より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

直解主義 VS モルモン書フィクション説

2016-04-15 21:10:32 | 福音と教会

うぅぅんんと、たまWEBは、直解主義の範疇に入るのかな、文字通り、何から何まで聖句を狭義的解釈をするわけではないけれど。聖文の読み手が、霊感・インスピレーションを受けて理解するであろうことを信ずる主義みたいな・・・

「33 流水はいつまで濁ったままでいられようか。いかなる力が天をとどめるであろうか。全能者が末日聖徒の頭に天から知識を注ぐのを人が妨げようとするのは、人がそのか弱い腕を伸べて、定められた水路を流れるミズーリ川をとどめようとするようなもの、あるいは逆流させようとするようなものである。
」(教義と聖約121)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

NJさんはモルモン書創作説を信じておられるようです。

いまいち、たまWEB、フィクション説というのがわからなかったようで、メモります。NJさんとこの記事への コメントでっつ・・・・

うぅぅんんと、 (たまWEB)
2016-04-14 21:17:33
直解主義と判断する場合、モルモン書をフィクションとであるとする立場からすると、モルモン書を信ずる人は皆、直解主義だみたいになるんでしょうか??

モルモン書フィクションとする観点ではモルモン書の何をどう信じてるということなんでしょう??
例えば霊とかって信じないほうなんでしょうかね??


探究心旺盛な末日聖徒が直面する関門
http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/b788030bf621d6a093294102c32b2f1f

 
それはですね・・ (NJ)
2016-04-15 09:44:05

>モルモン書をフィクションとであるとする立場からすると、モルモン書を信ずる人は皆、直解主義だみたいになるんでしょうか

いえいえ、モルモン書をフィクション視することは、米でもまだ研究者の間の話ですから、そこまではいっていないと思います。(ただ、本質的にはそういう位置づけになるでしょうか)。

創世記の記述(エバはアダムのあばら骨から創られたなど)をその通り受けとめたり、全般的に聖書の記述を字義どおり解釈することを直解主義というと思います。

>モルモン書フィクションとする観点ではモルモン書の何をどう信じてるということなんでしょう??

結局宗教的な真理をくみ取るということではないでしょうか。隣人愛、奉仕、至高者を認める、戒めを守れば栄える、など倫理・道徳上のメッセージに耳を傾けることに意義があると思います。・・・また、聖書の注解や19世紀西洋社会への警鐘が含まれていると考えられます。

短い文では十分意を尽くせませんが。

人はミズーリ川を逆流能わず (たまWEB)
2016-04-16 07:27:32
うぅぅんんと、たまWEBは、直解主義の範疇に入るのかな、文字通り、何から何まで聖句を狭義的解釈をするわけではないけれど。聖文の読み手が、霊感・インスピレーションを受けて理解するであろうことを信ずる主義みたいな・・・
 
 
 
どっちかというと、 (たまWEB)
2016-04-16 07:40:55
目に見えないような、霊、霊の存在(人は肉体と霊とからなるなど)、霊感といった事柄は、フィクション説派の方々は信じれない・信じないみたいな感じでは??
そのへんどうなんでしょ??
 
 
 
不信・詮索は一時棚上げにして (NJ)
2016-04-16 18:26:25
厳しい点をつかれました。信仰の観点と理性・批判的視点は両極にあって、現代人は信仰者でも理知的・批判的側面も併せ持っているのだと思います。

霊魂、聖霊を始め神格者の存在や奇跡など神秘的な内容(神の顕現経験を含む)は、人によって異なりますが、批判的現代人は不信を一時停止(棚上げに)して信仰の物語の中に身を置き、メッセージをくみ取ろうといたします。

詳しくは、当ブログ 2006.03.01「神学者が見た聖書の読み方」に出てくる「不信(詮索)の一時停止」、2011.08.03 「最初の示現をどう受け止めるか」にある「現象学的留保」などを参照してください。
 

 

 

英語magnify の語義の変遷      モルモン教関連 / 2016-04-08 22:24:10

http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/db16dde511b34608bb65b696c56a5cd0


最新の画像もっと見る

コメントを投稿