2022年(令和4年)9月24日(土)
周りに何もないのではなく私の中が何も無いのだ。
犬を移動させるのが大仕事だ。庭に出すためにはまず犬を起こさねばならない。それからリードと腹下に差し込んだタオルで犬を誘導する。リードは何度も折り短くする。犬の体が傾かないようにバランスを取るのが難しい。犬は進まないように頑張る。何でそうなるのか犬に聴いてみたい。後ろが進み逆方向を向いてしまうこともある。
もう一つ眠らせてくれないのが辛い。
2022年(令和4年)9月24日(土)
周りに何もないのではなく私の中が何も無いのだ。
犬を移動させるのが大仕事だ。庭に出すためにはまず犬を起こさねばならない。それからリードと腹下に差し込んだタオルで犬を誘導する。リードは何度も折り短くする。犬の体が傾かないようにバランスを取るのが難しい。犬は進まないように頑張る。何でそうなるのか犬に聴いてみたい。後ろが進み逆方向を向いてしまうこともある。
もう一つ眠らせてくれないのが辛い。
2022年(令和4年)9月23日(金)
秋の彼岸、秋分の日。いかなる祝祭日より大きな日である。何故、夏至や冬至が祝祭の日にならないのか。後世、屹度、この日々が祝祭日で無いことで文化無き世だったと規定されるだろう。
2022年(令和4年)9月22日(木)
犬は夜、元気であった。いつものことであるが。食欲もあるし歩き回りもするし吼えもする。真夜中、犬を庭に連れ出して門から外に出て3,4m位歩いて駐車場に入る。電柱が終点となるのだが、犬はそこの点検を怠りなく行う。生きている証であるかのように。これは大分前に通った犬のもので雄で性的に成熟していて中型種だとか判断しているのではないだろうか。室内での時間の流れと全く違うスリルとサスペンスを味わっているようだ。能力を発揮するのがこんなに充実感をもたらすのかとうっとりしているようにも見える。満足しているのだ。生きてて良かったのだ。
室内に戻ると鬱屈するのか神経質になる。寝ている私を起こそうと吼える。何回目にかに起こされた時に私は足の爪を剥がしそうになった。剥げなかったが、血が出て痛かった。
お尻を拭いてくれる小倉から来た親戚が丁寧にしてくれた。これですっきりさっぱりで表情に生気が戻る。
2022年(令和4年)9月21日(水)
今、午後5時でTVでは大相撲秋場所を中継している。
犬はどうしているかというと玄関から上がった所に腹ばいになっている。それはずっとのことだ。眠っているようなのだが、もしそうだとしたら今夜は私にとってなかなか厳しいものになる可能性がある。いつものことだが。
しかし写真でも明らかであるが、犬の何という痩せ方だろう。まるで急峻な山脈のような凹凸である。山あり谷ありの犬の人生を物語っているように思える。犬は自分が良かった時のことを覚えているだろうか。その時と今とを比較できているだろうか。今の自分をなんだか変だと感じているだろうか。ラブちゃん、まだまだよ。これからよ。大変な時にこんな無理な励ましの言葉が出てくる。それは犬の責任ではなく私の意志の弱さの表れなのだ。人間世界において犬の責任は一切無い。在るとすればそれはすべて飼い主である私である。
犬のことが段々分かってくることもある。以前は夜間に犬が吼えると用足しの欲求だと解していたが、空腹で餌ざらに餌を入れてくれとの要求であることも分かった。少しずつ餌を与える。以前は1日2食だったが、犬が食欲を見せようが見せまいが食べられるならいつでもOKだ。何時でもその準備をしている。
2022年(令和4年)9月20日(火)
犬は夜型の生活に入っているので薄暗くなるまでは元気も覇気もやる気も食欲も何もないが、夜になると元気も覇気もやる気も食欲も出てくるのだ。
午前4時頃だったろう、犬を庭に出した。空は満天の星だった。晴れ上がったのだ。台風一過、秋が来た。終日涼しかった。それも犬にとっては元気の素なのだろう。
朝、掃除に来てくれる人がこの犬が大好きである。それが犬にも伝わっているのか安心して吠え回る。怒られるとは思っていない。だが、最近はちょっと吼えたらすぐに止める。疲れるのだろう。それに、ちょっと吼えたら、それで意思が伝わると感じているのかもしれない。
ご飯食べんてねえ、食べんと駄目よ、食欲の秋と言うんよ。犬はおそらく自分にとって良いことを言っているので黙って聞いておかねばならない時間だと諦めてかじっとしていた。
午後、6七日の法事があってお経を上げてもらっている時、犬がワンワンと吼えた。何か遠慮しているような勢いのない声だった。緊急性はないものの対話を求めている感じがして私は席を立った。私は足腰が悪いので椅子に座っているので立ち上がるのは楽だった。
犬は座ったまま糞をしていた。白っぽい糞だった。つべこべ言わずさっさと処理する。
実は午前、犬は嘔吐していた。掃除に来ていた人が帰って私は昨日、臨時休業だったスーパーに買い物に行って帰ったら犬が吐瀉物の前で情けなさそうな顔をしていた。拙いな、拙いな。水分を吸収させるため新聞紙をかぶせた。そこへ小倉から親戚が救いの女神として現れた。悪いけど相手の申し出に屈するように掃除してもらう。
それから犬には少しずつ餌をあげた。求めてもゆっくりゆっくりにしか与えなかった。だから全体量としては十分とはいえなかったかもしれない。が、戻すよりはましと思った。