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民間人の証言や記録の方が、公文書より具体的で豊富

2024-09-02 08:22:11 | 安倍、菅、岸田、石破の関連記事
「公文書は本当に正しいのか?」差別と偏見、デマ、行政の責任とは…関東大震災時の朝鮮人虐殺、専門家はこう見る 東京新聞2024年9月2日 06時00分

1923年9月1日に起きた関東大震災時には、日本にいた朝鮮人を巡り「暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」などのデマが広がり、多くの朝鮮人が虐殺される事件が起きた。東京新聞は、1都6県に、把握している犠牲者を取材したが、東京都と茨城、栃木県は把握していなかった。こうした結果への受け止めを、大震災と虐殺の問題に詳しい3人に聞いた。

◆加害責任は行政や国家が背負うべきもの、調べないのは行政の怠慢
 関東大震災時の朝鮮人虐殺をテーマにした新著「地震と虐殺 1923—2024」を書いたノンフィクションライターの安田浩一さんに、各自治体へのアンケート結果をどう受け止めたのかを聞いた。
   ◇
 東京都の回答は、歴史に対する冒瀆(ぼうとく)だ。把握していないというのは、単に調べていないというより、調べる気がないのだろう。歴史に対して、あるいは加害と被害両方に対する関心が極めて薄く、歴史否定の流れに沿った対応に見える。
震災後の混乱の中で政府や行政が虐殺、負の記録を残すことを敬遠し、そのため正確な数字が分からないのは仕方ない。しかし、東京には多くの方が亡くなった事実があり、資料も山ほど残っている。完全に分からなくても各種記録から類推することは可能であり、都は資料を精査する、調べるという姿勢が大事だ。それが全くないのは、歴史否定の考え方そのものだ。
◆市民団体の事実の掘り起こし、確認しない行政
 「各県が把握している内容」を見て、ひっくり返りそうになった。特に神奈川県は昨年、新資料も見つかっているのに、これでは横浜市では誰も虐殺されていないことになってしまう。
 「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」の山本すみ子代表をはじめとする市民の方々の調査によって、おぼろげながら虐殺の全体像が見えてきたのに、県にそれを「知らせない」とは言わせない。真偽が分からないというよりも確かめていないのだろう。
他県でも、地域でさまざまな市民団体が事実の掘り起こしをしており、これは本来行政がやるべき仕事であり、実態調査をしていないということは許しがたい。公的な記録がなくても新聞記事や文献資料があれば、その内容を調べて本当にあったのかどうか確認することも行政の仕事だ。
 「事実を確認できないと政府がいっているから、できない」という態度は本末転倒。国が細かくひとつひとつの地域を調べることは難しいのだから、地域、つまり県がきちんと調べた上で、政府に報告する義務がある。「過少申告」された政府の発表をそのまま信じ込んで地域の実情を探ろうとしないのは、歴史に対する敬意が欠けており、行政の怠慢だ。
◆朝鮮人を殺したのは地震ではなく、差別と偏見
 各県の回答を見ると、「地震の混乱の中で」虐殺があった、というような表現になっているが、これは半分正しく、半分間違っている。確かに混乱の中で起きたが、混乱が朝鮮人を殺したのではない。
地震に至るまでに差別と偏見が朝鮮人に向けられており、実際、震災の前年の1922年には現在の新潟県津南町で、水力発電所の工事現場で働いていた朝鮮人が虐殺されている。地震の前年、地震と全く関係のない新潟県の山奥で。
 朝鮮人を殺したのは地震ではなく、日本社会がずっと抱えていた差別と偏見であり、それがなければ殺されなかった。
 ところが、各県の回答で差別という言葉を使っているのは埼玉県だけで、いかにも災害発生のときに混乱して朝鮮人が殺されたという文脈になっている。埼玉も差別が殺した、とは書いていない。差別が存在していたことへの認識は絶対に必要だ。加害責任をきちんと行政や国家が背負うべきであり、加害責任に言及した回答がないのは問題だ。

◆民間人の証言や記録の方が、公文書より具体的で豊富
 関東大震災時の朝鮮人虐殺と各地域の追悼と調査活動に詳しい専修大の田中正敬教授(朝鮮近現代史)に、各自治体へのアンケート結果をどう受け止めたのかを聞いた。
   ◇
 「把握していない」という回答は、政府の「調査した限り、政府内に記録が見当たらない」という答弁を踏襲しているように思える。政府が事実を認めて犠牲者に向き合えば、自治体もこうした対応にはならないのではないか。
 震災直後に朝鮮人犠牲者同胞が調査し発表した6000人という死者数は、実態より過大でプロバガンダだと攻撃される。これは犠牲者数を厳密に科学的に検証するそぶりを見せ、彼らの調査が事実ではないと印象づけようとするものだ。
過大だとする理由も推測に基づくもので、根拠は薄弱だ。そもそも正確な犠牲者数が分からないのは当時の政府がきちんと調査・公表していないからで、政府が公表した犠牲者数は実態を反映していない。正確な犠牲者数を調査する責任は政府にある。
◆虐殺の裁判記録はあるが、正当防衛を証明する史料はない
 とりわけ近年の言説で強調されるのが、虐殺の正当化、「正当防衛」「過剰防衛」などの言葉だ。これらの主張は、当時の新聞における流言の垂れ流しやあいまいな証言に頼っている。だが、集団的に住民を朝鮮人が襲い被害を与えたという事件が起こり、犯人が実際に検挙され、裁判にかけられて刑が確定したという事例はない。虐殺事件の裁判記録は残っているが、虐殺が「正当防衛」であったことを証明する客観的な史料は存在しない。当時の流言を再び流布するものだ。
 千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会編「いわれなく殺された人びと」(青木書店、1984年)で明らかにされた八千代市での事件は、住民が記した日記の記述通りに遺骨が発掘された。公文書に目が行きがちだが、民間人の証言や記録の方がはるかに具体的で事例が豊富だ。
 世の中には私人が書いたものには客観性がなく正確性に欠ける、公文書は客観性があり正確だというイメージがある。しかし、それは事実だろうか。
◆公文書は意図的に隠されたり改ざんされることも
 公文書で意図的に重要なことが書かれないこと、ひどい場合には後に改ざんされることもある。国会で虐殺の事実に関する質疑で政府は明らかに虚偽答弁をしており、それも公文書として記録される。公文書の問題点を明らかにするためにも、民間の記録は大事だ。
 また、西崎雅夫氏の著書「関東大震災 朝鮮人虐殺の記録 東京地区別1100の証言」(現代書館、2020年)に明らかなように、民間の記録は目撃者や被害者の証言を広範囲に記録しており、公文書よりもはるかに具体的で雄弁だ。
 公文書のみで広島、長崎の原爆投下や沖縄戦の実態を明らかにはできず、体験者の証言が重要な意味を持つ。震災下の虐殺も同じで、実態を知るためには体験者や目撃者の証言や回想なしに実態はわからない。当時の政府は実態をくまなく調査して記録として残しておらず、その意味でも、民間の記録は貴重だ。


◆「流言に惑わされるな」という注意喚起がなかったことで
 関東大震災時の「デマ」の拡散などを研究する国立歴史民俗博物館の樋浦郷子准教授(教育史)に、栃木県が虐殺の犠牲者を「把握せず」と回答したことについて聞いた。
   ◇
「木で鼻をくくる」という表現がぴったりなそっけない対応で、県行政が萎縮しているように感じる。
 全国知事会が編さんに関わり多くの県庁や図書館に所蔵される「日本の歴代知事」で、当時の山脇春樹知事のページには「朝鮮人5人殺され」とあり、一般にもアクセスしやすい書籍「現代史資料 関東大震災と朝鮮人」にも朝鮮人が5人死亡したとある。少なく見積もった人数であるが、誰もが手に取れる資料であり、最低限、行政が把握し事実として共有されるべきではないか。
東大震災で避難者の北上にともなって栃木県内の各駅で暴力事件が頻発、死亡者も出る事態だったが、山脇知事は群馬などほかの関東の県と異なり、「流言に惑わされるな」という談話を発出しなかった。
 9月7日に警視庁から流言への注意喚起がなされるが、それ以前に近隣の県知事や警察は、流言への注意を促していた。栃木県にはその痕跡が確認できない。栃木県での流言の拡散には、その不作為(何もしないこと)にも責任がある。
 栃木県知事はこの事実を受け止め、明日かもしれない「非常時」には101年前の事態には絶対しないとの自覚を持ち、当時の「不作為」を繰り返さぬよう行動してほしい。その方針を県民にも共有してほしい。
 回答に「栃木県人権尊重の社会づくり条例」の存在を挙げているが、どの県にもあるもので栃木県が独自で積極的であるとは感じられない。
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