「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「新幹線50年」

2014年10月01日 | ニュース・世相

                 

夢の超特急、東海道新幹線が開通から50年という歴史を刻んだ。
東京・新大阪間を走り続けて半世紀。総走行距離は約20億キロで地球を5万周した計算になり、総乗客数は56億人にのぼるという。
「その主たる区間を列車が200km/毎時以上の高速度で走行できる幹線鉄道」と定義されているように、まさに夢の超特急として世界に君臨した。それは我々日本人の持つ技術の高さを、世界に知らしめた一大快挙でもある。

来し方を振り返るとき、就職した企業の将来性に賭けるか、新天地を求めるか、20代前半の悩み多き一時期と時を同じくして誕生した新幹線。
その名の通り、当時の世界記録を持つスピードは、その後結果的には新天地を求め、その道一筋に走り続けたこの身の生き方と重なるような速さであった、と今さらながら思う。

東海道新幹線に続いて山陽新幹線が、先ずは岡山まで開通したのが1972(昭和47)年。さらに延長して博多までの営業が開始されたのが、1975(昭和50)年。我が長男の生まれた年。そして我が住む町にも新幹線の駅が出来た。
それまであまり縁のなかった大都会との距離が一気に縮み、「東京?いつでも行けるよ・・・」などと都会人に近づいたような錯覚を起こした昔もある。

それからというもの、プライベートにおいても、オフィシャルでも新幹線を随分利用してきたと思う。
それも圧倒的にオフィシャルの方が多く、東京本社との往復は楽しみな時間でもあった。
有楽町駅のすぐ近くにある本社ビルでギリギリまで仕事して、15分後には新幹線シートに座ってリラックスしていられるという贅沢も味わった。
富士山を囲むように4カ所の工場を持つ、大手フイルム会社の富士宮工場には、何度足を運んだか数えきれない。

阪神淡路大震災で新幹線が不通となり、本社と工場間を飛行機に頼らざるを得なくなった時の不便さを思い出す。
何も、新幹線のコマーシャルをするわけではないが、それほどに、新幹線を重宝した時期もあったということである。
錦帯橋空港が出来たお蔭で、東京行はさらに便利になったことも書いておかなければなるまいが、いずれにしても、移動時間が短縮できるというのは有難いことではある。

ただし、今となっては、ただただ早く目的地に着くことが全てではない、という気持ちも大いにある。
ゆったりのんびり、外の景色を眺める鈍行の旅を心行くまで楽しみたい・・・などと思う。 人間って勝手なものだな~。

コメント (2)
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