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時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

天文観測は支配に結びつき

2020-11-22 14:21:53 | 占星、巨人、予知夢/予言、オカルト


❝天が下のすべて事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを始めから終わりまで見きわめることはできない。❞

私は信者ではない。しかし、今までこの「伝道の書」以上の詩文に出会ったことはない。

若い頃は、仮に定められた運命があったとしても、人間の能力で切り開くことが出来ると自負していた。
余分な言葉で人を傷つけ「その時を計らなかった」自分の至らなさを責めたこともあった。
しかし、最近では、「こんな事もわかっていなかった」自分に対して、今だからやっと気づいたのだと思う。
人と出会い、人と別れる・・・全ての計らいにも時があるのだと納得する。
人を責めず、実りなく自分も責めない。
そうすると、不思議とストレスもたまらない。
毎日のストレスは翌日までも持ち越さない。
これも生きる知恵の1つかもしれない。

http://www.restart-woman.com/essay/essay_2003-11.html

権力者がすべてを制するには、まずは時を制せねばならずと気づき・教えられ・・どうやって?!

銅鐸・・春分、秋分時等を知るため、いわば生死にも関わるであろう暦の役割(種まき時期等農業、漁業、社会生活に必須)・・は、破壊されましたね。

「銅鐸の上面 舞(まい)に片持ち孔穴が二つ開いています。この舞の孔穴から太陽光(正午)が 秋分春分に射し込む角度が 55.5度(近畿地方の場合)。

このスポット光を、もう一つの舞の孔穴から覗いてみて、銅鐸内部の内面突帯に 光が当たるときが春分と秋分なのです。スポット光線の利用というアイデア。これは 岩屋岩陰遺跡の太陽観測装置と同じで、非常に優れた古代人の発想力です。

(第四点)この鰭(ひれ)は、東西の方向を定めるためのものです。

銅鐸で太陽観測するときに、銅鐸の側面を正しく東西方向に置かねばなりません。鰭(ひれ)の長さは わずかなものですが、この左右の鰭を東西にむけて銅鐸を置けば、銅鐸の表面と裏面は 正しく南 と 北に 向けることが出来ます。・・    2017-12-02  ‘四つの機能を持つ 優れもの( =銅鐸 )’ 古代遺跡・クンクン紀行

https://ameblo.jp/shiroyamaryuzo/entry-12333067080.html

「氏は日本科学史学会編集の「科学史研究」で、春分の日の前後に太陽光線が銅鐸 の最上部の孔と中間部の孔を貫くことに着目し、「弥生人が春分、秋分の日の頃の太陽の位置を考え、孔の位置を決めたと考えられる」という研究を発表している 。
」   http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/1999-2-2.html

銅鐸 春分 秋分
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%8A%85%E9%90%B8%20%E6%98%A5%E5%88%86%20%E7%A7%8B%E5%88%86&ei=UTF-8

「何故銅鐸が破壊されたのか…このことについては、これまでも様々な説が唱えられてきている。 ・・
集落遺跡から銅鐸の破片が出土する事例が増えており・・
つまり、弥生時代の個々の村落を統合する新しい支配者が現れる等して人々がより大きな集団を構成する際に、それまでのそれぞれの共同体の祭儀から専制的権力者の祭儀への変化が起き、各々の村落で使われていた銅鐸を埋納したというものである。その際、集落によっては銅鐸を壊す等の行為もあったと思われ、一部の破壊銅鐸の出土はこのような理由によるとする。また、この社会・祭儀の変化とは次の古墳時代への変化のことと関連付けられることが多い。・・
弥生時代に入ると出土する銅鐸には、なぜか破壊された形跡がある・・
銅鐸の祭りの終焉に当って近畿式銅鐸は相当数が破壊され.たことがわかる。共同体的な性格が強い銅鐸の祭りの存続が、弥生時代後期・・
奈良・纏向(まきむく)遺跡で見つかった銅鐸の破片は、火であぶられ粉々に破壊 されたことをしめすものか?・・

銅鐸破壊実験  http://doutaku.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-bc78.html    」

銅鐸 破壊  https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%8A%85%E9%90%B8%20%E7%A0%B4%E5%A3%8A&ei=UTF-8

いわば所有物としての銅鐸民族に対する人身支配では彼らのカレンダー・祭祀を停止・破棄させて、征服側の暦算法下に置くことが必須、たいへん有効/技あり/一本であった・・まぁ、民衆サイドからすれば支配層のすげ替え・入れ替えであったかも・・依らしむべし、知らしむべからず。

「中国の歴史を通じて、天文学者は星の観測の補助として天球儀を用いた。また暦の計算などにも用いられた。

中国での天球儀の最初の発展は、紀元前4世紀の石申と甘德によるもので、彼らはリングが1つの単純で原始的な天球儀を作った。これによって彼らは北極星までの距離を計算した。

その後、前漢の時代になると、落下閎、耿壽昌らによってさらなる改良が加えられた。紀元前52年に耿壽昌は天の赤道にあたるリングを加えた。続いて後漢時・・

」天球儀 https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%A4%A9%E7%90%83%E5%84%80&ei=UTF-8

二中暦からしても列島王朝交代説もむべなるかなでしょう・・・いち早く唐と同盟し半島統一を果たすべく新羅は唐の官服採用、独自の元号を廃し唐の元号を用いる・・たまWEB的には、金庾信=藤原鎌足、金春秋=天智天皇なんだべっち・・ 列島も大化け(大化)していくわけですぅう・・

さて、んで、この天文学にあっての占星術は、天下の事象予測に関わり得る(正確な天体運行予測計算に基づいて事の成否のタイミングを見極め得る等?!)という面があると信じられたがゆえに、分けられ秘匿され独占されてきたのかもしれない・・

「天文学の始まりは、星を観測してそのデータをもとに動きを予測し、王や国の行く末を占うことが目的であった。惑星は他の星とは動きが異なるため、占いの大きな要素とされた。星座は古くから星の位置を表す目安として使われていた。下の星図には南天の星座としてアルゴ座が描かれている。現在ではりゅうこつ座、ほ座、とも座と3つに分けられ使われていない。・・

」『皇帝天文学』"Astronomicum Caesareum", Petrus Apianus 著 (1540)
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/exhibition/057/

最初に天文の知識を与えたのはアダムの子セツらしい・・ヨセフス。

占星術であたりまえの事として金星があるわけですが、古代天文図で紀元前2000年くらいから現れ、それ以前では金星は記されてないとのこと・・・飛鳥昭雄説、『衝突する宇宙』ヴェリコフスキー(1895 - 1979)

エライザ・R・スノーはエノクの民は地球から(カリブ湾あたり)分かれた星に住んでおり、それは金星であるとジョセフから聞いたそうな・・

将来の反キリストも暦に手を付けるようだにゃ・・
「25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
」ダニエル7

福音を主とし、占星術を従とすれば、たとえば、神の御子イエスの前に謙遜になるために人には弱点が与えられてるとは申しますが、その自らの弱点を探り当てるのに占星術は効果的なのかも・・

権力者たちは占星術を行使してるのではと思われる事象としては、火星が逆行を終え順行に戻ってから大統領選結果への論議がにわかに活発化したか??・・占星術の世界では火星逆行中の物事開始は成就し難いとして禁忌らしい、例えば訴訟?!


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