだ・・。」と彼と同じ感想を持って乗ってきた飛行機にのって今すぐ、こちらに戻りたいと思ってしまう。何しろ、人生は短いんだからね。生きているうちにはなるだけきれいで美しいものだけを見ていたい。醜くて穢いものはみたくない。

湿度が高い日本で布団を日光に当てて乾燥させたいう人の気持ちも充分理解できるけど、それでも、あの布団と洗濯物の光景がどんなに美観を損ねているのか・・ということを考えてもらいたいわ。ホント、日本人の美意識ってどこにあるんだろう・・。

好きだった本 ~ シングル・ライフ

2010年02月26日 | 読書




この本が発刊された1988年にはもう私はドイツに来ていた。「シングル・ライフ」というタイトルに魅かれてさっそく取り寄せ読んだ私は、この本に激しく激しく共感したもんだった。

カミュの「異邦人」が大好き。サルトルとボヴォワールとの関係に触発されて・・・そのどれもが私と同じで、私と同じように考えている男が日本にもいるんだ~!という驚きでいっぱいだった。日本にこんな男がいるんだったら日本も捨てたもんじゃないな。日本の男を見直したぞ~!と思った瞬間だった。

それに著者の海老坂武という名前には覚えがあったのだ。

私の記憶に間違いがなければ、私は彼に一度だけフランス語の授業を受けたことがあるのだ。彼は当時隣の大学のフランス語の先生だったと思う。私の大学の先生ではなかった。
それなのに、一度だけ私のクラスのフランス語の先生が休んだときに彼が代理の先生としてやってきたのだ。そんなことってあるだろうか?よその大学の先生が代理で教えに来るなんて・・・。

だけど、私はそのときの彼の顔や風貌を覚えていたからこの「シングル・ライフ」という本が出て彼の顔が新聞に載ったりしたときにすぐわかったのだ。「あ~、あのときのフランス語の先生だ~!」って。

この本を読んで、もしかしたら私のクラスのフランス語の先生は海老坂武の当時のカノジョで、彼女の休講の代理で彼が登場したのかもね・・・って思った。さもありなん・・と思わせる本。

シングル・ライフを標榜しているけれど、当時の彼はそれなりに格好よくて常に女性が回りにいたと思われる。モテル男のシングル・ライフは格好いいのだ。1934年生まれというともう75歳くらいか・・。今はどうしていらっしゃるのでしょう?相変わらず、いい女友達が回りにいて素敵なシングル・ライフを楽しんでいるのかしら?








異国の日本女性に対するイメージとは・・

2009年12月08日 | 読書
靴だけでなく、本やCDなども少しずつ整理を始めています。何しろ多いので時間がかかりそうですし。

というわけで、以前に本屋の閉店セールで1ユーロで購入した文庫本を昨日読んでいましたら、とっても気になる一節に出くわしました。

本は干刈あがたという女性作家の

「借りたハンカチ  物は物にして物にあらず物語」1989年

その中の「鍬とロザリオと毛糸」という短編の中のフレーズ・・

・・・日本人の女で、男を転々としながら齢をとり、日本を軽蔑しながら実際にはもう日本に戻ることもできず、生気がなくなってしまっているような女が、パリには何人もいた。そんなふうにはなりたくなかった。・・・

う~~ん、どうですか?このイメージ。華やかな都パリにひっそりと暮らす流転の人生を生きる不幸な日本人女性という対比のイメージ。通俗的・ステレオタイプ的見方・・・むかつきません?いや、そういう生き方している人もいるかもしれないけどさ。

・・・男を転々としながら齢をとり・・・

今時、男に依存しながらのシンデレラ症候群みたいな日本女性が異国の地にいるんだろうか・・?そりゃ、長い人生いろんな人と知り合ったり別れたりということはあるかもしれません。でもそれを「転々としながら・・」なんていうのは失礼じゃない? ちなみに私の周りにいる大部分の女性はほとんど修道女のように真面目な生活をしながら、ちゃんと普通に仕事して地味に暮らしておりますが。


・・・日本を軽蔑しながら実際にはもう日本に戻ることも出来ず・・・

日本を軽蔑って・・・、軽蔑はしないけど、自ら日本を脱出してきた人はやはり日本に不満を持っている人が多いと思いますよ。外から客観的に眺めるとここが変だよってところはいっぱいありますからね。

私にとって日本の何が嫌か?

東京の満員家畜電車に文句も言わずに乗っているサラリーマン連中。
貧弱で狭い住居
緑の少ない都会
電線・電信柱・布団や洗濯物がはためいている醜悪な街の風景
住宅街の狭い道路
ガキ文化中心
労働環境の悪さ(休暇問題など・・)

・・というのは、日本の社会的・文化的インフラの低さの問題で、それとは別に

うっとおしいことも多い。たとえば、心がこもらない義理の付き合い。
何かと言えば、KYなどと言って常に周りのことばかりに気を使わなくてはいけないような人間関係。自己主張すると嫌がられるし、自分の意見も満足に言えないような閉塞感を味わうことになるし・・・。言葉と言葉で戦えない。出る杭を打つような村八分的根性の人々。人と違うことをしたり言ったりすると嫌う風潮・・・。あ~あ、面倒くさい日本の付き合い。個人が個人として生きにくい環境。

・・というわけで、自主的に日本を脱出した人の中には「実際にはもう日本に戻ることもできず・・・」というよりは、戻りたいと思っている人もそんなにいないのでは? 私の周りの人を考えても望郷の念に駆られている人は皆無です。

出来れば、住みやすくいこの地にいたい・・・デモね・・諸般の事情で戻らざるを得ない・・・という消極的帰国が多いんじゃないの?

帰ろうと思えば、10時間で帰れてしまう日本だものね・・。今は日本とフランスやドイツも近いのです。干刈あがたという作家は1943年生まれ。ということは60年安保の頃が青春時代だったのね。その頃の感覚かな・・異国の地にいる日本女性に対するイメージは。

日本はやあっと政権交代があって少しだけでも変わろうとしているのかな・・それがいいほうに向くか悪いほうに向くかはまだまだ未知の世界ですが。

民度も少しずつ変化しているのだろうか・・・。まだまだ日本に帰ってもいいかなという気になれずにいます。







覚書 ~ 卒論

2009年06月26日 | 読書
服や本の整理をゴルフの合間にしておりますが、そんな整理の途中に見たくないものを発見。

何年か前に大学から返却された「卒論」

返却したときにすぐ捨てるのも如何なものか・・と思い封も開けずにドイツまで持ってきておりました。この度処分することに決定し、開けてみたら・・。

卒論「2.26事件を通してみた昭和維新思想」ですと・・。

ギャア~恥ずかしい。何が2.26事件じゃ、昭和維新思想だ・・。もはや、2.26事件がいつ起こったのかも忘れてしまっているというか、2.26事件って何だったっけ?の世界にいるという私。

チラっと中をみると、汚い字で幼稚なことが書いてあるし、もう~焼却だ!焚書だ!

そういえば、権力論とかいうゼミに所属していたっけ。3年の時にはファシズム論とかいうのもやっていたような・・。ふ~ん、まんざらドイツと関係なくもなかったじゃん。

拙い内容の卒論をいい加減に作成して、こんなアホなもの読まされた先生がかわいそう。

ま、自分なりに反省してもっと追及したいという気持ちはずっとあったんだけど、丸山真男の本なんかもしっかりドイツまで持ってきてはいるんだけど・・・。今も「あの戦争は何だったのか」という新書を読んでたりするんだけど・・。

ゴルフに忙しいし・・・いつか丸山真男なんて読み返すときが来るのかしらん。

う~ん、当分ないような気がする。

過去のことより、これからの日本のことを考えなくっちゃねえ。どうなるの、日本・・

あと2日・・・

2009年01月18日 | 読書
やっとブッシュの時代が終わる。あと2日。

この8年は全く何だったのか・・。

印象としては、2001年9・11に始まり、2008年9・15に終わったという感じ。イスラムのテロから金融テロって感じ・・?。

アメリカの攻撃がアフガニスタン・イラクと続いた頃、私もアメリカのことが相当嫌いになっていたとみえて、

「9-11」Noam Chomsky
「チョムスキー、世界を語る」ノーム・チョムスキー
「メディア・コントロール」ノーム・チョムスキー
「覇権か生存か」ノーム・チョムスキー
「反米の理由」Ziauddin Sardar/Merry Wyn Davies
「拒否できない日本」関岡英之
「アメリカはなぜ嫌われるのか」桜井哲夫

な~んて本を買っていたが、これらの本もそろそろ処分だわね。しかし、こうしてみるとチョムスキーって9.11のあと左寄りのメディアに相当持て囃されていたようですが、今はどうしてるのかしらん?

全くアメリカはいろいろとお騒がせな国だけど、オバマ氏はこれから何をどうCHANGEしていくのか見ものですわ。











ゴルフ、頭が変になるほどおもしろいスポーツ

2008年12月30日 | 読書
わが心のホームコース (ゴルフダイジェスト新書classic 1 夏坂健セレクション 1)
夏坂 健
ゴルフダイジェスト社

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本日も朝から晴天でした。気温は朝方は氷点下で昼は零度から2度の間。明日も同じような天気で、昼間の最高気温は3度から4度くらいだそうです。やや気温が上昇しているみたいですが、どっちみち寒いことには変りありません。

こんなに寒いとゴルフどころか、ウォーキングに行くのも決死の覚悟がいるもので、結局何もせずに家でゴロゴロ読書です。

で、夏坂健氏のエッセイ1冊目を読みました。

あらためて、ゴルフに嵌った人間にしかわからないゴルフのおもしろさとゴルフに纏わる人間模様のおもしろさに感動いたしました。

そして、日頃スウィングがどうだとかスコアがどうだとか言うのもいいけど、もう一度、ゴルフの起源に帰って厳格にして崇高なゴルフの精神を学ばなくてはと思いました。

*~*~*~*

ゴルフの起源については諸説があっても、今のゲーム形態が発祥したのはスコットランドで、15世紀には早くもこの頭がヘンになるほどおもしろいスポーツに人々は夢中だった。

*~*~*~*

本に拠りますと、当時のゴルフは、「あるがままのボールを打つ」というのが伝統で、時代がどんなに変化しようとも、ゴルフの精神を伝える用語とルールだけは「神聖にして犯さざるもの」と敬意を払って厳格に守っていたそうです。19世紀過ぎにアメリカに渡ってゴルフは一気に花開きますが、最初はスコットランドに忠実に伝統を守っていたものの、1940年代後半になってパブリックコースの建設ラッシュによって大衆化して俄かに用語とルールが乱れ始めたそうです。

「あるがままのボールを打つ」という伝統が崩れ、6インチレプレイスなどというローカルルールが出来たのがアメリカだったんですね~。(曰く、”かつてどこにも存在したことがないウィンタールールという不思議なもの・・・”)

日本にはさらに、前進4打とか特設ティーとかあるみたいですが・・。


この「あるがままにボールを打つ」ということで自分を鍛えなくてはならぬと強く思った次第です。ラフが深いとか、谷越えがいやだとか、ブラインドホールは嫌いだとか、贅沢なことを言って人工的なゴルフ場で遊ぶのは本来のゴルフ道ではないんですね。あるがままの自然な地形と土地のゴルフ場だと農薬などとも無縁ということですわね・・。そんなゴルフ場、現在あるのかしらん?

ところで、うちのホームコースはかなり自然に近いかも・・。山坂そのまま使ってるし、冬は泥んこだし・・。ほとんどブラインドホールだし・・。

*~*~*~*

心からゴルフを愛するならば、大自然と、そこに棲息するものたちを決して痛めてはいけない。

*~*~*~*

深いラフにはまり込んだボールが打てなくて、思わずまわりの背の高い草を抜きたくなりました。こんなことをしてはいけません。反省!

いやいや、15世紀のスコットランドにいたであろう、大自然を相手に黙々と自分と戦うようなゴルファーになりたいものだと思ったのでした。






クリスマス2日目

2006年12月27日 | 読書
あたし、きれい?

集英社

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ドイツでは、25日に続き26日もクリスマス2日目として祭日なのだ。そういうわけで今日も静かな休日だ。

今日も午前中はだったが、午後2時過ぎになって、4日ぶりに太陽が出てきたのでさっそく着替えてウォーキングに出発。明日は知人とゴルフの予定なのだけど、このまま晴れが続いてくれるといいなあ・・。

週末からずっと、大昔のヴィデオを見つつ古本屋へ売り払うために本の整理をしている。まず一番先に本棚から処分しようと思うのは、栗本慎一郎関連の本。

その昔、1970年代後半から80年代前半にかけて知のニューアカデミズムなんてのが流行り、ミーハーの私も現代思想などという雑誌を講読していたのだった。で、その頃に何冊か買って読んだ彼の本が今でも本棚にあったのだ。彼は経済人類学とかいうのを唱えていたわねえ。「パンツをはいたサル」とかいう本も流行ったし。で、今それらの本をパラパラと読み返してみたら、何のことはない他人の説の受け売りとおちゃらけた内容満載で、ま、当時は読みながら大笑いして楽しませてもらったけれど、今更何なのよっていう内容で、再読に値しないから古本屋行きだ。

経済学も現代思想も流行があるからね、普遍的なものは別格として、栗本なんかのくだらない内容の本はもう何の値打ちもないだろうから、古本屋も買ってくれるのかしらん?

しかし、こんな人が現代思想の先端なんてもてはやされていた時代があったなんて・・、日本は平和だ・・というかアホだ。彼自身が勘違いからマスコミに持ち上げられて政治家にまでなったりして、で話題性が無くなって飽きられたら捨てられたのか・・最近は何してるのか私も関心ないけど。

ついでに、数年前に何を血迷ったのか「‘知’のソフトウエア」(立花隆)という新書も買って本棚に積んであったので、これもザア~と目を通し古本屋行きに。
全く、私は何故こんな役立たずの本を買っていたのか・・我ながら理解できない。
現代思想関連かと思ったら、データの整理についての話だった。考えてみたら立花隆が現代思想や哲学について語るわけがないのに・・。
きっと、「知」と言う言葉に弱いのだ。知が足りないと常々思っているからか・・。

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でも Doris Dörrie(ドリス・デリエ)の「あたし、きれい?」はおもしろかった。これも数年前に古本屋で購入して放っておいて今回やっと読んだわけで、映画監督としての彼女の作品は大好きだけど、こんなおもしろい短編小説を書く人とは思ってなかった。今度ドイツ語のオリジナル本を買って彼女の作品を読んでみよう。ちょっとした男女の恋愛話やエピソードなんだけど、せつなくてつらいようなおかしいようなユーモアに溢れている。やっぱり、こんな胡椒のピリッと効いた短編にかぎるな。

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本の整理をしつつ見たヴィデオ

「ディープ・インパクト」1998年
「ピースメイカー」1997年
「フラッド」1998年
「HANA-BI]1997年

しかし、ハリウッドは何でこんなに次から次とワンパターンのパニック映画を作るのかね?巨大彗星が地球に衝突、核爆弾、大洪水とよくもまあ同じような映画を作るもんだ。この中では「ピースメイカー」がまずまずの出来といえるか。

北野武の「HANA-BI」は97年にヴェネチアの映画祭で金獅子賞を取ったんだけど、果たしてそれほどの映画っていえる?脚本が拙いというか、私はあまりイケテル作品とは思わなかった。武扮する元刑事も私は最初、オシでツンボかと思いました。

・・どうでもいいが、最近は「耳が不自由」とでもポリティカリ・コレクトな書き方しないと変換してくれないの?

いくら台詞が少ないミニマリスムの映画といってもあれは無いと思うけど。非常に幼稚な出来栄えの映画だと思いました。最近のヴェネチアやカンヌの審査員っておかしい。








二日酔い気味

2006年11月27日 | 読書
拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる

文藝春秋

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帰宅したのが午前1時頃で、今朝は寝不足と二日酔い気味の頭で朦朧。とりあえずうるさい猫たちに餌をやり、再び寝てやっと昼前に起床。

外は相変わらずいい天気だ。散歩するとさぞかし気持ちよさそう・・。だけど、頭がすっきりせずにそんな気分にもなれず、ソファに座って読書。

読みかけだった新書「拒否できない日本」の続きを読み始める。この本は昨年日本に帰国したときに古本屋で買ったもの。途中まで読んですっかり忘れていた。

政府の進める構造改革というものが日本独自の政策ではなくてクリントン政権が考え出した1994年以来の日本に対する「年次改革要望書」に基づいて行なわれているという話。アメリカの国益に沿うように日本を改造しようとする要求。それは日本の産業分野の規制緩和だけではなく、経済、行政から司法に至るまですべての分野に対しての様々な要求を列挙している由。詳細は在日アメリカ大使館の公式HPに日本語で公開されているので誰でも閲覧できるようだ。そのうち見てみよう。

しかし、本書にあるようにここまで日本を改造してアメリカに都合のいいようにしようと要望書を毎年出してくるとは、そこまで日本のことを研究しつくしているということで、ある意味私はアメリカに感心してしまった。・・と、同時に、安全保障だけではなく、経済、金融、行政、司法などすべての事に渉ってここまでアメリカに骨抜きにされるがままになっている日本に情けないというか・・悲しくなってくる。

そういえば、郵政民営化に反対していた連中の中には日本の金がアメリカに流れるだけだと言ってたっけ。当然郵政民営化もアメリカの要求だったわけだけど。
構造改革、日本改造が日本の既得権益層を破壊して日本人のためになるのだったら悪いことではないけれど、アメリカに都合よく利用されたのではたまらないな・・。

先頃亡くなった市場原理主義の教祖、ミルトン・フリードマンについても書かれていている。

ここまで全くオープンに公開されたアメリカの対日政策が存在するのに日本のマス・メディアではほとんど語られていないのは何故?「アメリカの内政干渉を拒否できないのは何故なのか?拒否しないことによるメリット・デメリットは?」ということをちゃんと説明するような政府やマス・メディアの話はないわけ?

・・・などと、ソファの上で読みつつ、半分居眠りしつつの読書の午後。

*******

じっとしていても運動不足なので夜のダンスのレッスンには出かける。昨夜のパーティで皆遅くなったにもかかわらずちゃんと来ていた。ウィナーワルツ、サンバ、ルンバの練習で汗びっしょり。



昨夜のパーティでのChaos Formation Groupによるショー


クラブには、ラテンやスタンダードのグループ以外にカオス・グループもあって、この全国大会コンテストもあるらしい。うちのクラブのカオス・グループはいい線を言ってるらしい。カオスだけあって、太っちょの女性がいたりしてコメディグループのようだった。



なんだか異常に暖かい。

2006年11月19日 | 読書
かなり気がかりな日本語

集英社

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もう11月も後半に入ると言うのにまるで春のような陽気だ。2日前の木曜日などドイツ各地で20度くらいまで気温があがり週末になっても暖かさが続いている。普通ならこの辺で一度グッと気温が下がって霙になったりするんだけど、どうも今年は気温が下がらず生暖かい雨に終ったりしている。

南ドイツ地方も普段ならそろそろスキー場開き・・のはずなんだが、まだ一面緑色。降雪の気配なし。唯一ドイツ最高峰のツークシュピッツェの頂上近辺ではやっとスキーが出来るようになったらしいけど。

週末だというのに、朝早くから猫がいつものように起こしてくれるので、明るくなるまで上の新書を読んでいた。今年の日本滞在中に古本屋で買った本のひとつ。

日本での流行り言葉やとんちんかんな敬意表現、聞くに堪えないマニュアル接客用語などを取り上げてあるけど、おもしろかったのは、今時の若者がいかに傷つきやすいかということが書かれてある最初の章。

自分の意見や意思を断定的に言うことを嫌い、意思をぼかした遠回りな婉曲表現または冗談めかしてユーモアというオブラートにくるんだ婉曲表現で相手が察するのを待つ。

(例)「暑いかもしれない。」「マジ、暑いっす。たまんないっす。」は訳すと
「暑いので冷房をつけてください。」と言うことらしい。

はっきりものを言うのは昔から日本では嫌われていたから何も今時の大学生だけがこんな婉曲表現を使っているわけじゃない。相手が何も言わなくても察してあげて相手の意向に添った行動を取る人が察しがよく気配りのできる人として評価があがり察しの悪い人は疎まれる。相手への要求度が高い日本語のコミュニケーションって疲れる。

ちなみに私は会社の同僚日本人男性にものの言い方がストレートすぎると言われたことがある(笑)。私は婉曲な物言いが嫌いで、これはもう性格からくるものなんだけど、つとめてぼかすような形容詞や副詞を省いていきなり直球の物言いをしたりすることがあるのだ。これって相手にはズド~ンと来るようで、私と違いガラスのハートの人もいるんだと気がついて少しトーンを落としたりしているんだけど。

本に拠ると婉曲表現でも表現するのはまだマシな方で、無言のまま相手に意向を察してもらおうとする傲慢で甘えた学生もかなり生息するらしい。日本語による対面コミュニケーション・口頭コミュニケーション能力がかなり衰えてきているらしい。

さもありなん。日頃、パソコンや携帯メールでのコミュニケーションだけで、対面コミュニケーションなんて学習してないんだものね。




プロフューモ死す

2006年03月12日 | 読書
アムステルダム 新潮クレストブックス

新潮社

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昨日だったか John Profumo が9日に91歳で亡くなったというニュースが流れた。有名なプロフューモ事件があったのは前世紀60年代前半のことなので子供だった私はさすがに記憶にはないが、その後政治家と女とスパイがからんだスキャンダルが起きると何かと彼の名前が出てきたように記憶している。

2週間前だったか久しぶりにイギリスに出張で行ったときヒースロー空港からうちの会社までタクシーに乗ったのだが、その途中に広大な敷地の中に建つ現在ではホテルとなっている邸宅の横を通るのだけど、まさにこの大邸宅Cliveden Houseがプロフューモ事件の舞台となったのだった。

当時ジョン・プロフューモはマクミラン政権下の陸軍大臣。コールガールのクリスティーヌ・キーラーは16歳で家出して以来ソーホーでショウガールをしている魅力的な女。この2人が1961年にアスター公の所有するクリヴデンハウスで行なわれたプールパーティで出会いプールからベッドへ直行したのだった。それだけなら単なる政治家の女遊びで終ったのだが、このコールガールは同時にソ連の外交官とも関係していたことが発覚して大騒ぎとなったのだった。60年代始めは東西冷戦の真っ只中で、西の情報がコールガールを通して東に流れたのではと一大スキャンダルへ発展し、プロフューモは政治生命を絶たれ、マクミラン首相も辞職するに至ったのだった。プロフューモはこの事件の後一生をチャリティ活動に捧げ健気に生きてきたらしく1975年には国家より勲章までもらっている。彼自身は家柄もよろしく政治生命は絶たれたとはいえ金には困っていなかったわけだ。で、9日に亡くなったのだけどちょっと前に事件の舞台となった邸宅の前を通ったところで何だか感慨深いものがある。あれから45年も経っていたのだね。

で、上の「アムステルダム」という本だけど、1人の女と彼女に関係したイギリスの政治家・音楽家・ジャーナリストの話なんだけど、プロフューモ事件にインスパイアされて書いたのではないかな~と読んだ当時思ったのだった。もしかしたら、そういう宣伝文句でこの本が紹介されていたかもしれないが、記憶は定かではない。1998年のイギリスはブッカー賞受賞作品。

今日は今日で旧ユーゴスラビアのミロシェビッチが獄中で死亡。裁判の途中でまだまだ永遠に決着がつかなさそうだったのに、これからどうなるのだろう・・。

倉橋由美子さんの死

2005年06月14日 | 読書
「パルタイ」を読んだのは高校生の時だったのか大学生になっていたのか・・もう定かではないけれど彼女の書く文体が好きで、あの頃彼女の作品はほとんど残らず、そして何度も繰り返し読んだものだった。「パルタイ」に始まって「貝のなか」「雑人撲滅週間」「婚約」「暗い旅」・・・。
何しろ登場人物がイニシャルだけで、話もカフカ的だったり、カミュ的だったり、所謂日本の私小説みたく湿っぽくないのがとっても気に入ったのだ。同時代に読んだ大江健三郎よりはるかに私の心にズ~ンと共鳴した。そしてその頃から私は女性の書く作品しかちゃんと読まなくなってしまった。男の書くものは嘘くさくって読んでられなくなってしまったのだ。
結局倉橋由美子の小説は捨てられなくて作品集や単行本数冊をドイツまで持ってきてしまった。もう1人のお気に入りの作家金井美恵子の小説・エッセイ等と一緒に。最近は本棚に飾ったままになっていたけれど、これを機会にもう一度彼女の作品を読み直してみよう。拡張性心筋症だったんだ。確か1935年生まれだから今年70歳になるところだったんだ。まだ若いよね。もうあの毒の効いた作品も読めなくなるんだ。彼女は私の青春時代に間違いなく私を夢中にさせた作家のひとりだった。合掌!

まだまだ新撰組の余韻の中

2005年03月17日 | 読書
壬生義士伝〈上〉

文芸春秋

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だらだらと読んでいた浅田次郎の「壬生義士伝」をやっと上下巻読み終わりました。吉村貫一郎という侍は三谷幸喜の新撰組には出て来なかったけど、ドラマに出てきた新撰組の生き残りの連中や関係者が吉村貫一郎について語るという構成になっていて、ドラマの最後の数回分と並行して読んでいたので、え~、オダギリジョー、いや斉藤一ってこんなじいさんになってこんなしゃべり方するの?ってな感じにゴチャゴチャになってしまいましたが、最後泣きましたね。浅田次郎って泣かせる書き方するのよね。また私はそれに上手く乗せられて泣きながら読んだわけですが。
ところで、「田園調布に家が建つ」のフレーズで有名だった星セント・ルイスの漫才師のルイスがつい先日亡くなられたようですが、彼も「新撰組」に出ていたらしいですね。房吉っていうのはどこのどんな役でしたっけ?記憶にないのですが。それにしてもあの漫才師の2人とも今はもういないわけですね・・・。あっけないというか、月日の経つのは速いというか、Everything must change・・・というか・・とりあえず 合掌。