あれはねぇ・・・・あれからぁ・・・・2010年になるんかぁぁ、ほんの3年前かぁぁ・・・・日曜学校で、旧約聖書、学んでた時だから、2014年の4年前(モルモン書、教義と聖約、旧約聖書、新約聖書、の順で4年で一巡。今年は教義と聖約で、来年14年は旧約が日曜学校でのテーマ、テキスト)。
たまWEBの所属してる教会では、英語圏のフィリピンの会員の方とかおりますので、日曜学校の時間、英語のクラスがあるんですよね(教師は、アメリカからのシニア・カップルの夫婦宣教師さん)、で、当時、そのクラスに出てましたんですね。で、
こちらさんのサイトで、読んだ記憶あったので、”教会歴史部”で、検索させてもらうと・・・・
「教会歴史の幕開けです。 2010/11/10(水) 午後 6:56 今日は、ソルトレイクシティーから教会歴史部の職員が2名来日して、日本での教会の歴史部の活動が正式に幕開けしました。以下は、「ENDO TIMES」からの記事の転載です。横浜教会歴史サイトのご安内をしました。 教会歴史部のニールソン兄弟とクロスビー兄 弟を、教会歴史サイトに案内する為、元町中華街駅で待ち合わせた。・・・・」
http://blogs.yahoo.co.jp/a151e/61771550.html
”ENDO TIMES 21November, 2010”のPDFとか、見ますと、そう、そう、そう、この御両人。一人はメガネかけてましたぁ、たまWEBの行ってる教会に訪問したんでしたね(日曜の集会は、聖餐会が最初で、次が、日曜学校)、日曜学校のクラスは、たまたま、たまWEBの隣に座ったんでしたっけ・・・・うぅぅんん、教会歴史部の管理部長だって、エライ人たちだったんだぁぁ。
で、たまWEB、クラスの最中に、チラッと、英語で話したんですよぉぉ・・・・隣にいた、話した相手は、メガネかけてなかったから、ニールソン氏になるのかぁぁ、内容はねぇ・・・・それはぁ、エレミヤ16章のところだからぁ、その日のレッスンは、第42課だったんですかぁ。
16章15節からね、部分的に、読み上げてね、
「16:14主は言われる、それゆえ、見よ、こののち『イスラエルの民をエジプトの地から導き出した主は生きておられる』とは言わないで、
16:15『イスラエルの民を北の国と、そのすべて追いやられた国々から導き出した主は生きておられる』という日がくる。わたしが彼らを、その先祖に与えた彼らの地に導きかえすからである。
16:16主は言われる、見よ、わたしは多くの漁夫を呼んできて、彼らをすなどらせ、また、そののち多くの猟師を呼んできて、もろもろの山、もろもろの丘、および岩の裂け目から彼らをかり出させる。
16:17わたしの目は彼らのすべての道を見ているからである。みなわたしに隠れてはいない。またその悪はわたしの目に隠れることはない。
16:18わたしはその悪とその罪の報いを二倍にする。彼らがその忌むべき偶像の死体をもって、わたしの地を汚し、その憎むべきものをもって、わたしの嗣業を満たしたからである」。
」(エレミヤ書)
北の十支族は、地球から割れた・分かれた星にいて、その星が戻ってくるとジョセフが語ったという話がありますよねぇぇ、そういったことが、日曜学校のテキストとかに載ったらいいんじゃないかみたいなこと、言ったんですよぉぉ。そしたら、彼の第一声は、たしかねぇぇ、「それは本当だろうか??」でした。 そのあと、彼は何か話したんですが、はっきりとは覚えてないけれど、怪訝そうな顔になって、否定的だったという印象はありましたな。・・・・ほんの、短い時間だったんだけれど。・・・・ジョセフの個人的意見、想像と見なしている、現代科学的根拠からして、そのような事柄は、受け入れられないみたいな感じだったかな。・・・・""本当だろうか""は、教会史家だから、そのような記録があることはご存知なわけで、初耳という感じでは、もちろん、なかったけれど、そのような事を、一日本人会員の口から出たので、多少面食らったというか、警戒というか、そんな感じだったすな。・・・たまWEB的には、そのような教会初期の記録・情報は、モルモンにとって大いなる遺産のはずなのにぃ、いまや、歴史家や教会の学者さんたちには、負の遺産というか、受け入れられないということなのかぁぁと思ってしまうと、ギャップが在り過ぎぃぃ・・・・”日曜学校のテキストとかに”云々のところは、正確にはどう言ったか、はっきり覚えてないけれど、まぁ、兎にも角にも、そんな感じで・・・・
今、教会で、『ジョセフ・スミス文書』というのが刊行中ということですね、で、そのシリーズでは、ジョセフがこんなこと言ったという聞き書きも含まれるということなので、まぁ、しっかり見てみたいと・・・・ブリガムの弱点は、金を愛することだというのとか、本当に載るんだろうか???
たまWEB、復活する時は、ジョセフ・スミスの近くにありたいというかさぁ、教会史家、学者さん、その他、諸々のご立派な、ご意見、御勧告等もあるけれどさぁ、自分で勉強した範囲での、勘/感を働かしてのさぁ、こう信じたいというのに、こだわっちゃうよなぁぁ・・・・
日本の教会歴史が語られ始めるということは??うぅぅんん・・・・
ほな、ご訪問、忝しで御座候、あんがとなで御座候。