犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

青青としたカラスノエンドウ

2014-02-18 08:14:59 | 日記


 7時に犬の散歩に出掛ける。今日は火曜日。

 丘陵の頂越えのコースを歩く。南の玄関から外に出て北の玄関に行く。風が強い。東風か北風のようだ。全天曇り。犬は土間で待っていた。どこで足音を聞いているのだろうか。ソファのある部屋ではなく座椅子のある部屋で足音が近付くのを待っているのではないか。その方が早く足音を聞くことが出来るからだ。聞こえたらさっと玄関に走って行く様子が思い浮かぶ。

 参道から国道を渡り、橋を渡って右に折れ川沿いを東上する。踏切で小串行の上りのヂーゼルが行くのを見た。田の間の道を歩く。風は北東の風のようだ。乾燥している。電線がビュウビュウ鳴る。

 丘陵の頂に向かう。小学生が三々五々集合場所に急いでいる。頂を越えて緩やかな坂道を下る。道端にカラスノエンドウがたくさん生えている。青青としていて春を待っている。

 川に至る。昨夜の雨だろう、増水して濁っている。川の中に大きなシラサギがいた。アオサギ位の大きさだ。駅裏に至る。丁度、上りのヂーゼルがホームに入って来た。
 市の施設の敷地に入る。日曜日に考古学の講座があって聞きに行ったのだが、長府の鋳銭所跡、国分寺跡、国府跡についての話が主であった。僅かな事実を得るのに多大な努力と時間を要すことを知る。それらの事実を積み重ねるしかないのだろう。
 ずっと遡るが、例えば弥生時代に文字がなかったようなのであるが、それは信じがたいことだ。大陸、半島と交流があっただろうに。文字を発明しなくとも受容はあったのではないだろうか。

 表から出て緩やかな坂道を下る。犬は寒いからであろう元気元気である。しばしば立ち止まる。枯草、ヨモギの青葉を嗅ぐ。しばらく立ち止まっていると寒い。歩くと大丈夫なのだが。だから、行くよと何度か呼びかけた。

 家に近付くと風はすっかり落ちていた。

 8時10分に帰着。


 昨夕の散歩について

 4時に犬の散歩に出掛ける。

 天気が心配なので早目に出掛けた。
 午後、玄関で犬と少し遊んだ。黄色の硬式テニスボールが久し振りに活躍した。玄関にほおってあるのでいつでも犬の自由になるのだが、そこに人が介在しなければ殆ど意味を成さないのだ。
 ボールを転がし取りに行かせる。それを持ってこいと命令するのだが持ってこない。口にくわえたボールを取ろうとすると怒る。或は怒った素振りを見せる。ウウウと唸ったりして。また、私の手を噛もうとする。歯は当たるが本気ではない。遊んでいるのだ。じゃれているのである。狩りや仲間との争いのシミュレーションなのだろう。もう、そんなことは、実際にはあり得ないし、起こらないことだろうが。しかし、想像力を働かせることは現実の現象なのだ。
 寝床に敷いている赤色の赤ちゃん布団を噛む。二重に畳んで保温効果を高めているのに噛んで引っ張ったり足で掻いたりして伸ばしてしまうのだ。叱られることが分かっているのにわざとやんちゃをするのだ。叱られる?そういう感覚はないのかもしれない。この犬なりの関わり方なのだ。情的には構ってもらいたいということだろう。
 やるか、出せとか何とか言いながら結構な触れ合いになっている。お互い大人なのでこういうことを絶えて久しくやっていなかった。
 しかし、犬はしばらくすると飽きたのか、本気を感じなくなったのかボールに対しての興味を失った。この遊びがまた次回に繋がれば良いことだ。歳をとっても遊びや遊び心を忘れてはなるまいぞと思う。

 公園、グラウンドを通って海岸に向かう。浜に下りて北に向かう。チドリの仲間だろう波が引いた所に4,5羽がいてしきりに何か突っついている。何か餌になるものがあるのだ。
 チドリに限らず野生の動物は実に変なものを食べていると思う。特に動物食のものはゲテモノ食いとしか思えない。それにいつも殆ど同じものを食べているようだ。随分な偏食家である。しかし、全身を食べるから栄養のバランスが取れているのだろう。
 チドリは止まったと思えば走り始め、急にまた止まり、突然、走り出す。脳の指令というより反射的な感じがする。セキレイより機敏そうだ。鳥の動きは私にはトカゲを思い浮かばせる。動きがよく似ているからだ。

 河口に至る。犬に引かれて突堤の先まで歩く。波は静かであるが、時折、雨粒が顔に当たる。
 川の方は岩にワカメやアオサが付いている。良く生長している。食べれそうだと思う。そう思うのは子供の頃、自然にある物を取って食べた習慣に起因しているのかもしれない。或はこれから食糧難の時代になる危惧をもっているからかもしれない。
 川の中の水は濃緑色だが海の水は淡緑色である。

 柴犬を連れた人を遠くに見掛けたが会って話すことはなかった。

 5時10分前に帰着。