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【日本ダービー、BEST15】一番の思い出の日本ダービーは1979年。実は、私が競馬を知るきっかけになったレース

2021-05-31 05:59:20 | 競馬
【日本ダービー、BEST15】歴代最高に興奮した日本ダービー(東京優駿)【世代の頂点へ】【2021年最新版】



naoya sano

私の一番の思い出の日本ダービーは1979年。実は、私が競馬を知るきっかけになったレースであり、かつ、今年のレース同様に、長い写真判定だった。勝ったのは、ハイセイコーの初仔だったカツラノハイセイコ。鞍上は、この2年後にこの世を去ることになる「善さん」こと松本善登。なお、福永洋一が落馬事故する前に3回騎乗し、初勝利を含めて2勝をもたらしていた。今だったら、不動のリーディングジョッキーであった洋一にそのまま騎乗させると思うが、兄弟子とはいえ、当時、騎乗機会がめっきり減っていた松本に、洋一が事故前だったにもかかわらず交代した。真相のほどは定かではないが、ひょっとすると、洋一は、松本の老い先がそれほど長くないことを知って、敢えて交代したのではないかと噂されている。そういった背景もあり、今でも記憶に残っている。



日本ダービーを勝った時のカツラノハイセイコは、松本善登、庄野穂積(調教師)、桂土地(馬主)のトリオだったが、実はこの3年前、同じトリオの競走馬であった、コウイチサブロウという馬がいて、この馬も、福永洋一が4勝をもたらした後に、安田伊佐夫、武邦彦を経て松本に騎乗が回っている。福永が降りた理由は、菊花賞及びそのトライアル戦で、トウショウボーイに騎乗するためであった。だが、重賞勝ちをもたらしたのは松本。松本は、この馬に3回の重賞制覇をもたらした。で、これが契機となり、松本にカツラノハイセイコの鞍上が回ってきた、というのが、話の流れ、ということになっている。
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