より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

“天の賜物にあずかる者”

2014-05-30 21:06:55 | 福音と教会

うぅぅんん、NJさんの記事、通訳云々ということなんだけどぉ、たまWEB的には、どっちでもいいかなぁみたいな、

       「通訳?やはり日本人がよい   2014-05-29 17:49:47  NJWindow(J) 」

それよりもぉ、そもそもの話し手がさぁ、どれほど霊感されて天の賜物受けて話してるのかなぁとなるとね、またまた、たまWEB、自分は出来ないくせして、辛口批評してるとかって言われちゃいますがねぇ、しかしながら、現状直視、理想は高くということで・・・・

前にも、書いてたですかぁ・・・・


""" 貧富の差の解決策とは???    2012-09-01 11:49:45 

貧富の格差の問題、モルモン教会としては、どういった解決策みたいなのがあるんだろうか??? 前に書いたの少々、探ってみました・・・・

「パート31で、御座・・・   。WEB---- - 2010/04/13 21:30 

教義と聖約70:14ですが・・・・
「それでも、現世のものについて、あなたがたは平等でなければならない。しかもそれが不承不承であってはならない。そうでなければ、豊かな御霊の現れは与えられないであろう。

マーク・ホフマン事件というのが、ありました。数年間、接触していても、わからなかったというか、おそらく、識別の賜物が、なかった、求めてなかった・・・・・

要すれば、賜物が、求めても与えられないのは、現世のものでの、不平等さから、来てるのでは???・・・・・

一説では、教会歴史上、豊かな御霊の賜物が、信者の間に、見られたのは、教会が組織された1830年代、カートランド神殿奉献に至るまでの頃って、それは、取りも直さず、財産をすべて捧げ、物を共有する共同制度に基づいた奉献の律法に沿うよう、努めた時期といえるのではと・・・・が、利己心を克服できず、日の栄えの共同制度は、崩壊して、十分の一の律法に変わってしまった・・・・その結果、貧者と富者の両方が、存続・・・・

結局、こういう教会の方針は、この世の終わりの時まで続くのかも・・・・この世の経済の仕組みにどっぷりつかって、ドル紙幣が紙切れのクズとなって・・・・

教義と聖約49:20  「しかし、人がほかの人以上のものを持つようには定められていない。それゆえ、世は罪の状態にある。 」

"""

""" コメント回答・・・・パート2   2011-08-25 06:31:51 

預言とかに興味ないということですが、それはどうなのかなぁぁ・・・・コリント上14:1には、「・・・・霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい」とかってありますし・・・・

6節では、「・・・啓示か知識か預言か教かを語らなければ、あなたがたに、なんの役に立つだろうか。」とあり、12節は、「霊の賜物を熱心に求めている以上は・・・・それを豊かにいただくように励むがよい。」、39節には、「・・・・預言することを熱心に求めなさい。」ともあります。ということは、予言的なことと、教会でいう霊性みたいなことは、密接な関係ありでしょう。とすれば、予言的なことは、霊的な面で、有益だと・・・・

モルモン書のジェロム4節には、「また、民が皆強情なわけではなく、わたしたちの中には啓示を多く受けている者が大勢いる。そして、強情にならずに信仰を抱いている者は皆、その信仰に応じて人の子らに物事を明らかにされる聖なる御霊と交わりを持っている。 」とあり、モルモンの文化・カルチャーでは、霊的な予言とかに、もっと関心が払われて当然なのでは???

まぁ、教会では、指導者・幹部が、予言するとかの場面を、見たり聞いたりしたことがないというのが普通で、それは、由々しきことなんだろうとは、思うんですが・・・・

"""

 

やはりね、この世の中にあって、貧富がないようなそういった方向のかつての共同制度下の信仰生活でなければ、予言だの示現だのといった種々の御霊の賜物は来ないんじゃないのぉってね。


「13 まことに、いっそう豊かに受け、その豊かさは御霊の現れによって彼らに増し加えられる。
14 それでも、現世のものについて、あなたがたは平等でなければならない。しかもそれが不承不承であってはならない。そうでなければ、豊かな御霊の現れは与えられないであろう。
」 
教義と聖約 70章

「03 また、彼らはすべてのものを共有したので、物持ちも貧しい者も、束縛された者も自由な者もなく、皆自由であり、天の賜物にあずかる者(partakers of the heavenly gift)となった。
」 
第4ニーファイ書

「08 しかし、人々が信じたので、キリストは世の人々に御自身を現し、御父の名の栄光を表し、さらに、ほかの人々が天の賜物にあずかる者(partakers of the heavenly gift)となれるように、また、彼らがまだ見ていないものを待ち望むことができるように、道を備えられた。
 09 したがって、あなたがたも信仰を持ちさえすれば、望みを持つことができ、賜物にあずかる者となれるのである。
・・・・
36 そしてわたしは、異邦人が慈愛を持てるように、主が彼らに恵みを授けてくださることを主に祈った。
37 そこで主はわたしに言われた。「たとえ彼らに慈愛がなくても、あなたにとっては問題ではない・・・・

エテル書12章

 モロナイが、“異邦人が慈愛を持てるように”祈ったというのは、異邦人つまり末日聖徒、特にはアメリカのモルモンでしょうか、がシオンの共同制度の下で生活していくのに失敗するのが見えてたんでは??そしてそのことで心配になったからなんでは??・・・・“たとえ彼らに慈愛がなくても”と、まぁ、はっきりある程度言われちゃったわけですよね・・・・まぁ、すべての教会員がそうだというのではないわけなんでしょうが・・・・

愛に基づいて、貧富がないようにしない限り、少なくとも天の賜物にあずかって、豊かな御霊の現れを受けるための条件が満たされないんだと、今日の教会員ははっきり直視・自覚・理解しないといかんのでは???・・・・

やはりそのへんの現実理解せずで、只々、"生ける予言者"って持ち上げ叫んでみても、かいかぶり過ぎの過大評価、絵に描いたもち、裸の王様みたいなんじゃぁ?? 本物志向がなきゃ、教会員人生詰んでるみたいな???


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