「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「祥月命日」

2022年11月10日 | 思い出話

           
                  墓前に供える小菊

11月10日とは、丸14年が過ぎた今でも記憶から遠ざかることのない、1年の中でも最も忘れがたい日である。
若さゆえの力不足と配慮不足が、形の見えない悔悟の念として肩に乗っかっているような、そんな後ろめたさに苛まれる。それを振り払うために墓前に花を手向け、ねんごろに手を合わせる。もちろん、我が家の中心に座すお仏壇にもお線香を焚いて手を合わす。

母の祥月命日。何は置いても今日一日の一番の仕事であると肝に銘じて午前中を過ごした。
あれは、2008年11月10日17時23分。母の最期となった棲み処である介護施設から「大至急来てください」の電話をもらってから3分後の午後17時26分。100才7ヵ月10日の天寿を全うした日時である。

14年前の話。当時66才であった。今思えば若かったな~と改めて実感する。
母が亡くなってから後、二人の姉を見送った。81才を目前にして、6人いた兄妹がたった2人になってしまった今、黄泉路の向こうで、父を含めた6人の親子が仲良くやっているのだろうか。やはり、両親をこの手で送り出した面倒見のいい次男坊がいなければ、多少のもめごとはあるに違いない。などとバカなことを思ったりするコスモス揺れる季節である。

そういえば、母の最期を迎えた部屋の窓の下で、たった一輪のコスモスがひ弱そうに風に吹かれて、右に左に大きく揺れているのが目に入った。
彼岸に渡ろうか、今しばらく此岸でがんばろうか迷っていた母の気持ちを見るようで、何とも涙を誘う光景であったことを思い出す。

色々あった14年。母がこの世の中で最も心を許した我が嫁と、ちょっと頼りない次男坊二人が、もうしばらく揃って元気に祥月命日は忘れず手を合わせるから、あまり早く呼ばないように、末永く暖かく見守って欲しいね~。と未だに母には甘えてみたくなる感情がある。

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