「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「37時間経過」

2022年11月17日 | 健康イチバン!

                      

コロナワクチン第5回目接種から37時間が経過した。
反応が鈍いのか、感受性が衰えたのか、年のせいで感度が落ちてきたのか・・・・・・。

あれこれ思うのは悪いことばっかり。結局のところ、この身体にはワクチンに反応する不平分子が少ないということか。
つまり、ワクチンの成分を身体がすんなり受け入れて、葛藤や対決や摩擦など、熱作用を発する要因を引き起こさなかった、ということ。
5回目ワクチンはこの身体にとっては、役立つことはあっても弊害を起こすことはない、ということである。ということを発表しておきたい。

とは言ってもこれはあくまで個人的なこと。イヤな副反応に悩まされる人もおられるかもしれないので、一概なことは言えないが、少なくとも私たち夫婦にとっては、何の苦しい思いもせずに、コロナ感染の予防をしたことになると、一応宣言しておきたい。
出来ることなら、多くの人に積極的に5回目ワクチン接種をしてもらって、第八波などと言われるコロナ感染を抑え込みたいものである。

蔓延状態になって、マスクしていても、いつどこでどんな人からもらうかも知れない恐怖状態を作らないことが大切。
自由に気ままに、紅葉を求めたり、未知の味を求めたり出来る、本当に楽しめる世の中になるように、みんなでコロナ撲滅しましょうや。

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「5回目の接種!」

2022年11月16日 | 健康イチバン!

                

コロナワクチン接種5回目を、今日午前中早い時間に終えた。
接種後間もなく11時間になろうとしているが、今のところ腕が痛いの、熱っぽいのといった感覚もない。強いて言うなら接種部分の肩の周りが軽い痛みを覚える程度である。

過去4回の接種をしたが、3回目までは全くの異常なし。副反応ってどういう状況を言うの??といった塩梅であった。ただし、4回目になると違った。これは明らかにワクチン接種による副反応とわかる、微熱状態の倦怠感、軽い風邪症状を感じた。それでも接種当日の夜と、翌日一日続いただけで、その後は何とも感じない普通の状態に戻った。

今回5回目は、こちらの接種が素早かったために、周囲に経験者がいなくて参考意見が聞けない。つまり私たちが先駆けということだ。
明日の朝どんな状態なのか、少しだけ気になる。というのも、明日木曜日の夜は大切な会議を控えている。この会議を無事に通過すると、今年の大半が終わったと思えるくらいの重みがあるもの。体調万全で迎えたいし無事会議を終えたい。

そういえば、5回目のワクチン接種に対する話題の盛り上がりが少なかったね~。特に副反応がどうだこうだという議論が少なかった。それでも世情では、コロナ感染者数は過去最高に近いまん延振りである。臆病者夫婦は、記念旅行も紅葉見物旅行も全て旅行と名が付く行為を控えている。
そうやって我慢をしてきたのだから、医療側がコロナ感染第八波などと正式宣言する前に、早めのワクチン接種で危機を乗り越えたいと密かに狙っているのだが、どうでしょうねー。やっぱ、健康イチバン!!

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「366日目」

2022年11月15日 | 健康イチバン!

                                                                
          手術室からベッドに戻された直後。酸素吸入と真新しい固定装具の生々しさを思い出している。

♫ あれは3年前・・・ ・・・♬ と言えば歌の文句にもなるが、小生の場合、まさしく ❝ あれは丸1年前・・・ ❞ では歌詞にもなりにくいようだ。
それはさておき、手術1日前には入院というルールに従って、令和3年11月14日に広島西医療センターに入院。悶々とした一夜を明かした翌15日に手術室へ。4時間30分の手術に耐えて、というか完全麻酔の深い眠りの中で時間は過ぎた。気が付いて意識が正常に戻るとともに襲い来る激痛と、拘束された身体の不自由さに思わず叫び声が出そうだったのを、366日目の今宵、自宅の炬燵に座って思い出している。

『 https://blog.goo.ne.jp/yok1sioka/e/11c65b49414083dcb42e7b0f4d29315f 』 その昔の苦しい思いを綴ったブログ。

左肩腱板断裂修復術というのが正式な病名で、整形外科の中でも腱板修復の名医の名がたかい(永田)先生の腕にすがって丸1年。
今日のCT検査では「術後1年経過の画像に異常はなく、順調に回復している」とのお言葉を頂いて、何より誰より本人が一番ホッとしている。
リハビリテーションも、コロナ最盛期の2か月間は休まされたもののほぼ1年間、定期的に治療を担当して頂いたのは、長女と年の近い素敵な女先生である。しかも、私たちの住んでいるすぐ近くの出身だという。

そんなこんな色んなつながりやご縁の中で、助けを借りてなんとか元の姿に、いやそこまでは行かないにしても、人並みに両手両足を使える老後を送らせてもらえたら有り難い。と思っている。
もう年なんだから、などとつまらぬ妥協はしないが、年なりの元気とやる気は持っていたい。何はなくとも、健康イチバン!!

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「自称、隠れ紅葉の名所?」

2022年11月12日 | いわくに よいとこ

毎年この季節には必ず時間を作ってわざわざ出かけて、ゆったり深呼吸の一つもしたくなる場所がある。カメラアングルもまたいい。
おまり多くの人は訪れないけど、しっかりした観光スポット「隠れ紅葉の名所」と自ら勝手に命名して、一人悦に入っている場所でもある。
錦帯橋の奥座敷、吉香公園の片隅にあるその名を「岩国もみじ谷公園」という。決して広くもないし、一生懸命紅葉を眺めるほどの数でもない。足も疲れない程度で十分楽しんで見終えられるのがいい。

  
  
今日はあいにく土曜日とあって、観光客も結構多かった。人影を避けながら、お気に入りスポットをカメラに収めたのは27枚。毎年同じような写真をアップしてもね~という気恥ずかしさもあって、今年の場合はこの程度に抑えた。悪しからず。

実際はこんなものではなく、あちこち鮮やかな朱や黄色が手招きをしている。500本は優に超える各種数々のかえでやいろはモミジ、それに黄色が映える銀杏の木など、目を楽しませるには十分の広さを誇っている。といことで手前味噌な話であるが、ご用とお急ぎでない方は是非一度お越しになっては如何かな。大きく損はさせませぬぞ。
そこでひと節、♬ 一度はおいでよ岩国へ 人情溢れる城下町 方を寄せ合い二人で渡る 五連アーチの錦帯橋に 舞うは楓か花もみじ ♪♪

  
昔の人は本当に風流というか、花鳥風月を生活の中に取り込んで楽しんでいたのよね~。春は桜、夏の鵜飼い、秋のもみじや冬の雪景色。自然の織りなす美観は風光明媚な景勝として、多くの人が訪れていたのであろう。

もみじ散策の道沿いにあるお寺の門前には、こんな可愛らしい紅い毛糸の帽子を被ったお地蔵さんのお出迎え。ついで出会ったのが、あまり見かけない大型犬のお散歩。ごっついお兄さんの割りには優しくにこやかに「穏やかなタチ(性質)ですから触っても大丈夫です」と、大型犬に負けない穏やかさで触れ合いタイムを作ってくれた。今日もいい一日であったような。

初冬というには暖かな日が続いているが、無理して遠くへ出かけなくても、その気になりゃ近場にだって色んないいとこるがあるものだよね~。

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「まぬけな話!」

2022年11月11日 | ニュース・世相

                     

世の中には言葉が溢れている。個人的に素敵な日本語だよね~と信じている「ひらがな言葉」。ややこしくて分かりにくいね~と不平をこぼす若者言葉。やたら知ったかぶりに使われる、外来のカタカナ言葉。好き嫌いは別としても、兎に角いろんな言葉の洪水に溺れそうになる時がある。

そんな言葉の話とは少し異なるが、国政をつかさどる、それも司法の番人であるはずの法務大臣たる人が、はなしにならない言葉を発して更迭される事態に発展した。政権のアラ探しに奮闘する野党の皆さんの格好の標的になった。政権側からこういった人が出ると、そのたびに国民生活の審議はさておき、大臣を辞めさせることに集中して政治が前に進まなくなる、と感じる場面が多すぎる。ということは政権与党の大臣の資質の低下が源流にあり、軽はずみな言葉遊びにも似た軽~~い発言が横行しているという現代風潮が目に耳について仕方がない。

「それを言っちゃぁお終いヨ~」と啖呵を切ったのはあのフーテンの寅さんである。

死刑のハンコを押した時だけトップニュースになるだけの地味な部署だ法務大臣は・・・などと発言し、更迭された葉梨法相が、さきほど岸田首相に辞表を提出した。首相官邸で取材に応じた葉梨氏は、辞表を提出するに至った理由について、「死刑という文言を軽率に使ってしまった。国民の皆さまに不快な思いをさせた。国会日程にも影響を与えることになった」などと述べた。というニュースがいち早く流された。

地味な立場を嘆く気持ちを晴らすつもりの発言が、一気に「アンタは失格、退場!」を命じられたというお粗末な政治劇。見ちゃいられんよね~。オッと聞いちゃいられないはなしだよね~。そっか~お名前が話にならない葉梨さんか~落語のオチみたい。

ただこれは、政治やおエライ方ばかりの葉梨ではない。オットット話ではないの間違い・字違い。
我々の世界でも全く同じである。ひとつ言い間違えたりすると一気に総スカンを食らうことだってある。ましてや何の縛りもバックボーンもないボランティア団体での運営や活動お願い事などは、発言に気を配っている。つもりではあるが、結果的にちょいちょい失敗している。一言余計であったり、言葉足らずで誤解を招いたり、言葉尻を捕まれて意図せぬ窮地に立たされたり。
どうすりゃ解決するんじゃろう。やはり信頼関係構築という目に見えない心の綾が必要なんだろうね~。そこがヘタなんだよね~。情熱のほとばしりのつもりが、独走とみられたり、「勝手にすれば・・・」となったり。

言の葉って本当に便利なツールだけに怖さを併せ持つ、もろ刃の剣なのかもね~。いまごろになった気付いたわけではないのに、性分というのは年を取っても変わらないし、治らないね~。灰になるまで持って行くしかないのかも。ア~~ア!!

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「祥月命日」

2022年11月10日 | 思い出話

           
                  墓前に供える小菊

11月10日とは、丸14年が過ぎた今でも記憶から遠ざかることのない、1年の中でも最も忘れがたい日である。
若さゆえの力不足と配慮不足が、形の見えない悔悟の念として肩に乗っかっているような、そんな後ろめたさに苛まれる。それを振り払うために墓前に花を手向け、ねんごろに手を合わせる。もちろん、我が家の中心に座すお仏壇にもお線香を焚いて手を合わす。

母の祥月命日。何は置いても今日一日の一番の仕事であると肝に銘じて午前中を過ごした。
あれは、2008年11月10日17時23分。母の最期となった棲み処である介護施設から「大至急来てください」の電話をもらってから3分後の午後17時26分。100才7ヵ月10日の天寿を全うした日時である。

14年前の話。当時66才であった。今思えば若かったな~と改めて実感する。
母が亡くなってから後、二人の姉を見送った。81才を目前にして、6人いた兄妹がたった2人になってしまった今、黄泉路の向こうで、父を含めた6人の親子が仲良くやっているのだろうか。やはり、両親をこの手で送り出した面倒見のいい次男坊がいなければ、多少のもめごとはあるに違いない。などとバカなことを思ったりするコスモス揺れる季節である。

そういえば、母の最期を迎えた部屋の窓の下で、たった一輪のコスモスがひ弱そうに風に吹かれて、右に左に大きく揺れているのが目に入った。
彼岸に渡ろうか、今しばらく此岸でがんばろうか迷っていた母の気持ちを見るようで、何とも涙を誘う光景であったことを思い出す。

色々あった14年。母がこの世の中で最も心を許した我が嫁と、ちょっと頼りない次男坊二人が、もうしばらく揃って元気に祥月命日は忘れず手を合わせるから、あまり早く呼ばないように、末永く暖かく見守って欲しいね~。と未だに母には甘えてみたくなる感情がある。

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「月食を召し上がれ!」

2022年11月08日 | 季節の移ろい・出来事

全国的に皆既月食が見られるのは2021年5月26日以来という今宵の月食。また、今回は惑星食の1つである天王星が地球と重なる天王星食も同時に見ることができるという。皆既月食と惑星食が同時に見られるのは1580年7月26日以来、何となんと442年ぶりだという。これって本当なんじゃろか、誰かが見たことを代々語り継いできたのだろうか・・・肉眼では見えにくいというのに、その当時どうやって観測したんじゃろう。よほど目のいい人がいて、織田信長殿に「不吉な予感が・・・」などと進言したのだろうか。などというケチな考えはしない方がいいよね、夢を追うことにしたいね。

月食は全国どこでも同じタイミングに起こり、今回は月が地球の影の中心近くを通るため、皆既食と呼ばれる時間が比較的長くなる見込みだという。皆既食は19時16分ごろから20時42分ごろまでの約86分間にわたって見ることができるた。 

  
 
  上段左が18時45分 徐々に欠けて行き、下段の一番右が19時15分。およそ30分の天体ショー!
  拙い腕で追いかけた皆既月食の欠けていく様子、存分に召し上がれ(笑)

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「海岸清掃、本番!」

2022年11月06日 | 地域活動

周到な準備を重ねて、ついに海岸清掃本番を迎えた。無事成功させるための必須条件がいくつかある。
先ずは晴れてくれること。次に初冬特有の北風が吹かないこと。こういった気象条件ばかりは、我々の力も及ぶべくもない。ただただ神頼みあるのみ。
必死な思いの神頼みを聞き届けてもらえたとあってか、午前9時の開始時刻には太陽が優しく微笑み、風もゼロではないが、漁船が浅瀬に接岸する妨げにはならない程度の微風。早く始めたくて開会行事の注意事項伝達を急ぎ過ぎて何度か噛んでしまった。兎に角天候には恵まれた。

問題は参加者人数である。終息の見えないコロナ禍の中で、無鉄砲な大人数の集結は許されない。されど、漂着ごみの量を見せられると、やはり人生経験豊かな一般参加者の手は絶対に欠かせない。地元中学校からは生徒90人、教職員10人合わせて100人の参加は約束されているのだが、一般参加者の絶対数が気にかかる。蓋を開けてみると、こちらもお天気同様我々の意図する人数200人近い人が受付名簿に名前の記入があった。いよいよスタート。

 
      現場1 ビフォー  (11/4 14:30)        現場1 アフター (11/6 15:00)

  
       現場2 ビフォー                      現場2 アフター

  
       現場3 ビフォー                      現場3 アフター

  
        現場4 ビフォー                     現場4 アフター  
あらかじめ分けておいた4つの現場にそれぞれ分散し約90分の短期決戦。
スタートして間もなく携帯電話が鳴る。「こちらにもう少し人数を寄こしてくれ」「ごみ袋が不足気味なので至急補給してくれ」など現場担当者から矢の催促が来る。慣れない砂浜を走って、取り敢えずフォローをしなくてはならない。
「あれほどの実行委員会を開いて役割分担したのに・・・」と思っても仕方ない、ただ行動あるのみ。兎に角短時間で風の吹かないうちに、漁船による海上運搬を出来るだけ回数を稼がないと。風の影響で漁船が使えなかった昨年の苦い経験が頭をよぎる。

なんだかんだ色々あったが、参加総数300人、漁船5隻による海上運搬で集積したごみの総量約5トン。これは過去の最高に匹敵する成果を上げたことになる。しかも微細のけがはもちろん、体調不良など救護班の手を煩わせることもなく無事終了。
地元の中学生・高校生にも、たとえわずかでも故郷の美化に感心を持ってもらうきっかけになればこれに越したことはない。

多少言いにくいことも言って、準備にかけた時間が無駄にならなかったことにホッとしている。地域の活力に感謝!!

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「ビフォー・・・」

2022年11月05日 | 地域活動

  
         現場1                             現場2

  
          現場3                            現場4

所属する地区社会福祉協議会の年間最大の事業である「瀬戸内海環境保全大作戦」(青木海岸清掃)がいよいよ明日となった。
実行委員会を招集し、各担当のリーダーを決め、それぞれの役割分担をみんなで考え、共通認識の下で清掃作業をする海岸の前日の様子、つまりビフォー・アフターのビフォーの現場写真を撮っておいた。総延長約800mに及ぶ白い砂浜が、台風などの影響でこのように、大小材木・竹・木切れ・海藻・プラスティックなど、ありとあらゆるごみで覆い尽くされている。

「みんなで守ろう みんなのふる里」を合い言葉に、我々地区社協が、コロナ禍のため少し遠慮気味に呼びかけをして、地元中学生を中心に高校生や小学生・保護者そして一般住民など、総勢200人くらいの任意参加を頂いて、この海岸をきれいにしようというイベント。
さて明日の作業でどこまできれいに出来るのか。アフター写真のお楽しみである。

この季節に行うことで「熱中症」の危険性は大幅に減った。しかし、コロナの感染心配は未だ根強い。本来なら500人を集めたいところだが、密集を避けるために約半数に減らしての作業となる。3年我慢した今年も未だ従来の500人規模には戻せないジレンマがある。
その上に、晩秋というか初冬の海は非常に扱いが難しい。ちょっとでも風が吹くと大袈裟な波を作る。となると、この広い海岸で集めたごみを陸揚げするのためには欠かせないのが、小型漁船による海上運搬である。風や波によって漁船が使えなくなることは、ごみの完全回収がままならず成果が半減してしまう。

苦しいときの神頼み。明日の午前中だけは風を吹かせないでおくれ。波風立てず順調な作業をさせておくれ、と祈るばかり。
そうして、ビフォー・アフターの写真の違いがはっきり出ることを祈りたい。

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「喪中葉書第1号」

2022年11月03日 | 季節の移ろい・出来事

                

エッ!もうそんな季節なの? と感じたのは、昨日の郵便で今年の喪中葉書第1号が届けられたこと。
随分早い手回しにちょっと驚きながら、実は私もこの暮れは賀状欠礼の喪中葉書を出さなければならない。尻を突っつかれたような、慌ただしい気持ちにさせられてしまった。

例年の賀状購入の郵便配達員さんから今年も頼まれて、年賀状ではない普通葉書を早くに購入して準備だけはしていたのだが。
正直なところまだ手を付けていない。昨年暮れに頂いた喪中葉書と、年明けに頂いた年賀状の綴りをめくりながら、住所の確認作業や「今年をもって賀状発信を終わりにしたい」旨のチェックもしっかりしておかなければならない。
賀状交換のお断りを頂きながら、こちらからうっかり出したりしては失礼になる。「こいつ、ろくろく読んでいないな」と見透かされそう。

ところでこの喪中葉書、いったいいつ頃出すのが適当か。遅くても相手の方が年賀状の準備をされるまでには届けたい。ま、早い話が遅きに失するのは良くない。ということは早ければ早いほどいいっていうことかな。ま、いずれにしてもそこそこの頃合いを見計らって、せっかく書いてもらった年賀状を無駄にさせないようにタイミングを計らないとね。

そして今ひとつ、喪中葉書つまり喪に服して慎むべき血縁はどこまでを言うのだろうか。義母の妹が亡くなったので・・・とか子供の婚姻先の祖父母とか姉妹とかの縁まで遡るのか。当事者になって見ると悩むのである。
ただこの頃では少し割り切って、少し遠縁になると賀状欠礼までは考えない傾向にあるような気もするが。

そして喪中葉書の内容である。今回の私を例にすると、先ず急逝であったことや、コロナ禍でホンのこぢんまり家族葬であったりすると、これまで冠婚葬祭は完璧にお付き合いのあった近い親戚にも不義理をしたことになる。そこで、賀状欠礼、喪中葉書を活用して、逝去月日・享年令・簡単ないきさつ、くらいまでは認めるのが親切であり、常識に近いのかな、などと年甲斐もなく少し悩んだりする。
なんせ、喪中葉書なんて経験はそう何度もするものではないので、失礼のない方法を余計に考えてしまう。やはり忙しい年末を迎えるんだね~。

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