公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

2月9日の優勝戦・重賞結果

2011-02-09 23:23:11 | 各日の公営競技
・競輪

松戸

S級 木暮安由 111

A級 井上雄三 311

武雄

S級 紫原政文 131

A級 棚橋勉 111

京王閣

A級 樋浦幹彦 821

A3 吉田昌弘 131

四日市

A級 小塚潤 231

A3 新山将史 131

和歌山

A級 吉川起也 121

A3 竹内雄作 111

99期の竹内がデビュー以来無敗の9連勝でA2特進を決めた。

高知

A級 丸林一孝 921

A3 渡邊繁 121

熊本

A級 吉松直人 111

A3 山澤成保 431

・競艇

蒲郡 今村豊 1111112111

唐津 興津藍 13213121

1、2はFにより返還。

・地方競馬重賞

浦和 ユングフラウ賞 クラーベセレクタ

園田ユースカップ オオエライジン
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競輪の競技規則はなぜコロコロと変わったのか?

2011-02-09 20:11:36 | 競輪

という話が出てきておりますので、ちょっと調べてみました。

「弥彦競輪物語~弥彦競輪50年の足跡」というページにあらましが掲載されています。

http://www.yahikokeirin.com/index.php/column-all/699

『ファンにとってゴールもしていないのに車券が紙クズ同然となる落車などの事故を減らそうと、競技規則の改正に取り組んだのが昭和 63年。その後も平成3年に改善されたが、なかなか落車の件数が減る状態になかった。』

ということから、平成7年、つまり1995年4月より、失格3点、重大走行注意1点、走行注意0.2点を競走得点から減点する制度が設けられた、というわけです。

しかし、それでは競輪本来の魅力が失われる、ということになり、2000年8月より、失格3点のみが減点される制度に改められました。ところが、2003年12月31日を初日とする開催より、またもや競技規則が変更になりました。

そのあらましについてはこちら。

http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2003khn/11/khn20031104.html

その中で、こんなくだりが。

平成14年度第2回競輪政策決定会議において、ファンにとってわかりやすい競技規則の構築を図ることが決定されたことに伴い、平成15年4月実施の審判用VTRの公開と併せ、判定基準等の改正を行ってまいりましたが、さらに、わかりやすい競技規則を構築するために、ファン及び有識者等からの意見を踏まえて検討を重ねてまいりました。
一方、落車件数の増加傾向に歯止めがかからない現状を鑑み、競走上の安全性を維持するための方策に関しても検討した結果、平成15年10月21日に開催された中央判定調整会議(座長 深澤 亘 日本自転車振興会副会長)において、下記のとおり競技規則等を改正することが決定されました。

上記の理由により改正に踏み切ることになったという次第。特に、内圏線踏み切り、という件についてはこう述べられています。

ファン及び有識者から最終周回ゴール前30m線到達後に着狙いのために自ら内圏線を踏み切り、更にその状態で外帯線外側の正走路を走行する選手を追い抜く行為に対し、現行の競技規則では違反行為として認定していないことに厳しい指摘を受けていることから、当該行為を抑止するため・・・

ということは、2000年8月に一部規則緩和処置が取られたものの、それにより、いわゆる、「内線突破」まがいの行為が平然と行われていたことや、落車件数の増加傾向に歯止めがかからなくなったということにかんがみ、再度規制強化に踏み切らねばならなくなった、ということになったのでしょうねぇ。

ということは、1995年4月以前の競技規則並びに、2000年8月からの競技規則緩和処置だと、違法走行まがいの競走が横行し、結果、落車、失格が急増する、という結論に達した、というわけですなぁ。

1983年のKPK制度導入後、急激に落車、失格の数が急増したという記事が、月刊競輪の特集でも取り上げられたことがありました。そうした流れを打開するべく、1988年、1991年に改正を行ったものの、あまり効果は現れなかった。ところが、1995年4月からの改正により、くだんの弥彦競輪物語ではこう記されています。

平成7年4月から実施され、その年度は6800件あった落車が2800件までに 激減。ファンにとっては安心して車券を購入できるというメリットと事故防止という点では、それなりに成果を収めた。

これはかなりの成果だといえます。しかし、2000年8月の再改正以後は再び増加基調に転じてしまったため、再度改正せざるを得なくなった、というわけですなぁ。

ということは、要は、選手が

「ちゃんと走ってないから」

ということが一番の問題じゃないか。

ひいては、売り上げの下降基調を結果的に招いた、ということに結論付けられるんじゃないの?

それと、競輪の入場者数は1974年度をピークに下降、売り上げも、1981年度に実質初の前年比ダウンとなり、それが1984年度まで続きました。ということは、旧ルール時代より、既に売り上げは下降局面に入っていたのです。

ところが、バブル景気の恩恵を受けて、競輪もその頃は、まさしく黄金時代さながらの売り上げ伸び率となっていました。蛇足ながら、「最初の」競技規則改正となった1988年、2度目の1991年については、対前年比を見ると増加しています。しかし、バブル崩壊後に売り上げが急落。しかも、1991年度をピークに、「一応」2009年度まで、一度として対前年比売り上げ増となった年度はありません。

ということですな。

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「脇役」が面白い

2011-02-09 16:47:03 | 政治経済問題

菅内閣は今、相当に厳しい状況に置かれているが、西岡参議院議長や、中井衆議院予算委員長といった、「脇役」がなかなか面白い役回りをしているように感じる。

西岡参議院議長は、文藝春秋2月号で、菅首相、仙石官房長官(当時)を批判した論文を発表したが、その後も菅内閣に対する批判が止まらない。先日も、藤井官房副長官が「参議院はいらない」と発言したことに対し、強い憤りを示した。

http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/819.html

与党の内閣に対し、これだけ批判的な話をする議長というのも珍しい。

中井衆議院予算委員長は、国家公安委員長時代に、「彼女」とのスキャンダルを暴かれたり、先日も、持ち込み禁止にもかかわらず、携帯電話を見ていたり、はたまた、「塩崎教授の陳述はこれで終わりました」と言ったことに対し、自民党からクレームがつき、謝罪させられるなど、「脇の甘さ」も目立つが、予算委員長としてはかなりうまい仕切りをしている。

例えば昨日の予算委員会で、自民党側が、大臣を5人~8人要求したにもかかわらず、菅首相ばかり答弁者に求めるため、小泉進次郎議員の質問の最後で、

「8人も要求しているのに、どうして菅首相ばかり質問するんだ!各大臣も忙しい最中時間を割いて国会に出て来られているというのに、大半は答弁もしないまま帰っていっているではないか!」

といって、枝野官房長官を答弁に立たせた経緯を力説した。

今や、政権交代って一体何だったのか?という声は大きいが、まだまだこうした人がいる限り、政権交代した意味はあった、といえるんじゃないかな、と思う。

もっとも、「塩崎教授」云々については、どうして自民党から批判が出たのか分からないんだが。だって、塩崎議員は、大臣に答弁させようとせず、過去に失敗ばかり重ねた「成長戦略」なるものを、懇々と説いているだけだったんだぜ。

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今度はJJとタイアップ

2011-02-09 08:22:19 | 競輪

イケメン競輪選手争奪戦の第二弾が行われている。

http://jj-jj.net/modules/pico/keirin_ikemen.html

今回のエントリーは、若手選手ばかりみたい。

投票は2月17日まで。発表は3月23日発売のJJ5月号。

ところで、「往年の」が入ると、高倉登、久保千代志、中田毅彦の3名は、間違いなくベスト10入りするだろうね。あと、平間誠記や吉田実も入るかも。

 

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