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時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

賛美歌  その2

2014-06-11 21:01:49 | たまWEBやブログの紹介

シノブ・ワーナーさん、ご訪問、コメントありがとうです。英語讃美歌#129“Where Can I Turn for Peace?”の歌詞、上手に訳されましたね、どうも。

前回  「賛美歌  2014-02-06 09:27:30      (shinobu warner)

2014-06-11 02:44:57  ちょっと自分で訳しました。 よく葬式のときアメリカでは歌われますよね.特に死が突然な時など、、、

平安求めて

1  平安もとめ さまよう心
   どんな慰めも 聞こえない
   傷つき痛む悲しい怒り
   一人で耐えて 主求む

2  悲しみ増して とどまる私
   どこに走ろう 教えて
   何処にあるのか 優しい其の手
   誰が分かろう 只主のみ

3  心の底に 触れながら
   私のゲッセマネ 主と共に
   心の叫び 主は聞かれ
   優しく溢れる 永久の愛

そうですかぁ、突然死の葬式とかですかぁ、きゃぁぁ、残された家族のためみたいな感じですかぁぁ・・・・聞いててまたまた、涙目いっぱいになってしもうたとです。3段目の‘anger, or malice,’とかの歌詞にあたるところで。

       ”Where Can I Turn for Peace?” #129
       http://www.lds.org/music/library/hymns/where-can-i-turn-for-peace?lang=eng


しかし、あれですね、英語歌詞ではたくさん言葉が話されてるんですが、そのまま対応させて訳せないんですよね、日本語にぃ~。2番の歌詞には、‘Where’/‘何処・どこ’が5度、‘when’/‘時’2度、‘who’/‘誰’2度も、あったり・・・・

訳で工夫されたと思われるのは、1番の歌詞では、‘主’を持ってきたんですね。

‘一人で耐えて 主求む’は、‘I draw myself apart, Searching my soul’で、独りになって、内省するといった意味かと思ったんですが、検索したら、‘Searching my soul’は“自分の魂の居場所を探し求めて”なんだよというのがありましたぁぁ・・・・

歌詞の意味では、1番2番は続いてて【1番で、Where’/‘何処’が2度、‘when’/‘時’2度、‘who’/‘誰’0度】、‘とどまる私’は、‘私は弱り果ててしまい’ですかぁ。

‘どこに走ろう’のところで‘run’は、辞書見ました。‘逃げ出す・立ち去る・帰ることができる場所を知る必要がある、教えて’みたいになりましょうか。

“誰が分かろう”は、誰がわかることができよう(私の苦境、苦しい気持ちを)の意ですか、()内のは、英語に無いわけですが。

3番、そのままだと、‘主は個人的に答えられます、私のゲッセマネ(人生最大の苦境)に落ち入ってて慰めを捜し求めていたところに、救い主そして友としてリーチしてくださり・・・’みたいな感じでしょうか。‘Savior and Friend’・‘救い主そして友’は、‘主と共に’と訳されました。‘トモ’同音だぁ。‘主は聞かれ’と‘優しく溢れる’の間に、‘平安を与え、常に変わらず’が英語だとありますかぁぁ・・・・

題は、‘私は平安をどこで得られるか’になりますかぁ。


と、折角の機会、この思い入れのある賛美歌の訳にコメントさせていただきましたぁぁぁ。


この賛美歌、たまWEBに賜ったのは、どうしてなのか?? 誰か亡くなったとかそういうことはないわけで・・・・たまWEB、チャレンジャー精神発揮で、まぁ、前人未到の?といえるくらいの、このブログ内容なわけでしょうかぁ・・・・真相に迫っていてくれぇぇぇ・・・・教会も、みんな金太郎飴みたいなんでしょう、こうしたのは、教会で受け入れられない事情、仕組みがあるということで、制裁され退けられ、そんなんで、不満や孤立で落ち込んでたということでしょうかぁぁ・・・・そこへこの賛美歌メロディーがやってきて、慰められたみたいな???・・・・そうそう、きっとそうなんでしょう、そう思いたい・・・・人の腕に頼らず??みたいな・・・・


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