6時5分に犬の散歩に出掛ける。
国道を渡り大きな川沿いの道を東上し2つ目の枝道を北上し市の施設の敷地を通るコースを歩く。晴れ。但し東の空だけに雲があり日光を和らげた。
フヨウの花を見るのが当たり前になった。かつてムクゲの花がそうであったように。咲き始めはそこになかった物が突然現れたような気持ちになり感動する。しかし、それが盛りになって来ると最早感動はなく風景の一つとなる。そして枯れる頃になると一瞬哀れを感じるがもうそれだけだ。
道路には車に轢かれた生き物がよく見られる。アカテガニ、クマゼミ、アブラゼミ、ショウリョウバッタ、コガネムシを見た。また、ミミズが地中からよく出てきている。そして必ず日に当たって日干しになる。
2つ目の枝道を北上する。両側の水田に水が湛えられていた。太い管から水が流れ込んでいるところもあった。この前見た時には水がなかった。まだまだ水を抜く時季ではないのにと思った。農家の人が田の見回りを忘れていたかうっかりしていたのだろう。
カエルが元気よくゲロゲロと鳴いていた。
市の施設の敷地の駐車場のぐるりは樹木が植えられている。その中にシイの木があり緑のシイの実をたくさん付けていた。大きさはこれ以上大きくならないだろう。後は熟すだけだ。
市の施設の外の駐車場に子供たちが集まっていた。間もなくラジオ体操の歌が始まった。子供たちは2,30人はいた。まだ、ラジオ体操をやっているんだと思った。
中道を歩いて家に近付いた時、公園の方から子供がやって来た。首からはラジオ体操のカードを垂らしている。あっそうか。昨朝は日曜日だったのでラジオ体操は休みだったのだろう。
7時10分前に帰着。
昨夕の散歩について
6時10分に犬の散歩に出掛ける。
何時ものコースである。犬はエアコンの入った部屋にいるので外のことは分からないだろう。だからだろうか、犬は散歩に出掛けたくしようがない。
北の門から参道を歩く。外は暑い。どうしてこう暑いのだろうと思う程、暑い。歳をとれば感覚は鈍る。はずだ。以前感じていたことが感じられなくなった。感じられていたことすら忘却の彼方である。
それが気温に関しては当てはまらないようだ。これは自分だけのことだろうか。私の興味関心は寒暖に関してのみと言っても過言ではない。それは台風が来れば風のことが心配になるだろうし地震が起これば被害にあたふたとするだろうし健康問題が発覚すれば右往左往するしかないだろうが、まあ、幸いにしてというか、そういう事態に陥っていないので夏は暑いとか冬は寒いとか脳天気なことをたらたら述べているのである。
こうすると実に人間とはどうしようもない存在である。が、自分を中心に置いて人間を普遍化して世の誹りを招きかねないのでもう止めよう。
犬は暑い最中、結構、元気に歩いた。
海辺で遊んでいる女性たちがいた。犬が寄って行って、直近でそれに気付いた人がびっくりしていた。隣の人は我が犬を見て可愛いと言った。私はどうもと言う。健康で若々しい人たちだった。
帰路、グラウンドから公園に戻る。我々の前を歩いていた高齢者の方2名が我々に気付き道を譲ってくれた。我々の方が歩くスピードが速いのだ。それに気付いて機転を利かしたのだろう。
気持ちが行動を促しその行動が言語での対応を求める。どうも済みません。
今後もこういう気持ちや行動に出会うことはあろうが、海辺の若い女性たち同様、もう二度と会うことのない人たちだろう。
Tシャツが汗で重く感じられた。
7時10分前に帰着。
犬に夕食をやりに北の玄関に行って窓から外を見ると参道のクロマツ並木の1本1本に神社の空色の幟が縛り付けられていた。あれ、散歩に行く時はまだなかった。我々が海に行っている間に取り付けたのだろう。この次の土曜日が夏祭りなのだ。端が綻びている幟もあるがまっさらな物もあった。まだ寄付者の名前が記されていない。
北の玄関で夕食を与え白いフィラリアの予防薬の錠剤をドッグフードに入れて食べさせる。単独では食べなくなったので。犬はハアハア言っている。もうちょっとだからな、辛抱、辛抱。南の家に連れて行くとエアコンの入った部屋に入れる。犬は嬉しそうだった。それが良いのかどうか知らないが。私は2階に上がり扇風機を回す。2階の部屋にもエアコンはあるが使わない。
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