「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ニンニクの花」

2014年06月01日 | 季節の移ろい・出来事

               
                                我が家の畑に咲いた、ニンニクの花。

借り物の狭い畑ながら、農業大先輩や友人の話を聞いて、作物の数が年々少しずつ増えている。
昨年9月10日に植えたニンニクが、ようやく収穫の時期を迎えた。これまでも1度か2度挑戦したが、残念ながら肥やし不足のせいか、ラッキョウの大型くらいにしかならなかった。今年は違う。日曜朝市にでも出したら、飛ぶように売れそうな自慢の出来栄えである。

ニンニクの成長過程も、じっくり付き合ってみると色々な表情を見せてくれる。
普通の小玉で、強力な臭いのある国産品は、成長に伴って芯から細い芽が出てくる。これは「ニンニクの芽」として高級中華料理の食材となる。

今一つ、普通のニンニクの3倍にもなる大玉の無臭ニンニクは、茎も大きく、リュウゼツランを小型にしたような、奔放に広がる葉っぱの中心から、芽を出してくる。ところがこちらは、根っこの玉の大きさ同様、芽の大きさも半端ではなく、直径が10円玉くらいの大きな芽を出す。
早めに切ってやれば、根っこの玉太りを助けることになる。順調に成長した芽は早めに切り落とした。
ただ、同じニンニクの芽ではあっても、こちらの野太い芽は固くてきすくて高級料理の食材には向かないようだ。

中には生育のよくないのもある。大きな株と株の間で細々と葉っぱを伸ばし、芯の芽を出す時季も大きさも控えめなため、芽を切り取るのも忘れがちになる。
そしてふと気が付いたら、初めてお目にかかる、紫色の小粒が凝集された可憐な花を咲かせているではないか。

なるほど・・・。これがニンニクの花か。芽を摘まなくてよかったね、こんな花を咲かせてくれるんじゃね・・・とニンニクに同情する。
けなげに咲くニンニクの花、同情を越えて身につまされる物があるような。
大きな株に囲まれて窮屈な思いをしながらも、せっかく伸びようとする芽を摘んでしまっては花も咲かない、実もならない。これって、誰かの人生のような・・・。

逆に、娘や倅そして孫、ひいては後輩たちに、ニンニクと同じようなことをしてきたのではなかろうか、気にかかる。
それもこれも、ニンニクの芽はやがて花を咲かせる・・・という常識を知らなかったこちらの無知が原因である。
こんな農作業体験を通して、花が咲くことを早くから知っていれば芽を摘むこともなかったかもしれない。
ただ、芯を伸ばして花を咲かせれば根っこの玉太りに影響しかねない。花を取るか、実を取るか・・・そこが思案の・・・。

畑の作物も色んなことを教えてくれるものではある。

コメント (4)
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